ムハンマドについての証言(中)

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説明: イスラームについて学んだ非ムスリムの学者たちによる預言者についての証言。第2部:彼らの証言。

  • より iiie.net (edited by IslamReligion.com)
  • 掲載日時 03 Nov 2014
  • 編集日時 03 Nov 2014
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ラマルティーヌ、Histoire de la Turquie, Paris 1854, Vol II, pp. 276-77:

“成した事の偉大さ、そこにおける手段の小ささ、驚異的結果が人間の才能の三大基準であるなら、誰が近代歴史を通してムハンマド以外の偉人の名を挙げることができるであろうか? 最たる著名人は武器、法律、そして帝国を築き上げただけである。彼らがもたらしたものは、大抵の場合、彼ら自身の目の前で音を立てて崩れ去った物質的な権力だけであった。しかしこの男は軍隊、法律、帝国、人間、王朝だけでなく、当時の世界の3分の1の人口にあたる数百万人の人々を動かし、祭壇、神々、諸宗教、既成概念、信仰や魂を動かしたのである。勝利のための忍耐、そして彼の野望は完全に一つの理念に忠実であり、それは帝国のための努力ではなかった。彼による終わりなき祈り、神との神秘的な会話、その死と、死後の勝利。これらはすべて、欺瞞ではなく、一つの教理を復活させようとの決意からもたらされた力を実証するものである。この教理は神の唯一性、そして非物質性を備えた2つの要素を持つものである。前者は神が何であるかを述べ、後者は神ではないものを明確にするのである。その一方は剣で邪神を倒し、もう一方では言葉で新たな概念を広めるのである。

“哲学者、雄弁家、使徒、立法者、戦士、そして概念の征服者であり、偶像を持たない教団という合理的教理を復活させた者、また20もの歴史的帝国と一つの精神的帝国の創始者、それがムハンマドなのである。人間の偉大さを測るすべての基準において、我々は彼以上に偉大な者を知らないのだ。”

エドワード・ギボン、サイモン・オークリー、History of the Saracen Empire, London, 1870, p. 54:

“私たちの驚きに値するのは、その布教ではなく、彼の宗教の不変性である。彼がマッカとマディーナで刻み込んだものと同じクルアーンが、インド、アフリカ、トルコの改宗者による12世紀に渡る革命の後も、純粋かつ完全な状態で保持されているのだ。マホメット教徒たちは一様に、彼らの信仰と崇拝の内容を減少させる誘惑に打ち勝ったのである。「私は唯一なる神の存在と、マホメットが神の使徒であることを信じる」という単純なものが、イスラームにおける不変の信仰証言である。神の知的なイメージは、いかなる可視の偶像によっても蔑まれたことはない。預言者の名誉は、決して人間的な美徳の領域を超えることはなく、彼の生前の教えもその弟子たちの感謝の念を理性と宗教の範囲内において抑制したのである。”

ボスワース・スミス、 Mohammed and Mohammadanism, London 1874, p. 92:

“彼はカエサルとローマ教皇を一人に合わせた人物である。しかし、彼はローマ教皇の虚勢を抜きにしたローマ教皇であり、カエサルの群衆を抜きにしたカエサルなのである。彼には常備軍も、護衛隊も、宮殿も、固定収入もなかった。もしも誰かに、神の権利において統治したと主張する権利があったとすれば、それはムハンマドに当てはまるのである。なぜなら、彼にはいかなる手段や支持者もなくして、すべての権力を手にしたからである。”

アニー・ベサント、The Life and Teachings of Muhammad, Madras 1932, p. 4:

“アラビアの偉大なる預言者についての人生と性格を学び、いかに彼が教えを説き、そして生きたかを知る者は、至高者の諸使徒の一人であり偉大なる預言者である彼に対し、敬意を感じずにはいられないのである。既に多くの人々にとっては既知の事実を私は述べ連ねているのかも知れないが、私自身はそれらを読み返すたび、偉大なるアラビアの指導者に対する新たな感嘆と、尊敬の念が生まれてくるのだ。”

W.モンゴメリー、 Mohammad at Mecca, Oxford 1953, p. 52:

“信仰に対する迫害に耐え忍ぶ覚悟、彼を信じ指導者として仰いだ者たちの高い倫理性、そして彼の究極の偉業の偉大さは、すべて彼の根本的な誠実さを指し示している。ムハンマドを欺瞞者と見なすことは、問題を解決するどころか、より多くの問題を生み出すのだ。さらには、西側諸国において、ムハンマドよりもその真価を認められていない歴史上の偉人はいないのである。”

ジェームズ・ミッチェナー、‘Islam: The Misunderstood Religion’ in Reader’s Digest (American Edition), May 1955, pp. 68-70:

“神の啓示を受けた男、イスラームの開祖であるムハンマドは、西暦およそ570年、偶像を崇拝するアラビアの部族に生を受けた。生後間もなく孤児となった彼は、いつも貧者や困窮者、寡婦や孤児、奴隷や虐げられた人々のことを心にかけていた。20歳で既に成功を収めた商人となっていた彼は、やがて裕福な寡婦が営むラクダ隊商の管理者となった。25歳になると、彼の雇い主は、彼の美徳を認め結婚を申し出た。彼女は15歳年上だったにも関わらず、彼は彼女を娶り、彼女の生前は常に献身的な夫であり続けた。

“彼以前のすべての主たる預言者たち同様、ムハンマドは自らの不備を感じ、神の言葉の媒介者として仕えることを避けようとしたものの、天使は彼に「読め」と命じた。ムハンマドは文盲として知られているが、彼は啓示された言葉を説き始め、それはやがてこの地球の大きな部分に革命をもたらすことになった。“神は唯一なり。”

“ムハンマドはあらゆることにおいて大いに実践的であった。彼がこよなく愛した息子イブラーヒームが夭逝した際に日食が起こり、直ぐに人々の間ではそれが神による特別な哀悼の意ではないかという噂がささやかれ出した。それに対し、ムハンマドはこのように告知したと伝えられている。「日食は自然現象である。それを人間の生死に結びつけることは、愚かなことである。」

“ムハンマドが逝去すると、彼を神格化しようという試みが一部でなされたものの、後に彼の統治上の後継者となる人物が、宗教の歴史における最も高潔な演説の一つによって、そのヒステリアを消し去った:「あなた方の中にムハンマドを崇拝していた者があったなら、彼は死んだのである。しかしあなた方が神を崇拝していたのなら、神は不死なのである。」”

マイケル・ハート、The 100: A Ranking of the Most Influential Persons in History, New York: Hart Publishing Company, Inc. 1978, p. 33:

“世界史で最も影響力ある人物リストのトップに私がムハンマドを選んだことは、一部の読者を驚かせ、また一部によっては問題視されるかも知れませんが、彼は歴史上において、宗教と世俗の双方において究極的な成功を収めた唯一の人物なのです。”



脚注:

マホメット教、マホメット教徒という用語は、イスラームへの理解の欠如から、キリストとキリスト教の関係における類推によって東洋学者らが命名した誤称です。

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