なぜ神は創造したのか(上):創造主としての神
- より Dr. ビラール・フィリップス
- 掲載日時 06 Apr 2015
- 編集日時 06 Jul 2015
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「なぜ神は創造したのか」という根本的な質問には、神の視点から答えられなければなりません。人間は、実際には最も偉大な被造物ではありません。神はクルアーンにおいてこのように述べています。
“天と地の創造は、人間の創造などよりも偉大である。だが人びとの多くはそれを理解しようとはしない。”(クルアーン40:57)
人間を構成する元素は、人間がその中に存在している宇宙そのものよりも遥かに単純なものです。しかし、その事実を認識しているのは非常に少数の人々だけです。人類による宇宙空間への進出、あるいはテクノロジーや知識の進歩などの、地球上に生息する他の生物に対する優越性から、人類はいつの時代でも傲慢となり、自分たちこそが世界最高の存在であるとみなします。人類による偉大な発見の大半は、人間そのものに関するものではなく、その周囲に関するものであるということに言及されなければなりません。それゆえ、人間の努力は人間そのものでなく、物質社会に集中する傾向があります。神は上記の節において、この世界における人間の真の地位について言及します。人類は、神による奇跡的な創造からもたらされた被造物の中でも僅かな部分を占めるだけなのです。それゆえ、神が人類を創造した理由が理解される前に、なぜ神が創造したのかというさらに根本的な質問が答えられなければなりません。
創造主
創造とは、創造主である神の特質によってもたらされるものです。創造主が創造をしなければその存在に矛盾を孕みますが、それは神が創造することを必要としているということではありません。神はあらゆる必要性からも無縁な存在であるからです。かれを必要とするのは、被造物の方なのです。著者の偉大さがその著作においてはっきりと分かるように、創造主の完璧な創造の特質は被造物の中において見出すことができます。真の意味での創造とは、神のみによって行われるものです。人間も創造行為を自らに帰しますが、それは真の創造とは異なるものです。人類は単に、神によって創造された既に存在するものを模倣しているに過ぎません。テーブルは木々から作られ、石から作られた金属の釘やネジによってつなぎ合わされます。人間はその材料となる木々や石を作ったわけではありません。事実、人間の作る全てのものは、人間には作るのことの出来ない物質に元をたどることができます。芸術家でさえ、自身が見たものを元にデザインを「創造」します。感覚で捉えられないことを想像することは不可能です。芸術家による思想は、すでに創造されていることが反映されたものです。神のみが、無から創造する者なのです。こうした基本的な事実は過去も現在も一部にとっては不可解なものであるとされます。古代および現代の哲学者たちの一部は、神がいかにして無から創造するのかということを理解できず、被造世界とその中のすべてのものは、元来は神の一部であると主張します。つまり彼らによると、神は自らの一部を用いて宇宙を創造したといいます。こうした主張は、すでに存在するものを加工することによって「創造」することしかできない人間を、神と比較した結果もたらされたものです。しかし、神は自身に人間的な制限を与えるそうした類のあらゆる主張を否定します。神はクルアーンにおいてこう述べます。
“・・・かれに比べられるものは何もない。かれは全聴にして凡てを見透される方である。”(クルアーン42:11)
このように創造という行為は、創造主であるという神の特質からもたらされる結果なのです。神は最終啓示の中の様々な章句において、自身が創造主であり、あらゆるものはかれに帰属されるのだということを人類に対し強調しています。
“アッラーは、凡てのものの創造者であり、また凡てのものの管理者である。”(クルアーン39:62)
“本当にアッラーは、あなたがたを創り、またあなたがたが、造るものをも(創られる)。」”(クルアーン37:96)
人間は、神の許しなくしてはこの宇宙において何一つ出来事が起きないことを認識する必要があります。神以外の何かから悪からのご加護を求めたり、善を求めたりすることは重大な過ちです。無知により、多くの人々は様々なお守り、占星術、手相占いなどを通して不幸を避け、善きものを求めようとします。クルアーンにおいて、神は人間に対し、神から悪のご加護を請い願うよう述べています。
“言え、「黎明の主にご加護を乞い願う。かれが創られるものの悪(災難)から”(クルアーン113:1−2)
全能なる神アッラーは、悪とは無縁であり善良なる御方です。かれは世界を創造し、私たち人間が善行あるいは悪行を行うことのできる自由意志を授けました。しかし、神の許しなくしては、いかなる善や悪も起きることはありません。それゆえ、神以外の存在に助けや加護を求めることは無益なことなのです。
“どんな災厄も、アッラーの御許しなく起きることはない。”(クルアーン64:11)
神による最後の預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)は、それについてこのように述べています。
“心に留めておきなさい。全人類があなたを助けるために何かをしようとしたとしても、神が既にあなたのために記していること以外には何をすることもできないのである。同様に、全人類があなたへ危害を加えるために何かをしようとしたとしても、神が既にあなたのために記していること以外にはどんな危害を加えることもできないのである。”(アッ=ティルミズィー)
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