クリントン・サイプス(元キリスト教徒・アメリカ合衆国)(パート1/2)

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説明: 憎しみ、犯罪、暴力の人生が平穏と信仰のそれに変わる。パート 1:少年期

  • より クリントン・サイプス
  • 掲載日時 05 Dec 2009
  • 編集日時 05 Dec 2009
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始まり:クリントン・サイプスの少年期の試練

私は父からの肉体的、精神的虐待を受け、アルコール依存の環境にある崩壊した家庭に育ちました。よい父親像のないままに、私は反社会的性格と暴力的性向を強めていきました。

私は自分にされたことを真似し始めましたが、この模倣行為は知らず知らずの内に始まっていきました。それは兄やクラスメート、先生や動物との関係にも影響を及ぼしました。何も私の抑圧された怒りや憤りの残酷なほとばしりを取り除くことは出来ませんでした。13歳の時、私は自分と似たような境遇の子供たちと仲間になりました。しかし彼らは私ほど追い詰められてはいなかったので、すぐに飽きてしまいました。私はアルコール、麻薬、犯罪、暴力、人種差別といったことにためらいなく参加する私の意欲を歓迎する、ヤングアダルト達と行動を共にするようになりました。矯正施設(少年刑務所)にも入りましたが、その環境もまた私の犯罪的傾向を専門的技術にまで精製してくれました。暴力と人種差別は非常に鋭いもの…となり、負の環境が黒人、ユダヤ人、東洋人、権威への憤りと嫌悪を煽りました。この矯正期間の3年後。私は釈放されました。私はあたかも歩く手榴弾のようになっていました。

この怒りを解き放つための焦点を探し求め、私はヤングアダルトの準軍事的人種差別グループの会員となりました。私は人々への常習的暴行に参加するなど、様々な犯罪行動に携わりました。そして16歳の時、私は強盗、暴行、銃刀法の罪でカリフォルニア少年施設所に投獄され、6年6か月の懲役に服役しました。しかしそこですぐに“白人至上主義”の集団に同調し、自分の怒りと憤りを“アングロサクソン人”ではない全ての人々へ向けた真の“憎しみ”として培養したのです。

私はKKKと通じるようになり、仮釈放の後には憎しみを売買する筋金入りの商人に成り果てていました。その後3、4年の私の行動は、クランの火炎十字架活動にメディアへの露出、夜の殴打襲撃、所有物の侵害などに深く関わるものでした。そして私の仮釈放は、不法銃器所持と強盗の疑いによって再び破られました。

平安への探求:青年期

20歳の時のこの最後の仮釈放の取り消しが、平安への探求の始まりでした。何年もの間私の内側にあったひどい憤りと嫌悪が、私を内面から侵食し始めていました。私は嫌悪感から、刑務官を酷く罵りました。私の独房には怒りと憎しみに満ちた本や落書き、絵などで覆われており、また私の上半身は房タトゥーで覆われていました。私は外に向かって爆発していたのではなく、内面的に爆発していたのです!。怒りと憤りで朦朧としている中、私は自分がマットレスさえない孤独な監獄に裸でいることに気付きました。私の手元にあったのは発泡スチロールのコップだけでした。私は自分をこの最低の状態にまで貶めた自分の過去と負の要素を振り返り始めました。

私が収監中に娘が生まれました。私は自分の将来を描き始めました。私は自分が被害を与えた沢山の被害者の人生を考えるようになりました。私はもしこの過去の自分のままでいたら、一生刑務所暮らしであることが予見できました。私は自分に言い聞かせました:“クリント、おまえはこの悪か、あるいは未来の善かを選択しなければならない”。この悪に未来がないことは明らかでした。私の家族-母、ガールフレンド、兄弟-は私を恐れていました。私は彼らから疎遠になっていました。そして私は自分の中の嫌悪という癌を取り除く洗浄剤を探し始めました。私は本当の意味で愛され、そして愛したかったのです。私はただもう“憎み”たくはなかったのです。

私はモンタナ州に移り、そこでまた住居侵入と窃盗の罪で逮捕されました。私は刑を宣告され、5年の判決で2年6か月服役し、その後の仮釈放期間は無事に全うしました。私は人権団体と関わるようになり、自分自身で人権団体C.H.E.R.E. (Children Escaping Racist Environments:人種差別的環境からの子供たちの避難)を始めました。私の目標はかつて自分が打ちのめされてしまったような環境的状況から逃れる手助けを子供たちに差し伸べることでした。私はかつて自分自身が問題となっていた場所にお返しがしたかったのですが、まだ犯罪と関わっていました。私は爆発物所持にかかわり、連邦政府に逮捕され、35か月を連邦刑務所で服役しました。

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クリントン・サイプス(元キリスト教徒・アメリカ合衆国)(パート2/2)

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説明: 憎しみ、犯罪、暴力の人生が平安と信仰へのそれに変わる。パート 2:平和の源泉に仕える者

  • より クリントン・サイプス
  • 掲載日時 05 Dec 2009
  • 編集日時 05 Dec 2009
  • プリント数: 468
  • 観覧数: 14,546
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真実の探求

それは連邦刑務所への私の到着から始まりました。一人のアフリカ系アメリカ人が私の化粧品の必要を助けることを申し出てくれました。彼は自分がムスリムである言い、ムスリムは必要がある人を助けるように言われていると言いました。それはこのイスラームというものを調べてみようという私の興味を打ちそそりました。一方で私はこの宗教がアフリカ系アメリカ人のためだけの宗教だと思い込んでおり、自分がムスリムになれるわけはないと考えていました。私は白人なのですから!

しかし、私はこの兄弟に何冊かのイスラームの本を依頼しました。そして私は肌の色や民族、人種などの違いを超越したイスラームの普遍性を知りました。それは真実で純粋なものに見えました。私はイスラームに興味を抱き始めました。またこの兄弟は私をジュムア(金曜)の集団礼拝に招待しました。私はクルアーンを贈られ、その翻訳を読み、その純粋さと真実を感じました。そこにはごまかしや気味悪さ、神秘主義などはなく、ただ“真実”の明瞭かつシンプルな理解がありました。アザーン(祈りへの呼びかけ)を聞いた時、私は心と魂を貫く神への近付きを感じたのです。

クルアーンに関していくらかの勉強を重ねた後、私はそこに矛盾のない絶対的な信憑性を発見しました。

宗教にはある種の科学や多神教、あるいは三位一体などのもとに成立するものがあります。しかし私は考える性質の人間で、それらはどれも理論的に納得のいくものではありませんでした。

イスラームは、無から創造物を創造した唯一神の信仰を基にしています。事実私が読んでいた書物(クルアーン)は1400年以上もの間、一つの母音も言語も変えられなかったのであり、それ自体が奇跡でした。こうして私はイスラームの一貫性と唯一神の教義に納得させられたのです。

キリスト教は聖書、教義共に改変され、そして未だに変わり続けています。今日読まれ教えられている聖書の正統性さえ証明出来ないような状態なのです。

唯一神と一つの宗教だけがあり、宗教とは神への“服従”です。これがイスラームの意味です。

著しい変化:クリントン・ サイプスからアブドッサラームへ(平和の源に仕える者)

ご存知になられた通り、クリントン・サイプスの人生は嫌悪、犯罪、そして暴力など、人間の完全なる破壊をもたらすもの以外の何ものでもありませんでした。

偽りと部分的な真実、そして路上の人々への追従の年月の後、そしてかつて一億人以上もの人が投げ込まれ、私の怒りと嫌悪の刃を鋭く磨いてきた同じ場所(刑務所)が今は、イスラームによって歓迎され、私を“平和の源に仕える者”へと変える場所になりました。イスラームは私の始まりと終わりを示してくれたことにより、私の精神的空虚を満たしてくれました。言葉では正確には言い表せませんが、イスラームは満足、平和、安らかさといったものを与えてくれました。私の目的は明確で、その方向性は真っ直ぐなものとなりました。

イスラームはその真実を通して、私に人間性と神に対する真の崇拝を教えました。私は私たちが神の御許から来、そして神の御許へ戻らなければならないことを学びました。神は生物も無生物も細微なものも、肉眼で見えるものも、有限もそして無限のものも全て創造されました。自らを創造したものなどなく、全ては神によって創造されたのです。

終末の日には、私が黒人であろうが白人であろうが、金持ちであろうが貧乏であろうが、力が強かろうが弱かろうかは関係なく、それどころかその日全人類すら私を益することは出来ません。それよりも各人はその行いの善悪に関して責任を問われ、そしてそれに応じて罰されたり、また報酬を受けたりするのです。私以外の誰も私の罪で罰せられたり殺されたりすることなどはなく、また私が行った善の報酬を私の代わりに受けたりすることは出来ないのです。私には責任があり、尋ねられた際には答えなければなりません。私はこの真実に気付き始め、公に “アッラー以外に神はなく、預言者ムハンマドは神の最後の使徒である”と宣言しました。それゆえ本質的に私の人生は、真実と純粋さが始まる初期へと戻ったのです!

最後に。著しい変化は今完全な環となりました。私は神(人類、天使、ジン、天国と地上の全ての存在の創造主に全ての賛美あれ)に“真実”を見出しました。神(全ての称賛に値されるお方)は[多く]の美名または属性を有しますが、その美名の一つが(私のイスラーム名にもついている)「サラーム(平和)」なのです。

創造者、平和の真の存在の創始者。神(全ての称賛に値されるお方)の平和以外に平和はありません。私はこの平和を見つけ、今“アブドッサラーム”、つまり唯一の平和の源で、かつその創始者であられる最も崇高で全ての称賛に値される神の僕となったのです。

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