ユースフ・エステス 元キリスト教牧師(3/5)

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説明: 活動的なイスラーム宣教師であるユースフ・エステスが面白おかしく語る、自身の改宗記。第3部:牧師へのキリスト教についての説教。

  • より ユースフ・エステス
  • 掲載日時 16 Sep 2013
  • 編集日時 23 Sep 2013
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衝撃的な知識 ― ムスリムはバイブルを信じるのか

1991年春のある日、私はムスリムがバイブルを信じていることを知りました。そのことは衝撃的でした。どうしてそんなことがあり得るのか? それだけでなく、彼らはイエスについても次のようなことを信じていたのです。

·真の神の使徒であること

·神の預言者であること

·人的介入のない奇跡を起こしたこと

·彼がバイブルで予言された「キリスト」つまりメシアであること

·彼が現在、神と共にあること

·彼が終末の日に戻り、信仰者を率いて「偽キリスト」と戦うこと

毎日「イエスのために神へと魂を勝ち取った」あと、「モズレム」をキリスト教へと「改宗」させることが私にとっての大きな目標となりました。

一杯の紅茶 ― 信条の議論

 彼に紅茶は好きかと尋ねると、好きだと答えました。なので私たちはモールの一角にある小さな店に入り、私の得意分野である信条について語ることにしました。小さなコーヒー店に何時間も座って話していると(大部分は私が話していました)、私は彼が非常に好感の持てる、静かで、時には恥ずかしがり屋の様相も見せる男性であることに気付きました。彼は私の話に非常に注意深く耳を傾け、一度として話を遮ったりはしませんでした。私は彼の性格を気に入り、良いキリスト教徒になる可能性をひしひしと感じました。その時は、やがて私の目の前で起きることには到底思いもよりませんでしたが。

共同事業の合意

まず、私は彼と事業を行うことを父と合意しただけでなく、彼が私と一緒にテキサス州北部の出張の共をすること勧めました。私たちは毎日、車の中で人々の持つ異なる信条についての様々な論点を議論しました。道中ではもちろん、私の好きなラジオ局の宗教プログラムを、この可哀想な男のために流したりもしました。私たちは神の概念についても語りました。また人生の意味、創造の目的、諸使徒と彼らの使命、そしていかに神がその御意を人々に伝えるかについてもです。私たちはまた、多くの個人的な体験やアイデアについても共有しました。

我が家への引越し

ある日、私はムハンマドが家を引越して、彼の友人の元に世話になっており、モスクに一時的に滞在することになることを知りました。私は父のもとへ行き、ムハンマドが郊外にある私たちの大きな家に一緒に住むことが出来ないかどうか尋ねました。そうすれば私たちは一緒に仕事が出来るし、出費も補い合えるだけでなく、出張のときもすぐそこに居るからです。父は合意し、ムハンマドが越してきました。

牧師業と宣教の継続 

もちろん、私はテキサス州の宣教師や福音伝道者仲間と一緒に過ごす時間も作りました。彼らの内の一人は、テキサスとメキシコの国境付近に住んでおり、もう一人はオクラホマ州との州境付近に住んでいました。宣教師の中には、車よりも大きい、木製の巨大な十字架を担ぐことが趣味の者もいました。彼はその十字架の形をした二本の梁を肩に担ぎ、公道や高速道路でそれを引きずって歩きました。人々は車を止め、一体何事なのかと尋ねてきますが、その機会に彼はキリスト教に関するパンフレットや小冊子を彼らに渡すのです。

宣教師の心臓発作

ある日、その十字架好きの友人が心臓発作を起こし、退役軍人病院に長期入院しなければなりませんでした。私は週に数回彼を見舞いましたが、教義や宗教について分かち合うことを期待してムハンマドも同伴させました。友人はそのことに全く理解を示さず、彼がイスラームに対して心を閉ざしていることは明白でした。そしてある日、私たちが病室にいるとき、友人と同室の男性が車椅子で入室しました。私は彼に挨拶し、名前を尋ねましたが、彼の答えは「それは重要なことではない」で、どこの出身かを尋ねると「木星だ」と答えました。彼は何かの手違いで精神病棟から心臓病棟に紛れ込んでいたのではないかと思った程です。

主を求めていた車椅子の男

私は彼が本当は孤独で憂鬱なのだと悟りました。そのため、私は彼のために主についての「証人」となることにしました。私は彼に旧約聖書のヨナ書を読み、人々を正道に導くため、主によって遣わされた預言者ヨナの逸話を聞かせました。ヨナは人々から立ち去り、街から船で海へと逃げました。暴風が襲い、船が転覆しそうになると、乗船していた人々はヨナを放り出しました。そのときクジラが海面に浮かび上がり、ヨナを飲み込むと再び海底に沈み、ヨナはそこで3日3晩過ごします。しかし神のご慈悲により、クジラは海面に再び上がり、ヨナを吐き出し、彼はニネベの街に無事帰還するのです。ここでの教訓は、私たちは自分たちの行いを知ることによって、直面する問題からは逃げ出すことは出来ないということです。神も私たちの行いをすべてご存知なのです。

カトリックの牧師

車椅子の男性にこの逸話を紹介したとき、彼は私を見上げ、謝罪しました。彼は自分の無礼な態度に申し訳なく感じ、深刻な問題に直面していたことを私に告げました。それから彼は、ある事実を告白したいと告げてきました。私はカトリックの牧師ではないので懺悔は受け付けないと言いました。彼はそのことを知っていると言いました。事実、彼はこう言ったのです。「私はカトリックの牧師なのです。」

私は愕然としました。私は牧師にキリスト教を説いていたのです。一体ここで何が起きているのか?

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