イスラームにおける非ムスリムの権利(11/13):良い処遇
説明: 非ムスリムが良い処遇を受けることは、礼儀上だけに留まらず、イスラームにおける権利です。
- より IslamReligion.com(サーリフ・アル=アーイド博士による執筆)
- 掲載日時 03 Dec 2012
- 編集日時 03 Dec 2012
- プリント数: 228
- 観覧数: 32,853 (日平均: 7)
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
クルアーンでは、敵対者でない限り、ムスリムが親切さと寛大さの精神をもって非ムスリムと接するよう指示します。
“アッラーは、宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けたり、またあなたがたを家から追放しなかった者たちに親切を尽し、公正に待遇することを禁じられない。本当にアッラーは公正な者を御好みになられる。アッラーは只次のような者を、あなたがたに禁じられる。宗教上のことであなたがたと戦いを交えた者、またあなたがたを家から追放した者、あなたがたを追放するにあたり力を貸した者たちである。かれらに縁故を通じるのを(禁じられる)。誰でもかれらを親密な友とする者は不義を行う者である。”(クルアーン60:8−9)
イスラーム学者の権威の一人、アル=カラーフィーは上記の節で言及される「親切に尽くす」ことの意義深さを説明します。
「…弱者への親切としては彼らへ衣服を提供し、優しく語りかけることが含まれる。これは思いやりと慈悲の念からなされなければならず、怯えさせたり侮辱的であってはならない。さらには、彼らが厄介な隣人であったとして、あなたが強制的に退出させることが出来るにも関わらず、恐怖心や経済的理由からでなく、親切心によってそれを大目に見ることも含まれる。また、彼らが導きを得ることの出来るよう、また外的な報奨がある者として祝福されるよう祈り、また現世的・精神的な事柄について助言し、彼らが誹謗されているときにもその評判のみならず、財産、家族、権利、関心事について守ることである。そして彼らが抑圧を受けないよう、権利を享受することの出来るように援助することである。」1
非ムスリムへのこうした処遇に関する神の指令は、ムスリムによって真摯に受け止められました。それは朗誦するだけのための節ではなく、行動に移すための神の御意だったのです。預言者(神の慈悲と祝福あれ)自身、最初に神の指令を実行に移しており、彼に続いてカリフ、そして信仰者からなる一般大衆がそうしたのです。預言者の伝記からは、こうした種類の非ムスリムとの寛容な共存の場面が多く見て取れます。彼の隣人には何人かの非ムスリムがおり、預言者は彼らに親切にし、お互いに贈り物を交わしていました。預言者は彼らが病気のときには見舞い、それ以外のときには商取引をしていました。また預言者が定期的に喜捨をしたユダヤ教徒の家族もあり、ムスリムたちは預言者の死後も彼らに喜捨をし続けました2。
エチオピアからのキリスト教徒の代表団がマディーナを訪問した際、預言者は彼のモスクを彼らのために開放して歓待し、彼自身も彼らへ食事を運びました。彼はこう述べています。
「彼らは私の教友たちに寛大であったから、私も彼らに寛大でありたいのだ…」
ここでは、彼らの一部がマッカでの迫害を逃れてアビシニアへ移住した際、教友たちが庇護を与えられた件が言及されています3。その他、ザイド・ブン・サナというユダヤ教徒の男が預言者の元に負債の徴収に訪れたとき、預言者の上着を掴み、預言者を自分の顔の方へ力づくで引き寄せ、こう言った出来事もありました。「ムハンマドよ、お前らはいつ私への返済をするのだ? お前の部族バヌー・ムッタリブはいつになれば期限内に借金を返済するようになるのだ?」 預言者の教友の一人ウマルは興奮してこう言いました。「神の敵よ、お前が神の預言者に対して言い放ったことを、私は本当に耳にしたのか? 真理をもって彼をお遣いになったお方にかけて誓うが、 彼が私をお咎めになることを私が恐れていなければ、私は剣を抜いてお前の首を切断しているところだぞ!」預言者は落ち着いてウマルの方を見やり、穏やかにこう譴責しました。
「ウマルよ、我々が耳にしたいのはそういう言葉ではありません。あなたは私が期限内に返済をするよう忠言すべきだったのであり、同じような態度で彼に返済の許可を求めるべきだったのです。彼へ私の資金から返済し、彼にナツメヤシを20サーア(単位)与えなさい。」
こうした預言者の態度にユダヤ教徒の男は感嘆し、その場で即座にイスラームへの改宗を宣言したのです4。
預言者ムハンマドの教友たちは、非ムスリムといかに接すべきであるかというこの模範に倣いました。ウマルは預言者が面倒を見ていたユダヤ教徒家族への恒久的な給付基金を設けました5。彼は次のクルアーンの節から、啓典の民に対する基金設立の正当性を見出したのです。
“施し〔サダカ〕は、貧者、困窮者、これ(施しの事務)を管理する者、および心が(真理に)傾いてきた者のため、また身代金や負債の救済のため、またアッラーの道のため(に率先して努力する者)、また旅人のためのものである。これはアッラーの決定である。アッラーは全知にして英明であられる。”(クルアーン9:60)
預言者ムハンマドの著名な教友の一人であるアブドッラー・ブン・アムルは、隣人に惜しみなく施しました。彼は宗教的祝祭日には、ユダヤ教徒の隣人に召使いを送って肉を分配しました。驚いた召使いは、ユダヤ教徒の隣人に対するアブドッラーの気遣いについて尋ねました。そしてアブドッラーは彼に、預言者ムハンマドのこの言葉を紹介したのです。
「天使ガブリエルは私に対し、隣人に寛大であるよう念に念を押したため、かれが隣人を私の相続人にするのではないかと思った程だった。」6
歴史に目を向けると、ムスリムの為政者がその長官に対し、どのようなユダヤ教徒住民の扱いを求めていたかを知ることの出来る、驚くべき例が存在します。モロッコのスルターンだったムハンマド・ブン・アブドッラーは、1864年2月5日に次の勅令を発行しています。
「我々の領土における公認代議士としての職務を担う民間役員と代理人たちへ、我々は次の勅令を発行する。
「彼らは領土内のユダヤ教徒住民に対し、神によって定められた絶対的基準にしたがって接しなければならい。法に基づき、ユダヤ教徒たちには他者と同様の平等性のある処遇を与え、誰一人として最小限の不正、抑圧、虐待も被ってはならない。彼らの共同体の一員、またはその外部からの者、また彼らの財産に対し、いかなる違反も認められない。彼らの職人、芸術家に対し、意思に反して奉仕させてはならず、国家のために働いた暁には最大限の賃金が与えられなければならない。いかなる抑圧であれ、それは審判の日に抑圧者にとっての暗闇の原因となるのだ。我々はそうした悪事を一切容認しない。我々の法の前には全人は平等であり、ユダヤ教徒に対し悪事や侵略を働く者に、我々は神の助けによる懲罰を加える。ここで我々が述べる勅令は、常に知られてきたものと同じ既定の法である。我々がこの勅令を発行したのは、ただユダヤ教徒たちに害を及ぼそうとする者たちへの警告とし、彼らがより大きな安心感を得、彼らへ危害を与えようとする者たちにそれを思いとどまらせるためである。」7
ルノーは、ムスリムによる非ムスリム少数派への寛大・公正な処遇を認知した西洋の歴史家の一人です。彼はこう発言しています。
「イスラーム化していたスペインにおけるムスリムの都市では、非ムスリムは最大限の処遇を受けていた。そのお返しとして、非ムスリムはムスリムの慣習に敬意を払い、自分たちの子供に割礼を施し、豚肉の消費を慎んでいたのである。」8
Footnotes:
1 Al-Qarafi, ‘al-Furooq,’ vol 3, p. 15
2 Abu Ubayd, al-Amwaal, p. 613
3 Ibn Hamdun, ‘at-Tazkira al-Hamduniyya,’ vol. 2, p. 95
Siba’i, Mustafa, ‘Min Rawai Hadaratina,’ p. 134
4 Ibn Kathir, ‘al-Bidaya wal-Nihaya,’ vol 2, p. 310
5 Abu Yusuf, Kitab al-Kharaj, p. 86
6 サヒーフ・ブハーリー。
7 Qaradawi, Yusuf, ‘al-Aqaliyyat ad-Diniyya wa-Hal al-Islami,’ p. 58-59
8 Quoted by Siba’i, Mustafa, ‘Min Rawai Hadaratina,’ p. 147
コメントを付ける