真の宗教(4/8):偽宗教の教え
説明: 著作「真の宗教」の第4章。いかにして偽の宗教を識別すべきか。
- より Dr. ビラール・フィリップス
- 掲載日時 08 Sep 2014
- 編集日時 08 Sep 2014
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世界には数多くの宗教、宗派、カルト、哲学、団体があり、それらはすべて正しい道、または神への唯一の道であると主張します。いかにして、私たちはそれらのどれが正しいのか、あるいはそれらがすべて正しいのかどうかを知ることが出来るのでしょうか? その答えを知ることの出来る方法の一つは、真理を主張する各宗派の表層的な相違を除去し、それらの呼びかける崇拝の主要な目的を直接的、または間接的に特定することです。偽宗教のすべてには、神に関する一つの基本的概念について共通点があります。それは、人間はみな神であること、またはある特定の人間が神であること、または大自然が神であること、または神は人間による想像の産物であるとされていることです。
それゆえ、偽宗教による基本的な教えとは、神はその被造物の形をとって崇拝される、というものであると言えます。偽宗教は、被造物そのもの、または被造物の一つの側面を神と呼ぶことにより、人々に被造物の崇拝を訴えかけます。たとえば、預言者イエスは追従者たちに神の崇拝を呼びかけましたが、現在イエスの追従者であると主張する人々は、イエスが神であると主張し、イエスの崇拝を呼びかけます。
ブッダはインドの宗教に数々の人道的な思想を導入した改革者でした。彼は自らを神と名乗ったり、追従者たちに自らを崇拝の対象とするよう仄めかしたりもしませんでした。しかし現在、主にインド国外に分布する仏教徒たちは彼を神として崇め、彼に似せて作られた偶像の前にひれ伏すのです。
崇拝の目的を識別する原則を用いることにより、私たちは容易に偽宗教を識別し、それらの目論見を知ることができます。神はクルアーンにおいてこのように述べます。
“かれに仕えないならば、あなたがたとその祖先が命名した、(只の)名称に仕えるに過ぎない。アッラーはそれに対し権能を与えてはいない。大権はアッラーにだけ属し、あなたがたはかれ以外の何ものにも仕えてはならないと(アッラーは)命じている。これこそ正しい教えである。だが人びとの多くは知らない。”(クルアーン12:40)
「すべての宗教は良いことを説いているというのに、なぜどれか一つを選ぶことが重要なのか」という疑問もあるかもしれません。それに対する返答は「すべての偽宗教は、被造物の崇拝という最も罪深い行為を説いているから」です。被造物の崇拝が、人の犯すことの出来る最も重大な罪なのは、自らが創造された目的に反しているからです。アッラーがクルアーンにおいて明確に述べているよう、人間は神のみを崇拝するために創造されたのです。
“ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。”(クルアーン51:56)
また、偶像崇拝の本質である被造物の崇拝は、赦されることのない唯一の罪なのです。偶像崇拝者として死んだ者は、来世における運命を確定させてしまいます。これは選択肢のあるような事柄ではなく、神の最終啓示によって啓示された事実なのです。
“本当にアッラーは、(何ものをも)かれに配することを赦されない。それ以外のことに就いては、御心に適う者を赦される。”(クルアーン4:48,4:116)
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