家族の絆(1/4):序説
説明: 家族制度の密着性を、イスラームがいかに保障するかについて。まずは家族の第一の構成要素である両親に関して。
- より ジャマールッディ―ン・ザラボゾ (© 2009 IslamReligi
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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神がクルアーンの節において仰せられている以下の節は、預言者(神の慈悲と祝福あれ)がその説教において何度も繰り返しているものです:
“人々よ、汝らの主を畏れよ。かれは一つの魂から汝らを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。汝らはアッラーを畏れるのだ。かれの御名においてお互いに頼みごとをする御方であられる。また近親の絆を(尊重せよ)。本当にアッラーは汝らを絶えず見守られる。”(クルアーン4:1)
家族とは、社会全体における核です。家族の基盤が正しいのであれば、社会全体も正しい状態になることが望まれるでしょう。それ故、人類一般にとっての模範である神の使徒は、結婚・家族制度を支持したのです。神は仰せられています:
“われらは汝ら以前にも使徒たちを遣わし、妻と子孫を彼らに授けた。”(クルアーン13:38)
また預言者ムハンマドは、婚姻を彼の「道」として、次のように述べています:
“神に誓って、私はあなた方の内、最も神を畏れており、畏敬の念を持っている。しかし私は断食をすればそれを解くし、(夜に)礼拝しては眠りにつくし、女性とも結婚をする。誰であれ、私のスンナ1から背き去る者は、私の仲間ではない。”(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)
イスラームが家族関係の絆の深さを強調することに、疑いの余地はありません。イスラーム法学者たちは、人がイスラーム法、そしてその背後に潜む英知を学ぶのなら、その者はそれらが人生におけるある種のニーズを確立、保護、強化、そして永続させるのであるということを見出すはずである、と述べています。イスラーム法によって描かれる人生における必要性とは、以下の要素です:
1. 宗教
2. 生命
3. 家族の絆・関係
4. 理性
5. 富と繁栄
それ故、私たちは例えば家族の尊厳を維持するための厳重な法に関して熟考することによって、イスラームが家族に大きな重要性を置いていることを理解することが出来ます。いわゆる“西洋的近代社会”では、例えば姦通などの家族の根幹を脅かす行為が犯罪行為とは見なされていません。2しかしイスラームではそれとは全く異なる状況となっています。イスラームでは家族の全構成員に対してお互いに良く接するよう奨励し、彼ら自身と婚姻制度にとって害悪以外のなんでもない無分別な行為を戒めるよう教えます。神はこのように仰せられました:
“私通(の危険)に近付いてはならない。それは醜行である。憎むべき道である。”(クルアーン17:32)
しかしながら、これらの奨励は単なるうわべだけの言葉ではありません。それらは看過することの出来ない、言語道断な行為の一部に対する法の施行も意味します。それ故、神はこう命じられています:
“姦通した女と男は、それぞれ100回鞭打て。もし汝らが、アッラーと最後の日を信じるならば。アッラーの定めに基づき、両人に対し情に負けてはならない。そして一団の信者に、彼らの処刑に立会わせるのだ。”(クルアーン24:2)
行なわれるべき事を、容赦によって覆すことは認められません。なぜなら容赦とは他者に対し善行をすることを駆り立てるものですが、そういった容赦は悪い結果をもたらすものであるからです。更に、アル=ブハーリーとムスリムによって記録された預言者の言い伝えによると、彼は姦通者に対する石打ちの刑を命令しています。事実、イスラームは家族の尊厳を守るためにはそれ以上のことも辞しません。すなわち、貞節な女性にそういった悪行の容疑をかけて嘘の告発する者は、厳しい懲罰を受けるということです。神はこう仰せられています:
“貞節な女を非難して4名の証人を上げられない者には、80回の鞭打ちを加えよ。決してこのような者の証言を受け入れてはならない。彼らは主の掟に背く者たちである。”(クルアーン24:4)
神は特に家族全員への振る舞いに関して、人類に導きをお与えになります。この文章を簡潔にするため、家族の一員としてのムスリムによる、両親、子供、配偶者、親戚など、家族への適切な態度に関して簡略に述べていきましょう。
両親
神はムスリムたちに、自分の両親に対して最善の形で付き合うよう要求されました。ムスリムは感謝深くなければなりません。ムスリムは神に対し、そして自分たちに良い待遇をしてくれる全ての人々に感謝しなければならないのです。神の次に感謝に値するのは、私たちの両親に他ならないでしょう。それ故クルアーンにおける多くの節には、両親に対する扱いの問題が触れられているのです。実に多くの箇所で、神は両親への善行を神のみへの崇拝に関連付けられています。例えば、次のクルアーンの節ではこう述べられています:
“アッラーに仕えよ。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道づれの仲間や旅行者、および汝らの右手が所有する者(に親切であれ)。アッラーは高慢な者、うぬぼれる者を御好みになられない。”(クルアーン4:36)
また、神はこのようにも仰せられています:
“言え。「さて、私は主があなた方に対し禁じられたことを、朗誦しよう。かれに何ものでも同位者を配してはならない。両親に孝行であれ。”(クルアーン6:151)
“汝の主は命じられる。かれの他何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行せよ。もし両親かまたそのどちらかが、汝と一緒にいて老齢に達しても、彼らに荒い言葉を使わず、親切な言葉で話すのだ。そして敬愛の情を込め、両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て、「主よ、幼少の頃、私を愛育してくれたように、2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。主は汝らの心の中に抱くことを熟知なされる。もし汝らが正しい行いをするならば、かれは悔悟して度々(主に)返る者に対し、本当に寛容である。”(クルアーン17:23−25)
“われらがイスラエルの子孫と、約束を結んだ時のことを思い起せ。(その時われは言った。)「あなた方はアッラーの他に、何ものも崇めてはならない。父母に孝養をつくし・・・”(クルアーン2:83)
預言者も同様に、両親に対する良い待遇を強調しており、それを定時に行なう礼拝の次に神に愛される行為であると述べられています。預言者はある者に次のような質問をされました:
“神に最も寵愛される行為とは何ですか?”彼は答えました:“定時に行なう礼拝である。”彼は質問されました:“その次はどの行為ですか?”彼は答えました:“自分の両親へ孝行を尽くすことである・・・”(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)
神は両親、特に母親は子供を育てるために多大なる労力を費やしたことを信仰者に思い起こさせます。そのために両親は愛情、尊敬、感謝の念を受けるに値するのです。神は仰せられています:
“さてルクマーンが、自分の息子を戒めてこう言った時を思い起こすのだ。「息子よ、アッラーに(他の神を)同等に配してはならない。それを配するのは、大変な不義である。」われらは、両親への態度を人間に指示した。人間の母親は、苦労に窶れてその(子)を胎内で養い、更に離乳まで2年かかる。われとあなたの父母に感謝しなさい。われに(最後の)帰り所はあるのである。”(クルアーン31:13−14)
“われらは、両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ、その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。それから彼が十分な力を備える年配に達し、それから40歳にもなると、「主よ、私と両親に対して、あなたが御恵み下された恩恵に感謝させて下さい。またあなたの御喜びにあずかるよう、私が、善行に勤しむようにして下さい。また子孫も、幸福にして下さい。私は悔悟してあなたの御許に帰ります。本当に私は、服従、帰依する者です。」と言うようになる。”(クルアーン46:15)
こうした理由により、特に母親は最大の友情と親密さを彼女の子供たちから受けるに値しているのです。預言者はこのような質問をされました:
“人々の内、私が最もよく付き合うべき者は誰でしょうか?”預言者は答えました:“あなたの母親です。”男が尋ねました:“その次は誰ですか?”預言者は再び答えました:“あなたの母親です。”その男は再び尋ねました:“では、その次は誰ですか?”預言者は更に言いました:“あなたの母親です。”男はもう一度尋ねました:“それではその次は誰ですか?”ここで預言者は答えました:“あなたの父親です。”(サヒーフ・ムスリム)
Footnotes:
1 スンナ:教え、または道(IslamReligion)
21969年、英国人裁判官は、自分の友人と関係を持った妻を告訴した原告に対し、彼の考え方は時代遅れであり、1969年に生きていることを認識するよう述べました。この話は、[ユースフ・アル=アーリム, Al-Maqaasid al-Aaammah li-l-Shareeah al-Islaamiyyah (リヤド: International Islamic Publishing House, 1994年], 397頁。]において引用されています。今日では自分の子供を認知しない夫などのように、数えきれない程の夫婦間の確執によって憎悪、軋轢、婚姻関係の破局などがもたらされています。これが“近代的・文明化”された婚姻関係、または家族のあり方と言えるでしょうか?
家族の絆(2/4):夫婦の役割
説明: 婚姻の理由と目的、そして妻に対する親切さ、優しさがいかに家族内の調和の維持を助けるかについて。
- より ジャマールッディ―ン・ザラボゾ (ゥ 2009 IslamReligion.com)
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 09 Oct 2019
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配偶者1
婚姻とは、イスラームにおいて非常に重要な制度です。クルアーンでは、男女間の絆が明確にされています。神はクルアーンの中の多くの箇所で、人類の根源は同じであると喚起します。この絆によって男女は相互作用し、この絆によってお互いの権利が確立されるのです。神は“女性章”と名付けられた第4章の冒頭でこのように述べられています:
“人々よ、汝らの主を畏れよ。かれは一つの魂から汝らを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。汝らはアッラーを畏れよ。かれの御名においてお互いに頼みごとをする御方であられる。また近親の絆を(尊重せよ)。本当にアッラーは汝らを絶えず見守られる。”(クルアーン4:1)
しかしながら、二つの性が共有するものはその起源だけではありません。配偶者同士によるお互いへの愛情と思いやりは、神によって創造され、その心に植えつけられたものです。そして神は、それが熟慮する人々に対するかれの明確な徴であることを指摘されています。言い換えれば、このような人々は創造に関するこのような側面を捉え、神の御業とかれの御力の偉大さ、そしてかれの創造の完璧さと現世に添えられた大いなるご慈悲に思いを馳せることが出来るのです。神はこう仰せられています:
“またかれが汝ら自身から、汝らのために配偶を創られたのは、かれの徴の一つである。汝らは彼女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ)、汝らの間に愛と情けの念を植え付けられる。本当にその中には、考え深い者への徴がある。”(クルアーン30:21)
また、神はこのようにも仰せられています:
“かれこそは、一個の魂(アーダム)から汝らを創り、互いに慰安を得るため、その妻を創られた御方であられる。”(クルアーン7:189)
それ故クルアーンによると、男性と妻との関係は愛情、慈悲、そして相互理解に基づいたものであるべきだとされています。神はまた、次の節で妻に対する親切を命じられています:
“出来るだけ仲良く、彼女らと暮らすのだ。汝らが、彼女らを嫌っても(忍耐せよ)。その内(嫌っている点)にアッラーからよいことを授かるであろう。”(クルアーン4:19)
イスラームにおける婚姻関係の目的についても、少し述べなければなりません。なぜなら多くの人々は婚姻における目的の役割を理解せずに結婚するか、もしくはそうすることを望んでいるからです。また、彼らは結婚した際に彼らにのしかかる様々な義務を理解しません。しかしながら婚姻の目的が知られ、婚姻に伴う義務が初めから理解されていれば、婚姻関係の成功と質の向上が望まれるでしょう。そうすることにより彼は、自分の義務・責任そして権利を含め、自分に要求されていることを知るのです。
婚姻の目的とは単なる“享楽”、または“動物的欲求”を満たすためだけのものでは決してありません。婚姻にはそれ以上の意義があります。婚姻による目的の一部には、次のものが含まれます2:生殖、(認可された形での)肉体的快楽、自己成熟の達成、人生におけるお互いの協力関係の構築、精神的・生理的利益の享受、倫理的社会の基礎形成、そして最も道徳的・精神的な成長を促し、かつ人々と家族の固い結束が見られる環境における次世代教育などです。
夫婦の権利
婚姻関係を円満にするためには、夫婦それぞれが自分の権利、責任、役割と義務を完全に理解するべきです。イスラーム法はこのためにムスリム夫婦の権利や責任を非常に明確に打ち出しています。しかし全ての既婚者は、自分の配偶者は第一にムスリム個人であることをはっきり理解しなければなりません。彼/彼女は、自らの兄弟/姉妹なのです。それ故、イスラームにおける一般的同胞愛によりムスリムに適用されるあらゆる権利は、個人の配偶者にも適用されるのです。ムスリムの品行、同胞愛、ムスリム間の結束に関する書物は沢山ありますが、これら全ての原理はイスラーム的同胞愛と地域社会の一部である、既婚者にも当てはまるのです。更に、預言者(神の慈悲と祝福あれ)はこの点を強調してこう述べています:
“あなた方が、自分自身に対して望むことを自分の兄弟に対しても望むようにならない限り、それは真の信仰ではないのだ。”(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)
しかしながら、配偶者同士によって取り交わされた重要な契約により、配偶者には更なる権利があることも事実です。3
それ故夫婦の権利に関して議論される場合、その問題を単に法的なものと捉えてはなりません。夫婦関係とは、各々を拘束する法によって定められる権利よりも大きなものなのです。夫婦関係とは愛情、援助、相互理解に基づいた関係であるべきです。配偶者はそれぞれのニーズと能力が考慮されるべきです。彼らは時には妥協してでもお互いを満足させなければならず、単に婚姻関係における権利の確保を求めるだけであってはならないのです。事実、通常は配偶者のどちらも他者の権利を完全に満たし、相手を満足させていない場合が多いのです。だからお互いは自らの欠点に気付き、それを認めなければなりません。
預言者は、特に夫に対し妻を最善の方法で満足させるよう助言しています。それは恐らく、一般的に彼らが有する権威と力によるものでしょう。預言者はこう述べられました:
“あなた方の内の最善の者とは家族(妻)に最善を尽くす者であり、私は自分の家族に関して、あなた方の内の最善の者である。”(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャ)
Footnotes:
1 婚姻におけるイスラーム法の詳細に関しては、著者の作品 “The Fiqh of the Family, Marriage and Divorce” (American Open University, 1997年), をご参照下さい。ここで繰り広げられる議論は、この著作からの項目に基づいています。
2 アブドッラフマーン・アブドル=ハーリク, Al-Zawaaj fi Dhill al-Islaam (クウェート: al-Daar al-Salafiyyah, 1988年), 21頁以降を参照。
3神はクルアーンにおいて述べられています:“汝らは、どうしてそれを取り戻すことが出来ようか。既に互いに深い関係もあり、彼女らは堅い誓約を汝らから得ているのである。”(クルアーン 4:21)
家族の絆(3/4):配偶者共通の権利
説明: 夫婦共通の権利と、穏やかな家庭を築くための双方による補助的な役割について。
- より ジャマールッディーン・ザラボゾ (©
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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現実的には配偶者の双方とも、他方への義務を果たすことに関して通常は失敗していると言えるでしょう。それ故相手に対して厳しくする、またはその欠点を批判する以前に、自分自身を見つめ直し、何か間違ったことをしていないか良く考えるべきです。
しかし同時に、イスラーム法は婚姻関係において双方にどのような権利、責任があるのかを明確にさせており、適切な配偶者となるには何が必要であるかという知識を提供してます。神はこう仰せられています:
“女は、公平な状態の下に、彼ら(夫)に対して対等の権利をもつ。”(聖クルアーン 2:228)
要約すると、妻の権利もしくは夫の義務の中には、以下のものが含まれます。
⑴婚姻の際の適切な結納金(または品物)の受け取り。神は仰せられています:
“そして(結婚に際しては)女にマハル(結納金・品物)を贈り物として与えなさい。だが彼女らが自らその一部を戻すことを願うならば、喜んでこれを納めなさい。”(クルアーン 4:4)
⑵夫による完全な経済的扶養の享受。神はこう仰せられています:
“男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、また彼らが自分の財産から(扶養するため)経費を出すためである。”(クルアーン4:34)
更に、アル=ブハーリーとムスリムによって記録されたハディースによれば、ヒンド・ビント・ウトバが彼女の夫(アブー・スフヤーン)は吝嗇家で彼女を養わないので、こっそり彼の富から何かを引き取っても良いかと預言者(神の慈悲と祝福あれ)に尋ねた時、彼はこのように言っています:
“あなたとあなたの子供に必要な分だけ、常識的な範囲で取りなさい。”
⑶適切・親切な対遇。神はこう述べられています:
“出来るだけ仲良く、彼女らと暮しなさい。汝らが、彼女らを嫌っても(忍耐しなさい)。そのうち(嫌っている点)にアッラーからよいことを授かるであろう。”(クルアーン4:19)
⑷性交を営む権利:イブン・ヒッバーンのサヒーフには以下のような既述があります。
ウスマーン・ブン・マドウーンの妻が、自分の夫には性欲がないと預言者に不平を述べました。彼は昼間は斎戒し、夜は(任意の)礼拝をしていたのです。預言者は彼に尋ねました:“あなたにとって私は最も優れた模範ではないのですか?”彼は答えて言いました:“もちろんそうです。私の両親があなたの犠牲になりますように。”神の使徒は彼に告げました:“あなたは昼間は斎戒し、夜には礼拝しているが、あなたの妻はあなたに対する権利を持っているのです。そしてあなたの身体もあなたに対する権利を持っています。だから礼拝してはきちんと眠り、斎戒してはそれを解くのです。”
⑸“プライバシー”の権利。預言者の言葉として次のようなものが報告されています:
“あなた方の内で、妻のところへ赴いて扉を閉め、自分たちを覆い、神の覆いによって自分たちを隠す者(つまり配偶者と性交渉をする者のこと)は居ますか?彼らは言いました:“はい。”すると彼は言いました:“そしてその後(誰か他の者と)同伴し、‘私はこれこれこういうことをした’などと言う者は?”すると彼らは沈黙しました。それから彼は、今度は女性たちの方を向いてこう言いました:“あなた方はこのようなことに関して会話をしていますか?”すると彼女らも同様に沈黙しました。その時ある少女が、預言者が彼女を見聞きすることが出来るよう彼の足元に近づいて来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ、彼らは実際にそういったことを話し、彼女らも同様に話しています。”彼は言いました:“彼女らがどういうことをしているのか分かりますか?彼女らは路上で悪魔に出会い、人々の眼差しを受けつつ彼らの欲望を満たしている女悪魔のようなことをしているのですよ。”1
⑹教育を受ける権利、または宗教を学ぶ権利。
一方で、夫の権利または妻の責任には、次のものが含まれます。
1.一家の主であること。神は仰せられました:
“男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、また彼らが自分の財産から(扶養するため)経費を出すためである。”(クルアーン4:34)
これは通常、夫の権利であるとされますが、彼には家族を導きつつも正道に留まらせる責任があるため、実際には彼の両肩にのしかかる重責であるとも言えるでしょう。
2.服従される権利。これは⑴と共通します。男性は権威がない限り、何かの長であることは出来ません。
3.妻に性的欲求を満たしてもらう権利。
4.夫の許可のない限り、妻は何者も彼の家に通さない権利。アル=ブハーリーとムスリムによって記録されたハディースによると、神の使徒はこのように述べています:
“彼の許しがない限りは、誰も家に入れてはならない。”
もしも夫婦が神の御満悦、そして双方の喜びを得るために婚姻関係を結び、お互いの役割と責任を認識し、お互いにイスラーム的品行に基づいた付き合いをするのであれば、彼らの結婚は祝福された結婚となり、現世を超えて来世にまで続くものとなるでしょう。
婚姻関係に関してここまで述べられたことに加え、イスラームは実践的宗教であることにも触れられなければならないでしょう。そして一般的に起こり得るシナリオに関しても念頭に置かれるべきです。男女が良い意図を持って婚姻関係を持ったとしても、お互いの性格、または好みの不一致などは起こり得ます。また夫婦仲が常に険悪であれば、良い婚姻関係を保つことが不可能になります。そのような状況下であれば、イスラーム法は彼らの婚姻関係と苦悩の終結を許可します。2婚姻関係の目的とはお互いに友好関係と共に留まること、または潔く離別することなのです。従って、神はこの様に仰せられています:
“汝らが妻を離婚して定められた期限が満了したならば、公平な待遇で同居させるか、または親切にして別れなさい。”(クルアーン2:231)
また、神は述べられています:
“その(離別)期限が満了した時は、立派に留めるか、または立派に別れなさい。”(クルアーン65:2)
離婚が望ましい結果、または軽々しく行なわれるべきものではないことは、至極明白です。完全な世界においては、あらゆる夫婦は至福の中にあるでしょう。しかし、時にはこういった選択肢が双方にとって最善だということもあるのです。それ故、離婚という選択肢も家庭の保護という目的においては一致しているのです。全ての婚姻関係が常に維持されるというのは望ましいことですが、それは数の問題ではなく質の問題なのです。
家族の絆(4/4):子供と親戚
説明: 両親に対する子供の権利、そしてイスラームが強調する、親戚との良好な関係の維持について。
- より ジャマールッディ―ン・ザラボゾ(© 2009 IslamReligion.com)
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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子供
子供を持つことは神からの祝福であるということは、クルアーンの多くの節々において明確にされています。それで神はそのことを人類への祝福として、こう述べられています:
“またアッラーは汝らのために、汝らの間から配偶者を定め、配偶者から汝らのために子女や孫を与えられる。また良いものを与えられる。それでも彼らは虚偽を信仰して、アッラーの恩恵を拒否するのか。”(クルアーン16:72)
それ故、私たちは預言者ザカリヤが、子供を授かるよう神に祈ったことを見出すことが出来ます(クルアーン3:38)。それに加え、両親が子供を欲しがるのは周知の事実です。神は仰せられています:
“富と子女はこの世の生活の装飾である。”(聖クルアーン 18:46)
しかし同時に全ての親は、子供を持つということが多大なる責任と神による試練であることを理解すべきです。神は仰せられました:
“汝らの富や子女は、一つの試みに過ぎない。アッラー、かれの御許に(だけ)偉大な報奨はある。”(クルアーン64:15)
またこうも仰せられています:
“汝ら信仰する者たちよ、人間と石を燃料とする火獄から汝ら自身と汝らの家族を守れ。”(クルアーン66:6)
この節の意味するところは、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)自身によっても何度も繰り返されています。彼はこう述べています:
“あなた方は皆羊飼いであり、あなた方が世話したものに関して問われるだろう。男は彼の家族に関して責任があり、彼の責任に関して問われる。妻は夫の家に関して、そして彼女の責任に関して問われるのだ。”1
それ故イスラームは、子供を授けられたことによる感謝の気持ちを人間に抱かせ、同時に子供は大きな責任であることを理解させるのです。両親は子供の面倒を見つつも最善の方法で育てなければならず、その子供を地獄の炎から守らなければなりません。
ムスリムの学者たちは、子供の権利は彼らが生まれる前から存在していると見なします。それはまず敬虔で誠実な配偶者の選択から始まります。これは子供にとって良い家族と環境を整えるための第一歩なのです。子供が生まれる頃になると、他の重要な責任が生じます。それは子供に対する良い名前の命名、そして子供のための動物の犠牲です。2それ以後も、最も重要な子供の権利として以下のようなものがあります:
⑴扶養と健康維持。
⑵宗教における基本箇条の教育。
⑶ 情けと慈悲をもって接すること。
⑷兄弟間の平等。
⑸両親による良い模範の提示。
親戚
家族には兄弟、そして親戚も含まれます。イスラームは当然、親戚を軽んじることはしません。神はクルアーンにおいて実に多くの箇所で、親戚に対して親切かつ良い態度で接するよう強調されています。神は仰せられました:
“アッラーに仕えなさい。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道連れの仲間や旅行者、およびあなた方の右手が所有する者(に親切であれ)。”(クルアーン4:36)
神はまた、親戚に対する施しにも触れられています:
“彼らは、如何に施すべきか、汝に問うであろう。言え。「あなた方が施してよいのは両親のため、近親、孤児、貧者と旅路にある者のためである。”(クルアーン2:215)
また、このようにも仰せられました:
“正しく仕えるということは、あなた方の顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし・・・”(クルアーン2:177)
ある時、預言者ムハンマドはこういった要望を受けました:
“私を楽園に近づけ、地獄の炎から遠ざける行為を教えて下さい。”彼は答えて言いました:“神を崇拝し、かれに何者をも配してはならない。礼拝の務めを守り、喜捨し、親戚関係を保つのだ。”3
親戚関係を保つということは、自らの発言、行為、富によって彼らに対する善行をするということです。それには親切な言葉、訪問、喜捨、寛大さなどが含まれます。ま彼らに対する危害を阻止すること、そして彼らに幸福がもたらされるよう、全力を尽くすことなども含まれます。
ムスリムは、親戚関係を保持することが義務であり、それが単に価値ある行為であるだけではないことを理解しなければなりません。クルアーンにおいて、神は以下のような人々を称賛されています。
“結ばれるようアッラーが命じられる者と一緒になり、(つまり親類に親しくし、関係を断絶しないこと)主を畏敬し、(審判の日の)悪い清算を恐れる者である。”(クルアーン13:21)
また預言者はこう述べられています:
“親戚関係を絶つ者は、楽園に入ることが出来ないだろう。”4
イスラームは、考え得るあらゆる種類の家族関係の堅持を強調しており、両親、子供、配偶者などの親族の重要性と、そこにおける指針を示しています。また全てのムスリムに対し、これらの関係を満たすことで神の御満悦を獲得することを勧めています。更に(この短い文章では完全に強調することが出来ませんが)、個人がいかにして親類との適切な関係を築くことが出来るかについて、諸々の法と厳しい規則を定めているのです。
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