バハーイー教(前半):その起源と歴史
説明: バハーイー教はイスラームの範疇に含まれるのでしょうか?前半:バハーイー教の起源と歴史。
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 28 Nov 2011
- 編集日時 28 Nov 2011
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人類の平和と統一といった捉え所のないキャッチフレーズを掲げながらも、多くの西洋人の注目を浴びる集団の一つに、イスラームとのつながりを主張するバハーイー教があります。実際には、クルアーンとスンナの教えに反する数々の教義から、それはイスラームの範疇を外れた分派であると見なされています。彼らの根本教義を分析し、それを明らかにしていきましょう。
起源
バハーイー教は、千年王国説を信奉するバーブ教が発展したものです。双方ともイランが発祥の地であり、当時は1844年にシーア派の12代目イマームの失踪1000周年を迎え、至福千年の期待が非常に高まっていた時代でした。それゆえ、彼らは現在のシーア派の最大の宗派であり、イランが国教として採択している12イマーム派から派生したものであるとされます。この宗派はバーブ(扉)と呼ばれるサイイド・アリー・ムハンマド・シラーズィー(1819−1850)によって創立されました。彼がこの呼称で呼ばれるのは、追従者達によって彼は「幽隠中のイマームへと続く扉」であると見なされたからです。しかしながら、彼は後にイスラーム法の終焉と、新たな諸預言者と伝統をもたらす「神の扉」であり、幽隠中のイマームその人である1と見なされるようになりました。
シラーズィーは、その過激な追従者たちによって組織された暴動と、それに対する権力側の弾圧によって1845年に逮捕され、1850年に処刑されました。彼は生前、やがて救世主が現れ、その人物は「神によって顕在される者」と呼ばれることを予言しました。シラーズィーの追従者の一人に、弾圧中に追放されたミルザ・フサイン・アリー・ヌーリーがおり、彼は1864年に自らをシラーズィーによって予言された預言者であると宣言しました。バーブたちは弾圧の中、その大半が殺害されたか、(後にバハーイーとして知られるようになる)ヌーリーに追従し始めたか、もしくはその他の宗教に改宗しました。バーブとして留まった者たちは、当時の指導者スブヒ・アザルと、彼らの聖典バヤーン(「告示」)に従いました。今日ではおよそ数百人のアザル派が残っており、イラン各地に点在しています。このミルザ・フサイン・アリー・ヌーリーの信奉者らが、彼らの宗教を後にバハーイー教と呼ばれるものに発展させたのです。
歴史
ミルザ・フサイン・アリー・ヌーリーは、少年時代にバーブの教えに帰依しました。彼は1852年に、バーブたちによるシャー・ナスルッディーン殺害の策謀に対する弾圧の第一波として、テヘラン刑務所に収監されました。1853年の1月、釈放にあたって彼はバグダッドへと移り、そこでのバーブ・コミュニティにおける事実上の指導者となりました。1863年、彼は自らがバーブにより予言された救世主であると宣言しました。彼は影響力を持ったため、オスマン帝国の権力者たちは彼をバグダッドからイスタンブールへ、さらにそこからエディルネへと移転させました。彼の信奉者たちはバハーイーとして知られるようになり、彼を否定した者たちはバーブとして留まりました。1868年に、ヌーリーとその多くの信奉者たちはパレスチナのアッコへ追放され、そこの要塞で9年間収監されました。釈放後間もなく、彼は現在イスラエル領のハイファ近郊のバージーへと移り住み、1892年に没するまでそこに留まりました。
バハーウッラーの死に際し、彼の長男であるアッバース・エフェンディ(1844−1921)が主導権を握り、アブドル=バハー(神の栄光のしもべ)という称号を得ました。オスマン・トルコ帝国による一時の収監期間後、彼は三度の宣教の旅に出ました。まずエジプト(1910)、次にヨーロッパ(1911)、そしてアメリカとヨーロッパ(1912−1913)でした。彼は大衆を前に説法し、これらの地域でのバハーイー教の定着を目指し、彼の父の教えを体系化させました。アッバース・エフェンディの地位は、孫のショーギ・エフェンディに引き継がれ、彼はヨーロッパと北アメリカにおけるバハーイー教コミュニティの確立にその労力を注ぎ込みました。彼の統率により、バハーイー教コミュニティは地方・全国レベルの行政会によって組織されるようになりました。1957年の死去の際、彼は後継者を指定しなかったため、Council of the Hands of the Cause(「原因の手の委員会」)と呼ばれる共同体機関が設立されました。1962年、「万国正義院」が世界本部としてハイファに設立されました。この機関は5年ごとに再選挙を行ないます。現在、世界中の多くの国々にバハーイー教のコミュニティが形成されており、合計でおよそ300万人から400万人のバハーイー教徒がいると推測されています。最も大きなバハーイー教コミュニティはインドにあり、そこに100万人の信徒が生活しています。イランでは、およそ30万人のバハーイー教徒が、最も大きなマイノリティ・グループとして存続を続けています。
象徴
バハーイー教徒は、神の最も偉大な名前はバハー(栄光)であると信じます。これは、信者同士によるお互いの呼び名としても使われ、指輪や掛物などにもよく見られます。第二の表現法である、ヤー・バハーウル=アブハー(最も栄光在りし者ゆえの栄光者よ)は、書体によって表されます。また数字の9は、神秘的な属性を持つと見なされており、時に装飾品のモチーフとしても使用されます。バハーイー教徒の崇拝の場は、アラビア語でマシュリク・アル=アズカール(神の御名の唱念が日の出と共に出ずる場所)と呼ばれます。マシュリクは9つの側面を持つ建物で、数字の9の神秘的な属性を表します。
バハーイー教(後半):その教義
説明: イスラームの基本信条に反するバハーイー信条の概観、およびその根本的な矛盾点に関して。
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既述されたように、バハーイー教ではバハーウッラー(「神の栄光」)と呼ばれるミルザ・フサイン・アリー・ヌーリー(1817−1892)の教えが奉じられています。預言者ムハンマドが神の最終預言者であると信じるムスリムと違い、バハーウッラーは自らがバーブ教の創始者であるサイイド・アリー・ムハンマド・シーラーズィーによって予言された預言者であると信じていました。バハーウッラーはアブラハム、モーゼ、イエスが預言者であり、彼らに神性はないとするムスリムの信仰を否定しました。彼は、神がアブラハム、モーゼ、ゾロアスター、仏陀、イエス、ムハンマド、バーブ、そしてバハーウッラー自身の姿で顕現すると説いたのです。また、バハーウッラーは神による最終かつ決定的な顕現ではなく、最低1000年間は次の預言者が現れないとしました。
彼らの信仰は、創造物と創造主を区別する、イスラームの最も根本的な部分に相反します。イスラームでは神はその創造物とはかけ離れた存在であると確証し、神は過去においても、未来においても、決して人間の姿にはならないとします。神の遣わした諸預言者はみな人間であり、神の教えを人類に伝えるために選ばれたのです。崇拝行為とは神のみがその対象であり、いかなる創造物へも向けられません。この信仰と同じくらいの重要性を持つものが、ムハンマドは人類に遣わされた最後の預言者であり、イスラームの教えは神による最後のもの、そして審判の日まで誰一人新たな預言者は来ない、というものです。これら2つの基本的信条は、信仰の第一の柱というイスラーム信仰の最も根本的な原則を構成し、バハーイー教の信仰と明確に相反するものです。
バハーイー教にはイニシエーション儀式、聖職、洗礼などはありませんが、信徒には毎日の礼拝義務(ムスリムのものとは異なるもの)や、バハーイー暦の毎月初めの合同会での祝祭、アラー月(ムスリムはラマダーン月)における日の出から日没までの断食、ドラッグやアルコール、また政党参加の禁忌、バハーウッラーの生誕日やその他「バーブ」の殉教日といった聖日を祝うことなどの義務行為が課せられます。人類の平和と統一や、男女の完全な平等に重きが置かれ、バハーイー教徒たちは自分たちが貧富の格差を根絶する世界政府の樹立に向けて貢献していると見なしています。
イスラームにおける唯一の聖典はクルアーンですが、バハーイー教徒はバハーウッラーの著作も神聖視します。それらの中でも、「アクダスの書(キターブ・アクダス=最も聖なる書)」、「確信の書」、「隠されたる言葉」、「七つの谷」、「バハーウッラーの宣布」が最も重要視されます。
バハーウッラーの主張
バハーウッラーは自らを神であると宣言しました。以下は彼による主張の一部です:
“我以外に神はない。最も栄誉あり、英知溢れる御方なり。”1
“古代の手により与えられる物を受け取りなさい。”2
“我以外に神はない。安全を与える御方、諸事を司る御方なり。実に我こそは諸預言者を遣わせ、諸啓典を下した御方である。”3
“永久なる神は、牢獄のなかにいる。”4
“我以外のあらゆるものは、我による命令によって創造されたのだ。”5
“我は同位者なき最大の枝(アブドル=バハー)である。”6
“我々バハーイー教徒は永久の美を確信している”7
“実に我こそは神である。我以外に神はない。万物の主なり。我以外のあらゆるものは我による創造である。我が創造物よ、我を崇拝せよ。”8
12の原則
バハーイー教徒は、12の原則、または12の教えとして伝道されているものを誇りとします。バハーイー宣教師たちは、これらの原則はどの宗教のそれよりも優れたものであるとして非常に重要視します。12のうちの7つは、統一を中心に展開します:
·政界の統一
·世俗問題の統一
·自由の統一
·宗教の統一
·国家の統一
·言語の統一
·血統の統一
しかしながら、バハーイー教の歴史はこれらの原則に矛盾します。バハーイー教徒たちは、バハーウッラーの教えを信じなかったとしてムハンマド・イブラーヒームをチグリス川に放り投げて殺害しましたし9、イランの王であったナスィールッディーン・シャーの暗殺を企てました。バハーウッラーは一晩に130人を虐殺し、彼らの所有物を略奪しました。またはバハーウッラーは彼の兄弟であるスブヒ・アザルを虐待しましたし、アブドル=バハーもその兄弟ムハンマド・アリーに対してより酷い仕打ちをしたのです。そして皮肉にも、バハーイー教徒同士において争闘する二大勢力が存在します。第3世代のバハーイー教徒と、正統派バハーイー教徒です。なお、バハーイー教徒たちは、彼らが全人類のために開発したという新世界共通言語のアルファベットを未だ公式に発表していません。
非寛容の教え
バハーイー教徒によって宣教される非寛容な教えには、イスラームとは全く根拠の異なる、彼らの教えの源泉となったバーブ教カルトにおいて見出すことが出来ます。
“バーブよ!神は汝らへの義務として戦争を課せられた。バーブ教のために街と人々を侵略するのだ。”11
“バヤーンを信じぬ者たちをこの地上に生き残らせてはならない。”12
“バヤーンを信じぬ者たちの富を略奪するのだ。”13
“バーブを拒否する者たちよ!たとえ汝らが一日に千回沐浴しようとも、汝らは不浄であり続けるのである。”14
“非バーブの所有物がバーブの手に渡ると、それは何であれ清浄となる。”15
総括すると、バハーイー教はその最も根本的なイスラーム信条と実践において、ムスリムと趣を異にするのです。彼らの指導者は、その他のカルト宗教同様の奇異な主張をしてきました。彼らは平和と統一を広めているように映りますが、その歴史は暴力によって損なわれてきたのです。彼らの歴史とその本来の教えは、主張されている世界平和と男女平等の概念に矛盾したものなのです。
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