アブラハムの物語(6/7):最大の犠牲
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 23 Jan 2012
- 編集日時 23 Jan 2012
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アブラハムによる息子の犠牲
アブラハムが彼の妻子をマッカに残し、神の加護の元に委ねて以来10年近くが過ぎました。2ヶ月間の旅の後、マッカに到着した彼は、街の変貌ぶりに驚きました。しかし家族との再会の喜びは、彼の信仰を試す究極の試練によって直ぐに冷めてしまいます。彼は夢を通して、10年ぶりに再会した息子を犠牲に捧げるよう、神によって命じられたのです。
私たちはクルアーンから、犠牲に捧げるよう命じられた息子がイシュマエルであったことを知ります。神はアブラハムとサライにイサクの誕生についての吉報を伝える際、同時に二人の孫であるヤコブ(イスラエル)についても知らせたからです。
“…われらは彼女にイサクのこと、イサクの後、ヤコブの(産れる)吉報を伝えた。”(クルアーン11:71)
同様に、バイブルの創世記17:19においても、アブラハムは次のような約束をされています。
“あなたの妻サライがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。”
神はサライに、アブラハムとの子孫を与えると約束しました。その神がアブラハムにイサクを犠牲に捧げるよう命じるということは、論理的にも実質的にも不可能です。なぜなら神は約束を反故にするようなことはもちろん、「混乱の著者」などでもないからです。
創世記22:2においては、犠牲として捧げられる子供がイサクであると明記されていますが、その他のバイブルの場面から見れば、それが改変であることが明確であるため、実際に犠牲が命じられたのはイシュマエルであることが分かっているのです。
「あなたの唯一の子」
創世記22章の節々では、神はアブラハムに唯一の子を犠牲に捧げるよう命じます。イスラーム、ユダヤ教、キリスト教の全ての学者たちは、イシュマエルがイサクの前に誕生したということに合意しています。このことからも、イサクがアブラハムの唯一の子と呼ばれるのは相応しくありません。
ユダヤ・キリスト教の学者間では、イシュマエルが妾の子供であるため、正当な子ではないという議論があることは事実です。しかし既述されたように、不妊の妻が夫の子孫を残すことの出来るよう、夫に妾を与えることは、ユダヤ教においても正当かつ容認された慣習であり、妾の生んだ子供は父親の正妻1が認知し、実子として相続権を含む全ての権利を有するのです。更には、たとえそういった子供が「嫌われて」いたとしても、他の子供たちの倍の分配を受けることが出来ました2。
このことに加え、バイブルではサライ自身がハガルの子を正当な相続人とみなしたことが推論されています。アブラハムの子孫がナイル川とユーフラテス川の間(創世記15:18)の土地を満たす約束されていたことを知っていたサライは、その予言が実現されるためにハガルをアブラハムに差し出したのです。彼女はこう言っています。
“主は私に子供を授けてくださいません。どうぞ、私の女中のところに入ってください。私は彼女を通して、子供を得ることが出来るかもしれません。”(創世記16:2)
これはイサクの子ヤコブの妻だったレアとラケルの場合に相似しています。彼女らは子孫繁栄のために女中たちをヤコブに差し出したのです(創世記30:3、6,7,9−13)。生まれた子供たちはダン、ニフタル、ガド、アシェルと名付けられ、ヤコブの12人の息子たちのうちの4人に含まれ、古代イスラエルの12氏族の長、つまり正当な相続者3となったのです。
ここからも、サライはハガルに生まれた子がアブラハムに与えられた予言を実現する者となり、その子が自らに生まれたものであると見なしていたと理解することが出来ます。従って、こうした事実のみからも、イシュマエルが正当な相続者であることが証明されるのです。
神はバイブルで、イシュマエルがアブラハムの「種」であると言及しているため、神自身もイシュマエルを正当な相続者であるとみなされています。創世記21:13ではこう記されています。
“そしてあの端女の息子も一つの民族の父とする。彼もあなたの種であるからだ。”
犠牲として捧げられるのを命じられたのがイサクではなく、イシュマエルだったという証拠は他にも多々ありますが、この件については別の論考が必要となるでしょう。
アブラハムは、息子が神による命令を理解したかどうか確認するため、彼の意見を聞きます。
“それでわれらは、優しい思いやりのある男児を(授けるという)吉報を伝えた。(この子が)彼と共に働く年頃になった時、彼は言った。「息子よ、私はおまえを犠牲に捧げる夢を見た。さあ、おまえはどう考えるのか。」かれは(答えて)言った。「父よ、あなたが命じられたようにして下さい。もし神が御望みならば、私が耐え忍ぶことが御分りでしょう。」”(クルアーン37:101−102)
もし父親が、夢でお前を殺せとを命じられた、と子どもに告げ知らせたのであれば、その子から良い反応を期待するのは到底無理というものでしょう。通常はその夢の内容だけでなく、そのように発言する人の正気を疑うでしょうが、イシュマエルは彼の父の地位を知っていました。敬虔な父の敬虔な息子は、神への従順さにおいて献身的でした。アブラハムは犠牲の場へと息子を連れて行き、うつ伏せに寝かせました。これにより、神は彼らを最も美しい言葉で描写されました。服従の真髄を良く表したそれらの言葉は涙ぐましいものです。
“そこで彼ら両人は(命令に)服して、彼(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時。”(クルアーン37:103)
アブラハムの刃物が下りるその瞬間、声が彼を止めました。
“われらは告げた。「アブラハムよ。あなたは確かにあの夢を実践した。本当にわれらは、このように正しい行いをする者に報いる。これは明らかに試みであった。」”(クルアーン37:104−106)
それは実に、長きに渡って後継者を待ち望んだ末、老年になって遂に生まれた一人息子を犠牲にするという最も過酷な試練でした。アブラハムはあらゆる所有を犠牲に捧げることを厭いませんでした。それにより、神は彼を人類のリーダーとし、彼の子孫から諸預言者を選ぶという祝福を授けたのです。
“またアブラハムが、ある御言葉で主から試みられ、彼がそれを果たした時を思い起せ。「われはあなたを、人々の導師としよう。」と主は仰せられた。彼は「また私の子孫までもですか。」と申し上げた…”(クルアーン2:124)
イシュマエルの身代わりとして、羊が犠牲に捧げられました。
“…われらは大きな犠牲で彼を贖った。”(クルアーン37:107)
このような、服従の最たるものの体現が、ハッジの月におけるヤウム・アン=ナフル(犠牲の日)、またはイード・アル=アドハー(犠牲祭)において、毎年数億人ものムスリムたちによって執り行なわれているのです。
アブラハムがパレスチナに戻る際、天使たちが彼を訪れ、イサクの誕生の知らせを受けます。
“かれらは言った。「恐れることはない。わたしたちは利口な1人の息子が授る吉報を、あなたに齎したのだ。」”(クルアーン15:53)
彼がロトの民が破滅されたことについても知らされたのは、この時のことです。
Footnotes:
1 Pilegesh. Emil G. Hirsch and Schulim Ochser. The Jewish Encyclopedia. (http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=313&letter=P).
2 Deuteronomy 21:15-17. See also: Primogeniture. Emil G. Hirsch and I. M. Casanowicz. The Jewish Encyclopedia. (http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=527&letter=P).
3 Jacob. Emil G. Hirsch, M. Seligsohn, Solomon Schechter and Julius H. Greenstone. The Jewish Encyclopedia. (http://www.jewishencyclopedia.com/view.jsp?artid=19&letter=J).
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