ムハンマド・ウマル・ラオ 元ヒンズー教徒のバラモン
説明: ムスリムに対する強い憎悪感を抱いていたムハンマドが、彼らを論駁するためにクルアーンを読んだ後、世界観が変わります。
- より ムハンマド・ウマル・ラオ
- 掲載日時 11 Aug 2014
- 編集日時 10 Aug 2014
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神の恩寵により、私は神の宗教という祝福を授けられました。私はインド出身のムハンマド・ウマル・ラオといい、6年前に18歳でイスラームに改宗しました。私の改宗記によって、非ムスリムが真実についてじっくりと考えるきっかけとなれば幸いです。私は最近二人の同胞と語り合いましたが、彼らは私の選択と決断が最善のものだったと確信し、クルアーンを読み始めた末に、つい数日前、改宗に至りました。神にこそ、すべての称賛はあるのです。
私の生い立ち
私は中流階級の伝統的バラモン一家の出身で、両親は個人事務所(母は教師、父は織物技師)で働いていました。私の宗教教育は母方の叔父の家で行われ、それによって私は伝統主義者となり、私の家族の教育は常にムスリムへの敵愾心を植え付け、それは私の奥深くに根ざすことになりました。
私は数年間に渡り、RSS(民族義勇団:インドのヒンズー至上主義団体)に関わっていました。私は常にムスリムたちに憎悪を抱いていたため、公式行事のすべてで、モスクから流れるアザーン(礼拝への呼びかけ)が全く聞こえないよう、音楽を大音量でかけていました。また私は、町中の寺院を回り、日々の崇拝活動をこなしていました。私が伝統主義者であることを家族は評価し、より活動的であるよう勧められたものでした。
イスラームとの出会い
夏に、母は私がムスリムのビジネス事務所で働くよう求めましたが、私は幼少のときからムスリムたちを憎んでいたため、それを断りました。母はそれ以上、押し付けたりはしませんでした。私は何度か夏の期間を利用して非ムスリムの下で働き、両親を養うことが出来ていたからです。しばらくすると、その仕事内容が気に入らなかったためにアルバイトを辞め、より良い仕事が見つけることが出来るよう、勉強に専念しました。一方、私の母と姉妹は、そのムスリムの下で2ヶ月間働いていました。彼女たちは、彼に対し非常に好印象を抱いていました。
私はこの人物に対し、ずっと憎しみを抱いていました。なぜなら憎悪の対象であるべきのムスリムを、自分の家族が讃えているという事実が気に入らなかったからです。私は家計の役に立っていないとして不平不満を言われたため、仕方なくそのムスリムの下で働くことにしました。彼の店に入ると、そこの非ムスリムだった店員がイスラームに改宗していたため、私の悪感情は増加しました。私は比較研究によって、私の宗教が真実であることを彼に証明しようと試みました。
私は聖クルアーンの英訳版(ユースフ・アリー訳)を読み始めました。これは、私の学生人生を変えてしまう出来事でした。私は恐怖と疑念によって揺るがされ、私の行いはすべて間違ったもので、私の宗教は妄想・神話・お伽話に過ぎないのではないか、という考えが頭をよぎりました。そして私はどこに向かっているのか、何をすべきなのか、私の役割は何なのかといった沢山の疑問が噴出してきました。なぜ真実のメッセージは私たち皆に届けられなかったのでしょうか? 多くの質問を抱えた私は、学生人生の全てを真実の探求に費やすようになりました。
私は両親や周囲の人々に、神の肖像画を描く人々は、実際に神を見たことがあるのか、と問い質しました。彼らは皆、誰も神を見たことはないと答え、クルアーンの多くの場面で言及されていることが裏付けられました。最終的には、ヒンズーの神話が私の信仰を破綻させました。ガネーシャ、チャームンダー、ラーム、シーター等の逸話は、私にとって理に叶ったものではありませんでした。私はそれらを神として受け止めることが出来なくなりました。
私が両親に、ヴェーダは偶像崇拝に反対しているのに、なぜ私たちは依然としてそれを実践しているのかと質問すると、母は私を叱ってこう言いました。私たちは祖先がやったように、それをしなければならないのよ、と。翌日、私はクルアーンのアル=バカラ章(第2章)で次の節を見つけました。
“かれらに、「アッラーが啓示されたところに従え。」と言えば、かれらは、「いや、わたしたちは祖先の道に従う。」と言う。何と、かれらの祖先は全く蒙昧で、(正しく)導かれなかったではないか。”(クルアーン2:170)
そしてこのようなものもあります。
“これは過ぎ去った民のことである。かれらにはその稼いだことに対し、またあなたがたにもその稼いだことに対し(応報があろう)。かれらの行ったことに就いて、あなたがたが問われることはないのである。”(クルアーン2:134)
これを読んだ時、私はつい昨夜、母に尋ねたことと同じ場面に出くわしたことから衝撃を受けました。このアーヤ(節)は、私を根本から揺さぶりました。私は徐々に偶像崇拝、そしてプージャ(ヒンズー教の祈りの儀式)を止めました。シルク(多神崇拝)は神がお赦しにならない唯一の罪だからです。そして私は密かにイスラームの教えを実践し始めました。アル=バカラ章には、それが現世的に有益であることから、表面上はイスラームを受け入れる偽善者について語られる場面がいくつかあります。
また、このような節もあります。
“今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである。”(クルアーン5:3)
私の脳裏にあったすべての疑問は、クルアーンによって解消されることを実感しました。
神の恩寵により、私は自分の僅かな知識の中から神のメッセージを家族に伝達しました。一方、私は学位の取得を試みましたが、壁にぶち当たり、それを断念する以外に道はなくなったものの、私の姉妹もイスラームを受け入れることになりました。それによって、私たちは仕事も収入もないまま、一年間に渡って家の外で暮らすことになりましたが、すべての称賛は神にあり、神こそは私たちの道を容易にし、真理に対する確固たる信念をお与えになるのです。
神はクルアーンにおいて、こう述べています。
“人びとは、「わたしたちは信じます。」と言いさえすれば、試みられることはなく、放って置かれると考えるのか。”(クルアーン29:2)
アルハムドゥリッラー、神は様々な機会をお与えになります。私は一日五回の礼拝を行えなかったことから仕事を辞め、そうすることの出来る仕事をしばらく見つけることが出来ませんでしたが、年収2000ルピーの仕事を始めたことをきっかけに、別の新しい仕事に恵まれることが出来ました。神の恩寵により私たちは神の宗教を与えられ、それ以外に必要とするものはないのです。
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