モリー・カールソン 米国出身の元キリスト教徒(下)

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説明: 彼女は最終的に、イスラームがずっと前から自分自身の一部であったと感じるようになります。

  • より モリー・カールソン
  • 掲載日時 13 Apr 2015
  • 編集日時 13 Apr 2015
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私がイスラームについて調べ始めたのは、2001年の9・11事件直後でした。当時は大学に入学したてで、18歳でした。

それ以前、サウジアラビア出身の女性と一緒に働いたことがあります。また顔をベールで覆い隠したパキスタン人少女の家庭教師をしたこともありますし、パレスチナ人男性の友人もいました。程度の差はあれ、信仰に関係なくすべてのムスリムに愛着を抱いていました。

私が家庭教師をした女の子とは、それ以来地球上で最も仲の良い友人となり、いつも彼女の文化のことについて話しました。しかし、9・11の後はイスラームと彼女の信仰についてより詳しく質問するようになりました。

私はそれらムスリムの人々を知っており、そこには一人もテロリストや原理主義者などいませんでした。そして彼らはその宗教に帰属しているという理由だけで相当な数の憎悪にさらされていました。事件直後の数ヶ月は特にそれが顕著でした。

私は自分の家族や友達に対して憎悪について忠言するため、より多くの知識を得ようとしました。人は理解しないものに対して恐怖するものだからです。

私はパキスタン人の友人からアバーヤとヒジャーブを借り、それらを着けたときにどのような対応をされるのか自分の目で確かめるため、それを学校と職場に着て行ったりもしました。それらを着てさえいなければ一般的なアメリカ人女性として扱われたのです。

その差は極めて顕著でした。それはあからさまに辛辣で、ある場面で私は泣きだしてしまったほどです。私の友人への敬意は増し、当時からそれは少しも変わりません。彼女は私のヒーローでしたし、今でもそうなのです。

彼女、そして私と同じような環境で育った改宗者の男性である別の親友は、私にとって最も大きな影響を与えました。

その改宗者の友人とは、イスラームについて何時間でも会話できました。なぜ改宗したのかや、いかに改宗したのかに関して、またあらゆる情報を彼は惜しみなく共有してくれました。

彼は私が持っていたものと同じ疑問を持っていたため、それについての答えをくれました。彼がいなければ、私は今のようなムスリムになってはいなかったでしょう。その後の3年半に渡り、私のイスラームへの理解はゆっくりながらも着実に進んでいきました。

私はイスラームに対して敬意を抱いてはいましたが、実際に自分自身がムスリムになるというところまでは考えてはいませんでした。そして、それは私の人生で最も困難な決断でした。

ここから私が述べる部分は、時には語らずに伏せておくこともあるものです。なぜなら、私がムスリムになった理由のうちの1つとしては関連性がありますが、根本的な理由としては関係がないからです。読者に対しては正直にあるべきなので、これは重要なことです。

他のムスリムが私のヒジャーブを目にしたときにする質問は、「あなたはムスリムですか?」ですが、その後に来る2つ目の質問の99%が「ムスリム男性と結婚しているのですか?」なのです。そこには、私がムスリム男性との結婚をきっかけに改宗したのではないかという憶測が込められています。

それに対してはいつも「いいえ」と答えるのですが、ひとりの男性が関わっていなかったといえば嘘になります。改宗の過程における最終段階にはムスリム男性が関わっていたからです。彼のプライバシーと名誉のため、彼自身のことについての詳細は述べませんが、そのことについては明らかにしなければなりません。

それはなぜかというと、人々は既に結婚もしくは婚約している改宗者を目にすると、彼らはその異性のために改宗したと思うからです。私はそれが必ずしも当てはまるのではないということを明確にしたいのです。

もしも私が彼のために改宗したのであれば、彼が結婚を申し込んできたとき、私は彼と結婚したでしょう。しかし私はそうしませんでした。そしてそれは人生において2番目に難しい決断でした。彼は私の目標ではなく、私にとっての扉だったのです。彼を通して私は人間として、そしてムスリムとしての人生の中で最も重要な人々と出会うことができました。

たとえば、オスマーン一家は躊躇することなく私を受け入れてくれました。彼らは私の男友達が私を連れてきたからといって非難の言葉を発したりはしませんでした。そのことについて、また他の多くの事柄について私は彼らを尊敬しています。彼らと出会った最初の夜、彼らの家族の間で、私はとても居心地よく過ごすことができましたし、私は既に彼らの一員として扱われていました。

おそらくアッラーは、オスマーン一家の父親に知識を授け、私を歓迎すべきことを知っていたのでしょう。読者の皆様には100%の確信を持って、もし私がオスマーン一家と出会わなければ、今のようなムスリム女性としての私はなかったでしょうし、イスラームに改宗すらしなかった可能性もあることを断言することができます。

バイ・ジーと彼の一家は、私にとっての一番のヒーローであり、最も愛すべき人々であり、最も大きな影響であり、最も偉大な教師たちです。私は彼らに対してあらゆる借りがあります。

彼らと出会った4ヶ月後の2005年3月初旬、自分が変わったことを実感した私は、彼らのリビングルームで、私をこよなく愛してくれる人々の前でシャハーダをしたのです。

「私は唯一なる真実の神以外に神はなく、ムハンマドが神の使徒であると証言します」という真理の証言をしたときの私の感情は、言葉に表すことなど決してできません。

あたかも内側から光り輝き、爆発して光の粒子になってしまうかのような感覚にとらわれました。神の手が私の内側から罪を取り除き、私をまっさらな状態にしてくれているような感じもしました。その時の究極の幸福感は、私の中で永久に生き続けることでしょう。なぜなら私はその瞬間、天国を垣間見たからです。

そのとき、すべてが変わったと悟ったのを覚えています。実際、すべてが変わったのです。私の人生を通して、私は今の自分のままでしたが、神の御意により、22年間でそれを実感することができるようになったのです。

あの日のあの決断以来、私はもう過去を振り返ったりはしません。過去の1年半では、これまでの22年間の人生よりも、さらなる意味とさらなる幸福を見出したため、自分の行いは後悔してはいません。

私は今の自分以外の誰にもなることはありません。そしてそれこそが、私の魂にとっての真の改宗なのです。

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