イスラームの包括性(その3)完全かつ十分であり続ける導き

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説明: イスラーム法が普遍的であることの実例。

  • より ジャマールッディーン・ザラボゾ
  • 掲載日時 09 Apr 2012
  • 編集日時 09 Apr 2012
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The_Inclusiveness_of_Islam_(part_3_of_3)_JP_001.jpgまず第一に、現実的に言って、人間の性質は時が経っても変わりません。道徳や品行に関する法は不変であるからです。人間の性質は変わらないため、ある時に魂に害を及ぼすものは常に害を及ぼすものであり続けます。たとえば嘘や不倫は神の怒りを買うものであり、魂を傷つけるという事実は変わりません。ゆえに、このような人間の性質に関わることに関する教えは既に決まっていて、それは審判の日まで同じです。人間の性質の基礎となる宗教儀礼も変わる必要はありません。神だけが、どのような崇拝行為が良いのかを知っていますし、もし神が特定の行為が審判の日まで正しいとするなら、他の誰もそれを変えることはできません。そのような宗教儀礼を説明すると、イスラームは厳格だと言う人がいるかもしれませんが、その点に関してだけは厳格であるべきなのです。その点ではイスラームの普遍性や実用性は変えることはできません。

第二に、人間が避けるべき有害なものもあります。そういう類のものは明確に、そして永久的に禁止されています。例えばアルコールやその他の有害物質は、常に人間にとって有害です。クルアーンにも言及されていますが、時として人は、アルコールが体に有益であると言います。しかしアルコール消費が良い事であるとは、どの社会も主張することはできません。アメリカだけを見ても、アルコールが何をもたらすかがお分かりでしょう。アルコールの悪用のせいで沢山の家庭が崩壊しています。アルコールを摂取した後の運転は危険で、様々な措置が試みられてはいますが、いまだにそのせいで多くの命が奪われ、沢山の人々が大けがを負っています。アルコール中毒者たちは仕事につけず、国や自治体に生活保護を受けていますが、それも他の市民たちの負担になっているのです。こういったことに関しては、アルコールが許されるべきいかなるまともな議論もないことから、イスラームではそのような習慣を永久的に禁じています。(確かに、中毒者たちからアルコールを奪うことはほぼ無理なので、いまだにアルコールは合法なのだと主張する人もいるでしょうが、これこそアルコールがいかに有害かということを示しています。)

第三に、人間にはいくつかの細かい法と、時代や場所を問わず、従われるべき一般的な法の両方が必要です。その両方を提供するのが、イスラーム法です。神は私たちが何を食べるべきか、遺産、結婚、国際関係などについては、細かい法を与えて下さります。学者はこの細かい法から、新しい事例の中での法を見つける事ができるのです。また一般的な法からは、例えば預言者の時代には起こらなかった出来事などに関する法を考えることができます。

第四に、例えば商取引・社会活動における契約に関しては、大概のことはそれが法外であるという根拠がない限り、合法ということになります。つまり、イスラーム法はかなりの融通がきくということです。例えばビジネスでは、イスラームにおいて利子、危険すぎる金銭取引、ギャンブル、詐欺、虚偽、法外な商品の取り扱い、強制などを禁じています。これらがビジネスにおいて有害となる、禁じられた取引です。つまり、時代が変わりビジネスの形態が変わったとしても、全ての人が、どの取引が合法であるかということがイスラーム法では分かるのです。ゆえにイスラーム法は1400年間遵守されているのであり、イスラームの教えによれば、審判の日まで遵守できるものなのです。2人のビジネスマンは、それが有害なもの、法外なものでない限り、新たな契約形態を開発することができます。イスラームでは無数の取引が合法なのです。

最後に、審判の日まで有用であり続ける完全で総括的なイスラーム法が神からの偉大な祝福であり、それゆえに私たちは神に従うべきなのだということが認識されなければなりません。過去に幾度もの試みはありましたが、人々は一部の地域の限られた時間の中で守られるべき完全な法を作る事さえもできません。サイイド・クトゥブはこの点について雄弁に記しています。

人が自分の力で哲学的なコンセプトや生き方を構築しようとするとき、それらは包括的にはなり得ません。それが部分的に正しく、またある特定の時、場所では正しいかもしれませんが、別の時と場所では当てはまらないということになるからです。さらに言えば、人はたった一つの問題を解決しようとするときでさえ、全ての面からその問題を見ることは出来ないため、解決策に導く状況の全てを考えることができません。なぜなら、問題が時と場所を超えたものであったり、人間の理解は観察の域を超えた前例や仮説に関わったりするからです。

つまり結論として、人によって作られたいかなる哲学も生き方も、包括性を有する事はできません。大体は、人生のある一面において正しいか、ある特定の時期に当てはまるだけで、その限られた範囲のために、多くの欠点が出てきます。その一過性のため、後に改ざんが必要になった場合には問題が生じるからです。人々や国家は、その社会的、政治的、経済的システムを、人が作った哲学から作り上げようとすれば、多くの矛盾や弁証にぶつかることになります。

神がつくった法が全ての場所と土地で、人間にとっていかに最善なのかということを理解するために、最近物議をかもしている一例を見てみましょう。割礼はイスラームの良く知られた慣習の一つです。ここ数十年間は医者や科学者たちは、人間の限られた知性のために、割礼の善し悪しを決められずにいました。あるときには、割礼は良い慣習だとし、あるときには、それは有害無益だとしました。今の時点で発見されたことは、もちろんそれがまた間違いとされることになるかもしれないのですが、割礼はエイズの予防に最適だとしています。アフリカの各地で今、多くの人に割礼を施そうとしています。

おそらくこのようなケースが沢山見られたあとは、人々は神から送られた完全で、時の場所に関係なく人間にとって最善の導きがあると理解することでしょう。

永久に完全かつ十分である導き

要約すると、イスラームの教えは完全で、時と場所を問わずに従われうる教えであるということになります。それは、現世と来世の幸せのためにムスリムが必要な全てなのです。ゆえにそこでは、何の追加も、改ざんも、削除も必要とされません。神が送ったものを自分たちの手でより良くできると思っている人々は傲慢なのであり、その人が達成できることではないのです。これらの理由から、預言者ムハンマドは宗教的革新、異説そして棄教に対して厳しく警告しています。そのようなことは全く必要のないことであり、それはイスラームの完璧さや美しさを奪うものなのです。預言者はこう言いました。

「最悪なものは宗教的革新です。すべての宗教的革新は墜落に導きます。」(サヒーフムスリム)

彼はまたこう言いました。

「すべての墜落者の行き先は地獄の業火です。」(アン=ナサーイー)

預言者はこう言いました。

「この宗教に新たなものを持ち込もうとする者は私たちの仲間ではなく、拒否されます。」(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)

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