地獄の描写(パート4/5):地獄の恐怖1
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 26 Apr 2010
- 編集日時 26 Apr 2010
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地獄の炎は余りに強烈ゆえ、そこに入れられた人々はそこから脱出するためなら、自分たちにとって最も大事な所有物さえも放棄しようとします:
「実に、信仰に入らず、不信仰のまま死ぬ者は、たとえ大地一杯の黄金でもってそれ(懲罰)を償おうとしても、受け入れてはもらえない。彼らには痛ましい懲罰があり、またいかなる援助者もいないのだ。」(クルアーン 3:91)
またイスラームの使徒ムハンマドは、こう言っています:
「現世において最高の享楽を見出していた地獄の住人の一人が、復活の日に連れて来られ、地獄の炎の中に入れられる。そしてその者は、こう尋ねられる:“アダムの子よ、あなたは(生前)何か良いものを目にしていたことがあったか?享楽を楽しんでいたことがあったのか?”そして彼はこう言うだろう:“いいえ、神にかけて、わが主よ。”」[1]
地獄におけるたった一時は、人間に現世で送っていた全ての良い時間を忘却させてしまいます。イスラームの使徒は、私たちにこうも言っています:
「復活の日、神は、最も弱い炎でもって罰されている者にこうお尋ねになる:“もしあなたが地上で欲する全てのものを有していたら、自分自身を救うためにそれを手放すか?”彼は答えます:“ええ。”すると、神はこう仰られる:“われは、あなたがまだアダムの腰の中にあった時に、それより遥かに容易なことをあなたに命じていたのである。われはあなたに、われと共にいかなるものも並べて崇拝しないよう命じた。しかしあなたは、われと共に別のものを並べて崇拝することに固執し続けたのだ。”」[2]
地獄の炎の恐ろしさと強烈さは、そこに入った者の理性を失わせるに十分なものです。彼はそこから脱出するためなら、彼が大事にしているいかなるものをも放棄するでしょうが、そうすることは叶いません。神はこう仰っています:
「罪人は、そうすることで自分自身を救えるのならば、その子息でもって、また妻や兄弟でもって、そして彼をかくまってくれる近親の者や、果ては地上のもの全てでもって、その日の懲罰を償いたい、と願うであろう。いや、決してそのようなことは出来ない。それこそは顔と手足の皮膚を焼け焦がす、燃え立つ炎である。」(クルアーン 70:11−16)
地獄の罰は、その程度において多様です。ある種のレベルの地獄における苦痛は、他のそれより甚大なのです。人々は、その行為に応じたレベルの地獄に入れられます。イスラームの使徒は、以下のように述べています:
「地獄の炎がその足首にまで達する者もいれば、それが膝にまで達する者もいる。また腰にまで達する者もいれば、それが首にまで至る者もいるのだ。」[3]
また預言者ムハンマドは、地獄における最も軽い懲罰について、こう語っています:
「復活の日に最も軽い懲罰に晒される地獄の住人は、くすぶる燃えさしを土踏まずの下に置かれ、そのせいで脳が沸き立っている者である。」[4]
そしてこの者は、彼以上の厳しい罰を受ける者などはいないと思うほどでしょう。しかし彼こそが、最も軽い懲罰を受ける者なのです。[5]
クルアーンの多くの節は、地獄の住人が受ける懲罰には様々なレベルがあることを伝えています:
「偽信者は、地獄の炎の最下層にある。」(クルアーン4:145)
「そしてアッラーは彼(モーゼ)を、彼らの策略による悪かそして審判の日には、(神が天使たちにこう命じられて言われる)“ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。”」(クルアーン 40: 46)
神によって点火される炎は、地獄の住人の皮膚を焼きます。そして皮膚は身体で最大の器官であり、焼かれる痛みを感じる知覚部位ですが、神は焼け上がった皮膚を、再び新しいものと交換します。こうしてまた皮膚は焼かれ、この工程は繰り返し継続するのです:
「われら(神)のみしるしを信じない者たちは、地獄に入れてやろう。彼らの皮膚が焼けただれる度、われらはそれを新しいものと交換する。それは彼らが懲罰を味わわんがためである。実に神は偉大で強力、公正なお方である。」(クルアーン4:56)
地獄には、溶解という別の懲罰もあります。非常なまでに熱された湯が彼らの頭にかけられ、それによって身体の内部までが溶解してしまうのです:
「…(不信仰者たちは)その頭上から熱湯を注がれる。そしてそれによって、腹の中も皮膚も溶け落ちてしまうのである。」(クルアーン 22:19−20)
使徒ムハンマドは、こう言っています:
「非常な熱湯が彼らの頭上に浴びせられ、それはそこから溶け込み、内臓を断ち切る。そしてそれらは押し出され、足から染み出してくる。全ては溶解し、その後また彼らは元通りの姿に戻るのだ。」[6]
地獄において神が罪人を辱める手段の一つに、審判の日に彼らが逆様に、盲目かつ聾唖の状態で蘇らされるということがあります。
「そして復活の日、われら(神)は彼ら(不信仰者たち)を逆様に、盲目で聾唖の状態で召集する。彼らの行き着く先は地獄の業火であり、それ(炎)が小康するたび、われらが更にまた盛り返すのだ。」(クルアーン17:97)
「そして悪事と共にやって来る者は、顔から真っ逆様に地獄の炎の中に放り込まれよう。(そして、こう言われるのだ:)“あなた方が、自分たちが行っていた以外のものでもって報われることなどあろうか?”」(クルアーン27:90)
「炎が彼らの顔を焼き、彼らの唇は縮み、歯を剥き出しにする。」(クルアーン23:104)
「その日彼らの顔は地獄の炎の中でひっくり返され、こう言う:“ああ、神と使徒に従っていればよかったのに!”」(クルアーン33: 66)
また不信仰者に対する別の痛ましい懲罰として、顔から地獄に引きずりこまれるということがあります。神はこう仰ります:
「罪深い者たちは迷妄と業火の中にある。その日彼らは地獄の業火に真っ逆様に引きずり落とされ、こう言われる:“大火の灼熱を味わうのだ。”」(クルアーン54:47−48)
彼らは鎖や枷に縛り付けられたまま、顔から引きずり込まれるのです:
「啓典とわれら(神)が使徒たちに携えさせて遣わしたところのものを嘘とする輩は、後に知るだろう。彼らの首には枷と鎖が付けられ、(それでもって)熱湯の中を引きずり回される。そしてそれから業火の中で焼かれるのだ。」(クルアーン40:70−72)
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