三位一体論を発明したのは誰なのか(前半)
- より アーイシャ・ブラウン
- 掲載日時 09 Feb 2015
- 編集日時 20 Jan 2020
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キリスト教における三位一体論の根拠とは何なのか
ユダヤ教、キリスト教、イスラームの3大一神教は、いずれも同一の基本的概念を共有しています。それは、神が至高の存在であり、かつ宇宙の創造者・維持者であるということです。それはイスラームにおいて「タウヒード」として知られているもので、神の唯一性はモーゼの「シェマ」、つまりユダヤ教の信仰教義によっても強調されています。
“聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。”(申命記6:4)
それは、およそ1500年後に、そのままイエスによって復唱されています。彼はこう述べました。
“…第一のいましめはこれである、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。”(マルコ12:29)
ムハンマドはさらにその約600年後に現れ、同一の教えをもたらしました。
“あなたがたの神は唯一の神である。かれの外に神はない…”(クルアーン2:163)
しかしながら4世紀になると、キリスト教では神の唯一性の概念が曖昧で謎めいた教義に置き換えられてしまいました。今現在もキリスト教の内外で論議を巻き起こしているその教義は、「三位一体」と呼ばれています。キリスト教の教義である三位一体を簡単に説明すると、神は父、子、聖霊の三位格を併せ持つ一人の神であるとされています。
もし簡潔に述べられたその概念が混乱させるものに見えるのであれば、美辞麗句を連ねた教義のテキストはその混乱にさらに拍車をかけます。
“…惟一の神に三位あり…三位は一体なり…父一位・子一位・聖霊一位なり…されど三つの神にあらず。惟一つの神なり…三位は皆倶に等しきなり…救われんと願うものは三位一体をかくの如く思わざるべからず…”(アタナシオス信条からの抜粋)
これを別の形で表してみましょう。父としての神、子としての神、聖霊としての神を足して合わせて一位格になるということは、1+1+1=1ということになるのです。
この教義を体系化したとされるアタナシオスという司教は、この件について書けば書く程、彼は自らの思想を明確にすることが出来なくなったと告白しています。
このような混乱した教義はどのようにして始まったのでしょうか。
バイブルにおける三位一体
バイブルにおける三位一体についての言及は、ひいき目に見ても漠然としたものです。
マタイ28:19において、イエスは弟子たちに全世界に布教をするよう告げています。この「大いなる任務」では、実際に後に三位一体を構成することになる三位格について言及されてはいますが、「…彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け…」という部分は、明らかにバイブルのテキストへの追加であり、それは以下の2つの要素からも分かるように、イエスの実際の言葉ではありません。
1)初期教会における洗礼は、パウロが書簡のなかでも述べているように、イエスのみの名において行われていました。
2)また「大いなる任務」は最初の福音書であるマルコのものにおいて見い出すことが出来ますが、父・子・聖霊についての言及はありません(マルコ16:15)。
他に三位一体について言及されている唯一のものは、第一ヨハネ5:7においてです。しかし、現代バイブル学者たちは以下のフレーズについて:
“…証しするのは三者であり、それは父と御言葉と聖霊である。そして、この三つのものは一致する。”
…間違いなくバイブルのテキストに施された「後世の追加」であり、現在ではどの版本のバイブルにおいても見つけ出すことは出来ないと述べています。
それゆえ、神の存在における三位一体論はイエス、あるいは他のいかなる預言者たちによっても提示された概念ではないということが分かります。現在世界中のキリスト教徒たちによって採用されているこの教義の起源は、完全に人為的なものなのです。
教義の発展
キリスト教の真の創設者であると見なされるタルソスのパウロは、その教義の多くを形成させましたが、三位一体はその一つでした。実際に彼はイエスが「神の子」であるという概念を提唱し、そうした基礎を築いたのです。結局、子は父を必要としますし、神の啓示を人間に運ぶ役割はどうだったのでしょうか? 本質的には、パウロは重要な役割を果たす人物の名前を挙げ、後世が教会はそれを発展、体系化させたのです。
カルタゴ出身のテルトゥリアヌスという三世紀の神学者が子と聖霊が神の存在における同位者ではあるものの、それらはそれぞれ父と共に一つの存在であるという「三位一体」という用語を最初に使用した人物です。
一夫多妻は誰が実践するのか(後半)
- より メリー・アリー
- 掲載日時 09 Feb 2015
- 編集日時 09 Feb 2015
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歴史上のあらゆる一夫多妻社会の中で、妻の数を制限したものはひとつもありませんでした。すべての関係は無制限だったのです。イスラームは、男性が持つことの出来る妻の数を制限すると同時に、関係するすべての女性に対して責任を持たせます。
“あなたがたがもし孤児に対し、公正にしてやれそうにもないならば、あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者(奴隷の女)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である。”(クルアーン4:3)
クルアーンのこの節は、男性が複数の女性と結婚することを許しますが、それは彼女らに公正にすることが出来る場合のみです。
“あなたがたは妻たちに対して公平にしようとしても、到底出来ないであろう。あなたがたは(そう)望んでも。偏愛に傾き、妻の一人をあいまいに放って置いてはならない。あなたがたが融和し、主を畏れるのならば。誠にアッラーは、度々赦される御方、慈悲深い御方であられる。”(クルアーン4:129)
預言者(神の慈悲と祝福あれ)は複数の婚姻関係においてどのように振舞い、そこにおける困難に対処すべきかという啓示を受けていました。一人の男性が複数の女性、複数の家族、そして複数の所帯を取り持つことは決して容易なことではありません。合理的な知性を持つ男性であるなら、多大なる熟考なしには、そうした状況に自らを置くことはしないでしょう。
婚姻関係において肝心なことは品行方正、そして幸福であることで、男女の必要性が満たされた、公正かつ結束した社会の基盤となることです。成人男女の合意のもとに自由な性交を許す現在の欧米社会は、無責任な性的関係の横行による「父親不在」の子供たち、そして未婚の10代の母親たちを増加させました。そして彼らはみな、国家における福祉システムの負担となりつつあります。一部では、そのために膨れ上がる予算のあまりの額に、米国のような経済的に力強い国家ですらその要求に答えることが出来ない程なのです。膨張し続ける巨額の赤字は、米国において政治全体に影響を与える大問題となっています。
要約すると、私たちは人為的に作り出された一夫一婦制度が、国家における家族の仕組み、社会、経済、そして政治を破壊しつつあるのを目の当たりにしています。
預言者ムハンマドは、ムスリムたちが結婚をするか、結婚が出来るようになるまで忍耐をもって辛抱することを教えています。アブドッラー・ブン・マスウードは、神の使徒が次のように述べたとを報告しています。
“若者よ、妻を扶養することの出来る者は結婚すべきです。なぜならそれはあなたが他人の女性に目をやること、そして不道徳からあなたを守るからです。しかしそれが出来ないのなら断食をすべきです。なぜならそれは性欲を抑える一つの方法でもあるからです。”(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)
イスラームは人々が結婚し、良き家族構成を育むことを望みます。また、イスラームは一夫多妻が多くの諸問題の解決となる、社会と個人の必要性を認識します。それゆえ、イスラームは一夫多妻を許しつつ、妻の数を4人までに制限したのです。
現在のムスリム社会では、それが多くの国で法的に許されているにも関わらず、一夫多妻は広く実践されているものではありません。おそらく、制限され、かつ責任の伴う一夫多妻制は、無制限かつ責任を取るべき相手から逃れることの出来る事実上の一夫多妻と異なり、難しいものなのかも知れません。
(この記事における一夫多妻は、男性が2人以上の妻を持つことを意味します。イスラームでは一妻多夫を禁じています。)
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