環境意識の創造(3/4):動物の権利とその侵害
説明: イスラームにおける動物の倫理的な扱い方。クルアーンと預言者ムハンマドの言行録から。
- より アブドッラフマーン・マハディ
- 掲載日時 30 Jul 2012
- 編集日時 30 Jul 2012
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“またアッラーは,ありとあらゆる動物を水から創られた。そのあるものは,腹で這い,またあるものは二本足で歩き,あるものは四つ足で歩く。アッラーは御望みのものを創られる。本当にアッラーは何事につけ全能であられる。”(クルアーン24章45節)
イスラームの天啓により、神は動物に国々の運命において重要な役割を与えていたことがわかります。上の節からもわかるように、結局私たちはみな水という同じ源から作られた存在なのです。
例えばサムードの人々の物語から、イスラームでは動物に対する倫理的な扱いを教えていますし、より正確に言えば、そうしなかったときの厳しい結果について教えています。神が神兆として送ったラクダにサムードの人たちが水を与えるを拒んで抑圧して殺したことから、たった一度の爆風でその国を破滅させてしまったのです1。
“サムード(の民)は,その法外な行いによって(預言者を)嘘付き呼ばわりした。かれらの中の最も邪悪の者が(不信心のため)立ち上がった時,アッラーの使徒(サーリフ)はかれらに,「アッラーの雌骼駝である。それに水を飲ませなさい。」と言った。だがかれらは,かれを嘘付き者と呼び,その膝の腱を切っ(て不具にし)た。それで主は,その罪のためにかれらを滅ぼし,平らげられた。”(クルアーン91章11〜14節)
イスラームが、どのように今流行の所謂「動物愛護」を擁護しているか、そして動物に対する虐待的行動をどれほど重大な罪とみなしているかを正しく説明するために、預言者ムハンマドの言行録(ハディース)を見てみなければなりません。預言者ムハンマドが、鳥や動物の苦しみに対して同情心あふれる言葉をかけ、彼らの権利のために声を上げていることを見ても、イスラームが他の動物のために前例なき権利を与えていることは明らかでしょう。多くの言行録の中から、そのいくつかを見てみましょう。
「ある男が道を歩いているときに、激しい喉の乾きを覚えました。そのとき彼は井戸を見つけ、そこまで降りてゆき、満足するまで水を飲み戻ってきました。すると彼は犬が喘ぎ、湿った土を食べているのを見つけました。そして彼はこう言いました。「きっとあの犬も私と同じように喉の乾きを感じているのだろう。」そしてまた井戸まで戻り、彼の革製の靴下に水をくんで犬に飲ませてあげました。それに神は感謝して彼の罪を赦したのです。」教友たちが尋ねました。「神の預言者よ!私たちは本当に動物への善行で報奨を得られるのですか?」預言者はこう答えました。「すべての生き物に対する優しさには報奨があるのです。」(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム、アブー・ダーウード)
「ある女性は一匹の猫によって懲罰を受けました。彼女はその猫を死ぬまで閉じ込めため、地獄の業火に入れられたのです。彼女はその猫に食べ物も飲み物もやらず、その猫が地面の虫を食べること許さなかったのです。」(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム、イブン・マージャ)
「誰であれ、ツバメでさえも理由なく殺した者は、審判の日に神からその事を問われるでしょう。」(アフマド)
「弓矢の練習に生きた動物を使ってはいけません。」(サヒーフ・ムスリム)
「以前送られた神の預言者が蟻に刺され、それが頭にきて、蟻の巣全部を燃やしてしまいました。そこで神は「たった一匹の蟻があなたを刺したという理由で、私を崇拝していた共同体を燃やしてしまったのですね。」と言って叱責しました。(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)
「持ち馬によって報奨を得る者とは神のためにその馬を所有し、牧草地または庭に長いひもで繋げておく者です。その人は、馬が牧草地または庭で草を食べられるだけの距離分の、報奨を得ます。もし馬がそのひもを断ち、一つ二つの丘を越えたのなら、その蹄とこやしの跡の分だけ報奨を得ます。その馬が川を渡り、その川から水を飲んだのなら、それも馬の所有者の善行として数えられます。」(サヒーフ・アル=ブハーリー)
「馬の前髪を切ってはいけません。品性がそこにあるのですから。またたてがみも切ってはいけません。それは馬自身を守る為にそこにあるのです。しっぽの髪も切ってはいけません。それはハエを追い払うためのものです。」(アブー・ダーウード)
「ある人が牛に乗っているとき、牛がその人の方に振り向いてこう言いました。『私はこの為に創られたのではありません。農耕の為に創られたのです。』」(サヒーフ・アル=ブハーリー)
アブドゥッラー・ブン・アッバースはこう伝えています。
「神の預言者は、動物同士を闘わせることを禁じました。」(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム、ティルミズィー)
アブドッラフマーン・ブン・アブドゥッラー・ブン・マスウードはこう伝えています。
「私たちは神の預言者と共に旅の途中でしたが、途中で彼が一人で少しの間だけ去ってしまいました。彼がいない間、私たちはフンマラという鳥が二羽の子どもを連れているのを見つけ、子どもを捕まえました。母鳥は悲しみで羽を叩きながら私たちの上空を飛び回っていました。預言者が帰って来て「誰がひな鳥を捕まえてあの親鳥を悲しませたのですか? すぐに返してあげなさい。」と言いました。」(サヒーフ・ムスリム)
ジャービル・ブン・アブドゥッラーは、こう伝えています。神の預言者が、顔に烙印をつけられたロバを見て、怒ってこう言いました。
「烙印をつけた者に神の呪いあれ。」(サヒーフ・ムスリム)
預言者の妻アーイシャがこう伝えています。「私が反抗的なラクダに乗っていたときにきつく縄を引きました。そうすると預言者が私にこう言いました。」
「動物は優しく扱いなさい。」(サヒーフ・ムスリム)
Yahya bin Said narrated: ヤヒヤー・ブン・サイードは、こう伝えています。
「預言者が彼の衣服で馬の顔を拭いてあげていました。誰かがその理由を尋ねると彼はこう言いました。『昨夜、夢で神が私に馬を世話するように叱責したのです。』」(ムワッタア)
アブドゥッラー・ブン・ジャアファルは、こう伝えています。預言者が通りがかりに子どもたちが牡羊に矢を投げているのを見て、彼らにこう叱りつけました。
「そのかわいそうな羊を傷つけてはいけない。」(アン=ナサーイー)
預言者が口にした呪いの言葉からも、動物を傷つけ、虐待し、姿を変えたりすることがどれほど現世での避難と死後の厳罰を招き、逆に動物への親切によって神から報奨を受け、罪を赦されかがわかるでしょう。イスラームでは動物が感じる身体的、そして精神的痛みや苦しみが認識され、彼らがどのように不正を感じ取るかを教えています。またイスラームでは驚くべきことに、動物が意識と尊厳、そして個別としての自我も持ち合わせていることをも認識しているのです(鳥にはフンマラと名付けられており、ロバにはウカイルと名付けられていました)。
“また大地を、生あるもののために設けられた。そこに果実があり、(実を支える)萼を被るナツメヤシ、殻に包まれる穀物と、(その外の)賜物。それであなたがたは、主の恩恵のどれを嘘と言うのか。”(クルアーン55:10−13)
Footnotes:
1 ラクダの殺害自体が神の怒りを招いたのではなく、彼らに送られた神兆を破壊したことで、人々が帰りつく神を否定し、タウヒードの概念を否定したことになるのです。同様に、人間が理由も無く他の動物を傷つけるのは、神が人間に持つように教えている慈悲を否定していることになります。人が動物や植物に対して与えられるべき慈悲を否定するとき、神からの人間に対する慈悲も奪わせ、彼は罰を受けます。さらには、人間が動物や植物(そして人)に慈悲をかけるとき、神もかれの慈悲からその人に報酬を与えるのです。
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