ターリク・プレストン 米国出身の元キリスト教徒
説明: 米国人の医学生によるイスラーム改宗記。
- より ターリク・プレストン
- 掲載日時 21 Sep 2015
- 編集日時 21 Sep 2015
- プリント数: 10
- 観覧数: 5,173 (日平均: 2)
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
私の名はターリク・プレストンです。私は1988年に19歳でイスラームに改宗しました。
私の改宗記は長いものではありませんし、多くの面では私の改宗後、いかにアッラー(神)が私を導き続けてくれているかという逸話の方が喚起を促すものだと思います。
いずれにせよ、私の自己紹介からこの改宗記を始めようと思います。私は生まれた時からターリクと名付けられました。60年代から80年代にかけて、米国人がアフリカ人の名前を付けることはそれほど珍しいことではありませんでした。そして彼らが付けたアフリカの名前の多くはイスラームの名前であり、私のケースもそれに当てはまります。
私は改宗前の人生を通して、ターリクという名前を持つ他人と会ったり、私の名前の意味の重要性を知る人から、こう問われたりしました。「君の名前がどういう意味が知っているかい?」私はその意味を教えられていたので、誇らしく答えたものです。「『光り輝く星』という意味だよ。」
そして時には、西暦711年にスペインを征服した有名な人物、ターリク・ブン・ズィヤードの逸話を付け加えたものでした。
皮肉なことに、私は自分の名前の重要な事実について知っていながら、後に大学生になるまでイスラーム的な意義を知りませんでした。
私は16歳で大学に入学し、当時は医師になろうと医学部進学課程/生物学を専攻しました。そうした重大な責任を持つには、人生において従うべき良い規範が必要だと気付きました。
大学1年のときにバイブルを読んではみたものの、キリスト教は不可解なものでした。
細胞生物学の驚くべき複雑さを学んでいた際、私とクラスメートの何人かが創造主への信仰、一部の科学者たちが推測するように生命の起源が偶然による発生ではないということを再確認しました。
春休みの間、私はとても親しかった祖母と神学的な議論をしました。彼女がキリスト教徒でありながら発した次の言葉に、私は注目しました。
「私は神を崇拝するのであり、イエスを崇拝しているのではありません。なぜなら神を崇拝する方が安心感を感じるからよ。」彼女はイエスの名において祈るのではなく、神のみへ祈りを捧げるよう忠言したのです。
その会話の後に大学へ戻った際、私は教えられていたように、毎晩寝る前に祈りを捧げ続けました。ただしイエスの名においてではなく、神のみへと直接祈るようになったのです。
その決断をした後は、ベッドで寝ながら祈ることに罪の意識を感じ始めました。なので、ベッドの横でひざまずいて祈るようにすると、多少心が安らぎました。
依然として人生における導きを探していた私は、ある日大学のキャンパスで歩きながら神への導きを求めました。
大学2年のとき、イスラームに改宗した同級生が、私がキャンパス内で歩いているのを見つけ「アッサラーム・アライクム(あなたに平安がありますよう)」と挨拶してきました。1970年代にシカゴで育った私はその挨拶を何度も耳にしていたので、「ワアライクムッサラーム!」と返事しました。
すると彼は私がムスリムなのかどうか尋ねてきたので、「いや、ユナイテッド・メソジストだ」と答えました。彼は言いました。「あ!君の名前はターリクなので、ムスリムだと思ったよ!」
その出会いからそう経たないうちに、私がクラスメートの何人かと一緒に参加していた学習会に彼が訪れ、私たちにイスラームについて紹介し始めました。彼はとても若く、彼自身イスラームに改宗して間もなかったため、彼はあまりイスラームについての知識はありませんでした。それでも、彼はマリアの子であるイエスの崇拝の危険性について警告しました。
もちろん、そうした主張は聞いたことのあるものでしたし、私はイスラームについて殆ど知らなかったものの、友人は改宗後に非常に特徴的な装いと振る舞いをするようになったため、ムスリムの外見がどのようなものかを学ぶことができました。
その年の夏休みに実家に帰ったとき、私はテレマーケティングのアルバイトをし、そこでアフマドというムスリムに会いました。彼はプエルトルコ人の改宗者であったにも関わらず、大学にいた友人と同じ特徴的な装いと振る舞いをしていたため、こう彼に尋ねました。「あなたはムスリムですか?」
彼は微笑んで言いました。「そうだよ、ターリク。君は?」
私は答えました。「いえ、私はユナイテッド・メソジストです。」
彼は苦笑いをして言いました。「ターリクという名前を持っているなら、ムスリムであるべきだよ。」
彼は私にタウヒード(神の唯一性)について話し始めました。私はイスラームにおける一神論に心を打たれました。
やがて私は彼の自宅に招かれ、クルアーンの英訳を見せてもらいました。彼がその本に対して見せた敬意にとても感銘した私は、それを読むために貸してくれるよう頼みました。彼はそのクルアーン一冊しか持っていなかったため、しぶしぶ承諾しながらも、その本には敬意を払い、家の中の一番良い場所に保管するよう厳しく指示しました。
私はそれを読むのが待ちきれませんでした。
2週間後、私はアフマドを自宅に招き、彼とイスラームについて会話しました。私は自分がクルアーンの真実性を信じていること、そしてムスリムになりたいということを彼に告げました。
その翌日、私たちは一緒にワシントンDCのイスラミック・センターへ行き、改宗式を執り行いました。
改宗から数年後、アッラーは私にマディーナ・イスラーム大学への留学という祝福をお与えになり、そこで私はアラビア語の準学士号とハディース学の学士号を得ることができました。
私のイスラーム改宗記が、他の人達にとってもイスラームに改宗する良いきっかけとなってくれることを願っています。また、私の改宗記によって同胞の兄弟姉妹たちが、イスラームの真のメッセージを言葉と行いによって周囲の人達と共有してくれることも願っています。
コメントを付ける