ハッジ ― 巡礼(後半)
説明: ハガルと彼女の息子イシュマエル、そして2人のハッジ儀礼における役割について。
- より サウード・アル=ハジャリー
- 掲載日時 27 Jan 2014
- 編集日時 27 Jan 2014
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カアバは特別な場所です。私たちは、アブラハムと彼の息子の信仰と勇気を記念します。私たちはまた、ハガルの母親としての愛情も同様に祝います。母親の愛とは無私無欲であり、人の愛としては最も高い段階のものです。ハガルはこの愛情に関して素晴らしい例を示しました。彼女はこの愛情を、神への揺るぎない信頼と結び付けたのです。アブラハムは妻である彼女とまだ乳児だったイシュマエルを、それ以前はカアバだった塚に連れて行くよう命じられました。この全く人気も水源もない荒野において、彼は2人を置き去りにし、少しのナツメヤシの実と、少しの飲み水の入った小さな袋を残して立ち去りました。ハガルは彼の後からこう言いました。「アブラハムよ!あなたは私たちを残してどこへ行くのですか?この渓谷には私たちの相手をしてくれる人たちもいないですし、何一つありません!」
彼女は何度も繰り返しましたが、彼は後ろを振り返りませんでした。そして彼女はこう尋ねました。「これは、アッラーがあなたに命じられたことなのですか?」
彼は言いました。「そうだ。」
彼女は言いました。「そうなのであれば、かれは私たちを疎かにはされないでしょう。」
これは、何という神への信頼感でしょうか! 彼らは、全能なる神による供給があることを確信していました。神はこの上なく供給される御方なのです。イシュマエルの母ハガルは、イシュマエルに乳を与え、手持ちの水を飲みました。それがなくなると彼女の喉は渇き、イシュマエルも同様に渇きから激しく泣き出しました。彼女はそれを見るのに忍びなくなり、そこから最も近いサファーの丘に登って誰かがいないか探しましたが、誰一人として見つけることは出来ませんでした。そしてサファーを下りると、彼女は衣服をまくりあげ、焦燥に駆られて渓谷を走りぬけ、マルワの丘にたどり着いて辺りを見回しましたが誰も見つけることが出来ませんでした。彼女はそれ(サファーとマルワ間を駆け抜けること)を7回、繰り返しました。神はこうした無私無欲の母親の愛情を愛され、かれの聖殿への巡礼者たちが同じことをするよう、定めたのです。
彼女が(最後に)マルワに着くと、声が聞こえてきたため、それに耳を澄ませました。彼女は再び、声を耳にしました。彼女はこう言いました。「おお(あなたが誰であれ)、あなたは私にあなたの声を聞かせました。私を助けてくれる何かをお持ちではないでしょうか?」すると、彼女はザムザムの場所で天使を見いだしました。天使は踵で土を掘り、そこからは水が溢れ出て来たのです。彼女はその周りを手で掘って水たまりを作りました。そして革袋に水を汲み始めました。それは彼女が汲み取った後も湧き続けました。神によるこの素晴らしい恵みは、現在も未だに止まることなく続いています。数百万人が毎年、この聖水を飲み続けていますが、この泉は依然として枯れることはないのです。マッカは特別な場所です。
アブラハムの家族による、2つの記念すべき出来事を祝い、私たちはアッラーの御意は、最も善きことをもたらすことを思い起こします。最終的に、アブラハムの家族には最善のことがもたらされました。私たちも神にすべてを委ね、かれを信頼するのであれば、同様のことがもたらされるのです。私たちは神から来て、そして神へと戻るのですから。
カアバは特別な場所です。皆が一様に、控えめな白い衣服をまとった3百万人もの同胞と過ごすのは圧倒的なことです。最も地位の高い王から、最も地位の低い労働者まで、同じ格好をします。彼らは肩を並べて立ち、道を歩き、お互いに平和の挨拶を交わすのです。あらゆる人種は平等に混ぜ合わさります。黒、白、黄、茶色の人々は、愛してやまない神の前にて調和します。神の前に、それを邪魔する要素は何もありません。そこでは、神こそが重要なのです。顔を上げ、目の前にキブラを見るのは素晴らしいことです。我々は毎日5回、聖カアバを向いて礼拝しますが、彼らはその威厳と栄光を目の前にするのです。彼らは故郷に帰ったかのような高揚感を感じながら、こう口を合わせます。「ラッバイカッラーフンマ・ラッバイク・ラッバイカ・ラー・シャリーカ・ラカ・ラッバイク(馳せ参じました。アッラーよ、私は馳せ参じました。あなたに同位者はありません。」
私たちは口を合わせて公言しつつ到着し、聖カアバを中心に周回します。地上における柱であるその場は、私たちの人生で神を中心にすることを思い起こさせます。そこで私たちは、神を私たちの人生の中心に据え、私たちの存在の中心とすることを思い起こさせられるのです。
アッラーよ、あなたの家を訪れるという祝福を許された、私たちのムスリム同胞のハッジをお受け入れください。私たちにもいつの日か、あなたを訪れるという祝福をお授けください。アッラーよ、あなた以外に愛、崇拝、そして身を委ねるに相応しい御方はいません。あなたを愛し、崇拝し、身を委ね、あなたの御意に従うことが出来るようお許しください。アーミーン!
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