ウンム・アブドルアズィーズ 米国出身の元キリスト教徒(2/4):キリスト教におけるイエス
説明: キリスト教の原典に基づいた、イエスの神格性に関する調査。
- より ウンム・アブドルアズィーズ
- 掲載日時 24 Mar 2014
- 編集日時 26 Mar 2014
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私は、イエス(彼に平安あれ)の神格性を主張する「根拠」をいくつか検証してみました。一部では彼の行った奇跡が彼の神格性の証拠だと主張されますが、よく調べるとそれらの奇跡はイエス(彼に平安あれ)だけではなく、他にも行った者たちがいることが分かります。(水上歩行―出エジプト記(14:22);死者の復活―第一列王記(17:22)、第二列王記(4:34,13:21);盲目・ハンセン病の治癒―第二列王記(5:14,6:17,6:20);食糧の増幅―第二列王記(4:1−7,4:43−44);悪魔の追放―マタイ(12:27)、マルコ(9:38)、ルカ(11:19)12使徒たちは、それらの奇跡が神の御力のみによって達成されたことを知っていたのは明らかです。
“ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。” 使徒行伝2:22
それら治癒を施された者たちも同様にそのことを理解し、神を賛美し、称賛したのです(マタイ15:31,ルカ13:13,17:15,詩と業伝4:21)。イエス自身もラザロを蘇らせる前には「あなたが私をお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」(ヨハネ11:42)と言ってそれが人々へのしるしとなるよう神に嘆願しています。イエス(彼に平安あれ)は追従者たちに、もし彼らに信仰があれば、彼らも彼のようなことが出来ること(マタイ21:18−22)、また他者は「もっと大きな業を行うようになる」(ヨハネ14:12)と述べ、「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行う」(マタイ24:24)ことを警告しているのです。
また、なぜイエス(彼に平安あれ)はキリスト教において神でなければならないのかと熟考する必要もありました。なぜ人間を神格化しなければならないのでしょうか? 主流のキリスト教では、イエスの死が全人類の罪の贖罪として事足りるのであれば、彼は神でなければならないはずだと説きます。そうだというのなら、神はそのときに死んだのでしょうか? 彼らの答えは「いいえ」でした。彼らは、人間としてのイエスが死んだのだと言います。ではなぜ他の人間の死では事足りないのでしょうか? キリスト教では、人類はみな父祖アダムの罪を受け継いでいるため不完全であるものの、イエスは父なくして生まれたためこの罪から潔白であると説きます。この議論を深く掘り下げるほどに、それはガタガタと音を立てて崩れていくのです。
イエスは母親から生まれなかったのでしょうか。マリアは主の御前において罪を犯したアダムのイヴの子孫ではなかったのでしょうか。罪が世代と共に受け継がれるという原罪論を信じるということは、罪を犯したアダムとイヴが完全には赦されなかったということを信じることになります。公正かつ慈愛深き神が、私が犯さなかった不正について私の責任を問うなどということはあり得るのでしょうか? 懇切で慈悲深き神は、私が防ぐことも禁じることも出来なかったような罪について、私の責任であるとするのでしょうか?
私はイエス(彼に平安あれ)だけでなく、彼に先立つ他のいかなる預言者たちも原罪について説いてはいなかったことを知りました。イエス(彼に平安あれ)は、子供の純粋さについて語っています。“子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。”(マルコ10:14)神は公正なのです。“もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら…彼こそ正しい人で、彼は必ず生き…彼に生まれた息子が…忌まわしいことをしたのなら、必ず死ぬ…罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。”(エゼキエル書18:5−20)“人は自分の罪のゆえに死ぬ。”(エレミヤ書31:30)ではなぜ、出エジプト記(20:5)と申命記(5:9)において見出せる、“父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う”という神の言葉は、例えば以下のような、他の多くの章句によって否定されているにも関わらず、文字通り解釈されなければならないのでしょうか。
申命記24:16:父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。
私にとって、イスラームにおいてはアダムを誘惑した罪がイヴには課されていないことは非常に興味深いことでした。イスラームは、アダムとイヴの双方がサタンによって誤った方向に導かれ、罪を犯したのだと説きます。そのとき、2人はこう言いました。“主よ、私たちは誤ちを犯しました。もしあなたの御赦しと慈悲を御受け出来ないならば、私たちは必ず失敗者の仲間になってしまいます。”(クルアーン7:23)そして2人は赦されたのです(クルアーン2:37)。神はムスリムに対してこう述べます。
“各人はその行いに対する以外に、報酬はないのである。重荷を負う者は、外の者の重荷を負わない。”(クルアーン6:164)
新約聖書の使徒書簡においては、イエス(彼に平安あれ)が自身を物理的に“供え物、つまり、いけにえとして”(エフェソ書5:2)捧げ、赦しは神の慈悲からではなく、“イエスの血によってあらゆる罪から清められ”(ヨハネ書1:7)たという新たな教義が形成され始め、また“血を流すことなしには罪の赦しはありえない”(ヘブライ人9:22)とされています。私は、血の贖罪が野蛮な性質であり、全能かつ慈愛深い神(つまり誰であれ赦すことが出来るということ)とは相容れないことから、個人的にはこの教義を容認することは出来ません。イエス(彼に平安あれ)は天からモーゼに下されたマンナに自分自身を“生命の糧”であるとたとえ、このように言っています。“私の肉を食べ、私の血を飲む者は・・・永遠の命を得るのです。” しかし、イエス(彼に平安あれ)はそれが物理的な肉体のことではないと説明します。“私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。”(ヨハネ6:48−63)私は、ムスリムたちが言っていたように、「現代キリスト教はイエスを崇拝する宗教であり、イスラームはイエスが崇拝していた宗教である」というのが正しいのではないかと感じ始めました。
血の贖罪の教義は、パウロの福音(第2テモテ書2:8)によるもので、彼はそれについてこう述べています。“私はこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、啓示によって知らされたのです。”(ガラテヤ書1:12)パウロはイエス(彼に平安あれ)に会ったこともなければ、イエスの弟子から学んだわけでもありませんでした。彼は言います。“私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退き・・・それから3年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、15日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました・・・キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。その後14年たってから・・・エルサレムに再び上りました。”(ガラテヤ書1:16−2:1)
初代教会についてのバイブル学者の著書を読むにつれ、このことはより厄介になりました。パウロは彼によるイエスの福音を異邦人へ宣教する旅に出ました。彼は多くの追従者や弟子を得るようになりました。パウロの教えは、イエス(彼に平安あれ)の元来の追従者や弟子たちである、ユダヤ人キリスト教徒たちの教えとは異なるもので、それは初代教会に重大な分裂をもたらしていました。人々は「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」と言い合っていました(第一コリント書1:12)。やがてパウロはイエスの弟子であるケファ、バルナバ、「イエスの兄弟」であるヤコブの弟子たちと決別し、彼らは“心にもないことを行い・・・見せかけの行いに引きずり込まれた”(ガラテヤ書2:13)として非難しました。パウロはイエス(彼に平安あれ)の別の福音を聞いたとしてコリント人たちを叱責し、彼自身について、“大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う”(第二コリント書11:5)と言っているのです。
初期キリスト教の歴史を学ぶことは、驚くことの連続で、私の目を覚ましました。初期には、本質的な教義についての合意がなかったのです。イエスの性質を定義する理論について、果てしなく議論が繰り返されました。そこでは完全な人間性を帯びたイエス、完全な神格性を持つイエス、そしてその中間といった、あらゆる組み合わせが提唱されました。この宗教はイエス(彼に平安あれ)の人格を中心に築き上げられながら、導きの「書物」を欠き、イエスの人格にどんどんと特性が加えられていきました。この新たな信仰においては、特にローマ、ペルシャ、ギリシャ、バビロン、エジプトなどの太陽崇拝をする既存の多神教社会が甚大な影響を及ぼしました。ローマ皇帝は地上における太陽神の化身であると見なされていました。やがて教会はローマの太陽日(Sun-day)をキリスト教における安息日として取り入れました。伝統的に太陽神の誕生日である12月25日は、イエスの誕生日とされるようになりました。十字架の像はキリスト教のシンボルとなりました。十字架は長らく、多神教徒たちにとっての救済の象徴とされており、「十字の光」は太陽神の紋章でもありました。その当時、キリスト教の三位一体論が形成されたのです。「聖三位一体」は、バビロニア、インド、ローマ、ペルシャ、エジプト、カルデアなどの、当時の多くの諸宗教において見出されます。2世紀の終わりになると、「三位一体」という言葉がキリスト教徒の文書から現れるようになります。431年のエフェソス公会議によって公認された三位一体の一部には、イエスの母マリアが含まれていましたが、一部の神学者たちは「神の母」という存在の概念に懸念を抱いたことから、その後「聖霊」に置き換えられています。
私にとって非常に興味深かった別の問題には、バイブルそのものが預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の到来を予告していたということです。
“かれらは文字を知らない預言者、使徒に追従する者たちである。かれはかれらのもっている(啓典)律法と福音の中に、記され見い出される者である。”(クルアーン7:157)
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