地獄の描写(パート1/5):はじめに
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- 掲載日時 12 Apr 2010
- 編集日時 08 Oct 2017
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イスラームは地獄のことを、神を信じず、その掟に逆らい、そしてその使徒たちを拒否する者たちのために神によって準備された実質的な場所として教えています。地獄は実在する場所であり、単なる意識上の、あるいは精神的存在などではありません。そこにおける恐怖、苦痛、苦悩、懲罰は全て現実のものですが、しかし地球上におけるそれらとは性格的に異なった種類のものです。地獄は究極的な屈辱及び損失であり、最も忌まわしいものなのです:
「私たちの主よ、あなたは地獄の業火に放り込まれた者を実に辱められます。実に(真理に対して)不正を働いていた者たちには、(その日)援助者はありません。」(クルアーン3:192)
「神とその使徒(ムハンマド)に逆らう者には誰でも、地獄の業火が用意されており、そこに永遠に留まることになることを彼らは知らないのか?それこそはこの上ない屈辱なのである。」(クルアーン9:63)
地獄の名称
イスラームの典拠において、地獄の業火にはいくつもの異なった名称があります。そしてその各々には、それぞれ別の形容があるのです。それらの名称のいくつかを、以下に挙げてみましょう:
ジャヒーム(炎):そこから放たれる炎ゆえの名称です。
ジャハンナム(地獄):その壕の深さゆえです。
ラザー(燃え上がる炎):その焔によっています。
サイール(燃え盛る火):点火され、燃え盛る様によっています。
サカル:その灼熱ゆえの名称です。
ハタマ(粉々に粉砕するもの):そこに放り込まれた全てを破壊し、粉々にします。
ハーウィヤ(深淵、または奈落):そこに放り込まれた者は、最上部から最下部まで転落します。
天国と地獄は現存し、かつ永続する
地獄は今この時にも存在し、そして永遠に存在し続けます。地獄は決して消滅することなく、その住民は永遠にそこに留まり続けるのです。いかなる者もそこから脱出することは不可能ですが、現世において神の唯一性と、(使徒ムハンマドの到来前に)彼らに遣わされた特定の使徒たちを信じていた罪深い信仰者は、その限りではありません。多神教徒や不信仰者らは、永遠にそこに住み続けます。この信仰は古代からのもので、クルアーンの明瞭な節の数々と、イスラームの使徒からの信憑性の高い多くの伝承によって裏付けられています。そしてクルアーンは地獄に関して過去形で語り、それが既に創造されていることを言明しているのです:
「そして不信仰者のために創られた地獄(に入ることになる諸要因)から身を守るのだ。」(クルアーン 3:131)
イスラームの使徒は、こう言っています:
「あなた方が死ぬと、(来世における)その居場所を朝に夕に見せられることになる。もし天国の住民であれば、天国の住民の居場所を見せられ、地獄の住民であれば、地獄の住民の居場所を見せられるのだ。そして彼には、こう言われる:“これが、神が復活の日にあなたを蘇らせられるまでの、あなたの居場所である。”」(サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承)
また別の伝承では、使徒ムハンマドはこう語っています:
「実に信仰者の魂は、神が復活の日にそれを肉体に戻されるその時まで、天国の木にとまった鳥となるのである。」(ムワッタァ・マーリクに収録の伝承)
これらの文章は、地獄と天国が既に存在していること、そして魂は復活の日の前に、そのいずれかに入ることが出来ることを明らかにしています。神は、地獄の永遠性に関してこう仰います:
「彼らは地獄から抜け出したいのだが、そこから出ることは出来ない。そして彼らには永遠の懲罰があるのだ。」(クルアーン5: 37)
「…そして彼らは地獄から出ることがない。」(クルアーン2:167)
「実に信仰せず、不正を行う者たちのことを、神はお赦しになられないし、地獄以外のいかなる道へもお導きにはなられない。そして彼らはそこに永遠に留まるのだ。」(クルアーン 4:168−169)
「実に神は不信仰者たちをそのご慈悲から遠ざけられ、彼らに地獄の烈火をご用意される。彼らはそこに永遠に留まり、そこにおいていかなる守護者も援護者も見出すことがない。」(クルアーン33:64−65)
「神とその使徒に逆らう者は誰でも、地獄の業火が用意されている。そしてそこに永遠に留まることになるのだ。」(クルアーン 72:23)
地獄の管理人
地獄の上には、神に絶対逆らうことのない強力で過酷な天使たちがいます。かれらは、命令されたことをそのまま実行するのです。神は仰っています:
「信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の業火(へと招くような事柄)から守るのだ。その燃料は人間と石であり、その上には厳しく荒々しい天使たちがいる。彼らは神が命じられたことに逆らうこともなく、そのご命令を遂行するだけなのである。」(クルアーン66:6)
また、地獄には19の管理人がいます。神はこう仰います:
「われ(神)は彼(不信仰者)を灼熱の大火に放り込もう。そして灼熱の大火とは何か?(それは)彼らを生かしたままにもしておかなければ、一思いに殺してもくれない。(それは)人類を(様々な懲罰によって見るも無残な形に)変えてしまう。その上には(地獄の管理人として)19の天使がいる。」(クルアーン 74:26−30)
かれらの数が19に過ぎないからと言って、地獄の住民が管理人たちの手を逃れられるなどと思ってはなりません。各管理人は単独でも、全人類を支配する力を備えているのです。クルアーンの中で、神はかれらのことを地獄の番人、と呼ばれています:
「そして地獄の民は地獄の番人たちに言う:“あなた方の主を呼んで、この日の懲罰を軽減させてくれ。”」(クルアーン 40:49)
尚、地獄を監視する天使たちの長の名は、マーリクです。クルアーンには、こう言及されています:
「実に罪深い者たちは永遠に地獄の懲罰の中にある。彼らは(その懲罰を)軽減されることもなく、その中で絶望している。しかしわれら(神)が彼らに不正を働いたわけではなく、彼らこそが(自らに)不正を働いていたのである。(地獄の民はこう)呼びかける:「マーリクよ、あなたの主に頼んで一思いに私たちを殺してしまってくれ。」(マーリクは)言う:「いや。あなた方はそこに留まるのだ。」われらはあなた方に真理を届けたが、あなた方の多くは真理を厭わしく思ったのである。」(クルアーン43:74−78)
地獄の描写(パート2/5):その様相
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- 掲載日時 12 Apr 2010
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その位置
地獄が正確にどこに位置するか、ということに関しての言及は、クルアーンにも預言者ムハンマドのスンナ(言行録)の中にも見出すことが出来ません。その正確な場所は、神以外には知る由もないのです。しかしある学者らは、特定のハディース(預言者ムハンマドの言行録)の語学的典拠や文脈をもとに、地獄が天界にあると述べています。そしてまた別の学者らは、地獄は地面の下部にあるとしています。
その大きさ
地獄はとてつもなく巨大であり、かつ非常に深い場所です。私たちはそのことをいくつかの典拠から、知ることが出来ます。
第一に、数えきれないほどの多くの人々が地獄に入ります。そしてハディースに記述されているところによれば、地獄の住人は皆、ウフド山(マディーナにある山)と同じくらい大きな臼歯を有しているとされます[1]。また地獄の住人どうしの肩の間の距離は、歩いて3日の距離に等しいとも言われています[2]。そして 地獄は、始まりの時からの全ての不信仰者と罪人を収容することが出来ますが、まだそこにはもっと多くの人々のための場所が空いているのです。神はこう仰っています:
「その日、われら(神)は地獄にこう言う:“もう満杯になったか?”するとそれはこう言うのだ:“もっと入れましょうか?”」(クルアーン 50:30)
地獄の火は、数千トンもの穀物を挽く粉砕機になぞらえられます。そして更なる到来者たちを待ち受けるのです。
二番目に、地獄の頂上から投げ落とされた石は、その奥底にまで辿り着くまで非常に長い時間を要します。預言者ムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福あれ)の教友の一人は、このように述べています:彼らが預言者と共に座っている時、何かが落ちて行く音を耳にしました。預言者はそれについて彼らに尋ねましたが、彼らはそのことについて何も知りませんでした。それで預言者はこう言いました:
「あれは70年前に、地獄に投げ込まれた石(の音)である。そしてそれは未だに、地獄の途中にあるのだ。」[3]
また別の伝承には、こうあります:
「もし妊娠中の七頭のラクダほど大きい石を地獄の淵から投げてみたとしても、それは70年間たってもその中を飛び続けよう。そしてまだ底にまで到達することがないのだ。」[4]
三番目に、地獄は復活の日、数あまたの天使によって運ばれて来ます。神はそのことについて、こう仰っています:
「そしてその日、地獄が近くに持って来られる…」(クルアーン 89:23)
また、預言者はこう言っています:
「地獄はその日、70,000もの手綱によって持って来られる。そしてその各手綱は、70,000もの天使によって引かれるのだ。」[5]
四番目に、地獄の巨大さを示す別の伝承として、復活の日には地獄において、太陽と月が包み込まれるというものがあります。[6]
そのレベル
地獄にはその暑さと懲罰において、様々な段階があります。そしてそのいずれも、そこで罰される者たちの不信仰や罪の程度に比例したものとなります。神はこう仰っています:
「実に偽信者らは、地獄の最下層にある。」(クルアーン 4:145)
地獄の階層は低ければ低いほど、その暑さも激しいものとなります。偽信者たちは最悪の懲罰を受けることになることから、地獄の最下層に留まることになるのです。
神は地獄の階層に関し、クルアーンの中でこう仰っています:
「全ての者には、行ったことに応じて段階があろう。」(クルアーン6:132)
「神のご満悦を追及する者は、神のお怒りを受ける者と同様であろうか?その住まいは地獄なのである。何と悲惨な行き先であることか!彼らは神の御許で、様々な段階にある。神は彼らの為すことを全てご覧になられるのだ。」(クルアーン3:162−163)
地獄の門
神はクルアーンの中で、地獄の七つの門について言及されています:
「そして実に地獄は、彼ら全てに約束された場所である。そこには七つの門があり、その各々に罪人たちの一団が割り当てられるのだ。」(クルアーン15:43−44)
各門には、そこから地獄に入る人々の一定の割り当てがあります。各々は自らの行為に応じた入り方をし、かつそれに応じた地獄の階層を割り当てられます。不信仰者が地獄にまで連れて来られる時、その門は開きます。そして彼らはそこに入り、その中に永遠に留まるのです:
「そして不信仰者たちは一団となって地獄へと導かれる。そしてそこに到着するとその門々が開かれ、その番人は彼らにこう言う:“一体あなた方の内の者から、あなた方に主のみしるしを読み聞かせ、この日の到来を警告する使徒たちは遣わされなかったのか?”すると(彼らは)言う:“確かに来ました。”しかし(この日)不信仰者たちに対しての懲罰は既に確定したのである。(彼らには)こう言われる:“地獄の門々から入るのだ。あなた方はそこに永遠に留まる。(真理から)傲岸であった者たちの住処の、何と忌まわしいことであろうか?”」(クルアーン 39:71-72)
そしてそこへ入る許可が出された後、彼らにはこう言われるのです:
「地獄の門々から入るのだ。あなた方はそこに永遠に留まる。(真理から)傲岸であった者たちの住処の、何と忌まわしいことであろうか?」(クルアーン39:72)
その後、地獄の各門は閉じられます。そして神がこう仰られるように、そこから逃亡する希望は断たれるのです:
「しかしわれら(神)のみしるしを拒絶する者は、左手の輩。彼らの周囲は、炎で塞がれている(つまり、各門は閉じられている)。」[7](クルアーン 90:19−20)
更に、神はクルアーンの中でこう仰ります:
「蔑み、嘲笑う全ての者に災いあれ。財を集め、それを数え上げる(ことに熱中する)者。彼はその財産が、自らを永遠にすると思い込んでいる。いや、決してそうではない。彼らは全てを焼き尽くす炎の中に投げ入れられよう。そして全てを焼き尽くす炎とは何か?燃え上がる神の炎である。(地獄は)彼らを閉じ込めて塞がっている。伸びた鉄の針々によって(門が塞がれているのだ)。」(クルアーン104:1−9)
尚地獄の各門は、審判の日以前にも閉じられていることがあります。イスラームの預言者ムハンマドは、それらがラマダーン月の間には閉じられていると伝えています。[8]
その燃料
石や頑迷な不信仰者らが、地獄の燃料となります。神はこう仰っています:
「信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の業火(へと招くような事柄)から守るのだ。その燃料は人間と石であり…」(クルアーン66:6)
「…そして地獄を恐れよ。その燃料は人間と石であり、不信仰者たちのために用意されている。」(クルアーン2:24)
また、神を差し置いて崇拝されていた多神教の崇拝物もまた、地獄の燃料の一つとなります:
「あなた方と、あなた方がアッラーを差し置いて拝していたものは、地獄の業火の燃料となるのだ。あなた方はそこに入ることになろう。もしそれらが(真の)神々であったなら、それらはそこに入ったりはしなかっただろう。しかしあなた方は皆、そこに永遠に留まるのである。」(クルアーン21:98−99)
その住人の衣服
神は、地獄の住人の衣服が炎で仕立てられたものとなることを、仰られています:
「…しかし不信仰者たちは(地獄の)炎から出来た衣服を着せられ、その頭上から煮えくり返る熱湯を注がれる。」(クルアーン22:19)
「そしてあなた方は罪深い者たちがその日、(鎖や枷で)がんじがらめにされているのを見るであろう。タールの衣服をまとわされ、彼らの顔を炎が覆う。」(クルアーン 14:49−50)
地獄の描写(パート3/5):地獄の飲食物
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- 掲載日時 19 Apr 2010
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その灼熱
神は仰られます:
「そして左側の徒。左側の徒とは何であるか?(彼らは)熱風と煮えたぎる熱湯の中にある。(そしてそこから立ち上る)黒煙の蔭に。そこには涼しさも益もない。」(クルアーン56:41−44)
空気や水、影など、この世で人々が涼をとるために利用するいかなるものも、地獄では無益です。地獄の空気は熱風となり、その水は沸騰しています。また影はあっても、快適でも涼しくもありません。地獄における影は、クルアーンの一節で言及されているように、黒い煙の影なのです:
「(そして彼らは、そこから立ち上る)黒煙の蔭に。」(クルアーン56: 43)
またクルアーンの別の箇所において、神はこう仰られています:
「そして(善行)の秤が(悪行のそれより)軽ければ、彼の住処は奈落である。そしてそれ(奈落)とは何であるか?燃え盛る業火である。」(クルアーン101:6−11)
神は、地獄の炎の上に昇る煙の影がいかなるものかを、描写しています。地獄から昇る煙は三本に別れ、その影は涼しくもなければ、猛威を振るう炎から守ってくれもしません。また飛び散る火花は巨大な城のようであり、それはあたかも並んで行進する黄色いラクダのようです:
「不信仰者たちよ、(地獄の炎から)立ち上り、三本に分岐する煙のもとへと行くのだ。そこには(暑さから身を守る)陰もなく、炎から身を守るすべもない。それはあたかも砦のよう(に大き)な火花を散らす。それは(迅速に走る)黒ラクダのようである。」(クルアーン77:30−33)
地獄の炎は全てを飲み尽くし、何一つとして手つかずの状態にはしておきません。それは皮膚を焼き尽くして骨にまで至り、胃の中にある物を溶かします。また心臓にまで達し、生命維持に必要な内蔵器官を露わにします。神は、その炎の強さと影響について、こう仰ります:
「われ(神)は彼(不信仰者)を灼熱の大火に放り込もう。そして灼熱の大火とは何か?(それは)彼らを生かしたままにもしておかなければ、一思いに殺してもくれない。(それは)人類を(様々な懲罰によって見るも無残な形に)変えてしまう。」(クルアーン74:26−29)
また預言者ムハンマドは、こう言っています:
「私たちの知っている火は、地獄のそれの70分の1にしか相当しない。」そこで誰かがこう言いました:「神の使徒よ、それ(現世の火の熱さ)だけでも十分なものです!」そこで彼は言いました:「地獄の炎は、私たちの知っている火に、更にそれと同様の69の部分が加えられたようなものなのだ。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)
また地獄の炎は、決して消滅しません:
「ゆえに(あなた方の悪行の結果を)味わえ。われら(神)があなた方に増幅してやるのは、懲罰のみなのだ。」(クルアーン78:30)
「…それ(地獄の炎)が弱まる度、われらは彼らのために烈火を加えよう。」(クルアーン17:97)
そして懲罰は決して和らぐことなく、不信仰者は休憩をとることなども出来ません:
「…彼らの懲罰が和らぐこともなければ、彼らが救助されることもない。」(クルアーン2:86)
地獄の住人の食事
地獄の住人の食事は、クルアーンの中に描写されています。神はこう仰います:
「彼らには棘々で醜悪な木々しか食べ物がない。それは彼らの滋養にもならなければ、彼らの飢えを満たしてくれることもない。」(クルアーン88:6−7)
地獄の食物は、滋養もなく、美味しくもありません。それは、地獄の住人への罰として用いられるだけなのです。またクルアーンの別の箇所では、神はザックーム(地獄特有の食物)の木について言及しています。ザックームは不快感を催させる木で、その根は地獄の奥底にまで広く伸び広がっています。また、その醜い果実は、あたかも悪魔の頭部のようです。神は以下のように仰っています:
「実にザックームの木は罪深い者の食べ物。(それは)腹の中で煮えたぎる、溶けた鉛のようである。(それは)まるで熱湯のたぎりのよう。」(クルアーン44:43−46)
「一体それ(天国のこと)こそがよき糧であるのか、それともザックームの木なのか?実にわれら(神)はそれを(真理に対する)不正者たちへの試練とした。それは地獄の業火の底から伸び出ている。その実の房は、あたかも悪魔の頭部のよう。彼らはそれを食べ、腹を満杯にする。そしてその上に熱湯を飲まされる。そしてそれからまた業火の中へと戻らされるのである。」(クルアーン37:62−68)
「そして(真理から)迷い去ったあなた方よ。(あなた方は)ザックームの木から食べ、それでもって腹を満たす。そしてその上に、熱湯を飲むのだ。(あなた方はそれを、)喉を渇かせたラクダの如く飲む。これこそは、報いの日における彼らへの歓待である。」(クルアーン56:51−56)
地獄の住人は、ザックームの不愉快な木から食べなくてはならないほどの空腹に襲われます。そして彼らがそれで腹を満たすやいなや、それはこの上ない苦痛を引き起こさせる煮えたぎった油のように、むかむかし始めます。その時、彼らは最高潮に沸騰した水を飲もうと急ぎます。そして彼らはそれを喉の渇いたラクダのように飲みますが、それが喉の渇きを癒してくれることは決してありません。むしろそうすることによって、彼らの内臓は散り散りになってしまうのです。神は仰ってます:
「そして(彼らは)熱湯を飲まされ、そのはらわたは散り散りになる。」(クルアーン47:15)
また棘々の潅木とザックームが彼らの喉につかえ、窒息させます:
「実にわれら(神)にこそ、(地獄の民を)縛り付けるものと業火はある。そして棘々のザックームの木と、痛烈な懲罰が。」(クルアーン73:12−13)
イスラームの使徒、ムハンマドはこう言っています:
「もしこの世界の地に一滴でもザックームが垂れたのなら、地上の人間とその全ての糧は腐敗してしまうであろう。では一体、それを食しなければならない者にとっては、それはいかなるものであろうか?」(スナン・アッ=ティルミズィー収録の伝承)
地獄の住人に提供されるもう一つの食物は、彼ら自身の皮膚から流れ出る膿と、現世において姦通していた者の陰部から分泌される液体、そして腐敗した皮膚と、そこで焼かれる人々の肉です。それらは、地獄の住人の「ジュース」なのです。神はこう仰っています:
「そしてその日、彼らには(彼らを益したり、あるいはとりなしてくれる)親しき者もない。食べ物といえば(地獄の民の体から流れ出る)膿しかない。それは罪深い者たちだけが食することになるものである。」(クルアーン69:35−37)
「そしてここには熱湯と膿。彼らにそれを飲ませよ。またこれらの他にも様々な種類の懲罰が待ち受けているのだ。」(クルアーン38:55−58)
最後に、ある種の罪人は懲罰の一環として、地獄の炎を食べさせられます。神はこう仰いました:
「実に孤児らの財を不正にむさぼる者たちは、炎を食べてそれを腹の中に詰め込んでいるのである。そして彼らは地獄の烈火の中に入ることになるのだ。」(クルアーン4:10)
「神が下された啓典を隠蔽し、それを僅かな代価で売る者たちは、炎を食べてそれを腹の中に詰め込んでいるのである。」(クルアーン2:174)
地獄の飲み物
神はクルアーンの中で、地獄の住人の飲み物についても教示しています:
「そして(彼らは)熱湯を飲まされ、そのはらわたは散り散りになる。」(クルアーン47:15)
「…そして彼らがその灼熱から助けを求めても、顔を焼き焦がす溶けた鉛のような水しか与えられない。(それは)何と忌まわしい飲み物、何と悪い居所であろうか。」(クルアーン18:29)
「そしてその後(彼らには)地獄の業火が待ち受けており、膿の水を飲まされることになるのだ。彼らはそれを飲まされるが、それはなかなか喉を通りにくい。そしてあらゆる方向から死に値するような懲罰がやって来るが、彼らはいっそのこと死んで(それらの苦しみから逃れて)しまうことも出来ない。そしてその他にも更に厳しい懲罰が待ち受けているのだ。」(クルアーン14:16−17)
「そこでは涼も飲み物も得られない。(その代わりに与えられる)熱湯と、体から出る膿の他は。」(クルアーン78:24−25)
地獄の住人が口にする飲み物の種類は、以下の通りです:
·最高潮に煮立った熱湯。神は仰っています:
「彼らはそれ(地獄の炎)と(最高潮にまで)沸騰した熱湯の間を周回する。」(クルアーン55:44)
「彼らは、煮えたぎる泉からの飲み物を与えられる。」(クルアーン 88:5)
·不信仰者たちの肉と皮膚から流れ出る膿。預言者ムハンマドは、こう言っています:
「酩酊物質を摂取する者は皆、ハバルの泥を飲ませられます。」人々は尋ねました:「神の使徒よ、ハバルの泥とは、何ですか?」彼は言った:「地獄の住人の汗である。」あるいはこう言った:「地獄の住人の体液である。」(サヒーフ・ムスリム収録の伝承)
·煮えたぎった油のような飲み物。預言者はそれをこう描写しています:
「それは煮えたぎる油のようなものである。それが人の顔に近づけられただけで、顔の皮膚はその中に溶け落ちるのだ。」(ムスナド・アフマドと、スナン・アッ=ティルミズィー収録の伝承)
地獄の描写(パート4/5):地獄の恐怖1
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 26 Apr 2010
- 編集日時 26 Apr 2010
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地獄の炎は余りに強烈ゆえ、そこに入れられた人々はそこから脱出するためなら、自分たちにとって最も大事な所有物さえも放棄しようとします:
「実に、信仰に入らず、不信仰のまま死ぬ者は、たとえ大地一杯の黄金でもってそれ(懲罰)を償おうとしても、受け入れてはもらえない。彼らには痛ましい懲罰があり、またいかなる援助者もいないのだ。」(クルアーン 3:91)
またイスラームの使徒ムハンマドは、こう言っています:
「現世において最高の享楽を見出していた地獄の住人の一人が、復活の日に連れて来られ、地獄の炎の中に入れられる。そしてその者は、こう尋ねられる:“アダムの子よ、あなたは(生前)何か良いものを目にしていたことがあったか?享楽を楽しんでいたことがあったのか?”そして彼はこう言うだろう:“いいえ、神にかけて、わが主よ。”」[1]
地獄におけるたった一時は、人間に現世で送っていた全ての良い時間を忘却させてしまいます。イスラームの使徒は、私たちにこうも言っています:
「復活の日、神は、最も弱い炎でもって罰されている者にこうお尋ねになる:“もしあなたが地上で欲する全てのものを有していたら、自分自身を救うためにそれを手放すか?”彼は答えます:“ええ。”すると、神はこう仰られる:“われは、あなたがまだアダムの腰の中にあった時に、それより遥かに容易なことをあなたに命じていたのである。われはあなたに、われと共にいかなるものも並べて崇拝しないよう命じた。しかしあなたは、われと共に別のものを並べて崇拝することに固執し続けたのだ。”」[2]
地獄の炎の恐ろしさと強烈さは、そこに入った者の理性を失わせるに十分なものです。彼はそこから脱出するためなら、彼が大事にしているいかなるものをも放棄するでしょうが、そうすることは叶いません。神はこう仰っています:
「罪人は、そうすることで自分自身を救えるのならば、その子息でもって、また妻や兄弟でもって、そして彼をかくまってくれる近親の者や、果ては地上のもの全てでもって、その日の懲罰を償いたい、と願うであろう。いや、決してそのようなことは出来ない。それこそは顔と手足の皮膚を焼け焦がす、燃え立つ炎である。」(クルアーン 70:11−16)
地獄の罰は、その程度において多様です。ある種のレベルの地獄における苦痛は、他のそれより甚大なのです。人々は、その行為に応じたレベルの地獄に入れられます。イスラームの使徒は、以下のように述べています:
「地獄の炎がその足首にまで達する者もいれば、それが膝にまで達する者もいる。また腰にまで達する者もいれば、それが首にまで至る者もいるのだ。」[3]
また預言者ムハンマドは、地獄における最も軽い懲罰について、こう語っています:
「復活の日に最も軽い懲罰に晒される地獄の住人は、くすぶる燃えさしを土踏まずの下に置かれ、そのせいで脳が沸き立っている者である。」[4]
そしてこの者は、彼以上の厳しい罰を受ける者などはいないと思うほどでしょう。しかし彼こそが、最も軽い懲罰を受ける者なのです。[5]
クルアーンの多くの節は、地獄の住人が受ける懲罰には様々なレベルがあることを伝えています:
「偽信者は、地獄の炎の最下層にある。」(クルアーン4:145)
「そしてアッラーは彼(モーゼ)を、彼らの策略による悪かそして審判の日には、(神が天使たちにこう命じられて言われる)“ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。”」(クルアーン 40: 46)
神によって点火される炎は、地獄の住人の皮膚を焼きます。そして皮膚は身体で最大の器官であり、焼かれる痛みを感じる知覚部位ですが、神は焼け上がった皮膚を、再び新しいものと交換します。こうしてまた皮膚は焼かれ、この工程は繰り返し継続するのです:
「われら(神)のみしるしを信じない者たちは、地獄に入れてやろう。彼らの皮膚が焼けただれる度、われらはそれを新しいものと交換する。それは彼らが懲罰を味わわんがためである。実に神は偉大で強力、公正なお方である。」(クルアーン4:56)
地獄には、溶解という別の懲罰もあります。非常なまでに熱された湯が彼らの頭にかけられ、それによって身体の内部までが溶解してしまうのです:
「…(不信仰者たちは)その頭上から熱湯を注がれる。そしてそれによって、腹の中も皮膚も溶け落ちてしまうのである。」(クルアーン 22:19−20)
使徒ムハンマドは、こう言っています:
「非常な熱湯が彼らの頭上に浴びせられ、それはそこから溶け込み、内臓を断ち切る。そしてそれらは押し出され、足から染み出してくる。全ては溶解し、その後また彼らは元通りの姿に戻るのだ。」[6]
地獄において神が罪人を辱める手段の一つに、審判の日に彼らが逆様に、盲目かつ聾唖の状態で蘇らされるということがあります。
「そして復活の日、われら(神)は彼ら(不信仰者たち)を逆様に、盲目で聾唖の状態で召集する。彼らの行き着く先は地獄の業火であり、それ(炎)が小康するたび、われらが更にまた盛り返すのだ。」(クルアーン17:97)
「そして悪事と共にやって来る者は、顔から真っ逆様に地獄の炎の中に放り込まれよう。(そして、こう言われるのだ:)“あなた方が、自分たちが行っていた以外のものでもって報われることなどあろうか?”」(クルアーン27:90)
「炎が彼らの顔を焼き、彼らの唇は縮み、歯を剥き出しにする。」(クルアーン23:104)
「その日彼らの顔は地獄の炎の中でひっくり返され、こう言う:“ああ、神と使徒に従っていればよかったのに!”」(クルアーン33: 66)
また不信仰者に対する別の痛ましい懲罰として、顔から地獄に引きずりこまれるということがあります。神はこう仰ります:
「罪深い者たちは迷妄と業火の中にある。その日彼らは地獄の業火に真っ逆様に引きずり落とされ、こう言われる:“大火の灼熱を味わうのだ。”」(クルアーン54:47−48)
彼らは鎖や枷に縛り付けられたまま、顔から引きずり込まれるのです:
「啓典とわれら(神)が使徒たちに携えさせて遣わしたところのものを嘘とする輩は、後に知るだろう。彼らの首には枷と鎖が付けられ、(それでもって)熱湯の中を引きずり回される。そしてそれから業火の中で焼かれるのだ。」(クルアーン40:70−72)
地獄の描写(パート5/5):地獄の恐怖2
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 03 May 2010
- 編集日時 03 May 2010
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神は地獄の住人の顔を、黒くされます:
「その日、(ある者たちの)顔は白くなり、また(別の者たちの)顔は黒くなる。そして顔が黒くなった者たちには、(こう言われる:)“あなた方は信仰の後に、それを拒否したのか?ゆえに、あなた方が拒否していたことゆえの懲罰を味わうがよい。”」(クルアーン 3:106)
そして彼らの顔は、まるで夜に覆われたかのようになります:
「悪行を行っていた者たちには、それと同様の悪の報いがあり、屈辱に覆われるであろう。彼らを神(の懲罰)から守ってくれる者はない。彼らの顔は、あたかも夜の断片に暗く覆われてしまっているかのようである。彼らは地獄の徒であり、そこに永遠に留まる。」(クルアーン10:27)
地獄の業火は不信仰者を全方面から包囲し、彼らの罪はまるでシーツのようにその全身を包み込んでいます:
「彼らには地獄の業火の中にその臥所がある。そしてその上には(彼らを覆う)炎の層…」(クルアーン 7:41)
「その日、彼らの頭上から、そして足元から(地獄の)懲罰が彼らを覆う。」(クルアーン29:55)
「…そして必ずや、地獄は不信仰者を包囲するであろう。」(クルアーン9:49)
地獄の炎は、心臓にまで至ります。火炎は巨大化した彼らの身体を貫き、その最深部にまで到達するのです:
「いや、決してそうではない。彼らは全てを焼き尽くす炎の中に投げ入れられよう。そして全てを焼き尽くす炎とは何か?燃え上がる神の炎である。それは心臓にまで届くのだ。(クルアーン104:4−7)
また預言者ムハンマドの伝承によれば、地獄の炎は内臓を切り裂きます:
「ある者は復活の日に連れて来られ、地獄の炎の中に放り込まれる。そして彼の内臓は炎の中に投げ出され、彼はまるで石臼を挽くロバのように、その中を無理やり歩き回される。地獄の住人たちは彼の周りに集まり、こう言う:“何某よ、一体どうしたというのだ?あなたは私たちに善行を勧め、悪行を禁じていたではないか?”彼は答える:“私はあなた方に善行を命じつつも、自分ではそれを行わなかった。そしてあなた方に悪行を禁じつつも、自分ではそれを行っていたのだ。”そして彼はまるで石臼を挽くロバのように、その中を無理やり歩き回されるのである。」[1]
神は地獄の鎖やくびき、足枷について描写されています。地獄の住人は鎖で縛られ、首に巻きつけられたくびきで引き摺られるのです:
「実にわれら(神)は不信仰者たちに、(彼らを縛り付ける)鎖と枷と業火を用意しておいた。」(クルアーン76:4)
「実にわれら(神)にこそ、(地獄の民を)縛り付けるものと業火はある。そして棘々の食べ物と、痛烈な懲罰が。」(クルアーン73:12−13)
「われら(神)は、不信仰に陥った者たちの首に枷を巻きつけよう。一体彼らが、彼ら自身が行っていた以外のものによって報われることなどあろうか?」(クルアーン34:33)
「彼らの首には枷と鎖が付けられ、(それでもって)熱湯の中を引きずり回される。」(クルアーン40:71)
「(天使たちよ、)彼を捕まえ、枷をつけよ。そして業火へと連れ行くのだ。それから70腕尺もの長さの鎖でもって縛り、彼を引きずり行くのだ。」(クルアーン 69:30−32)
また、不信仰者たちが神の仲介者、あるいは神へ近付けてくれるものと考えて神と共に拝していた全ての偽の神々は、彼らと共に地獄の中に放り込まれます。このことは彼らにとっての屈辱となり、また、それらの偽の神性にはいかなる力もないことの証明ともなります。
「あなた方と、あなた方が神を差し置いて拝していたものは、地獄の業火の燃料となるのだ。[2] あなた方はそこに入ることになろう。それらがもし(真の)神であったなら、そこに入ることはなかったであろう。しかしそれらは皆、その中に永遠に留まるのである。」(クルアーン21:98−99)
不信仰者は地獄を目の当たりにすると、深い悔恨の念に襲われます。しかしそのようなことは、何の益にもなりません:
「懲罰を目の当たりにした時、彼らは後悔の念を露わにする。そして彼らは公平に裁かれるのだ。彼らが不正を蒙ることはない。」(クルアーン 10:54)
また不信仰者はその灼熱を味わった時、死んでしまいたいと願うのです:
「そしてその中の窮屈な場所に、がんじがらめにして投げ入れられ、彼らはそこでいっそのこと破滅してしまうよう嘆願する。(そこで天使たちは言う:)“あなた方は今日一度きりの破滅を嘆願するのではない。それを何度も嘆願することになるのだ。”」(クルアーン 25:13−14)
彼らの絶叫は大きくなり、地獄から救われるべく神に呼びかけます:
「そして彼らは(地獄の懲罰の中で)叫び、言う:“われらが主よ、ここから出して下さい。きっと以前の私たちが行っていた悪行とは違う、正しい行いをしますから。”」(クルアーン 35:37)
そして彼らは、自らの頑迷な不信仰による罪と過ちを認識するのです:
「彼らは言う:“もし(彼らの言うことを)聞き、理解していたならば、私たちは燃え上がる炎の住人とはならなかったのに。”そして彼らは自分たちの罪を認める。(地獄の)炎の住人は、(神のご慈悲から)何と程遠いことか。」(クルアーン67:10−11)
しかしこうした彼らの祈りなどは、受け入れられません:
「彼らは言う:“われらが主よ、私たちは(現世において欲望や本能などの)自らの不幸に負けてしまったのです。私たちは迷い去った民でした。われらが主よ、私たちを(ここから)出して下さい。もし(現世に)戻ることが出来(それでもなお以前と同様でし)たら、その時は確かに、私たちは(真理に対する)不正者です。”(すると神は仰る:)“控えよ。そこに留まり、もうわれに話しかけるのではない。”」(クルアーン 23:106−108)
その後、彼らは地獄の番人に呼びかけ、神に執り成して懲罰を軽減してくれるよう、頼みます:
「そして地獄の民は地獄の番人たちに言う:“あなた方の主を呼んで、この日の懲罰を軽減させてくれ。”(地獄の番人たちは)言う:“(現世において)使徒たちは、明証を携えてあなた方のもとにやって来たのではなかったか?”(地獄の民は)言う:“ええ、確かに。”(地獄の番人たちは)言う:“それでは呼び続けよ。不信仰者たちの呼び声は何の益も成さないのであるから。”」(クルアーン 40:49−50)
そして彼らは苦痛を和らげるため、自分自身の破滅すら嘆願することになります:
「(地獄の民はこう)呼びかける:“マーリク(地獄の番人を務める天使)よ、あなたの主に頼んで一思いに私たちを殺してしまってくれ。”(マーリク)は言う:“いや。あなた方はそこに留まるのだ。”」(クルアーン 43:77)
しかし懲罰は絶対に軽減されず、永遠に続くことを知らされます:
「辛抱しようが、辛抱しまいが、あなた方にとっては同じである。あなた方はただ、あなた方のしていたことによる報いを受けるのだから。」(クルアーン52:16)
彼らはずっと泣き続けることになるのです:
「それゆえ彼らをしばし笑わせておき、彼らの行いへの報いとして(後に)沢山泣かせればいいのだ。」(クルアーン9:82)
彼らは涙が枯れるまで泣き続け、ついには血の涙を流します。その痕は、預言者ムハンマドによって次のように描写されています:
「地獄の住人は泣くことになり、そしてそれは彼らの涙が枯れるまで続く。それから彼らは血の涙を流すが、それによって彼らの顔にはあたかも水路が出来たかのようになる。もしそこに船を置いたのであれば、それは浮くであろう。」[3]
ご覧になられたように、イスラームの啓典では、地獄に入る人々の運命の顛末を明確かつ叙述的に物語ります。そしてこの明快さにより、誰であれ審判の日、そして来世の永久性を信じる者は、少なくともその中へ投げ込まれる内の一人になることを避けようと努力するはずなのです。そして神が人類のために授けられた真の宗教を真剣に探索することのみが、この運命を避けることの出来る最善かつ唯一の方法です。人は、ただ単にそれが生まれつきのものだったからといってある宗教を信奉するべきではありませんし、また宗教を一つの新世代ファッションとして捉えるべきでもありません。むしろ、人はこの世界と来たるべき人生についての真実を模索し、至高者から啓示された生き方と不変の信仰体系によって、二度と取り返しのつかない審判の日のために入念な準備をしておくべきなのです。
Footnotes:
[1] サヒーフ・アル=ブハーリー、サヒーフ・ムスリム収録の伝承。
[2] イブン・カスィールはそのクルアーン注釈書の中で、後の世代によって勝手に神とされてしまったある種の信心深い人々や預言者らは、ここで言う「地獄の業火の燃料」には含まれない、と説明しています。そこに放り込まれるのは、「神と共にその崇拝者たちによって崇拝されることに満足していた者たち」、そしてその崇拝者たち、及びその他の非生命体である偶像なのです。イエスのような人物に関しては、クルアーンはこう言っています:「われら(神)から既に善を賜っている者たちは、そこ(地獄)から遠ざけられよう。」(クルアーン 21:101)
[3] イブン・マージャ収録の伝承。
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