聖書におけるムハンマドの予示(4/4):新約聖書におけるムハンマドの予示(続)
説明: ムハンマドが偽預言者ではないとするバイブルからの証拠。第四部:ヨハネの福音書14:16の中で言及されている”パラクレートス”、または“助け主”の予示がどのようにムハンマドに当てはまるかについての更なる議論。
- より IslamReligion.com
- 掲載日時 05 Dec 2009
- 編集日時 05 Dec 2009
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5.イエスによるもう一人の”パラクレートス”の役割に関する説明:
ヨハネ16:13“彼はあなた方を全ての真理に導き入れます。”
神はクルアーンの中で、ムハンマドに関してこのように述べています:
“人々よ、使徒は確かに主からの真理を携えてあなた方の許に来た。だからあなた方は信じなさい。それがあなた方のために最も良いのだから。”(聖クルアーン 3:45)
ヨハネ16:14“彼はわたしの栄光を現わすだろう。”
ムハンマドに啓示されたクルアーンは、イエスの栄光を称えています:
“マリアの子、その名はイエス・キリスト、彼は現世でも来世でも高い栄誉を得、また(神の)側近の一人であろう。(クルアーン3:45)
またムハンマド自身もイエスの栄光を称えています:
“誰であれ、これから私が言うように証言すれば、あなた方は各々の所業に基づいて、神により楽園に入れられるでしょう:‘神以外に崇拝に値するものはなく、かれには同等のものもおらず、ムハンマドはかれに仕える使徒であり、またイエスもかれに仕える使徒であり、更にかれ(神)がマリアに授けたお言葉、そしてかれが創った魂であり、そして楽園は真実であり、火獄は真実である’。”(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)
クルアーンは次のように述べています:
“「アッラーこそは、マリアの子キリストである。」と言う者は、確かに不信心者である。しかもキリスト(自身)は言ったのである。「イスラエルの子孫よ、私の主であり、あなた方の主であられるアッラーに仕えなさい。」およそアッラーに何ものかを配する者には、アッラーは楽園(に入ること)を禁じられ、彼の住まいは業火である。不義を行う者には援助者はないのである。”(クルアーン5:72)
ヨハネ16:13“彼は自分から語るのではなく、聞くままを話す。”
クルアーンはムハンマドに関してこう述べています:
“また彼は(自分の)望むことを言っているのでもない。それは彼に啓示された、(神からの)御告げに他ならない。”(クルアーン53:3−4)
ヨハネ14:26“また、私があなた方に話した全てのことを思い起こさせてくださいます。”
クルアーンはこう述べます:
“…キリスト(自身)は言ったのである。「イスラエルの子孫よ、私の主であり、あなた方の主であられるアッラーに仕えなさい。」”(クルアーン5:72)
そしてイエスは彼の第一の、最も重要な命令を人々に思い出させます:
“一番大切なのはこれだ:『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である…”(マルコの福音書12:29)
ヨハネ16:13“そして彼はやがて起ころうとしていることをあなた方に示すのだ。”
クルアーンは述べます:
“これはわれがあなた(ムハンマド)に啓示した、不可視の世界の消息の一つである。”(クルアーン12:102)
また預言者ムハンマドの教友、フザイファはこう報告しました:
“預言者は一度我々の前で、審判の時に何が起こるかを余すことなく全て言及されました。”(サヒーフ・ブハーリー)
ヨハネ14:16“彼がいつまでもあなた方と、ともにおられるために。”
この節は、彼の教えが永久に残るという意味を示しています。ムハンマドは人類に遣わされた最後の預言者です。[1] 彼の教えは今なお完全に維持されており、彼が実践していた神の崇拝方法を完全な形で模倣しようと努力する、彼を敬愛する追従者の心の中で生きているのです。イエスやムハンマドを含むあらゆる人間は、地上で永久に生きることが出来ません。”パラクレートス”もその例外ではないのです。現代キリスト教徒が行なっている聖霊信仰は、イエスの時代から四世紀半も後の、西暦451年のカルケドン公会議までは存在しなかったのです。
ヨハネ14:17“彼は、真理の霊である。”
これは、真理の預言者という意味となります(第一ヨハネ4:1−3参照)。
ヨハネ14:17“世は、彼を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることはできない。…”
現在、多くの人々はムハンマドを知りません。神が遣わした慈悲の預言者ムハンマドの真の姿を認知しているのは、ごく少数の人々のみです。
ヨハネ14:26“執り成す者(”パラクレートス”)”
ムハンマドは審判の日、人類全体に対する執り成し人となります:
人々は審判の日に、そこでの難儀と苦しみを和らげてくれるよう、自分を神に執り成してくれる者を探します。人々はアダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエスに執り成しを依頼しますが、彼らはその役割を負うことが出来ません。
そして人々は預言者ムハンマドの許へ行き、彼はこう言うのです:“私こそがその役割を果たすことの出来る者だ。”そして彼は審判の日に人々が召集される広大な平地で執り成し、こうして審判が開始されるのです。これは神がクルアーンにおいて彼に約束した、‘光栄ある地位’なのです。
“主はあなたを、光栄ある地位(復活の日に執り成すことの出来る名誉)に就かせて下さる。”(聖クルアーン 17:79)[2]
また預言者ムハンマドはこのように言っています:
“私の執り成しとは、大罪を犯した私の共同体の者たちのためである。”(アッ=ティルミズィー)
“私は楽園の最初の執り成し者となるだろう。”(サヒーフ・ムスリム)
尚一部のムスリム学者は、イエスが実際にアラム語で言った言葉は、ギリシャ語で‘称賛される者’を意味する‘ペリクリートス’ではなかったのかと示唆してもいます。そして‘ムハンマド’とは、アラビア語で‘称賛される者’という意味なのです。言い換えると、“ムハンマド”とはギリシャ語で‘ペリクリートス’なのです。そしてこの見解を支持する二つの強い根拠が存在します。第一に、単語同士に隙間をあけない古代の慣習によって、写本士がそれを見落とした可能性が十分にあるのです。バイブルにおいて似通った単語が入れ替えられてしまったケースは、複数記録されています。そしてもしも双方の言葉が元来のテキストに含まれていたとすれば、本来の文章は“そして彼はもう一人の助け主(”パラクレートス”)、称賛される者(ペリクリートス)をあなた方にお与えになります。”となったでしょう。そして第二に、キリスト教学者が使用していた問題のギリシャ語、または古代シリア語の単語が‘称賛される者’という意味であることを示す、少なくとも四人の異なる時代におけるムスリムの権威による信頼性の高い証言があります。[3]
最後に、”パラクレートス”が実際にムハンマド(彼に神の称賛あれ)を指しているのだと証言する人物を挙げていきましょう:
第一の証人
キリスト教司祭であり、学者でもあったアンセリム・トゥルメダ(1352/55−1425)はこの予言に関して証言しています。イスラームに改宗した後、彼は“Tuhfat al-arib fi al-radd ‘ala Ahl al-Salib(十字架の徒への回答における困惑する人々への贈り物”という本を著しました。
第二の証人
また元聖職者のデービッド・ベンジャミン・ケルダニ神学士、アブドル=アハド・ダーウードは、ローマ・カトリック教会ユニエイト・カルデア派の祭司でした[4]。イスラームに改宗後、彼は‘バイブルの中のムハンマド’という本を著し、次のように述べています:
“‘“パラクレートス”’が預言者ムハンマド(アハマド)を意図していることには、全く疑いの余地がないのです。”
第三の証人
尚ムハンマド・アサドの人生の概要については既に触れました(第三部)。次の節について、彼は述べています:
“…私の後に来る使徒の吉報を与える。その名前は、アハマドである。”(聖クルアーン 61:6)
イエスがムハンマドの出現を予言したことに関して、アサドは”パラクレートス”に関してこう述べます:
“…ギリシャ語であり、その意味が転訛された”パラクレートス”(たびたび称賛される者)の正確なアラム語訳がマウハマナであることは、確実であると言って良いでしょう。(アラム語は、イエスの時代、そしてその数世紀後までパレスチナで使われていた言語であり、現在失われているゴスペル(福音)の原典を構成していた言語だったのは間違いないということを念頭に置かなければなりません。)ペリクリートス、そして”パラクレートス”の発音的な類似性は、翻訳者、正しくは写本筆写者がその二つの表現を混同してしまう可能性を容易に推測出来ます。アラム語のマウハマナ、そしてギリシャ語の”パラクレートス”は、どちらも最後の預言者の二つの名前であるムハンマドとアハマドと同義であり、またそれらの名前はヘブライ語の動詞ハミダ(‘彼は称賛した’)と名詞のハムド(‘称賛’)から派生しているのです。”
Footnotes:
[1] 聖クルアーン33:40
[2] サヒーフ・ブハーリーも同様に参照の事。
[3] ‘Sirat Rasul Allah’イブン・イスハーク(西暦704−767)著、103頁。‘Bayn al-Islam wal-Mashiyya: Kitab ‘Abi Ubaida al-Khazraji’アブー・ウバイダ・アル=ハズラジ(1146−1187)著、220−221頁。‘Hidaya tul-Hayara’、イブン・カイイム著、119頁。‘al-Riyadh al-Aniqa’アッ=スユーティー著、129頁
[4] 彼の生い立ちは、次のリンクから読む事が出来ます:(http://www.muhammad.net/biblelp/bio_keldani.html.)
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