クルアーンの逸話(1/4):神の最終啓示
説明: クルアーンとは?
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 03 Jun 2013
- 編集日時 28 May 2018
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ムスリムは、クルアーンを神の最終啓示として信じています。それが文字通り神の言葉であり、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)へと長年に渡って啓示されたことを信じています。クルアーンは英知に溢れており、そこには神の驚異と栄光が満たされ、それはかれの慈悲と公正さを証言します。それは歴史書、逸話集、科学書ではありませんが、それらすべてを含有するものです。クルアーンは人類に対する神からの最大の贈り物です。それはいかなる書物にも比類することが出来ないものです。クルアーンの第2章、第2節で、神はクルアーンのことを「疑いの余地のない書物であり、主を畏れる者たちへの導きである」(クルアーン2:2)と述べています。
クルアーンは、イスラームの核心にあたるものです。それを信じることが求められます。クルアーンを完全に信じない者は、自分のことをムスリムと主張することは出来ません。
“使徒は、主から下されたものを信じる、信者たちもまた同じである。(かれらは)皆、アッラーと天使たち、諸啓典と使徒たちを信じる。わたしたちは、使徒たちの誰にも差別をつけない(と言う)。また、かれらは(祈って)言う。「わたしたちは、(教えを)聞き、服従します。主よ、あなたの御赦しを願います。(わたしたちの)帰り所はあなたの御許であります。」”(クルアーン2:285)
イスラームにはクルアーン、そしてクルアーンの解釈と拡張の役割を果す、預言者ムハンマドにまつわる真正の言行集という、二つの主な原典が存在します。
“(ムハンマドよ、)われがあなたに啓典(クルアーン)を下したのは、只かれらの争っていることに就いて解明するためであり、信仰する者に対する導きであり慈悲である。”(クルアーン16:64)
クルアーンは天使ガブリエルを介し、預言者ムハンマドに23年間に渡って下されました。
“(これは)われが分割(して啓示)したクルアーンであり、あなた(預言者)にゆっくりと人びとに読唱するために、必要に応じてこれを啓示した。”(クルアーン17:106)
預言者ムハンマドは、人類全体にクルアーンを伝達するよう神によって命じられ、その責務は重大なものでした。「別れの説教」においても、彼はその場にいた人々に対し、彼がその説教を行ったことを証言するよう求めました。
クルアーンは神の概念と、何が合法で何が非合法であるかについての詳細を述べ、礼節や倫理、そして崇拝の方法を説きます。また、諸預言者の逸話や、敬虔なる先人たちについて、また天国と地獄について語ります。クルアーンは人類全体に対して下されたものです。
クルアーン(神の言葉)が記された写本のことは、ムスハフと呼ばれます。クルアーンの内容と様式は2つとない独自のものであるため、翻訳することは出来ないとみなされます。それゆえ、翻訳本は意味の解釈であるとされます。
神が諸民族に預言者たちを遣わしたとき、神は彼ら各々がその時代と場所に見合った奇跡を行うことを可能としました。モーゼの時代においては魔術と魔法が蔓延していたため、モーゼの奇跡は彼らに対して影響力のあるものだったのです。ムハンマドの時代、アラブ人たちの大半は読み書きが出来ませんでしたが、修辞において卓越していました。彼らにとって、詩や韻文を作り出すことの出来る能力は、非常にもてはやされた美点だったのです。
預言者ムハンマドが神の言葉であるクルアーンを朗誦したとき、アラブ人たちはその崇高な格調と類まれな美しさに心を震わせました。クルアーンは神により、預言者ムハンマドが与えられた奇跡でした。ムハンマドは文盲だったため、アラブ人たちは彼がそのような雄弁な言葉を語ることは出来っこないだろうと見なしていましたが、それでも一部の人々はクルアーンが神の言葉であることを認めようとしませんでした。それゆえ神はクルアーンのなかで、それと類似するものを創ってみるよう挑戦されました。
“もしあなたがた(アラブの多神教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒)が、わがしもべ(ムハンマド)に下した啓示を疑うならば、それに類する1章でも作ってみなさい。もしあなたがたが正しければ、アッラー以外のあなたがたの証人を呼んでみなさい。”(クルアーン2:23)
もちろん、彼らにはそうすることが出来ませんでした。クルアーンの起源に疑問を呈した者たちとは対照的に、多くのアラブ人たちはその朗誦を耳にした後、イスラームに改宗しました。彼らはその崇高な美しさが、神以外から来るものではないと直ちに理解したのです。今日も、クルアーンの朗誦を耳にしたムスリムが感極まって涙するのを目にすることは珍しいことではありません。実際、アラビア語の一言も理解出来ない人々でさえ、クルアーンの特別な美しさに心を動かされるのです。
クルアーンが神の言葉であり、朗誦されるものであることを理解した後は、それが1400年以上に渡って全く手の加えられていないものであることを知ることも重要です。今日、エジプトのムスリムがその手にムスハフを取って朗誦をすると、遥か遠くのフィジー諸島のムスリムたちも、全く同じ文字を読み、同じ内容を朗誦しているのです。そこには寸分の違いも存在しません。フランス人の子供が初めて手にするムスハフからたどたどしく朗誦するものは、預言者ムハンマド自身によって彼の口から発せられた言葉と同じものなのです。
神はクルアーンのなかで、ご自身のお言葉をお守りになることを断言しています。“本当にわれこそは、その訓戒(クルアーン)を下し、必ずそれを(改変から)守護するのである。”(クルアーン15:9)これは、神がそれに対する上書きや修正が人の手によって加えられることから守ることを意味します1。それはあらゆる改変から守られており、誰かがクルアーンの意味を歪曲しようとするものなら、神はその虚構を人々の前にあらわにするのです2。ムスリムは、トーラーやイエスの福音などの、神による過去の啓示は古代に失われてしまったか、改変され歪曲されたものとみなすため、彼らにとっては神の言葉であるクルアーンが、完全に保護されたものであることを知ることは、安心感を与えるのです。
神は聖月ラマダーンに、天上から天使ガブリエルにクルアーンを下しました。この朗誦がいかに啓示され、世界中にクルアーンが広まったか、そしてそれがいかに100以上もの言語3に注釈書として翻訳されたかは、第2部で紹介されます。
クルアーンの逸話(2/4):守護された碑板から人類へ
説明: クルアーンが啓示後、いかに暗記され写本となったかについて。
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 10 Jun 2013
- 編集日時 11 Jun 2013
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“このようにわれは、わが命令によって、啓示(クルアーン)をあなたに下した。あなたは、啓典が何であるのか、また信仰がどんなものかを知らなかった。しかしわれは、これ(クルアーン)をわがしもべの中からわれの望む者を導く一条の光とした。(ムハンマドよ、)あなたは、それによって(人びとを)正しい道に導くのである。”(クルアーン42:52)
神の最後の使徒である預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)には、2段階に渡ってクルアーンが啓示されました。神の完璧な言葉は人類を暗闇の中から光へと導くために下されました。それは導きと慈悲なのです。クルアーンは被造物に対する、完全な神による完全な言葉です。イスラーム暦のラマダーン月における「みいつの夜」として知られる夜に、クルアーンは守護された碑板1から諸天の中の最下層へと下されました。その後、天から地上へと下されたのです。
啓示は、天使ガブリエルを介して預言者ムハンマドに届けられました2。預言者ムハンマドがおよそ40歳のとき、彼は物思いにふけるようになりました。彼がこよなく愛した妻のアーイシャによると3、彼は鮮明な夢を見るようになり、隠遁を好むようになりました。彼はヒラーの洞窟にこもり、唯一なる神を崇拝し、人生、宇宙、そして世界における自らの立ち位置について考え込みました。
あるラマダーンの夜、彼のもとに天使が現れ、彼に読むよう命じました。文盲だった預言者は、「私は読むことが出来ません」と答えました。すると天使は彼を無理やり掴み、耐え難いほどに彼の胸を押し付けました。天使は彼を放すと、再び彼に読むよう命じました。彼はまた「しかし私は読むことが出来ません」と答えました。ムハンマドが読むことが出来ないと伝える度に、天使は彼を無理やり掴み、そのやりとりが3度繰り返されると、天使はクルアーンの最初の言葉を伝えたのです。4
“読め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創られた。」読め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」”(クルアーン96:1−5)
ムハンマドが恐怖におののいたこの啓示の後、次に天使ガブリエルが現れたのは、彼が一人で歩いていた時でした。空から声が聞こえたため、彼が上を向くと、空と地上の間の椅子に天使が座っているのが見えました。ムハンマドは怖くなって駆け足で家に戻り、寝具の中に身を包みました。この時が第2の啓示でした。5
“(大衣に)包る者よ、立ち上って警告しなさい。”(クルアーン74:1−2)
その後23年間にわたり、預言者ムハンマドの死の直前まで、クルアーンは段階的に啓示されました。それにはいくつかの理由があるとされています。一部では、預言者ムハンマドの手助けとなるよう、問題が発生する度にゆっくり啓示が下された、というものです。
預言者の妻アーイシャは、預言者ムハンマドが神の啓示がどのように下されたのか尋ねられたときに、こう答えたと伝えています。「時に、それは鐘が鳴るようなものであり、その啓示がすべての中でも最も辛く、その状態が終わったとき、私は啓示された内容を把握する。また時には、天使が人の姿をして現れ、私に語りかけ、私は彼の言う事を把握する。」6イブン・アッバースは、預言者ムハンマドが啓示の際、「多大な困難の中、唇を小刻みに動かして」7それに耐えていたと述べています。クルアーンの言葉が啓示されると、預言者ムハンマドはその暗記に取り組んだといわれています。
暗記は重要視され、イスラームの初期においても広く実践されていました。預言者ムハンマドは教友たちがクルアーンの暗記をするよう求め、啓示が暗記によって保持されることを確実にさせるために様々な方法をとりました。預言者ムハンマドの伝記のなかでも最も初期のものの一つを編纂したイブン・イスハークによると、ムハンマドの後にクルアーンを公に朗誦した最初の人物はアブドッラー・ブン・マスウードで、そのために彼はひどい虐待を受けました。預言者ムハンマドに最も近い教友のアブー・バクルも、マッカの自宅の外でクルアーンを朗誦したことが知られています8。
クルアーンは預言者ムハンマドの生前に教友たちによって暗記され、その伝統はその後の世代によって受け継がれました。今日も、アラビア語を読めないムスリムたちでさえ、西暦7世紀にアラブ人たちが覚えていた同じ言葉を暗記しています。預言者ムハンマドを含む、アラブ人の大半は文盲でしたが、文章を読むことの出来る重要性はよく理解されています。
神の啓示を保持することは、最重要の案件でした。それゆえ、信頼と知識のある人々がクルアーンの言葉を記憶し、筆写しました。そこには、ムスリム国家の指導者としてムハンマドの後継者となった4人に加え、その後の世代におけるクルアーン保持の要となるザイド・ブン・サービトが含まれました。
筆写の媒体は入手困難だったため、当初は動物の皮、薄く色あせた石、骨、樹皮などにクルアーンが断片的に記されていました。教友たちは啓示された言葉を書き記して朗誦し、預言者ムハンマドは教友たちが間違って書き写していないよう、注意深く聞き取りました。クルアーンは預言者ムハンマドによる直接の監修の元、書き写されたと言うことが出来るでしょう。クルアーンは順序を追って啓示されたのではありませんでしたが、天使ガブリエルは預言者ムハンマドに対して、どのようにまとめられるべきか正しい順番を教えています。
Footnotes:
1 守護された碑版(アッ=ラウフ・アル=マハフーズ)とは、神によってすべての被造物の定めが書き記された書です。それは、創造以前から神と共にあったものです。
2 Suyuti’ in Al Itqan Fi Ulum Al Quran, Beirut, 1973, Vol. I pp. 39-40 based on three reports from 'Abdullah Ibn 'Abbas, in Hakim, Baihaqi and Nasa'i.
3 サヒーフ・ブハーリー
4 ここで啓示されたのは最初の啓示であり、最初の章ではありません。クルアーンの章は啓示の順番には並べられていません。
5 サヒーフ・ブハーリー
6 同上
7 同上
8 イブン・ヒシャーム
クルアーンの逸話(3/4):抜かりなく保持・守護された啓示
説明: いかに神の言葉が写本としてまとめられたか。
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 10 Jun 2013
- 編集日時 11 Jun 2013
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“本当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。”(クルアーン15:9)
神が人類全体の導きとして、その御言葉としてクルアーンを下されたとき、神はそれが保持されることを保証しました。それが保持された方法の一つとして、預言者ムハンマドの周囲の男女と子供たちが一文字一文字を慎重に暗記したことが挙げられます。イスラーム初期においては、暗記に重要性が置かれていましたが、読み書きをマスターした者たちは、クルアーンの言葉を入手可能な様々な媒体に書き留めることを始めました。彼らは平らな石、樹皮、骨、または動物の皮を使用しました。
神の言葉が天使ガブリエルを介して啓示されると、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は筆写官を呼び、その都度書き留めさせたと言われています。主要な筆写官はザイド・ブン・サービトという人物でした。多くの教友たちは、預言者ムハンマドがこういってザイドを呼んだことを伝えています。「彼に板とインク瓶、そして肩甲骨を持ってこさせなさい。」1預言者の生前、クルアーンは写本の形を取っていたのではなく、断片的な筆写物の集まりだったのです。
当時、クルアーンがまだ写本の形を取っていなかった理由の一つとしては、それが順序通りに啓示されなかったから、というものがあります。各章・節は23年間に渡り、初期のムスリム共同体の出来事に即時に対応するため断続的に啓示されることが多かったのです。しかしながら、預言者ムハンマドはクルアーンの各章の順番を認識していました。天使ガブリエルが神の言葉を啓示したとき、同時に各章・節がどこに属するのかも伝えていたからです。
クルアーンは、預言者ムハンマドによる直接の監督によって書き留められました。預言者ムハンマドに最も近かった教友の一人、ウスマーンはこのように述べています。「預言者ムハンマドに何かが啓示されたとき、彼は筆写官の中から誰かを呼び、こう言ったものです。『これらの節々を、これこれのことが言及された章に配置させなさい。』そして1節のみが啓示されたとき、彼はこう言いました。『この節をこの章に配置させなさい。』」2
それゆえ、預言者ムハンマドに死が訪れると、クルアーンの断片はムスリム共同体の中の信頼が置ける者たちによって保管されるようになりました。彼らの一部は、自分たちが学んでいたものの中の数ページ分しか保有していませんでしたが、筆写官などの一部は複数の章、またその他の一部は一節だけ記された樹皮や動物の皮を保有していました。
預言者ムハンマドの死後、ムスリム共同体の指導者として選ばれたアブー・バクルの時代、拡大した共同体には内部紛争がくすぶるようになりました。偽預言者が現れ、預言者ムハンマドなくして信仰を保てなかった人々は困惑し、背教したのです。内戦や小規模な戦闘が勃発し、クルアーンを暗記していた多くの者達が生命を落としました。
アブー・バクルはクルアーンが失われてしまうことを恐れたため、クルアーンを一冊の本としてまとめることを教友たちの中の長老たちと協議しました。彼はザイド・ブン・サービトにこの作業を監督するよう要請しました。当初、ザイドは預言者ムハンマドが明確に承認しなかったことに取り掛かることを躊躇しました。しかし、最終的にはクルアーンの断片を筆写・暗記の双方から収集し、ムスハフ(写本)としてまとめることに合意しました。預言者ムハンマドにまつわる伝承から、ザイド・ブン・サービトによるクルアーンの編纂がどのように行われたのかが分かります。3
「アル=ヤマーマの人々(偽預言者ムサイリマと戦った預言者の教友たち)が殺されたとき、アブー・バクルは私を召集しました。私が彼のもとを訪れると、そこにはウマル・ブン・アル=ハッターブが彼と共に座っていました。アブー・バクルは、私にこう言いました。『ウマルがここに来て、クルアーンを暗記していた者たちの犠牲者の数が多かったことを私に告げた。そして彼は、こう言ったのだ。“私は、もし戦場でより多くの犠牲者が出れば、クルアーンの大部分が失われてしまうことを恐れる。したがって、私はあなたがクルアーンを収集することを提案する。”
私はウマルに言った。“神の使徒が行いもしなかったことを、どうして私が出来るだろうか?”ウマルは言った。“神に誓って、これは善いことなのだ。”ウマルは、私が彼の提案を受け入れることに関して譲らなかった。そして、ついに神は私の心を広め、私はその提案が善いことであると認識し始めた。』そしてアブー・バクルは、(私に)言った。『あなたは賢明な若者だから、我々はあなたに疑念を抱いてはいない。あなたは神の使徒のために啓示を書き留めていた。だから、クルアーンの筆写物の断片を探し、それらを一冊の本としてまとめるのだ。』」
「神に誓って、もし彼らが私に山を動かせと命じたとしても、これ(クルアーンの編纂作業)より困難ではなかったであろう。私はアブー・バクルに言った。『神の使徒が行いもしなかったことを、どうして出来ますでしょうか?』アブー・バクルは答えた。『神に誓って、これは善いことなのだ。』アブー・バクルは、私がその提案を受け入れることに関して譲らなかった。それでついに神は、アブー・バクルとウマルの心を広げたように、私の心をも広げられた。それゆえ、私はクルアーンの書かれたものを探し始め、棗椰子の茎、薄く白い石、暗記している人々から、それらのすべてを収集したのだ。」
ザイドはクルアーンを全暗記しており、預言者ムハンマドによって最も信頼された筆写官でした。それゆえに、彼は自らの記憶を頼りにクルアーンのすべてを書き留めることも可能でしたが、彼はその方法だけには頼りませんでした。彼はクルアーンの編纂において非常に理路整然とした手法を取り、かつ慎重を期して、最低でも預言者ムハンマドの教友の2人からの確認を得るまでは、一節たりとも書き留めたりはしませんでした。
こうしてクルアーンは書き留められ、本の形としてまとめられました。それはアブー・バクルのもとに彼の死まで保管され、その後ウマル・ブン・アル=ハッターブのもとに渡り、ウマルの死後は彼の娘であるハフサのもとに渡りました。ムスリム国家の3代目指導者であるウスマーンの時代になると、クルアーンの写本であるムスハフが標準化されるようになりました。クルアーンはそれまで行われていたような、アラビア語の複数の方言によって記されなくなったのです。第4部では、ウスマーン版のムスハフがいかにしてもたらされたかについて述べられます。
クルアーンの逸話(4/4):過去と現在、そしてあらゆる時代
説明: 私たちが手にするクルアーン写本の起源について。
- より アーイシャ・
- 掲載日時 17 Jun 2013
- 編集日時 17 Jun 2013
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天使ガブリエルを介して預言者ムハンマドにクルアーンが啓示されたとき、それは7つのアラビア語方言によって下された1ため、教友たちが朗誦すると、時には発音に微妙な違いがありました。預言者ムハンマドの生前は、発音の相違における議論を彼自身が明確にし、解決させていました。
預言者ムハンマドにまつわる伝承として、ウマル・ブン・アル=ハッターブは、いかに預言者の周囲の人々がクルアーンの信頼性の保持を切望しており、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)が意見の相違を仲裁していたかについての逸話を伝えています。彼はこう述べています。
私はヒシャーム・ブン・ハキームが私とは異なる方法で朗誦していたのを耳にした。それゆえ、私は彼(の礼拝中)に抗議しようとしたほどだったが、彼が終えるまで待ち、彼を神の使徒へと連れて行き、こう言った。「私は、あなたが私に教えたのとは異なる方法で、彼が朗誦しているのを耳にしました。」預言者は私が彼を放すように言い、ヒシャームに朗誦するよう言った。彼が朗誦すると、神の使徒は言った。「啓示はこのように下されたのです。」それから彼は、私が同じ節を朗誦するよう言った。私が朗誦すると、彼は言った。「啓示はこのように下されたのです。クルアーンは7つの異なる朗誦法があるため、あなたにとって容易な方法で朗誦しなさい。」2
預言者ムハンマドの死後、数十万人もの非アラブ人がイスラームへと改宗しました。ウスマーン・ブン・アッファーンがイスラーム国家の指導者になった頃には、クルアーンが複数の発音や方言によって朗誦されるようになっていました。それについて新改宗者を始め、多くの人々は混乱するようになり、預言者ムハンマドの教友たちの一部はクルアーンの信頼性が損なわれることを恐れるようになりました。
預言者ムハンマドの教友の一人は旅路の中、イスラーム国家の中でも複数の朗誦法が混在していることに気付きました。彼はウスマーンに対し、クライシュ族の方言による朗誦法、そしてマディーナで使われていた方法で書き留められたものを公式版として制定するよう提言しました。アラビア語における方言はすべてのものがその美しさにおいて認知されていましたが、クライシュ族の方言は最も表現豊かかつ明瞭であったため、時が経つと共にクルアーンの方言として知られるようになったのです。
ウスマーン・ブン・アッファーンはクルアーンを暗記しており、その内容における深い知識とそれぞれの節に関わる背後関係や状況を把握していたため、彼はクルアーンの標準化における監督役として適していました。承知のように、クルアーンはアブー・バクルの時代に収集され、ウマル・ブン・アル=ハッターブの娘であり、預言者の妻でもあったハフサのもとに保管されていました。ウスマーンはハフサに依頼し、ムスハフの原本を入手しました。真正の伝承によると、この出来事は以下のように述べられています。
シリア・イラクの人々がアルメニア・アゼルバイジャンと戦争していた時、フザイファがウスマーンのもとを訪れた。彼は彼ら(シリアとイラクの人々)の朗誦法の相違について心配しており、ウスマーンにこう言った。「信仰者の長よ、ユダヤ教徒やキリスト教徒たちが彼らの啓典について論争をしたように、人々がクルアーンについて論争を始める前にこの共同体をお救い下さい。」それゆえ、ウスマーンはハフサにこう依頼した。「私たちが写本を作成することの出来るよう、原本をお送りください。原本はお返しします。」3
再び、ムスリム国家の指導者たち、そして預言者の教友の男女は神の言葉の保持に多大なる労力をつぎ込み、その教えに忠実に従いました。ウスマーンはザイド・ブン・サービトを含む、教友たちの中でも最も信頼のある者たちを集め、ムスハフの複製を作成することを命じてこう言いました。「あなたがたに異論が生じた場合、クライシュ族の方言で書き写しなさい。」4
写本の原本はハフサのもとに返却され、ウスマーンはその他すべての非公式の写本を焼却、または廃棄するよう命じました。こうして論争に終止符が打たれ、ムスリムたちは統一したのです。ウスマーン版ムスハフは現在、世界中の12億人のムスリムたちによって使用されています。クルアーンは世代を超えて保持されているのです。各ムスハフは、原本とは寸分の違いもありません。
“本当にわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護するのである。”(クルアーン15:9)
ウスマーンによって何冊の写本が作成されたのかは分かっていませんが、彼自身の写本を含まなければ、それらは5冊であると信じられており、マッカ、マディーナ、ダマスカス、クーファ、バスラにそれぞれ1冊ずつ送られています。初期イスラーム文学を通してそれらの写本が引用されており、トルコとウズベキスタンには今なおそれらが保管されています。
イスラーム世界の著名な冒険家イブン・バトゥータは、ウスマーンによって作成されたクルアーン写本を、14世紀のグラナダ、マラケシュ、バスラやその他の都市で見たと述べています。著名な学者イブン・カスィールは、ダマスカスとパレスチナに持ち込まれたクルアーン写本を見たことがあり、それが「それは非常に大きく、おそらくラクダの羊皮紙によって作成されており、墨の濃い、美しく明瞭な文体で書かれてあった」5と述べています。冒険家イブン・ジュバイルは、1184年にマディーナでウスマーン版の写本を見たと述べています。一部では、それが第一次世界大戦のときにトルコ人たちによって持ち去られるまでそこに留まったと言われています。ベルサイユ条約には、以下の箇条が含まれています。
第246条:現在の条約が施行される6ヶ月以内に、ドイツはヒジャーズ国王陛下に対し、トルコ権力によってマディーナから持ち去られ、ヴィルヘルム2世元皇帝に献上されたとされる、ウスマーン版のクルアーン写本原本を返還させる。6
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