近代歴史学的方法論VS.ハディース方法論(2/5):内部による批評
- より リーム・アッザーム
- 掲載日時 29 Aug 2011
- 編集日時 29 Aug 2011
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内部による批評
内部による批評とは典拠の内容に関するものであり、それは外部による批評の後に当然のこととして行われるもの(Lucey 24)です。この段階における目的とは、証言内容の信頼性を確証することです。歴史家たちはその開始にあたり、証言者の証言内容が何を意味するのかを理解しなければなりません。そうすることによってはじめて、歴史家は問題となる証人の信頼性に対する適切な決定を下すことが出来ます。証人の信頼性を確証するということは、その人物の能力(知識を元に語っているかどうか)と正確性(正直な発言者かどうか)を共に確証させることです。実際に、上記の審査によって一部の証言は退けられますが、相当数の証言は信頼に価するものであるとして確証されます(Lucey 24)。
言語は常に変化し続けるために、証言の真の意味を理解することは簡単な作業ではありません。言葉が逐語的に使用されず、別の意味が付属されることは頻繁にあります。歴史家は証言内容を的確に理解するために、作者や証人が付属させた意味を汲み取る必要があり、典拠の由来する時代に使われていた慣用句についても精通していなければなりません。当然のことながら、歴史家は典拠において使用されている言語に堪能でなければなりませんし、その作業のためには言語学の訓練も受ける必要があります。
典拠や証言内容を適切に理解するには、どのような人物や人々がその典拠をつくったのかを知る必要があります。言い換えると、彼らの性質や興味の対象は何だったのか(Marwick 223)ということになります。彼らの学歴、人生における地位、政治的観点、そして性格が調査されるべきなのです(Lucey 73)。また、彼らの年齢や気質も重要です(Lucey 78)。これらの知識は証人の信頼性を決定する際に有益となります。さらに、特定の典拠がいかにして、または何故もたらされたのか、そしてそれが誰に対して意図されたものだったのかを知ることも重要です。歴史家が証人の意図とその証言内容を正確に理解することが出来れば、次に証人の信頼性を調査する段階へと進みます。
この段階では、典拠を提供する人物(または人々)が実際に当事者としてその調査対象に関する知識があったのか、そして彼らが真実を述べているのかどうかを確証します。この時点においては、対象の典拠に対する公正さを維持するため、それに対して肯定的または懐疑的のどちらでもないことが適切な態度(Lucey 73)であると言われています。証人による証言は、それが完全に信頼の出来ないものであると断定されるまでは軽んじられるべきではありません。証人が多少の間違いを犯すことは、彼の証言の殆どが事実である限りは許容されます。歴史家の言葉を借りると、以下のようになります:
「したがって、証言内容の信頼性は、証人自身の適性と誠実さに由来するのであり、これら二つの資質は当然のこととして受け止められてはならないのである。彼の観察能力は確証され、観察機会は証明され、誠実さは確認され、証人が犯すであろう過ちを考慮するために他の証人の証言と比較されなければならないのである”(Lucey 73-4)。
典拠の信頼性を確証させる事項のなかには、典拠の性質や目的を初めとする、その種類に関する知識が含まれます(Lucey 77)。典拠の各種類には、独自の評価基準があります。例えば、政治的文書と社説は同じ観点からは読まれません(Lucey 77)。それに加え、特に公的な人物の場合、特定の証人の誠実さ、道徳的性格、適性は既に確証されている場合もあります(Lucey 78)。したがって、そういった証人たちの証言は、彼らにとって不利な事項が証明されない限り、その信頼性を疑う必要がないのです。
この段階において、歴史家が注意すべきいくつかの事項があります。それは、証人の観察能力が適格であると決めてかかることです。証人の出くわした出来事が現実としてあったことが確証されなければならないだけでなく、適格な証人がしっかりと認識したことも確証されなければなりません。別の注意事項としては、共通の過ちのもとに関することです。代表的なものには曖昧な記憶、偏見や先入観などがありますが、観察能力の不備といった欠点は、正当性に対する重大な疑いをもたらします(Lucey 75)。典拠の証人または作者に関するそのような欠点は、歴史家による誤解を容易に生み出す要因となります。
歴史家らはただ一人だけの証人による証言を受け入れることに躊躇しますが、証人が条件を満たしていればそれは正当化されます。当然、複数の証人がいた方が好まれ、その数が多ければ多いほど良いのです。もちろん証人たちは適格で誠実でなければなりませんし、報告した出来事に近かったか、または最低でも近かった人々から知識を得たのでなければなりません(Lucey 79)。証人が適格であればあるほど、歴史家にとっては仕事が楽になります。そうして彼は複数の証言を比較し、過ちを排除し、信頼のおける典拠を用いて新たな証人の信頼性を決定させることが出来ます。
信頼性を決定するためにいくつかの典拠同士を比較する際、次の三つの可能性があります。問題の典拠について肯定しているか、否定しているか、または沈黙しているかです。複数の典拠に対して肯定するだけでは、問題の典拠の信頼性が確証されるには至りません。それらの典拠が独立しているかどうかが決定されなければなりません。そうでなければ原典に対する策略または依拠が疑われることになります(Lucey 80)。特に出来事が公のものであったのなら、多くの独立した報告があるはずです。しかし、もしも複数の典拠が一致しなかったり、矛盾したりするのであれば、その場合は相違の度合いや典拠の性質などを調べなければなりません。小さな点や詳細における相違だけでは、問題の典拠は信頼性を落とすに至りませんし、実際それらは一般的であり、予期されるものです(Lucey 81)。見かけ上の矛盾と本物の矛盾とを混同しないよう注意されるべきであり、批評の規定を慎重かつ忍耐強く遵守することによって、見かけ上の矛盾に関する問題が解決されるかもしれないことも認識されるべきです(Lucey 83)。しかし、もし本物の矛盾がある場合、それらが別の根拠による信頼性を勝ち取るまでは、それらのどの典拠も使用されてはなりません。ある問題が論議を呼ぶようなものであれば、利害関係者や極論者に対しては極力注意すべきです。
第三のシナリオとしては、問題の証言に対し、典拠が沈黙をしている場合です。そのような証言に対しては否定的な態度が取られますが、直ちに退けられる訳ではありません。証言が退けられるためには、沈黙する証人たちが出来事について知る能力があったこと、そして彼らがそれらを報告しなければならない状況にあったことが確証されなければなりません(Lucey 84)。しかしそれらを確証することは困難です。
歴史家が複数の典拠をふるいにかけ、外部と内部双方の批評を厳格に適用すれば、ようやく執筆に取り掛かることが出来ます。すべての資料を配列、統合し、正しい出来事として再建する作業は、歴史家自身の解釈も伴わなければならないため、容易な作業ではありません。信頼のおける典拠への歴史家による解釈の姿勢が、特定の出来事の再建を形作るのです。
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