ムハンマドについての証言(上)
説明: イスラームについて学んだ非ムスリムの学者たちによる預言者についての証言。第1部:序説。
- より iiie.net (edited by IslamReligion.com)
- 掲載日時 03 Nov 2014
- 編集日時 12 Mar 2017
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十字軍が勢威を振るった数世紀間に渡り、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)に関する、ありとあらゆる種類の誹謗がつくりだされました。しかし、近代になり宗教的寛容性と思考の自由が広まると、欧米の著作において彼の人生と性格についての描写には大きなアプローチの変化が見られるようになりました。このシリーズの最後で紹介する、非ムスリム学者による預言者ムハンマドについての見解は、このことを裏付けます。
欧米は依然として、人類にとっての最後の預言者であるムハンマドについての、究極の真実発見へのさらなる一歩を踏み出さなければなりません。欧米側による客観性と啓発にも関わらず、ムハンマドの預言者性を理解しようとする真摯な取り組みはまだなされていません。彼の誠実性と功績については多くの著しい賛辞が送られているものの、彼による預言者性の主張はあからさまに、あるいはそれとなく拒絶されていることは、非常に奇妙なことです。心の探求、そしていわゆる客観性の再検証が必要なのはここなのです。以下に記述する、ムハンマドの人生における輝かしい功績は、彼の預言者性についての偏見無い、論理的かつ客観的な真実を照らし出すことでしょう。
ムハンマドは40歳に達するまでは、政治家、宣教師、あるいは雄弁家としても知られてはいませんでした。彼は形而上学、倫理学、法、政治、経済や社会学などについて語る者として全く知られていなかったのです。彼が卓越した人格、美しい品行、そして高く洗練された人物であったことに疑いはありません。しかしながら、彼が将来的に偉人となり、革命を起こすことをにおわせるような、とりわけ際立った、あるいはずば抜けた点はありませんでした。しかし、彼があらたな教えを携えてヒラーの洞窟から出てきたとき、彼は完全な変貌を遂げていたのです。前述のような善良な性質を有する、そのような人物が突如として「詐欺師」となり、神の使徒を自称し、人々の怒りを買うということは可能でしょうか? どういった理由から、彼はあらゆる困難を押し付けられたのでしょうか? マッカの人々は、もし彼がその宗教の布教を止めるのなら、彼を王座に就かせ、土地のすべての富を彼の足元に揃えると申し出ました。しかし、彼はその誘いを拒否し、自らの民によるありとあらゆる中傷、社会的排斥、さらには襲撃などに直面してでもその宗教を自分一人で布教する道を選んだのです。イスラームが人類にとっての唯一の生き方となることを心から信じていたことから、神の教えを広め、あらゆる逆境、そして彼を排除しようという策略に対して確固として立ち向かったたのは、神による支援と彼自身の断固とした決意によるものに他ならなかったのです。もしも彼がユダヤ教とキリスト教に対抗しようという意図でそうしたのであれば、なぜ彼はイエスやモーゼを含む、他の預言者たち(彼らに平安あれ)への信仰を、ムスリムであるために要求される信仰箇条の一つとしたのでしょうか?
彼が文盲であったこと、かつ40年間に渡って普通の静かな生活を送っていたということは、彼の預言者性における疑いなき証拠ではないでしょうか? 彼がその教えを説き始めると、アラビア半島全体はその素晴らしい雄弁さと美しさに震撼しました。その比類さから、最高レベルのアラブの詩人たち、説教者たち、雄弁家たちも同レベルのものを作り出すことは出来ませんでした。それに加え、当時の人間にはその知識のなかった、クルアーンに含まれている科学的な性質の事実について、彼はいかに述べることが出来たというのでしょうか?
さて、なぜ彼は権力を手にした後も困難な道を歩んだのでしょうか? 彼が死の床において述べた次の言葉について熟考すべきでしょう。
“我々預言者の共同体は、相続することがない。我々が遺すものは、施しとなるのだ。”
事実ムハンマドは、この地球に人類が始まって以来、異なる土地や時代に遣わされ続けてきた預言者たちの系譜における最後の者なのです。次の部では、一部の非ムスリムの著者たちによるムハンマドについての著述について見ていきます。
ムハンマドについての証言(中)
説明: イスラームについて学んだ非ムスリムの学者たちによる預言者についての証言。第2部:彼らの証言。
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ラマルティーヌ、Histoire de la Turquie, Paris 1854, Vol II, pp. 276-77:
“成した事の偉大さ、そこにおける手段の小ささ、驚異的結果が人間の才能の三大基準であるなら、誰が近代歴史を通してムハンマド以外の偉人の名を挙げることができるであろうか? 最たる著名人は武器、法律、そして帝国を築き上げただけである。彼らがもたらしたものは、大抵の場合、彼ら自身の目の前で音を立てて崩れ去った物質的な権力だけであった。しかしこの男は軍隊、法律、帝国、人間、王朝だけでなく、当時の世界の3分の1の人口にあたる数百万人の人々を動かし、祭壇、神々、諸宗教、既成概念、信仰や魂を動かしたのである。勝利のための忍耐、そして彼の野望は完全に一つの理念に忠実であり、それは帝国のための努力ではなかった。彼による終わりなき祈り、神との神秘的な会話、その死と、死後の勝利。これらはすべて、欺瞞ではなく、一つの教理を復活させようとの決意からもたらされた力を実証するものである。この教理は神の唯一性、そして非物質性を備えた2つの要素を持つものである。前者は神が何であるかを述べ、後者は神ではないものを明確にするのである。その一方は剣で邪神を倒し、もう一方では言葉で新たな概念を広めるのである。
“哲学者、雄弁家、使徒、立法者、戦士、そして概念の征服者であり、偶像を持たない教団という合理的教理を復活させた者、また20もの歴史的帝国と一つの精神的帝国の創始者、それがムハンマドなのである。人間の偉大さを測るすべての基準において、我々は彼以上に偉大な者を知らないのだ。”
エドワード・ギボン、サイモン・オークリー、History of the Saracen Empire, London, 1870, p. 54:
“私たちの驚きに値するのは、その布教ではなく、彼の宗教の不変性である。彼がマッカとマディーナで刻み込んだものと同じクルアーンが、インド、アフリカ、トルコの改宗者による12世紀に渡る革命の後も、純粋かつ完全な状態で保持されているのだ。マホメット教徒1たちは一様に、彼らの信仰と崇拝の内容を減少させる誘惑に打ち勝ったのである。「私は唯一なる神の存在と、マホメットが神の使徒であることを信じる」という単純なものが、イスラームにおける不変の信仰証言である。神の知的なイメージは、いかなる可視の偶像によっても蔑まれたことはない。預言者の名誉は、決して人間的な美徳の領域を超えることはなく、彼の生前の教えもその弟子たちの感謝の念を理性と宗教の範囲内において抑制したのである。”
ボスワース・スミス、 Mohammed and Mohammadanism, London 1874, p. 92:
“彼はカエサルとローマ教皇を一人に合わせた人物である。しかし、彼はローマ教皇の虚勢を抜きにしたローマ教皇であり、カエサルの群衆を抜きにしたカエサルなのである。彼には常備軍も、護衛隊も、宮殿も、固定収入もなかった。もしも誰かに、神の権利において統治したと主張する権利があったとすれば、それはムハンマドに当てはまるのである。なぜなら、彼にはいかなる手段や支持者もなくして、すべての権力を手にしたからである。”
アニー・ベサント、The Life and Teachings of Muhammad, Madras 1932, p. 4:
“アラビアの偉大なる預言者についての人生と性格を学び、いかに彼が教えを説き、そして生きたかを知る者は、至高者の諸使徒の一人であり偉大なる預言者である彼に対し、敬意を感じずにはいられないのである。既に多くの人々にとっては既知の事実を私は述べ連ねているのかも知れないが、私自身はそれらを読み返すたび、偉大なるアラビアの指導者に対する新たな感嘆と、尊敬の念が生まれてくるのだ。”
W.モンゴメリー、 Mohammad at Mecca, Oxford 1953, p. 52:
“信仰に対する迫害に耐え忍ぶ覚悟、彼を信じ指導者として仰いだ者たちの高い倫理性、そして彼の究極の偉業の偉大さは、すべて彼の根本的な誠実さを指し示している。ムハンマドを欺瞞者と見なすことは、問題を解決するどころか、より多くの問題を生み出すのだ。さらには、西側諸国において、ムハンマドよりもその真価を認められていない歴史上の偉人はいないのである。”
ジェームズ・ミッチェナー、‘Islam: The Misunderstood Religion’ in Reader’s Digest (American Edition), May 1955, pp. 68-70:
“神の啓示を受けた男、イスラームの開祖であるムハンマドは、西暦およそ570年、偶像を崇拝するアラビアの部族に生を受けた。生後間もなく孤児となった彼は、いつも貧者や困窮者、寡婦や孤児、奴隷や虐げられた人々のことを心にかけていた。20歳で既に成功を収めた商人となっていた彼は、やがて裕福な寡婦が営むラクダ隊商の管理者となった。25歳になると、彼の雇い主は、彼の美徳を認め結婚を申し出た。彼女は15歳年上だったにも関わらず、彼は彼女を娶り、彼女の生前は常に献身的な夫であり続けた。
“彼以前のすべての主たる預言者たち同様、ムハンマドは自らの不備を感じ、神の言葉の媒介者として仕えることを避けようとしたものの、天使は彼に「読め」と命じた。ムハンマドは文盲として知られているが、彼は啓示された言葉を説き始め、それはやがてこの地球の大きな部分に革命をもたらすことになった。“神は唯一なり。”
“ムハンマドはあらゆることにおいて大いに実践的であった。彼がこよなく愛した息子イブラーヒームが夭逝した際に日食が起こり、直ぐに人々の間ではそれが神による特別な哀悼の意ではないかという噂がささやかれ出した。それに対し、ムハンマドはこのように告知したと伝えられている。「日食は自然現象である。それを人間の生死に結びつけることは、愚かなことである。」
“ムハンマドが逝去すると、彼を神格化しようという試みが一部でなされたものの、後に彼の統治上の後継者となる人物が、宗教の歴史における最も高潔な演説の一つによって、そのヒステリアを消し去った:「あなた方の中にムハンマドを崇拝していた者があったなら、彼は死んだのである。しかしあなた方が神を崇拝していたのなら、神は不死なのである。」”
マイケル・ハート、The 100: A Ranking of the Most Influential Persons in History, New York: Hart Publishing Company, Inc. 1978, p. 33:
“世界史で最も影響力ある人物リストのトップに私がムハンマドを選んだことは、一部の読者を驚かせ、また一部によっては問題視されるかも知れませんが、彼は歴史上において、宗教と世俗の双方において究極的な成功を収めた唯一の人物なのです。”
ムハンマドについての証言(下)
説明: イスラームについて学んだ非ムスリムの学者たちによる預言者についての証言。第3部:さらなる証言。
- より iiie.net (edited by IslamReligion.com)
- 掲載日時 10 Nov 2014
- 編集日時 11 Jun 2017
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ブリタニカ百科事典:
“・・・大量の初期資料によれば、彼が他者の敬意と忠誠心を得た、誠実かつ実直な人物であったということが示されている。”(12巻)
ジョージ・バーナード・ショーは彼についてこう述べています:
“彼は人類の救世主と呼ばれなければならない。私は、もしも彼のような人物が現代世界において実権を握ったのであれば、必要とされている平和と幸福をもたらす方法によって諸問題の解決に成功するであろうと信じている。”
(The Genuine Islam, Singapore, Vol. 1, No. 8, 1936)
彼は地球上に生きた最も偉大な人物です。彼は宗教を説き、国家を設立して築き上げ、倫理を規定し、数多くの社会的・政治的改革に着手し、その教えを実践・表現する力強く生き生きとした社会を打ち立て、人間の思想と行動の分野において、永続的かつ完全なる革命をもたらしたのです。
預言者ムハンマドは西暦570年、アラビア半島に生まれ、真理の宗教イスラーム(唯一神への服従)を説く使命を40歳にて開始し、63歳でこの世を去りました。彼が預言者を務めた23年間の短い間、彼はアラビア半島全体を多神崇拝・偶像崇拝から唯一神への崇拝へ、また部族間の紛争から国家の統一と結束へ、また飲酒による酩酊状態および放蕩から節制さ・敬虔さへ、また無法・無政府状態から統制された生活へ、また完全な破綻状態から最高の倫理的水準を持つ社会にまで変革させました。人類の歴史は、いまだかつてこのような完全な転換を目の当たりにしたことがありませんでした。そしてこのような信じ難い変化は、わずか20年余りにしてもたらされたのです。
世界史には多くの偉人たちが存在しました。しかしそれらの人物は宗教思想や軍事的な統率といった限られた分野において活躍した人々でした。それらの偉人の人生や教えは時間の流れと共にかすんでいきます。彼らの誕生や出身地、生き方、その教えの詳細と性質、成功や失敗の尺度については憶測に満ち溢れており、人類が彼らの伝記や教えを正確に再構築することは不可能です。
しかし、ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)に関してはそれが当てはまりません。彼は人類の歴史上、思想や行動など多種多様な分野において最大限の偉業を成し遂げました。彼の個人的な生活、公的な発言は正確に記録され、現在に至るまで手厚く受け継がれています。それらの記録の正確性と信頼性は、信仰者だけでなく、偏向的な批評家らによっても保証されているのです。
ムハンマドは宗教的指導者、社会的変革者、倫理的指針、行政上の偉人、信仰深い友人、素晴らしき仲間、献身的な夫、そして愛情に満ちた父親といった側面をすべて兼ね備えていました。歴史上、それらの異なる側面のそれぞれにおいて彼に並ぶ、あるいは超えた者は一人もいません。ムハンマドの無私無欲な性格が、それらの驚くべき完全性を達成させたのです。
ムハンマドの性格について、マハトマ・ガンジーは(『ヤング・インディア』において)こう述べています:
“私は、現在何百万人もの心を掴む人物についてよく知っておきたいと思いました・・・当時のイスラームの普及は剣により広まったのではないと、私は今、これまでになく確信しています。堅固で明快な教え、預言者の徹頭徹尾の控えめな態度、誓約に関しての律儀さ、友人や教友たちへの熱烈な献身、彼の大胆さ、勇敢さと、神と自身の任務への絶対的信頼がそうさせたのです。彼は剣ではなくこれらによって、全てのそびえ立つ困難を乗り越えてきたのです。(預言者伝の)第2巻を読み終えたとき、私はこのような偉大な人生について読み続けられないことが残念でした。”
トーマス・カーライルは『英雄と英雄崇拝』において、次のような驚愕の念を示しています:
“いかにして一人の男が、対立する諸部族や放浪する遊牧民たちをまとめあげ、20年もかけずに最も強力かつ洗練された国家を創ることが出来たというのだろうか?”
ディワン・チャンド・シャルマはこう記します:
“ムハンマドは親切な心の持ち主であり、彼の影響力は、彼の周囲の人々によって決して忘れ去られることはありませんでした。”
(D.C.シャルマ、The Prophet of the East, Calcutta, 1935, pp. 12)
ムハンマドは人間以上でも、人間以下でもありませんでした。彼はただ、唯一なる神を崇拝するよう人類を団結させ、彼らに神の教えに基づいた、誠実かつ実直な人生を歩むよう教えるという高潔な使命を携えていた人物なのです。彼はいつも、自らを“神のしもべであり使徒である”と形容していました。実際に、彼のあらゆる行為はそれに基づいていたのです。
イスラームにおける神の御前での平等性について、インドの著名な女流詩人、サロジニ・ナイドゥは語ります:
“それは、民主主義を説いて実践した最初の宗教でした。モスクから礼拝への呼びかけが鳴り響き、人々が礼拝のために集まると、一日5回、イスラームの民主主義が具現化し、そこでは農夫や国王が平等に隣り合わせとなり、皆一様に「神は偉大なり」と公言するのです。私は人々を本能的に同胞とする、イスラームによるこうした分断することの出来ない統一性に、幾度となく心を打たれました。”
(S. ナイドゥ、Ideals of Islam, vide Speeches & Writings, Madras, 1918, p. 169)
フルグロンジェ博士はこう述べます:
“イスラームの預言者によって創設された諸国家の連合体は、普遍的な基盤に根付いた国際的統一と同胞愛を他国に示すのである。” 彼はこう続けます。“事実問題として、世界中のいかなる国家も、イスラームが実現した諸国家の連合という概念に匹敵するものを示すことが出来ずにいるのだ。”
世界は、伝説の中に消えてしまった個人に神格性を持たせることを躊躇しませんでした。歴史的に見ても、それらの伝説的な個人はムハンマドが達成したことの断片さえも達成していないのです。そしてムハンマドが努力をした対象とは、卓越した倫理的規定に基づいて唯一神を崇拝することにおいて人類を統一するということだけだったのです。ムハンマド、または彼の追従者たちは誰一人として、彼が神の子であったとか、神の化身であったなどと主張したことはありません。彼は現在に至るまで常に、神によって選ばれた使徒であると見なされ続けてきたのです。
インド人の哲学教授であるK.S.ラーマクリシュナ・ラオは、その小冊子(“Muhammad, The Prophet of Islam”)の中でこう述べています:
“(ムハンマドは)人生における完璧な模範である。”
ラーマクリシュナ・ラオ教授は、その主張についてこのように説明します:
“ムハンマドの人格については、その全容を把握することは極めて困難です。私にはそのほんの一部を垣間見ることしか出来ません。しかし、それはいかに劇的な景観の連続でしょうか! まずは、預言者としてのムハンマド。そして戦士としてのムハンマド、商人としてのムハンマド、政治家としてのムハンマド、雄弁家としてのムハンマド、改革者としてのムハンマド、孤児の庇護者としてのムハンマド、奴隷の保護者としてのムハンマド、女性の解放者としてのムハンマド、裁判官としてのムハンマド、聖人としてのムハンマド。これらの偉大なる役割のあらゆる領域において、彼は英雄なのです。”
彼の死後から14世紀が経った現在でも、ムハンマドの人生と彼の教えは、いかなる削減・改竄・歪曲から守られてきました。それらは彼が生きていた当時と同様に、人類の病を癒す不滅の希望を託します。これはムハンマドの追従者たちによる主張ではなく、批評家や偏向のなき歴史による最終的な結論なのです。
思想と関心を持つ人間の一人として私たちに出来ることは、一度立ち止まり、自らにこう問いかけることです。「これらの驚くべき、そして画期的な主張は、本当に事実なのだろうか?」もし本当にそれらが事実だとして、まだムハンマドについて知らなかった、もしくは聞いたこともなかったのであれば、これを絶好の機会として、少し彼を知る努力をしてみてはいかがでしょうか?
ひょっとすると、それはあなたの人生における全く新しい幕開けのきっかけとなるかもしれません。
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