なぜ神は人類を創造したのか(3/4):崇拝の人生
- より Dr. ビラール・フィリップス
- 掲載日時 12 Jan 2015
- 編集日時 11 Jan 2015
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あらゆる行為は崇拝である
イスラームのシステムにおいては、人の一つ一つの行為を崇拝行為へと転換させることが出来ます。事実、神は信仰者たちが、人生そのものをかれへと捧げるよう命じています。神はクルアーンでこう述べます。
“(祈って)言ってやるがいい。「わたしの礼拝と奉仕、わたしの生と死は、万有の主、アッラーのためである。”(クルアーン6:162)
ただ、献身行為が神によって受け入れられるためには、その行為が次の2つの基本的条件を満たさなければなりません。
1.まず第1に、その行為が真摯に神のご満悦だけのためになされたものであり、他者による認知や称賛のためになされたものではないということ。また信仰者は、行為の最中、それが神および最終預言者(神の慈悲と祝福あれ)によって禁じられているものではないことを念頭に置きつつ、神を想念しなければなりません。
日常行為を崇拝行為に転換させることを容易にするため、神は最後の預言者に行為の前に唱える極めて単純な祈願の言葉を定めさせました。あらゆる状況において唱えることの出来るこの祈願の言葉とは、「ビスミッラー(神の御名において)」です。他にも様々な状況における、多くの祈願の言葉が定められています。たとえば、新調した衣服を着るとき、預言者はその追従者たちに対してこう言うよう教えています。
“神よ、あなたへ感謝します。あなたこそが私に衣服をお着せになる御方です。私はそれによる利益と、それによって得られた利益をあなたに求め、それによる害悪とそれによって得られた害悪からのご加護をあなたに求めます。”(アン=ナサーイー)
2.第2の条件とは、それがアラビア語で「スンナ」と呼ばれる預言者の慣行に倣ったものであるということ。全ての預言者たちは、追従者たちに自らの慣行に従うよう教えました。なぜなら彼ら預言者は神によって導かれていたからです。彼らが説いたのは神によって啓示された真理であり、彼らに従い真理を受け入れた者たちだけが楽園における永遠なる生命を手に入れることが出来るのです。預言者イエス(神の慈悲と祝福あれ)はヨハネの福音書の中で、以下のように述べたことが報告されています。
“わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。”
同様に、アブドッラー・ブン・マスウードは次の伝承を伝えています。
“ある日、預言者ムハンマドが地面の上に一本の線を引き、こう言いました。『これが神の道である。』それから彼は左右に数本の(分岐)線を足してこう言いました。『これらは(迷妄の)道であり、そのそれぞれには悪魔がいて、人々がかれに従うよう招いているのだ。』それから彼は次の章句を朗誦しました。『本当にこれはわれの正しい道である、それに従いなさい。(外の)道に従ってはならない。それらはかれの道からあなたがたを離れ去らせよう。このようにかれは命じられる。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。』」(アフマド)
このように、神への崇拝において唯一認められる方法が、預言者たちによる模範なのです。宗教的な諸事における新奇な行いは、神によって最悪の行為の一つとして見なされます。預言者ムハンマドは、次のように述べていることが伝えられています。
“あらゆる諸事のなかでも最悪のものとは、新奇な宗教的行為の導入であり、あらゆる新奇な宗教的行為は呪われ、迷妄させ、地獄の業火へとつながるのである。”(アン=ナサーイー)
新奇な宗教的行為の導入は禁じられており、神によって決して受け入れられない行為です。預言者の妻アーイシャによると、預言者はこのように述べたことが伝えられています。
“われわれの宗教とは関係のない、何らかの新奇なものを導入した者は、それを拒絶されるのである。”(サヒーフ・ブハーリー)
過去の預言者たちの教えが歪曲された根本的原因とは、新奇な宗教的行為の導入によるものであり、それは現代における数々の新興宗教の発展させたのです。新奇な宗教的行為の導入を避けるための一般規定として、神と真の預言者たちによって人類に対して明確に伝えられたもの以外、あらゆる種類の崇拝行為は禁じられます。
最善の被造物
同位者や子を持たぬ唯一無比なる神を信じ、(上記の原則に則った)善行を積む者たちは、被造物において最上位の等級を得ることとなります。つまり、人類は神の被造物において最も偉大なものではありませんが、そうなることの出来る可能性を有しているということです。最終啓示において、神はその事実について述べています。
“だが信仰して善行に勤しむ者たち、これらは、衆生の中最善の者である。”(クルアーン98:7)
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