フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(1/4):前置き・人物背景
説明: ムスリム諸国に居住歴のあるアイルランド人カトリック教徒が、ムスリム女性との関係をきっかけにイスラームに興味を持ち、そこから発見したことについてを述べます。
- より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
- 掲載日時 15 Jul 2013
- 編集日時 15 Jul 2013
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はじめに
私は、主に自分と同じような宗教的バックグラウンドを持つ人に役立つよう、イスラーム改宗記を書きました。キリスト教とイスラームには多くの共通項がありますが、三位一体やイエスの神格性といった根本教義の相違点においては妥協を許しません。キリスト教を実践し、それに誠実でありながら、そこにある程度の知的不満を見出していたキリスト教徒として、イスラームを受け入れることはいくつかの点で神学的な大冒険でした。既にその冒険をした者として、私の改宗記がそれを新たに行おうとする方々の役に少しでも立てると幸いです。次のハディース(預言者ムハンマドの言行録)が思い起こされます。
「ある時、刺のついた木の枝が道を遮っているのをある男が見つけた。その男はそれを道から取り除いた。神は彼に感謝し、彼の罪をお赦しになった。」(サヒーフ・ブハーリー)
同じような背景を持つ人にとってそれが有益なものとなるよう、私が自らの経験について語ることにより、キリスト教からイスラームへの道における象徴的な意味での「刺」を取り除くことが出来れば幸いです。
私はインターネットを使いこなせるようになる前にイスラームへと改宗したため、自らの足を使って色々と調べなければなりませんでした。私にとって、イスラームの調査結果は知的側面と神学的側面の双方において満足させるものであることが重要なことでした。私の経験の一部は、私と同じような背景を持つ方々にとって、自らの精神的探求における有益な指標や出発点になることが出来るのでは、と感じています。
私の生い立ち
私は1998年の10月に、31歳でイスラームに改宗しました。私はアイルランド出身で、カトリックを実践する家庭のもとに生まれましたが、成人して以来ずっと海外で暮らしています。1990年代の後半、ムスリム国で出会った女性と恋に落ちました。ムスリムの女性は他宗教の信者との結婚が許されていないため、もし彼女と結婚したいのであれば、イスラームに改宗しなければならないということを知りました。私はムスリムになる可能性というものを全く受け入れることが出来ませんでした。事実、私は宗教としてのイスラームについては殆ど知りませんでしたが、ムスリム諸国で働いた経験から、それに対して非常に悪い印象を持ち、西洋の持つ一般的なイスラームへの嫌悪感を身をもって実感していました。いずれにせよ、ヨーロッパに帰った1998年の前半は、大学や図書館で見つけることの出来たイスラームについてのすべての本を読み漁り、意外にもその内容の90%は難なく受け入れることが出来るということが分かりました。実際、私は夢中になっていました。私は宗教としてイスラームの神学的、論理的な教えではなく、一部の不快な名ばかりの「ムスリム」たちの態度をもとに、イスラームに対する偏見を持っていたという自らの過ちに気付いたのです。
イエスは神の子なのか
私が本当の問題に直面したのは、イエスの役割についてでした。私はカトリックのキリスト教徒として、父なる神、子なるイエス、そして聖霊によって構成される三位一体説を信じて育ちました。それは一人の神に三人の人格があるものです。イスラームはこれを否定し、神の絶対的唯一性(タウヒード)と共に、イエスは偉大な預言者ではあったものの、神格性を有さない一人の人間であったと説きます。
“啓典の民よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤム(マリア)の子マスィーフ・イーサー(イエス・キリスト)は、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯一の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。”(クルアーン4:171)
“マルヤムの子マスィーフは、一人の使徒に過ぎない。かれの以前にも使徒たちがあって、逝ったのである。かれの母は誠実な婦人であった。そしてかれら両人は食べ物を食べていた。”(クルアーン5:75)
“(イエスは)言った。「わたしは、本当にアッラーのしもベです。かれは啓典をわたしに与え、またわたしを預言者になされました。”(クルアーン19:30)
“「アッラーこそは、マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は、確かに不信心者である。”(クルアーン5:17)
“「アッラーこそは、マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は、確かに不信心者である。しかもマスィーフは言ったのである。「イスラエルの子孫よ、わたしの主であり、あなたがたの主であられるアッラーに仕えなさい。」”(クルアーン5:72)
“またアッラーがこのように仰せられた時を思え。「マルヤムの子イーサーよ、あなたは『アッラーの外に、わたしとわたしの母とを2柱の神とせよ。』と人びとに告げたか。」かれは申し上げた。「あなたに讃えあれ。わたしに権能のないことを、わたしは言うべきでありません。」”(クルアーン5:116)
イスラームは純然たる一神教を説きます。イスラームにおける根本的な教義とは、(キリスト教徒が父として言及する)神のみが唯一の神ということです。クルアーンの112章において、それは極めて明快に述べられています。
1.言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。
2.アッラーは、自存され、
3.御産みなさらないし、御産れになられたのではない、
4.かれに比べ得る、何ものもない。」
私にとって、このことはとても異質でした。私にはイエスを裏切ることが出来ませんでした。
当時の私の宗教的な信条や実践について言えば、日曜説教の政治的・非宗教的な内容から、日曜礼拝に行くのをやめてしまっていました(どちらかといえば、私は短く、任意で参加することの出来る平日の集会の方が好みでした。説教に邪魔されることなく神をより近くに感じられたためです)。しかし神学的レベルにおいて、私は献身的なカトリックであり、(プロテスタントとは異なる)キリスト教徒の範疇に留まっていました。たとえば福音書から学んだこととしては、キリスト教の枠内において、私は聖変化や使徒継承の教義を信じていました。しかし、キリスト教自体の有効性、特に原罪やそれに伴う「神の子イエス」による血の犠牲、「魂の救世主」による贖罪といった教義については深刻な疑念を抱いていました。これらの概念は、キリスト教が派生したとされるユダヤ教においては未知のものであり、相容れないものです。しかしながら、神の子としてのイエスの概念は私に深く根ざしており、それ以外の解釈を受け入れることは私にとって極めて困難なことでした。
フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(2/4):キリスト教の資料の調査
説明: フセインは聖書調査の実体験を通し、自ら出した結論について語ります。
- より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
- 掲載日時 22 Jul 2013
- 編集日時 22 Jul 2013
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聖パウロと初期キリスト教会
当時のイスラームの調査において、可能な限り尽力した後、歴史的イエスと原始キリスト教会について本格的に調べてみることにしました。私は、自分が得た情報に驚愕しました。それは、カトリック学校の14年間に渡る宗教教育の中には全く含まれていなかったものでした。私は知識が増すにつれて、原始キリスト教における福音書の著者の一人で、通常「聖パウロ」や「使徒パウロ」として呼ばれる「タルソスのパウロ」によって捏造された教義を否定するようになりました。パウロは使徒などではありませんでした。事実、彼はイエスに会ったことすらなかったにも関わらず、イエスの霊を見たと主張することにより、生前のイエスを知り、彼に従った者たちによる一次史料と神学的知識を置き換えたのです。パウロによるモーゼの法の廃止は、イエスの直弟子のユダヤ人たちによって構成された、ペトロ率いるエルサレム教団によって非難されました。彼らは自分たちを、割礼や食規定などを受け入れるユダヤ教の一派として見なしており、ユダヤ教に改宗しない限りは異教徒の入団を認めませんでした。イエスの直弟子のユダヤ人たちにとり、神の子という概念は逐語的にも物理的にも、十戒の第一戒に真っ向から反する、絶対に受け入れることの出来ない冒涜的な概念だったのです。出エジプト記20:2−5からは、次のような記述を見出すことが出来ます。
“わたしは主、あなたの神…あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない…あなたはいかなる像も造ってはならない…あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。”
また、申命記6:4には、このようにあります。
“聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。”
他にも、
“主なる我らの神は、唯一の神である。”
さらに、
“我らの神、主は唯一である。”
そこからは、「神の子」や三位一体の概念をうかがい知ることは出来ず、キリスト教の一宗派にとってのみの「父」なる神、またはムスリムにとっての「アッラー」しか記述されていません(「アッラー」とは単に、アラビア語で「神」を指す単語です。一部の欧米人が間違って信じているような、その他の神々の一つではありません。アラビア語を話す中東のユダヤ教徒やキリスト教徒たちは、「アッラー」という単語を使っており、その単語はアラビア語の聖書を通して使用されているのです。)
逐語的・物理的な神の子が、ユダヤ教徒にとって冒涜的であるという理解は、後日、ユダヤ教の大学教授との個人的な会話によって確信へと変わりました。彼はユダヤ教におけるメシアの理解としてこう述べました。「その人物は明確な人間であり、神格性を持たず、神の子でもない。」
聖パウロによる布教活動は、総じて地中海北部の多神教徒・偶像崇拝者たちへと向けられたものでした。コリントで、唯一なる神への崇拝に信仰を貫いたユダヤ教徒たちに対し、彼は憤激し、彼らへの布教を断念しました。使徒言行録18:6で、パウロはユダヤ教徒たちにこう宣言しています。
“あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ(布教しに)行く。”
神が子を持つといった概念は、ギリシャ人のような異邦人たちにとって非常に一般的なものでした。おそらくパウロは、彼らにとって受け入れ易いようにイエスの教えを歪曲し、現地で手っ取り早く多くの改宗者を勝ち取ろうとしたのかも知れません。その証拠は、使徒言行録17:22−23において見て取ることが出来ます。パウロはアテネで、人々をギリシャの宗教から自分の新興宗教へと呼びこもうとしています。また、パウロがユダヤ教の啓典からの典拠を出すことなく、またイエスの教えに基づいたものでもない、全く新奇な独自の概念を捏造した証拠も存在しています。コリント信徒への手紙一7:25では、未婚の人々からの質問に対し、自分が「主の指示を受けていない」ことをパウロは認めています。それにも関わらず、彼は独断で持論を繰り広げ、自らを「主の憐れみにより信任を得ている者」とさえ主張しているのです。
新約聖書の有効性における疑問
カトリックの家庭、カトリックの学校という環境で育った私は、聖書を常に無条件で神の言葉と見なしていました。大人になり、聖書の執筆と編纂の歴史を学んだ結果、特に新約聖書に対しての強い疑念を抱くようになりました。それは、パウロと彼の追従者たちがその大半を著したものです。使徒言行録では16章以降、イエスの直弟子だったバルナバではなく、彼と共に伝道したパウロの記録が述べられています。バルナバは、キプロスにおけるキリスト教会の設立者として認知されており、最も初期のキリスト教徒たちによって認められていた福音書の著者でもありました。しかし彼の福音書は、新約聖書が初めて公式に編纂された際、イエスの時代から3世紀後のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の命令によって、独断的に排除されました。バルナバは、エルサレムのイエスの弟子たちがパウロから距離を置いたとき、彼の人柄を保証しましたが、その後の口論によってパウロとは袂を分かちました(使徒言行録15:36−40)。
キリスト教世界において(西暦325年のニケア公会議以降)、正典として認められている福音4書に関しては、イエスの死からはるか後になって、信頼性のない第三者・第四者の報告を元に編纂されたものです。
福音4書の成立年:
マルコ 西暦65−75年
ルカ 西暦80−85年
マタイ 西暦85−90年
ヨハネ 西暦95−140年
典拠:カルガリー大学宗教研究学科1
それが真の「神の言葉」であれば、なぜそこには二つの異なる系図(マタイ1:1−17、ルカ3:23−38)が存在しているのでしょうか? また、イエスが逐語的にも物理的にも「神の子」なのであれば、なぜ一族の系図そのものが必要となるのでしょう? イエスが人々にパンと魚を与えた人数についても、2つの福音書で数が異なっています。実際の数に関しては相対的に些細な詳細ですが、これらの例は重要な点を照らし出しています。それは、イエスの人生と彼の教えについての福音書の信頼性の低さ、そして教義の根幹としての福音書の不相応性です。
さらに重要なのは、福音書は同時代の人々による報告の記録ではなく、西暦66−74年のユダヤ人による対ローマ戦争中あるいは敗戦後の、ユダヤ教分離・ローマ帝国迎合の風潮において著された回顧録であるという事実です。対照的に、バルナバによって著された、より初期の、より信頼性のある福音書は、公式の聖書から除外され、パウロ派の占める教会権威によって4世紀以降、隠蔽されました。
それに加え、指摘するまでもないでしょうが、イエス、12使徒、そして弟子たちは皆、ヘブライ語の聖書を持つユダヤ人たちでした。しかし、新約聖書はギリシャ語で著されています。そしてカトリック教会が公認したGood News Bibleの付録では、福音書での15の場面を含む、合計85の場面で、新約聖書の著者たちが旧約聖書のヘブライ語原典からのテキストではなく、紀元前200年にエジプトで作成された、ギリシャ語の翻訳版である Septuagint版から、イエスや初期キリスト教中心的人物からの引用、意訳、言及箇所を使用しているのです。その付録にはこう記述されています。
この版には、ヘブライ語のマソラ本文の意味とは著しく異なる場面がいくつか含まれています。
イエスと彼の追従者たちが、ユダヤ教におけるヘブライ語の原典からではなく、著しく意味の異なる外国語の翻訳から引用しているという事実は、それが信頼に値するものではないということをはっきりと浮き彫りにしています。このことは、新約聖書の正確性に更なる疑問を付加させ、教義の根幹としての新約聖書の有効性を損なうものです。
フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(3/4):三位一体論からユニテリアンへ
説明: カトリック・クリスチャンからアリウス派ユニテリアン主義者、そしてムスリムへ。
- より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
- 掲載日時 29 Jul 2013
- 編集日時 29 Jul 2013
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完璧に保持され、歪曲のないクルアーン
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどの福音書に代表される新約聖書とは異なり、一冊の書物であるクルアーンは、ムハンマドという一人の預言者にその全体が啓示されました。それは23年間に渡って啓示され続け、ムハンマドの追従者たちの多くによって、彼の生前に暗記されると同時に複数の媒体に書き留められました。それはムハンマドの死後20年以内には複写され、彼に最も近かった教友たちによってその信頼性が確証されました。その当時に作成された4つの写本の内の2つは、1つがトルコのイスタンブール、もう1つがウズベキスタンのタシケントに今なお保存されています。現在も全てのアラビア語クルアーンは、その一文字一文字が啓示された当時の原本と比べ寸分たがわないのです。
実際19世紀には、ドイツのミュンヘン大学のある研究所が、1300年に渡ってイスラーム世界のあちこちで作成された写本や印刷物を含む、4万2千冊という圧倒的な数のクルアーンを集めました。それらのテキストに対しては半世紀に渡る調査がなされ、その結果、それらはイスラーム暦の1世紀から14世紀までの異なる時代の異なる場所で作成されたのにも関わらず、研究者たちはごく一部の単純な複製ミス以外には、その4万2千冊の中には相違が存在しないという結論に達しました。不幸にも、この研究所によって収集された極めて貴重な歴史的クルアーン写本の数々は、第二次大戦中に連合軍の爆撃によって焼失してしまいましたが、このプロジェクトの研究結果は生き残ったのです。
つまり、クルアーンは異なる版本の存在しない、唯一の啓典なのです。そのテキストの信頼性は非難の余地がありません。残すは、それを神の言葉として認めるかどうかという、個人的な判断だけなのです。
クルアーンに加え、預言者ムハンマドの言行録であるハディースがイスラームの第二の啓典とされており、イスラーム暦の2世紀には、連なった伝承者の中に最低でも預言者ムハンマドの教友が一人は含まれた、信頼性のある伝承経路であると証明されたものだけを真正なものと認めるムスリム学者たちによって念入りに収集され、真贋が見極められました。その厳格な条件が満たされなかったため、数千ものまことしやかな伝承が却下されました。
福音書におけるイエスの神格性に対する疑問
公認されている福音4書の中においても、イエスの神格性と、それを前提にした三位一体論に疑問を投げかける幾つものくだりがあります。イエスが祈りを捧げる場面は最低でも20箇所ありますが、イエス自身に神格性があるのなら、彼が祈っていたのは誰に対してであり、その理由はなんだったのでしょう?(参照:マタイ14:23,19:13,26:39,27:46,26:42−44;マルコ1:35,6:46,14:35−36;ルカ3:21,5:16,6:12,9:18,9:28,11:1−4,22:41;ヨハネ14:16,17:1,17:9,17:11,17:15)
以下のくだりについて考えてみてください。
イエスと神の意思が異なっている場面の、マタイ26:39。
イエスが自分自身と神を区別することによって神格性を否定している場面の、マタイ19:16−17,マルコ10:17−18,ルカ18:18−19.
そしてイエスが弟子たちとその他の同時代の人々によって預言者として見なされている、ルカ7:16,13:33;ヨハネ4:19.彼らはイエスを神とも、神の子とも呼んではいなかったのです。
カトリックからアリウス派ユニテリアン主義者へ、そしてムスリムへの改宗
私は研究、そして自己省察の結果、イエスの弟子たちにとっては未知のものであり、かつ西暦381年までは教会の公式教義でもなかった、パウロ派教会により創作された教義である三位一体論を否定するようになりました。私は3世紀末〜4世紀初頭のアレキサンドリアの司祭アリウスやニコメディアの司教エウセビオス(後のカエサリア司教)、そして彼らの師であるアンティオキアの殉教者ルシアン、またその数十年後のローマ皇帝コンスタンティヌス2世などによる、より純然たる一神教の信条に同調するようになりました。カトリック百科事典では、アリウス派がこう定義1されています。
“4世紀に勢力を増した、イエス・キリストの神格性を否定する異端であり…近代的な不信仰の一形態ではないものの、それゆえに近代的視点からは奇怪に映る”
カトリック百科事典は言及しませんが、彼らが異端とするものは、4世紀中頃に教会の公式教義だったものなのです。西暦359年のアリミヌム(現在のリミニ)公会議では、聖ヒエロニムスがこう記しています。「全世界が、アリウス派の登場にうなり声を上げて驚嘆している。」アリウス派は、コンスタンティヌス2世の死まで勢力を保ちましたが、その後のローマ帝国の情勢変化によって信奉者たちは迫害されるようになり、西暦381年の第1コンスタンティノポリス公会議によってアリウス派は排斥され、最終的には教会の公式教義として三位一体論が採択されたのです。
イエスが神ではないという結論に達したとき、私は思考様式と信念における重要なハードルを乗り越えました。イエスが神格性を有しているかどうかは、信仰し、神学に精通しているキリスト教徒にとっては物事の絶対的な核心なのです。イエスについてのこの新たな理解を得たとき、私にとってその後の預言者を認めてイスラームを受け入れることは、ほんの小さな一歩に過ぎませんでした。それは、教会から異端視されつつも、縮小していたローマ帝国の領土外では物理的に安全だった北アフリカとイベリア半島のアリウス派キリスト教徒たちが、預言者ムハンマドの死後数十年後にイスラームが伝えられたときに行ったことと同じことでした。私はキリスト教の教育を受けてきたため、神が歴史を通し、神の教えから離れ去った人類のために、定期的に預言者たちを遣わした概念に慣れ親しんでいました。イスラームは私の良く知る旧約聖書の預言者たちだけでなく、洗礼者ヨハネも認知しています。また、7世紀になるとアラビア半島では偶像崇拝が蔓延し、キリスト教世界も三位一体論を掲げていたため、人類を正しく導くという目的のもと、神が新たな預言者であるムハンマドを遣わしたということは、私にとって至極理にかなったことだったのです。
クルアーンでは、25人の預言者たちが言及されています。以下では3人以外が、ユダヤ・キリスト教の経典においても言及されています。
1)アーダム
2)イドリース(エノク)
3)ヌーフ(ノア)
4)フード
5)サーリフ
6)イブラーヒーム(アブラハム)
7)イスマーイール(イシュマエル)
8)イスハーク(イサク)
9)ルート(ロト)
10)ヤアクーブ(ヤコブ)
11)ユースフ(ヨセフ)
12)シュアイブ
13)アイユーブ(ヨブ)
14)ムーサー(モーゼ)
15)ハールーン(アロン)
16)ズル=キフル(エゼキエル)
17)ダーウード(ダビデ)
18)スライマーン(ソロモン)
19)イルヤース(エリヤ)
20)アル=ヤサア(エリシャ)
21)ユーヌス(ヨナ)
22)ザカリーヤー(ザカリア)
23)ヤハヤー(洗礼者ヨハネ)
24)イーサー(イエス)
25)ムハンマド
私は既述したムスリム女性との結婚へと繋がるかどうかに関わらず、自分のためにムスリムになりたいという気持ちになっていました(実際、彼女との関係は続きませんでした)。私のイスラームへの改宗は、私が真のキリスト教と見なしていたものへの拒絶ではなく、ただ単に、ギリシャ・ローマ世界の多神教徒だった非ユダヤ人の新改宗キリスト教徒たちを間違った道に導いた、パウロとその追従者たちに対する拒絶としてそうしたのです。不幸にも、ローマ・カトリック教会、東方正教会、プロテスタント教会などの、近代キリスト教におけるすべての大教派は、パウロをその生みの親とするものなのです。
カトリック百科事典によれば、アリウス派が復興することはありませんでした(が、アイザック・ニュートンやミルトンなどの歴史上の著名な人物がアリウス派を支持していたことは知られています)。そこで記述が怠られていることとしては、アリウス派が過去1400年に渡り、イスラームの中に取り込まれてきたことです。カトリック教会、プロテスタント教会、そして東方正教会の中には、神の唯一性を教義として採用するものはありません。三位一体論が、今や衰退しつつあるキリスト教世界を完全に支配し尽くしている理由とは、元アリウス派が多数派だった南地中海地域全土の、圧倒的多数の人々がムスリムとなったからなのです。
フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(4/4):神学思想
説明: フセインは、イスラームによって示される純然たる一神教の神学思想に満足します。
- より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
- 掲載日時 05 Aug 2013
- 編集日時 05 Aug 2013
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私が最初にイスラームについて学び始めたときに感じた確かなる真実性、またこの問題に対する精神的苦痛は皆無だったことから、私は今、イエスが人間であったこと、そして彼が多大な尊敬に値する、最も偉大な神の預言者の一人である一方、神の化身でも、神の子でもなかったのだと述べることが出来ます。私は、敬虔な一神教徒のユダヤ人だったイエスは、三位一体論を掲げるキリスト教徒たちが彼についてでっちあげたことに対し、ひどく嫌悪するであろうと信じます。私はもしムスリムになったらイエスを裏切ることになるのではないかと怖れていましたが、それまで、私は実際には彼について言う権利もないことを言うことによって、無意識の内に彼を冒涜していたことに気付いたのです。
私はムハンマドがイエスの後に続く(最後の)預言者であると信じます。エルサレムにいたイエスの正真正銘の使徒たちが従っていたのが、ユダヤ教を継承した真のキリスト教であったように、神の言葉の最終啓示であるイスラームこそが、エルサレム・ユダヤ人のキリスト教を継承し、完成するものなのです。
私は恋愛関係によってイスラームに改宗したのではないことも明確にしたいと思います。しかし、ムスリム女性との結婚の可能性が触媒となり、イスラームを調査するきっかけとなったことは確かです。念のために言うと、彼女との関係は2001年に破綻しましたが、私は依然としてムスリムなのです。
イスラームへの改宗は便宜的なものではなく、私が心から望んだものでした。それは誠実なものでなければなりませんでした。潔白な心の中に、詐欺的なものがあってはならなかったのです。神と宗教は、軽く扱うには重要過ぎます。それは人の魂が関わることなのですから。
私が現在のキリスト教として知られているものを否定したのは、そもそも三位一体論とイエスの神格性を信じることが出来なくなったからです。私は心の底から神の唯一性を信じるようになりました。そして私は、イスラームという宗教がそれを完全に表現していると判断したのです。個人的な人間関係が将来的にどうなろうとも、私はこの信条を持ち続けます。
私は時に、自分が加わった広大な宗教共同体の人々が、ムスリムであるかどうかに関わらず他者に行動規範を課すことを強要するのは、神学的な核心を忘れ、それを葬り去ってしまったからなのではないかと真剣に懸念します。神はクルアーンにおいて、「宗教に強制はない」と明言しているからです。私は一部のムスリムたちによる、正統なイスラームの実践やあり方とするものの解釈に幻滅することがある、と正直に告白しなければなりません。タリバンのような思考様式を持つ人々がいるのは、アフガニスタンだけに限定される話ではないのです。
そして私は、憎悪に満ちた政治的思想を持つ人々にもうんざりしています。彼らはそれをイスラームと呼称していますが、実際には基本的なイスラーム的規定のほとんどを逸脱したもので、「人は耐え切れないほどの重荷を背負うことはない」という神の約束に対する信頼が完全に欠如していることを暗示しています。これらの過激主義者たちは、イスラームの普及を数十年遅らせてしまっています。時に、私は英国人改宗者マイケル・A・マーリクの有名な嘆きを反復せずにはいられません。「イスラームは素晴らしいのに、ムスリムたちはなんて酷いのだろう!」
自称ムスリムの態度には頻繁に幻滅させられるものの、神の唯一性という、神の性質においての信仰を、私は生涯を通して貫こうと決意しています。
数年前、米国人のプロテスタント派の友人が、マルティン・ルターの興味深い引用をしました。
人は自分で死というものに望まなければならないため、自分で信仰というものを持たなければならないのだ。
私は自分の持っている、イスラームによって示される純粋な一神教の信仰に完全に満足しています。そしてこれは、私の信仰宣言です。
クル・フワッラーフ・アハド
言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。
アッラーフッ=サマド
アッラーは、自存され、
ラム・ヤリド・ワラム・ユーラド
御産みなさらないし、御産れになられたのではない、
ワラム・ヤクッラフ・クフワン・アハド
かれに比べ得る、何ものもない。」(クルアーン第112章)
アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー
私は、アッラー以外に神はないこと、
ワアシュハド・アンナ・ムハンマダッ=ラスールッラー
そしてムハンマドが神の使徒であることを宣言します。
両親への感謝の気持ち
最後に、私の両親に深い感謝の意を表したいと思います。彼らは敬虔なカトリックの実践者で、私のイスラームへの改宗には神学的理由から強く反対しましたが、私の意思を尊重してくれ、私の理解者でもあり、私への愛情を変わらず注いでくれています。この点について、私は最も祝福されていると感じます。
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