地獄の描写(パート5/5):地獄の恐怖2
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 03 May 2010
- 編集日時 03 May 2010
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神は地獄の住人の顔を、黒くされます:
「その日、(ある者たちの)顔は白くなり、また(別の者たちの)顔は黒くなる。そして顔が黒くなった者たちには、(こう言われる:)“あなた方は信仰の後に、それを拒否したのか?ゆえに、あなた方が拒否していたことゆえの懲罰を味わうがよい。”」(クルアーン 3:106)
そして彼らの顔は、まるで夜に覆われたかのようになります:
「悪行を行っていた者たちには、それと同様の悪の報いがあり、屈辱に覆われるであろう。彼らを神(の懲罰)から守ってくれる者はない。彼らの顔は、あたかも夜の断片に暗く覆われてしまっているかのようである。彼らは地獄の徒であり、そこに永遠に留まる。」(クルアーン10:27)
地獄の業火は不信仰者を全方面から包囲し、彼らの罪はまるでシーツのようにその全身を包み込んでいます:
「彼らには地獄の業火の中にその臥所がある。そしてその上には(彼らを覆う)炎の層…」(クルアーン 7:41)
「その日、彼らの頭上から、そして足元から(地獄の)懲罰が彼らを覆う。」(クルアーン29:55)
「…そして必ずや、地獄は不信仰者を包囲するであろう。」(クルアーン9:49)
地獄の炎は、心臓にまで至ります。火炎は巨大化した彼らの身体を貫き、その最深部にまで到達するのです:
「いや、決してそうではない。彼らは全てを焼き尽くす炎の中に投げ入れられよう。そして全てを焼き尽くす炎とは何か?燃え上がる神の炎である。それは心臓にまで届くのだ。(クルアーン104:4−7)
また預言者ムハンマドの伝承によれば、地獄の炎は内臓を切り裂きます:
「ある者は復活の日に連れて来られ、地獄の炎の中に放り込まれる。そして彼の内臓は炎の中に投げ出され、彼はまるで石臼を挽くロバのように、その中を無理やり歩き回される。地獄の住人たちは彼の周りに集まり、こう言う:“何某よ、一体どうしたというのだ?あなたは私たちに善行を勧め、悪行を禁じていたではないか?”彼は答える:“私はあなた方に善行を命じつつも、自分ではそれを行わなかった。そしてあなた方に悪行を禁じつつも、自分ではそれを行っていたのだ。”そして彼はまるで石臼を挽くロバのように、その中を無理やり歩き回されるのである。」[1]
神は地獄の鎖やくびき、足枷について描写されています。地獄の住人は鎖で縛られ、首に巻きつけられたくびきで引き摺られるのです:
「実にわれら(神)は不信仰者たちに、(彼らを縛り付ける)鎖と枷と業火を用意しておいた。」(クルアーン76:4)
「実にわれら(神)にこそ、(地獄の民を)縛り付けるものと業火はある。そして棘々の食べ物と、痛烈な懲罰が。」(クルアーン73:12−13)
「われら(神)は、不信仰に陥った者たちの首に枷を巻きつけよう。一体彼らが、彼ら自身が行っていた以外のものによって報われることなどあろうか?」(クルアーン34:33)
「彼らの首には枷と鎖が付けられ、(それでもって)熱湯の中を引きずり回される。」(クルアーン40:71)
「(天使たちよ、)彼を捕まえ、枷をつけよ。そして業火へと連れ行くのだ。それから70腕尺もの長さの鎖でもって縛り、彼を引きずり行くのだ。」(クルアーン 69:30−32)
また、不信仰者たちが神の仲介者、あるいは神へ近付けてくれるものと考えて神と共に拝していた全ての偽の神々は、彼らと共に地獄の中に放り込まれます。このことは彼らにとっての屈辱となり、また、それらの偽の神性にはいかなる力もないことの証明ともなります。
「あなた方と、あなた方が神を差し置いて拝していたものは、地獄の業火の燃料となるのだ。[2] あなた方はそこに入ることになろう。それらがもし(真の)神であったなら、そこに入ることはなかったであろう。しかしそれらは皆、その中に永遠に留まるのである。」(クルアーン21:98−99)
不信仰者は地獄を目の当たりにすると、深い悔恨の念に襲われます。しかしそのようなことは、何の益にもなりません:
「懲罰を目の当たりにした時、彼らは後悔の念を露わにする。そして彼らは公平に裁かれるのだ。彼らが不正を蒙ることはない。」(クルアーン 10:54)
また不信仰者はその灼熱を味わった時、死んでしまいたいと願うのです:
「そしてその中の窮屈な場所に、がんじがらめにして投げ入れられ、彼らはそこでいっそのこと破滅してしまうよう嘆願する。(そこで天使たちは言う:)“あなた方は今日一度きりの破滅を嘆願するのではない。それを何度も嘆願することになるのだ。”」(クルアーン 25:13−14)
彼らの絶叫は大きくなり、地獄から救われるべく神に呼びかけます:
「そして彼らは(地獄の懲罰の中で)叫び、言う:“われらが主よ、ここから出して下さい。きっと以前の私たちが行っていた悪行とは違う、正しい行いをしますから。”」(クルアーン 35:37)
そして彼らは、自らの頑迷な不信仰による罪と過ちを認識するのです:
「彼らは言う:“もし(彼らの言うことを)聞き、理解していたならば、私たちは燃え上がる炎の住人とはならなかったのに。”そして彼らは自分たちの罪を認める。(地獄の)炎の住人は、(神のご慈悲から)何と程遠いことか。」(クルアーン67:10−11)
しかしこうした彼らの祈りなどは、受け入れられません:
「彼らは言う:“われらが主よ、私たちは(現世において欲望や本能などの)自らの不幸に負けてしまったのです。私たちは迷い去った民でした。われらが主よ、私たちを(ここから)出して下さい。もし(現世に)戻ることが出来(それでもなお以前と同様でし)たら、その時は確かに、私たちは(真理に対する)不正者です。”(すると神は仰る:)“控えよ。そこに留まり、もうわれに話しかけるのではない。”」(クルアーン 23:106−108)
その後、彼らは地獄の番人に呼びかけ、神に執り成して懲罰を軽減してくれるよう、頼みます:
「そして地獄の民は地獄の番人たちに言う:“あなた方の主を呼んで、この日の懲罰を軽減させてくれ。”(地獄の番人たちは)言う:“(現世において)使徒たちは、明証を携えてあなた方のもとにやって来たのではなかったか?”(地獄の民は)言う:“ええ、確かに。”(地獄の番人たちは)言う:“それでは呼び続けよ。不信仰者たちの呼び声は何の益も成さないのであるから。”」(クルアーン 40:49−50)
そして彼らは苦痛を和らげるため、自分自身の破滅すら嘆願することになります:
「(地獄の民はこう)呼びかける:“マーリク(地獄の番人を務める天使)よ、あなたの主に頼んで一思いに私たちを殺してしまってくれ。”(マーリク)は言う:“いや。あなた方はそこに留まるのだ。”」(クルアーン 43:77)
しかし懲罰は絶対に軽減されず、永遠に続くことを知らされます:
「辛抱しようが、辛抱しまいが、あなた方にとっては同じである。あなた方はただ、あなた方のしていたことによる報いを受けるのだから。」(クルアーン52:16)
彼らはずっと泣き続けることになるのです:
「それゆえ彼らをしばし笑わせておき、彼らの行いへの報いとして(後に)沢山泣かせればいいのだ。」(クルアーン9:82)
彼らは涙が枯れるまで泣き続け、ついには血の涙を流します。その痕は、預言者ムハンマドによって次のように描写されています:
「地獄の住人は泣くことになり、そしてそれは彼らの涙が枯れるまで続く。それから彼らは血の涙を流すが、それによって彼らの顔にはあたかも水路が出来たかのようになる。もしそこに船を置いたのであれば、それは浮くであろう。」[3]
ご覧になられたように、イスラームの啓典では、地獄に入る人々の運命の顛末を明確かつ叙述的に物語ります。そしてこの明快さにより、誰であれ審判の日、そして来世の永久性を信じる者は、少なくともその中へ投げ込まれる内の一人になることを避けようと努力するはずなのです。そして神が人類のために授けられた真の宗教を真剣に探索することのみが、この運命を避けることの出来る最善かつ唯一の方法です。人は、ただ単にそれが生まれつきのものだったからといってある宗教を信奉するべきではありませんし、また宗教を一つの新世代ファッションとして捉えるべきでもありません。むしろ、人はこの世界と来たるべき人生についての真実を模索し、至高者から啓示された生き方と不変の信仰体系によって、二度と取り返しのつかない審判の日のために入念な準備をしておくべきなのです。
Footnotes:
[1] サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承。
[2] イブン・カスィールはそのクルアーン注釈書の中で、後の世代によって勝手に神とされてしまったある種の信心深い人々や預言者らは、ここで言う「地獄の業火の燃料」には含まれない、と説明しています。そこに放り込まれるのは、「神と共にその崇拝者たちによって崇拝されることに満足していた者たち」、そしてその崇拝者たち、及びその他の非生命体である偶像なのです。イエスのような人物に関しては、クルアーンはこう言っています:「われら(神)から既に善を賜っている者たちは、そこ(地獄)から遠ざけられよう。」(クルアーン 21:101)
[3] イブン・マージャ収録の伝承。
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