預言者ムハンマドの婚姻(前編):人生のステージ
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 05 Mar 2012
- 編集日時 05 Mar 2012
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預言者ムハンマドは、特にアラビア半島、そして世界全体の様々な民族を一つの宗教のもとにまとめる任務を負った、政治的そして宗教的人物でした。世界がその例に従うべく、預言者ムハンマドの人生とその決断は、利益と英知にあふれたものだったのです。啓示が降りたときから、預言者は彼の創造主の直接の監督のもと、その生涯を生きました。それゆえに彼は、宗教と正しい人生を歩む上での過ちから守られていたのです。彼の全ての行動は、熱心に従われなければなりません。神は彼についてこう述べました。
「実に、あなたには高い基準の性格が備えられている。」
預言者はその任務に従順な人であり、彼の考えは他の普通の人とは違うものでした。これらの理由から、彼が人生において下した様々な決断について、その理由が深く掘り下げられなければなりません。その中には簡単に理解できるものもあれば、今の時代には少し奇妙に思われるものもあります。つまり、彼の人生を外見だけで判断しては、原因や証拠なしに間違った結論へと導かれてしまうかもしれないのです。
預言者の人生の様々な面において、よく勘違いされ、簡単に誤解されやすいものは、彼が多くの女性と婚姻したという事実です。このことに隠された英知を理解するためには、この決断が下された背景をよく理解しなければなりません。そうしなければ、この決断に関する正しい理解は得られないのです。
預言者の家庭生活から見た人生は、4つのステージに分けられます。
第一のステージ
彼の人生において、最初の25年間は禁欲的な独身生活でした。若い頃は普通、自己抑制がまだ育っていないために若年の欲望が渦巻き、危険なことに手を出すものです。さらに、預言者が生きた時代のアラブ社会では性行為に関する規制がありませんでした。しかし彼は、純粋で禁欲的な生活を送り、アミーン(正直者)と呼ばれるほどだったのです。若いときに自らを抑制できる人はたいてい、年をとってからも自らを律することができます。
第二のステージ
そして彼が結婚したのは、彼より年下の若い処女ではありませんでした。そのかわり、25年間の独身生活を終えるために結婚した彼の最初の妻ハディージャは40歳で、2度の結婚歴のある女性でした。彼らは25年間、彼女が死ぬまで幸せな家庭を築き、この間に預言者ムハンマドは他の誰とも結婚しませんでした。彼が天啓を初めて受け取ったときには、彼女が彼を神の預言者として信じた最初の人物でした。15歳年上の妻が彼の最初の教えに従ったこと以上に、彼の人格の高さを立証する事実があるでしょうか?
彼にはハディージャとの結婚生活の中で、他の女性と結婚する多くの理由もありました。
まず第一に、ハディージャには3人の娘がいましたが、彼女が産んだ男児は全て幼少期に亡くなってしまいました。男児が好まれたため、娘が産まれたときには生き埋めにする習慣さえあった社会で、これはとても辛い試練でした。彼の敵たちは二人目の男児が死んだ後ますます嘲りました。しかし神が彼らを否認しました。
“本当にあなたを憎悪する者こそ,(将来の希望を)断たれるであろう。”(クルアーン108:3)
第二に、彼はとても外見の優れた男性でした。彼の教友の一人は、彼についてこう説明しています。
「私は預言者と月とを見比べました。預言者は赤の外套を着ておられ、私には彼が、月よりも美しく見えました。」1
第三に、一夫多妻制は当時広く行われていた慣習であり、当時の女性には普通のことでした。彼がもう一人妻を取ることを社会的に妨げるものは、何もなかったのです。預言者は若く、より美しい女性を選んで結婚することが簡単にできたのですが、そうしませんでした。さらにはハディージャが亡くなった後に、再婚するように勧められたときも、寡婦を結婚相手として選んだのです。
第四に、マッカの多神教徒達が彼の布教を妨げるために、預言者に富は多くの金銀、地位、そして最も美しい女性たちを進呈する、と提示しましたが、彼は拒絶してこう言いました。
「たとえ彼らが私の右手に太陽を、左手に月を載せたとしても、私が死ぬまで、もしくは神が私に成功をお与えになるまで、私は自分の任務を遂行する。」2
この返答は自らの欲望に従う者の答えでしょうか? それとも神に従う者の返答でしょうか?
第三のステージ
肉体的な全盛期を過ぎた後、彼は623年〜628年の間に複数の女性たちを妻として迎えました。これは彼が55歳〜60歳の間であり、全ての結婚が自己中心的ではない理由で結ばれたものでした。初期のイスラーム国家では長年の戦争があり、イスラーム教徒たちは自らの命と宗教を守るために闘わなければなりませんでした。そのため、何百人もの教友たちが殺され、多くの寡婦と孤児たちが、面倒を見る者がいないまま残されました。預言者ムハンマドは、残った教友達に、寡婦の面倒を見る例を示したのです。そのため、彼の妻たちのほとんどは寡婦でした。ただ自らの欲望を満たすためであれば、彼の妻として寡婦や離婚された妻を選ばなかったでしょう。
預言者ムハンマドは一人の処女、アーイシャと彼女が幼いときに結婚しました。この婚姻は預言者ムハンマドの性格を不純でモラルがないと批判する批評家の間で最も討論されるものの内の一つです。彼は、アーイシャの父、アブー•バクルの勧めでアーイシャと結婚しました。アブー•バクルは預言者ムハンマドにとって最も評価の高く、最も信用された仲間でした。マディーナへの聖遷もこのアブーバクルと共に行いました。なぜこのような仲間の願いを断り、傷つけることが出来るでしょうか? このアーイシャから、私たちは多くの預言者のスンナ(伝承)を学びましたし、彼女がいなければ、沢山の知識は得られないままだったでしょう。また預言者は、結婚をする準備ができている者はすぐ結婚するように、という神からの命令に従っていました。婚姻の完成とされる床入り(ニカーフ)は婚約から3年後、アーイシャが女性として成長してからとりおこなわれました。子どものときには、彼女は父の家に住み、ムハンマドはその家を訪ねていき、彼女と人形遊びをしてあげていたのです。
彼の婚姻に関するもう一つの理由は、仲間たちとの絆を固めるというものです。鍵となる仲間たちの家族や敵との間で婚姻関係を結ぶことによって、彼は様々な部族から成るイスラーム教徒たちの絆を深めようとしました。アーイシャのあとに嫁いだどの妻たちも、アーイシャほどの若さ・知性・知的好奇心を備えてはいませんでしたが、全ての妻たちがイスラーム国家の安泰に各々のやり方で貢献しました。そのような男性は、欲望の奴隷ではなく、欲望の「飼い主」と言えるでしょう。彼の婚姻は未来を見越した上で、慈悲的な目的で行われました。もし彼の慈悲からでなければ、彼はアーイシャの後に、寡婦や離婚した女性ではなく、彼女と同じような妻を娶ったでしょう。
預言者ムハンマドの婚姻(後編):質素な人生
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第四のステージ
ヒジュラ暦8年にマッカを征服した後、戦争の大部分は終結していました。この後、預言者ムハンマドは新たに婚姻を交わしてはいません。このことからも、預言者は不安定で戦争が続く時期だけ、子どもと妻を守るため、そしてイスラーム国家を拡大し安定させるために妻を迎えたということが分かるでしょう。
預言者ムハンマドのモラルに沿った生き方は彼の敵も証言していますし、このことはクルアーンの中でも、神が預言者の中傷者たちに、彼になにかモラルを欠く部分があるか、雄弁に尋ねている部分でも述べられています。神は預言者ムハンマドにこう言いました。
“「…(こう言いなさい。)わたしは確かにあなたがたの間で、一生ほどの歳月を過ごした。あなたがたは未だ悟らないのか?」”(クルアーン10:16)
誰も彼の性格に、けちをつけられるような欠点を見つけることはできませんでした。しかし何の証拠もなしに彼のことを詐欺師だとか、クルアーンの筆者などとする主張がありましたが、もし本当にそうだったのであれば、彼は神の預言者であるという証拠のためにモラルのある生活を送ったりしたでしょうか?
彼の質素な生活
多くの婚姻を交わしたマディーナでの彼の生活は、決して贅沢で快適なものではありませんでした。現実には、彼は多くの死に直面し、多神教徒たちの闘いに追われた厳しい状況にありました。マディーナの入り口には多くの戦隊がムスリムを滅ぼすために待ち構えており、アラビア半島のほとんどの部族が彼の敵でした。戦闘は休みなく行われ、勝利の余韻に浸る時間も、敗北の悲しみにくれる暇もありませんでした。また責任者として、自分の欲望に浸っている時間などもありませんでした。欲望に狩られた普通の男性でさえ、このような時には自らの欲望に浸ることなどできないでしょう。
孤児であった預言者は最終的にアラビア半島の統治者となりますが、彼の質素な生活を変えることはありませんでした。彼は同じように質素な食生活を送り、若い頃に着ていた質素な衣類、またはそれよりもっと祖末なものを身にまとっていました。彼の寝室の家具はヤシの木の葉でつくられた寝床で、固さのためにしばしば彼の体に跡を残すようなもので、彼に近しい教友がこう尋ねたほどでした。
「ああ、神の預言者様。ペルシアの王達は金銀の器で飲み物を飲むのに、あなたはこのような生活を送るのですか?」(アフマド)
彼はよく食事すらままならない日々を送っていましたし、彼の家から食べ物の支度をする火がおこされない日々が何日も続きました。このような時に彼は、ナツメヤシと水だけで家族と過ごしていました。彼の手元に公共の財産があったにも関わらず、です。彼の教友たちの中には裕福な者もいましたし、彼らは預言者のためなら何でも犠牲にしたでしょうから、もし彼が望んだならば快適な生活を送ることも出来たでしょう。しかし、預言者としてのふるまいとして神に命じられたように、彼は自分自身と家族の為に、貧しい人に集められたお金を使うことはありませんでした。貧しいときにも豊かなときにも、人生の快楽に身を投じるような人ではなかったのです。
夜
預言者ムハンマドは多くの妻を娶りましたが、彼は夫婦間での楽しみだけで夜を過ごすことはありませんでした。預言者は神からこう命じられていたのです。
“夜間に(礼拝に)立て,少時を除いて。夜間の半分,またそれよりも少し縮めて(礼拝に立て),あるいは,それよりも少し多く礼拝に(立て),そしてゆっくりと慎重な調子で,クルアーンを読め。”(クルアーン73:2〜4)
彼の妻たちは、彼の足が礼拝で立ち続けるために腫れてしまっていたと説明しています。彼の習慣的な礼拝は、快楽のために捧げられた人生には属さないものです。
彼の妻たちの質素な生活
マディーナに来たあと、交易が繁栄し、イスラーム教徒の生活は変わりました。征服された各地から様々な物品が提供され始め、預言者の妻たちは自然と、与えられるべき快適な生活を求め始めました。しかし神はこう啓示しました。
“預言者よ,あなたの妻たちに言ってやるがいい。「もしあなたがたが,現世の生活とその煌びやかさを望むなら来るがいい。わたしは贈り物を与えて,立派に別れよう。だがあなたがたたがもしアッラーとその預言者,そして来世の住まいを求めるならば,あなたがたの中で善行に動しむ者には,アッラーは偉大な報奨を準備して下さっている。”(クルアーン33:28、29)
妻たち全員が他の選択肢を与えられましたが、誰もより心地よい生活のために預言者のもとから去ることはありませんでした。もし彼女たちが彼を詐欺師だと思ったり、彼の性格に少しでも欠点を見つけていたら、彼のもとを去っていたでしょう。しかしそのようなことをする者はなく、全員が彼の妻であるという栄誉を選びました。もし彼が快楽に溺れた人であったなら、妻たちの願いを聞き入れ、彼女たちが世の快楽に少しでも傾倒していたならば、全員と離婚していたでしょう。
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