ヨセフの物語:導入部
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 13 May 2013
- 編集日時 27 Feb 2022
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これは昼のメロドラマ顔負けの、策謀、欺瞞、嫉妬、プライド、欲望の渦巻く物語です。またトークショーでも見ることの出来ない忍耐、忠誠、勇気と思いやりの物語でもあります。これは預言者ヨセフ(神の賞賛あれ)の物語です。このヨセフと、キリスト教・ユダヤ教において知られるヨセフは同一人物です。神は、あるユダヤ人が預言者ムハンマドにヨセフについて尋ねた際、彼にこの物語を啓示しました1。クルアーンにおける物語は通常断片的で、複数の章にまたがって語られますが、ヨセフの物語に関しては例外です。それは始めから終わりまで、一つの章において啓示され、預言者ヨセフが体験したことが語られます。私たちはヨセフの喜び、苦難、悲しみを知り、彼が自らを敬虔さ、忍耐によって武装し、そして最後に勝利を勝ち取るまでの道のりを共に歩むことが出来ます。ヨセフの物語は夢によって始まり、夢の解釈によって終わります。
“われはこのクルアーンをあなた(ムハンマド)に啓示し、物語の中の最も美しいものを語ろう。あなたもこれまで(この啓示が下されるまで)気付かずにいたものである。”(クルアーン12:3)
ヨセフの少年期
若いヨセフは明るく、美男子で、父親からこよなく愛されていました。ある朝、夢から目覚めたヨセフは、その内容を教えるため、嬉々として父親へと駆けていきました。ヨセフの父は息子の話に注意深く耳を傾けました。彼の顔は喜びに光り輝きました。なぜならヨセフの夢は、預言の実現だったからです。ヨセフはこう言ったのです。
“父よ、わたしは(夢で)11の星と太陽と月を見ました。わたしは、それらが(皆)わたしに、サジダしているのを見ました。”(クルアーン12:4)
ヨセフは12人兄弟の一人で、彼の父は預言者ヤコブ、曽祖父は預言者アブラハムでした。この預言は、アブラハムの説いた、唯一なる真実の神を崇めよ、というものを継続させることについてのものでした。預言者アブラハムの孫ヤコブは、その夢はヨセフが「神の家の光」を運び出す者となること2であると解釈しました。しかし、ヤコブの顔が喜びに満ち溢れるのもつかの間、それはすぐに消え、彼はヨセフにこのことを兄弟たちに明かしてはだめだと言いました。ヤコブはこう言いました。
“息子よ、あなたの夢を兄たちに話してはならない。そうすれば、かれらはあなたに対して策謀を企らむであろう。本当に悪魔は人間には公然の敵である。このように主は、あなたを御選びになって、出来事の解釈を教えられ、かれが以前に、あなたの父祖のアブラハムやイサクに御恵みを全うされたように、あなたとヤコブの子孫にそれを全うしたものである。本当にあなたの主は全知にして英明であられる。”(クルアーン12:5−6)
ヤコブは、彼の息子たち(ヨセフの兄たち)が夢の解釈も、ヨセフが彼らよりも優れているということも認めはしないことを知っていました。ヤコブは怖れていました。10人の兄たちは、既にヨセフに嫉妬していたのです。彼らは、彼に対する父の特別な愛情を察知していました。ヤコブは預言者で、唯一なる真実の神への服従に身を捧げ、彼の家族と集団に対し、公正に接していましたが、彼は心優しい性格の息子ヨセフに対してはその感情を隠しきれませんでした。ヨセフの下にも一人、ベニヤミンと言う名の弟がいましたが、彼はこの策略と欺瞞に関わるにはまだ幼すぎました。
預言者や誠実な者たちは神への服従を説きますが、サタンは人類を誘惑し、扇動するために待ち伏せています。サタンは策略や欺瞞を愛し、ヤコブと彼の兄たちの間の確執の種をまいていました。兄たちがヤコブに対して抱いていた嫉妬は彼らの心を盲目にさせ、思考を乱し、些細なことを重要に、そして重要なことを些細なことに見せていました。ヨセフは父の助言を受け止め、彼の夢について兄たちには話しませんでしたが、それにも関わらず彼らは嫉妬に支配されてしまいました。ヨセフの夢のことを知らずして、彼らはヨセフの殺害を計画しました。
ヨセフとベニヤミンは、ヤコブの第二夫人の子供でした。異母の兄弟たちは、自分たちを一人前と見なしていました。彼らは年長で、力強く、自分たちには良い性質が備わっていると思い込んでいたのです。嫉妬に支配された彼らはヨセフとベニヤミンを蔑視し、なぜ父が二人を寵愛するのか理解しようともしませんでした。兄弟たちはよこしまな考えにより、父が誤って導かれたのだと非難しましたが、それは現実とはかけ離れたものでした。サタンは彼らの考えを正当化させましたが、彼らがヨセフを殺害し、その後すぐに悔悟しようと話し合ったとき、それは明確に現れました。
“かれら(兄たち)がこう言った時を思え。「ヨセフとその弟は、わたしたちよりも父に寵愛されている。だがわたしたちは多勢の仲間である。父は明らかに間違っている。」(1人が言った。)「ヨセフを殺すか、それともかれを何処か外の地に追え。そうすれば父の顔(好意)はあなたがたに向けられよう。その後、あなたがたは(悔悟することにより)正しい者になろう。」”(クルアーン12:8−9)
彼らのうちの一人はそれが間違いであると感じ、ヨセフを殺す代わりに、井戸に落とすことを提案しました。通りがかりの旅行者にでも拾われれば、彼は奴隷として異国に売り払われ、家族にとって死んだも同然となると言いました。彼らはその盲目さからそのことを信じ、ヨセフの不在は父の思いから消えると思い込んだのです。兄弟たちはその邪悪な計画の準備を進めました。サタンは彼らに付け入って囁きかけ、悪意を吹き込んだのです。兄弟たちは話し合いを終え、自分たちの計画に満足しました。その計画とは、ヨセフを遊びに連れていくという名目で砂漠におびき出すというものでした。ヤコブの心に不安が忍び寄りました。
ヨセフの物語(2/7):裏切りと欺瞞
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 13 May 2013
- 編集日時 13 May 2013
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“凡そアッラーは御自分の思うところに十分な力を御持ちになられる。だが人びとの多くは知らない。”(クルアーン12:21)
ヨセフの物語では、神がすべての諸事において完全かつ絶対的な力を持つことが確証されます。ヨセフの兄弟たちによる裏切りと欺瞞は、ヨセフにとって将来的に彼が勝ち取る偉大な地位への準備となりました。ヨセフの物語は神の全能性、御力、主権性を正確に述べます。物語は裏切りから始まり、安寧、喜びによって幕を閉じます。ヨセフはその長い旅の中で、周囲の策略・裏切りを乗り越えました。それは神の御意への完全なる服従に相応しい報奨なのです。
自らの体験から忍耐を学んだヨセフは、歴史上、最も誠実な人物の一人となりました。父、祖父、曽祖父も預言者だった彼の家系は非の打ち所がありません。キリスト教・ユダヤ教の伝統においても、彼らはそれぞれヤコブ、イサク、アブラハムとして知られています。
欺瞞と裏切り
ヤコブの年上の息子たちがヨセフを砂漠へと連れだす許可を求めたとき、ヤコブの心には不安が忍び寄りました。彼はすぐに裏切りの予感を感じ取り、狼がヨセフを襲うのではないかと疑ったのです。ヤコブはこう言いました。
“あなたがたがかれを連れて行くのは、わたしにはどうも心配である。あなたがたがかれに気を付けない間に、狼がかれを食いはしないかと恐れている。”(クルアーン12:13)
サタンは狡猾な方法で欺き、ヤコブは不本意ながら自らの言葉で彼らにヨセフ失踪の理由を与えてしまうのです。兄弟たちは、ヨセフの失踪を狼のせいにする、という卑劣な計画を実行することになりました。ヤコブは息子たちの要望に折れ、兄弟たちはヨセフを連れ去り、砂漠へと向かいました。
彼らは井戸へと直行し、ためらうことなくヨセフを持ち上げ、井戸の底へと放り投げました。ヨセフは恐怖に泣き叫びましたが、彼らの冷酷無常な心は弟への哀れみを感じなかったのです。彼らは旅行者がヨセフを拾い上げ、奴隷として売り払うであろうことを確信していました。ヨセフが助けを求めて叫び声を上げる中、彼らは羊の群れから小さなものを選んで屠殺し、その血をヨセフの衣服に付けました。嫉妬心に支配された兄弟たちは、この卑劣な行いを秘密にしておくことを誓い合い、満足してその場を去りました。ヨセフは井戸の中で酷く怯えていましたが、神はやがて彼が兄弟たちに再び出会うことを明らかにしました。彼はこの出来事について、兄弟たちに問いただす日が来ることを知らされたのです。
“あなたは必ずかれらの(する)この事を、かれらに告げ知らせる(日が)あろう。その時かれらは(あなたに)気付くまい。”(クルアーン12:15)
泣訴は真実の裏付けとはならないこと
兄弟たちは泣きながら父のもとへと帰りました。既に辺りは暗くなっており、ヤコブは心配しながら家の中でヨセフの帰りを待っていました。10人の泣き声が、彼の最も恐れていたことが起きてしまったことを確信させました。夜の暗闇は、彼らの心の闇と調和していたかのようでした。彼らの口からは嘘が容易に出てきました。ヤコブの心は苦悩で締め付けられました。
“かれらは言った。「父よ、わたしたちは互いに競争して行き、ユースフをわたしたちの品物のかたわらに残して置いたところ、狼が(来て)かれを食いました。わたしたちは真実を報告しても、あなたはわたしたちを信じては下さらないでしょう。」かれらは、かれ(ユースフ)の下着を偽りの血で(汚し)持って来た。”(クルアーン12:17−18)
預言者ムハンマドの後に現れた誠実な者たちの逸話の一つに、老婦人に判決を下したムスリムの裁判官の例があります。判決後、老婦人は延々と泣きました。証拠に基づいた判決により、彼女は敗訴したのです。裁判官の友人は言いました。「彼女は泣きに泣いていたし、老年だ。なぜ彼女を信じなかったのだ?」裁判官は言いました。「クルアーンには泣くことが真実の証とはならない、と書いてあることを知らないのか?ヨセフの兄弟は泣きながら父親の元へと帰ったのだぞ?」彼らは泣いていましたが、犯罪を犯していたのです。
ヤコブとヨセフは共に、歴史上最も高貴な人物に数えられます。預言者ムハンマドはヨセフのことを、最も品位あり、寛大な人物の一人として言及しています。誰が最も神を畏れる人物かと聞かれたとき、彼はこう答えています。「最も名誉ある人物は神の預言者であり、諸預言者の子、そして神に寵愛されたしもべ(アブラハム)の子であるヨセフである。」1ヨセフが恐怖の中で井戸の底に居たとき、遠くにいたヤコブは不安にかられていましたが、息子たちが嘘をついているのは分かっていました。神の預言者にふさわしく、涙を流しながらも彼はこう言いました。
“いや、いや、あなたがたが自分たちのために(大変なことを安易に考えて)、こんなことにしたのである。それで(わたしとしては)耐え忍ぶのが美徳だ。あなたがたの述べることに就いては、(只)アッラーに御助けを御願いする。”(クルアーン12:18)
どういった行動をとれば良いのかは、ヤコブにとってのジレンマでした。彼は息子たちが嘘を付いていたのを知っていましたが、どのような対処をすべきだったのでしょう。もちろん彼らを殺すわけにはいきません。彼は神への完全なる服従から、この出来事は彼自身の手には負えないことを悟りました。彼には神を信頼し、希望と忍耐をもって神に全てを委ねるほかに選択肢はなかったのです。
井戸の底でヨセフは祈りました。父と息子は夜が更けても神に向き合っていました。夜が明けてもなお、彼らの心には恐怖と希望が混在していました。ヤコブにとっては、神へ信頼しつつ、これから来たる長き忍耐の年月の幕開けとなる新しい1日が始まったのです。一方、井戸の中には太陽の光が差し込み始めました。もしヨセフがあたりを見渡せたのなら、井戸へとキャラバンが近づいて来ているのが分かったでしょう。数分後、キャラバンの男が冷たい水を期待し、井戸の底へと桶を下ろしました。
ヨセフの物語(3/7):奴隷として
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 20 May 2013
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サタンの囁きかけによって道を踏み外し、嫉妬と自尊心に支配された兄弟たちは、父であるヤコブを欺き、弟を裏切りました。兄たちに井戸の中へと放りこまれた預言者ヤコブの愛息ヨセフは、井戸の突き出した部分に一晩中しがみつき、神へと信頼を寄せることに努めました。時の流れは遅く、日が昇ると太陽の熱波も少しずつ感じ取れるようになってきました。その日、エジプトへと旅をしていたキャラバンが井戸に近づきました。
キャラバンがそこに着くと、旅行者たちはいろいろな身支度を始めました。ある者はラクダたちを繋ぎ留め、またある者は馬の世話をし、その他は荷を降ろしたり、食事の準備に取り掛かっていました。水汲み役の男が井戸へと行き、冷たく新鮮な水を期待して桶を下ろしました。ヨセフは自分に向かって勢いよく降りてくる桶にびっくりしましたが、それが水に届くまえに身を乗り出して縄を掴みました。その重みに驚いた男は井戸の底を覗きこみました。子供が縄に捕まっているのを見つけた男は驚くと共に興奮しました。男が仲間の手を借りてヨセフを引き上げると、彼らは一同に美しい子供が出てきたことに歓喜しました。
男児を発見した水汲み役の男は、驚きを隠すことが出来ずこう大声を張り上げました。“ああ吉報だ”(クルアーン12:19)男は有頂天になりました。奴隷市場で大金を得ることが出来ると考えた彼は、直ちにヨセフを売り払うことに決めました。ヨセフの兄弟たちが予測したように、キャラバンの男達はヨセフをエジプトへ連れて行き、高額で売ることにしました。エジプトの奴隷市場は奴隷を買う側、売る側、その様子を見守る者たちで溢れかえっていました。井戸で発見された美少年は見物人を呼び起こし、入札はハイペースに進みました。その金額は彼らの予想を上回るものとなり、ヨセフは最終的に、エジプトの主席大臣であるアズィーズによって買い取られることになりました。
しかしながら、神はクルアーンの中で、彼らがヨセフを僅かな値段で売ったと述べています(12:20)。キャラバンの男達が、彼らが受け取った値段に歓喜したことを考えると、このことは不自然に映るかもしれません。しかし神が僅かな値段と述べたのは、ヨセフは彼らが想像するよりもはるかに価値のある人物だったからです。男達は、この少年が成長してどのような人物になるのか想像も付かなかったのです。ヨセフは美しい少年でしたが、彼らにとっては取るに足らない存在でした。たとえ彼らがヨセフの体重分の金塊によって彼を売り払ったとしても、それは神の預言者ヨセフとして成長する少年とはおよそ釣り合わない金額なのです。
アズィーズの家で
主席大臣のアズィーズは、その子が普通の子供ではないことを直ちに察知しました。彼はエジプトでも最も優雅な豪邸の一つだった自宅にヨセフを連れ帰り、彼の妻にこう告げます。
“「優しくかれを待遇しなさい。多分かれはわたしたちを益することになろう。それとも養子に取り立ててもよい。」こうしてわれはユースフ(ヨセフ)をこの国に落ち着かせ、出来事(事象)の意味のとり方をかれに教えることにした。”(クルアーン12:21)
神は、ヨセフをエジプトにおける第2番目の重要人物の家に住まわせました。主席大臣アズィーズは首相よりも上の地位にあり、エジプトの財務大臣も務めていました。神がその土地にヨセフを住まわせたのは、英知と理解力を育ませるためでした。ヨセフが父親と家族から引き離された時の悲しみを乗り越えるために必要とされた努力、本来は守ってくれるはずの存在である年長の兄弟たちによる裏切りにおける絶望感、井戸の中で過ごした時間、奴隷として売り払われた屈辱は、すべてヨセフの性格を形成するための試練だったのです。それらは偉大なる人物への第一歩として必要だったのです。神はヨセフの兄弟たちの裏切りを利用し、神の預言者としてヨセフを確立させるための計画を遂行したのです。
ヨセフの兄弟たちは、その幼い弟を井戸に放り込んだ時、すべては計画通りに進んだと感じたかもしれませんが、現実には、彼らの手には負えないことでした。神こそはその行為における決定者であり、その計画は他者の裏切り、嫉妬、プライドなどとは関係なく実行されるのです。ヨセフはエジプトの意思決定機関と関わり、ヨセフの特質を認識する、親切な男に育てられました。遠く離れた父と弟のベニヤミンを恋しいとは感じましたが、ヨセフは配慮の行き届いた、贅沢な環境に身を置きました。ヨセフはアズィーズの家で成年に達し、神は彼に的確な判断力と知識を授けました。
“かれ(ヨセフ)が成年に達した頃、われは識見と知識(預言者性)とをかれに授けた。このようにわれは正しい行いをする者に報いる。”(クルアーン12:22)
神はヨセフに知識だけでなく、英知をも授けたのです。彼は理解する能力と共に、知識を応用する際に的確な判断力を駆使する能力を授けられたのです。現在までに、世界の歴史を通して知識のある者は沢山いましたが、その知識を効率良く応用する判断力を持つ者はとても少ないのです。
イスラームにおける最も偉大な学者の一人である、イマーム・アブー・ハニーファは、論題を提示する定期的な学習会を設けていました。論題が議論され、意見が交換され、イマーム・アブー・ハニーファが最終的な評決を下しました。こうした方式の学習会は、当時は画期的なものでした。この学習会にはハディース(預言者ムハンマドにまつわる伝承)学者が一人参加していました。彼はイマーム・アブー・ハニーファが一度も聞いたことのなかった伝承を口述しました。そのとき、女性がある質問をしました。その学者は答えが分からないと言いましたが、イマーム・アブー・ハニーファは答えることが出来ました。そして彼は学習会の参加者の方を向いて言いました。「私たちの兄弟が言及したハディースについての質問の答えを、私は知っています。」つまり、知識はあってもそれをうまく応用出来ないことはあり得るのです。預言者ヨセフも他の預言者たち同様、知識と共にそれを理解し応用することの出来る英知が授けられたのです。
ヨセフの物語(4/7):美貌と試練
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 20 May 2013
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裏切られ、奴隷として売り払われたにも関わらず、預言者ヤコブの息子ヨセフはエジプトの上流階級の家に住むことになりました。彼の主人となったエジプト主席大臣のアズィーズはヨセフへの親切な処遇を約束し、ヨセフはその見返りに彼への忠誠を約束しました。彼は自分を冷遇や虐待のない状況へと改善してくれた神に感謝しました。ヨセフの状況は、井戸の底へと転落して鉄の足かせをはめられていた状態から、裕福な暮らしへと改善しました。ヨセフの人生は曲がりくねった道のようでしたが、アズィーズの家で彼は成長することになりました。
イスラーム学者たちは、兄弟たちに裏切られた時、ヨセフはおよそ14歳であったと推測しています。最も尊敬されているクルアーン学者の一人であるイマーム・イブン・カスィールは、その著書「諸預言者物語」において、ヨセフはおそらく、アズィーズの妻の付き添い人として奉公していたと推測しています。イブン・カスィールは彼が忠実、丁寧かつ卓越した美貌を備えていたと述べています。また、預言者ムハンマドはヨセフのことを「あらゆる美の半分を体現する者」1と呼んでいます。ヨセフは成長するにつれ、神によって知恵と優れた判断力を授けられ、それを認めた主席大臣アズィーズは家事の全責任を彼に任せました。アズィーズの妻を含む、彼を知るすべての人々は、彼の美貌、誠実さ、崇高さを認めました。彼女はヨセフが美青年へと成長するにつれ、彼に惹かれるようになりました。
試練
“かれの起居する家の夫人が、かれの心を惑わそうとして、戸を閉めて言った。「さあ、あなたおいでなさい。」”(クルアーン12:23)
アズィーズの美しい妻は戸を閉め、ヨセフを誘惑して言い寄りましたが、彼はそれを拒み、神のご加護を求めました。ヨセフは彼の主人を裏切ったりはしないと告げました。ヨセフは言いました。「彼は私に良くし、敬意をもって接してくれました。」ヨセフは悪行を犯す者が、決して成功しないことを知っていました。アズィーズの妻は悪い欲望を持ち、それを実行しようとしましたが、ヨセフはその誘惑を振り切り、逃げようとしました。預言者ムハンマドは、もしも私たちが悪行を犯すという意図を持ち、それを実行したのであれば、神はそれを一つの悪行として記録することを告げています。しかし、悪行を犯すという意図を持ち、それを実行に移さなかったのであれば、神はそれを一つの善行として記録されるとも述べました2。
ヨセフは主人の妻による誘惑を頭の中から払いのけ、神へのご加護を求め、その状況から脱出しようと試みました。おそらくヨセフは、数年に渡って彼女から言い寄られていたのかもしれません。エジプト社会の最高階層出身の裕福で美しい婦人は、ヨセフのそうした態度にひるみませんでした。彼女の美貌、地位、そして富は、大半と男性が彼女の誘惑に容易に負ける程のものでした。ヨセフは普通の男性ではなかったため、彼が直ちに神のご加護を求めると、神はそれに応えたのです。
“確かにかの女は、かれに求めたのである。主の明証を見なかったならば、かれもかの女を求めたであろう。このようにしてわれは、かれから罪悪と醜行を遠ざけた。本当にかれは、謙虚で純真な(選ばれた)わがしもベの一人である。”(クルアーン12:24)
ヨセフは審判の日、神によって日陰に入れられる者たちの長の一人となります。預言者ムハンマドによると、審判の日の熱波は激しいものとなり、人々は神によって審判が下されるのを待つまでの間、恐怖におののくとされます。しかし、一部の人々はこの過酷な熱波から遮られるのです。それらの中に、美しく魅力的な女性の誘惑を神にご加護を求めることによって断る者たちが含まれるのです3。
ヨセフによる拒絶は、彼女の欲望をさらに燃え立たせただけでした。彼が逃げようとすると、彼女は扉まで追いかけたのです。アズィーズの妻は彼の衣服を掴み、それを背中から引き裂きました。次の瞬間、扉が開いて彼女の夫が入ってきました。彼女は躊躇うこともなく、直ちに状況を自分の有利な方に持って行こうとして、こう叫んだのです。「あなたの妻に対して悪だくみをした者に対する処罰は何ですか?」これは明確な嘘でしたが、彼女の口からはそれが容易に出てきてヨセフの収監を示唆したのです。ヨセフは反論して言いました。“奥様こそ、わたしの意に反して、わたしを御求めになりました。”(クルアーン12:26)すると彼らの親族が訪れてこの問題の解決のためにこう言いました。
“もしかれの服が前から裂けていれば、奥様が真実で、かれは嘘つきです。だがかれの服が、もし後ろから裂けていれば、奥さまが嘘を御付きになったので、かれは真実であります。”(クルアーン12:26−27)
もし彼の衣服が後ろから破れていたのであれば、それは彼が逃げようとし、彼女が彼を追いかけて背後から衣服を掴み、破いた証拠なのです。そしてそれが実際に起きたことでした。その証拠は揺るぎないものだったのです。主席大臣は怒りを隠せませんでしたが、この事件を隠蔽することの方により気を揉みました。彼はその名声と地位にスキャンダルによる汚れが付くことを望みませんでした。彼はヨセフに対し、事件については沈黙すること、そして妻に対しては神の許しを乞うよう告げました。これで事件は終わりを見せるべきでしたが、上流階級において一般的であるように、人々は時間を持て余していたため、友人や知人、隣人や親戚の噂話に花を咲かせていたのです。
街の女性たち
街の女性たちはアズィーズの妻と彼女の奴隷ヨセフに対する熱について話すようになりました。噂は広まり、女性たちはなぜ彼女が奴隷などに欲望を抱き、自らの名声に泥を塗るようなことをしたのかと思っていました。アズィーズの妻は彼女らを思い知らせるため、いかにヨセフが美しく魅力的かを見せつけたいと願いました。彼女は彼女らを昼食会へと招き、豪勢な食卓を用意し、食事用のナイフを配りました。その部屋はおそらく、噂の奴隷がどれ程の者なのかという期待と、自分たちはアズィーズの妻よりも優れていると思い込む女性たちの、緊迫した空気が張り詰めていたことでしょう。女性たちが食事を始めたとき、ヨセフが入室しました。彼女らは一斉に目を上げ、彼の美貌を目にすると手にナイフを持っていたことを忘れてしまいました。女性たちは彼の容貌に魅了されるあまり、自分たちの手をナイフで傷つけてしまう程でした。彼女らはヨセフのことを高貴な天使のようだと述べました。アズィーズの妻は高慢かつ自身に満ちた声で来客にこう言いました。
“この人よ、あなたがたがわたしを謗るのは。確かにわたしが引っ張ってかれに求めたの。でもかれは貞節を守ったのよ。でも(今度)もしかれがわたしの命令を守らないなら、きっと投獄されて、汚名を被るでしょう。”(クルアーン12:32)
ヨセフは再び、完全なる謙遜さと共に神へと向き合い、もし自分が女性たちの欲望に屈するくらいなら、投獄されてしまう方がより好ましいと述べました。彼の主は、その祈願に答えます。
ヨセフの物語(5/7):牢獄から宮殿へ
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 27 May 2013
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ヨセフの物語は、逆境における忍耐の模範です。ヨセフはその人生における試練と苦難を通し、神への完全なる信頼を貫きました。そして再び、彼は極めて困難な状況に陥りました。今度はアズィーズの妻の仲間の目の前で、彼女による誘惑を払いのけねばならなかったのです。ヨセフは神へとご加護を求めました。
“主よ、わたしはかの女たちが誘惑するものよりも、牢獄が向いています。あなたがもしかの女たちの悪企みを、わたしから取り除いて下さらなければ、わたしは(若年の弱さで)かの女たちに傾いて、無道な者になるでしょう。”(クルアーン12:33)
ヨセフはアズィーズの家に住み続けるよりは、獄中で暮らした方がましだと感じました。アズィーズの家は現代社会に見て取れるような性欲、非合法な美、誘惑に満ち溢れていました。彼は周囲のフィトナ1に屈するくらいなら牢獄の方がまだ良いと信じたのです。神はヨセフの祈願に答え、彼を救出しました。
“それで主はかれ(の祈り)を受け入れ、かの女たちの悪企みをかれから取り払われた。本当にかれは全聴にして全知であられる。そこでかの女たちは(かれが潔白である)証拠を見ていながら、しばらくかれを投獄しよう(それがかの女たちのために良い)と思った。”(クルアーン12:34−35)
エジプトの主席大臣アズィーズは、ヨセフの無実性を確信していましたが、彼はヨセフを投獄しました。彼が自らの名声と地位を守るには、それしか方法がなかったのです。
獄中のヨセフ
ヨセフと共に投獄されていたのは、彼の敬虔さと誠実さを認めた2人の男でした。2人は共に鮮明な夢を見た後、それについて思い悩んでおり、ヨセフが夢の解釈をしてくれることを期待しました。一方はワインを圧搾している夢で、もう一方は鳥が自分の頭からパンを食べている夢でした。ヨセフは言いました。「あなたがた2人に支給される食事が来る前に、わたしは必ずその解釈を告げよう。」
“かれ(ヨセフ)は答えて言った。「あなたがた2人に支給される食事が来る前に、わたしは必ずその解釈を告げよう。それはわたしの主が教えて下さるのである。わたしはアッラーを信じず、また来世を認めない不信心者たちの信条を捨てたのである。そしてわたしは祖先、イブラーヒーム(アブラハム)、イスハーク(イサク)またヤアコーブ(ヤコブ)の信条に従う。わたしたちは、アッラーにどんな同位者も決して配すべきではない。これはわたしたち、また凡ての人びとに与えられたアッラーの恩恵である。だが人びとの多くはこれに感謝しない。”(クルアーン12:37−38)
ここでのヨセフの振る舞いに注目すべきでしょう。彼らが夢についての質問をするとき、ヨセフは直ちに神こそが彼らに供給を与え、知識と夢解釈を教える御方であると明確にしました。ヨセフは神から来るものと彼自身から来るものの違いを明らかにしたのです。彼は自らの宗教を明らかにし、彼の周囲で実践されている宗教を信じず、来世の信仰を有する真の宗教を信じることを述べました。ヨセフは彼の家系であるアブラハム家が神の唯一性の知識を有し、彼の宗教と家系が神へ同位者を配さないことを断言しました。エジプト人たちは神についての知識を持っていましたが、彼らはその他の神々を同位者や、執り成し手として神に配属させていたのです。
ヨセフは2人に対して、虚偽の神々には何も実体がないこと、そして神の全能性を説明した後、夢の解釈をします。彼は、一方が国王の側近となること、そしてもう一方は磔にされて鳥に啄まれることを告げるのです。
“2人の獄の友よ、あなたがたの中1人に就いていえば、主人のために酒を注ぐであろう。また外の1人に就いては、十字架にかけられて、鳥がその頭から啄むであろう。あなたがた2人が尋ねたことは、こう判断される。”(クルアーン12:41)
ヨセフは国王の側近となる者に近づいて、こう言いました。「国王に私のことを伝えるのです。」彼は国王が彼の抑圧について検討し、解放することを望んでいました。しかしながら、サタンの囁きかけと策略によって、彼はヨセフについて言及することを忘れてしまったため、彼はその後も数年間に渡って牢獄に留まることになりました。イスラーム学者たちは、この忘却の性質について2つの見解を示しています。イブン・カスィールは、男が単にヨセフについて言及することを忘れたのであるとし、他の学者はヨセフが神のお力添えを祈願し忘れたため、男が彼についての言及を忘れてしまったのであるとしています。いずれにせよ、ヨセフは獄中に残り、忍耐と不屈の精神をもって神を信頼し続けたのです。
国王の夢
国王は、ナイル川の川岸に立っているとき、7頭の肥えた牛の次に、7頭の痩せた牛が川から現れるのを見る夢を見ました。それは、7頭の痩せた牛が肥えた牛を食い尽くすというものです。次に、7本の緑の穀物の穂がナイル川の川岸から生え、それらが泥の中に消えると、同じ場所から7本の乾いた穀物の穂が生えました。国王は夢から覚めると動揺し、魔術師、司祭、牧師を呼びます。彼らはその解釈をすることが出来ず、それが単なる悪夢であったという結論に達します。獄中でヨセフと一緒になった男がその夢のことを耳にし、ヨセフのことを思い出しました。国王の許可を得て、彼は牢獄へと急ぎ、ヨセフに夢の解釈をするよう頼むのです。
“かれは言った。「あなたがたは7年の間、例年のように種を播きなさい。だが刈り取ったものは、あなたがたが食べるのに必要な少量を除いて、(残りを)籾のまま貯蔵しなさい。それから、その後7年(にわたる)厳しい(年)が来て、あなたがたがかれらのため以前に貯蔵したものを食べ、貯えるものの少量(を残す)に過ぎないであろう。それからその後に来る1年には、人びとに豊かな雨があり、たっぷり(果汁を)萎るであろう。」”(クルアーン12:47−49)
国王は夢の解釈をしたばかりでなく、対策まで打ち出したヨセフについて驚きを隠すことが出来ませんでした。国王はヨセフを呼び出すよう命じました。しかしヨセフは牢獄から出ることを拒否し、使者が国王のもとに戻り、こう尋ねることを要求したのです。“あの手を傷つけた婦人たちはどうなっているのか”(クルアーン12:50)ヨセフは自らの潔白が証明されるまでは牢獄から出ることを望みませんでした。
Footnotes:
1 フィトナというアラビア語は、容易に多言語に翻訳することの出来ない語です。それは、試練や苦難の時を意味しますが、とりわけ、神への正しい崇拝が阻まれること、または不従順や不信仰の行為を引き起こすような状況を指し示します。
ヨセフの物語(6/7):夢の重要性
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 27 May 2013
- 編集日時 28 May 2013
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預言者ムハンマドは述べています。「すべての預言者たちは彼らそれぞれの民に遣わされたが、私は全人類へ遣わされたのだ。」神はヤコブの息子ヨセフをエジプト人に遣わし、観測可能な奇跡で彼を手助けすることにより、人々が彼を神によって遣わされた導きであることを認識し易くしました。ヨセフの時代は、夢とその解釈が非常に重要視されており、そのことはヨセフの物語においても明白となっています。預言者ヤコブ(ヨセフの父親)、獄中の仲間、そしてエジプト国王は皆、夢を見ています。
国王がヨセフによる夢の解釈を耳にしたとき、彼は驚愕し、ヨセフを釈放しました。しかしながら、ヨセフは自身が無罪であることが明確にされない限り、牢獄から出ることを拒みました。彼は自分が信頼を裏切ったりはしなかったことを、主人であるアズィーズに確信して欲しかったのです。ヨセフは国王が、関係者の女性たちの調査をするよう丁重に要求しました。国王はそのことに関心を持ち、アズィーズの妻とその仲間たちを呼び出しました。
“かれ(王)は、(婦人たちに)言った。「あなたがたがユースフ(ヨセフ)を誘惑した時、結局どうであったのか。」かの女たちは、「アッラーは完全無欠であられます。かれには、何の悪いこともないのを存じています。」と言った。アズィーズの妻は言った。「今、真実が(皆に)明らかになりました。かれを誘惑したのはわたしです。本当にかれは誠実(高潔)な人物です。」”(クルアーン12:51)
ヨセフは無実が証明されると、国王の前に現れました。ヨセフの話を聞いた後、国王はさらに感銘を受け、ヨセフを高官として任命しました。ヨセフは言いました。“わたしをこの国の財庫(の管理者)に任命して下さい。わたしは本当に知識ある管財者です。”(クルアーン12:55)イスラーム宗教において、自らのために権力の座を求めたり、傲慢な話し方をすることは許されていません。しかし、ヨセフが国王に財庫の管理者の職を求めたとき、彼はそれらの双方を行ったのです。
イスラーム学者たちの説明によると、その地位に相応しい者が他に誰一人としていないときであればそれは許され、その地域における新参者なのであれば自ら立候補することも出来るとされています。ヨセフはエジプトに訪れるであろう試練のこと、そして飢饉による危機を回避させる能力があることを知っていたのです。ヨセフにとって、この職務を求めないことは無責任となるでしょう。井戸の中に放り込まれた少年は今、エジプトの財務大臣としての地位を築きました。彼の忍耐と努力、そして何よりも神の御意への完全なる服従は、既に結果として大いなる報奨をもたらしました。しかし、ヨセフは忍耐と誠実さに対する最大の報奨は、来世にこそあることを知っていました。
兄弟たちとの再開
時が過ぎました。ヨセフは7年間に渡って飢饉への準備を進めました。ヨセフによって的確に予言された旱魃と飢饉は、エジプトだけではなくヤコブとその息子たちが住んでいた地域をも襲いました。ヨセフによる手腕は卓越しており、エジプトには国内だけでなく、周辺地域の人々を養うだけの蓄えがありました。食糧の供給不足に陥った周辺地域の人々は、ヨセフが適正な価格で売っていた穀物を求めてエジプトに押し寄せました。
それらの食糧を求めてやってきた人々の中には、ヨセフの年長の兄弟たちもいました。ヨセフの前に連れて来られたとき、彼らはヨセフに気が付きませんでした。ヨセフが兄弟たちを認識すると、彼は父親と弟のベニヤミンが心から恋しくなりました。彼は敬意をもって彼らに挨拶し、彼らの家族と故郷について尋ね、穀物が一人あたりに対して配給されること、つまりもし彼らが末弟を連れてくればより多くの配給を得られることを告げ知らせました。ヨセフは彼らがベニヤミンを連れてくることを望んでおり、彼らが末弟を連れてこなければ彼らへの配当は全く無いとさえ言ったのです。
“もしあなたがたがかれを連れて来ないなら、あなたがたはわたしの所で(穀物を)計ってもらえず、わたしに近付くことも出来ない。”(クルアーン12:60)
彼らが父親である預言者ヤコブの元に戻った際、末弟を連れていかないことには穀物が全く配給されないことを伝えました。ベニヤミンはヨセフの失踪後、特に父親に懐いており、ヨセフを失った当時のことを思い出したヤコブはベニヤミンがいなくなってしまうことを怖れました。兄弟たちは末弟の安全を約束しましたが、ヤコブの心には不安が生じました。
ヤコブは完全に神を信頼しており、彼らがベニヤミンを守ることを神の御名において誓わせた後、連れていくことの許可を与えました。預言者ヤコブは、ヨセフとベニヤミンの二人に対して特に親密でしたが、息子たち全員を深く愛していることに変わりはありませんでした。彼らは皆力強く、外見も良く、有能で、ヤコブはエジプトまでの行程において、彼らに何らかの危害があるのではないかと怖れたのです。危険に晒されるのを防ぐため、彼は息子たちに異なる門から町に入るよう約束させました。ヤコブは言いました。
“息子たちよ、(町に入る時は皆が)1つの門から入ってはならない。あなたがたは別々の門から入りなさい。だが(この用心は)、アッラーに対しては、あなたがたに何も役立たないであろう。裁定は、只アッラーに属する。かれにわたしは信頼した。凡ての頼る者は、かれにこそ頼るべきである。”(クルアーン12:67)
兄弟たちはエジプトに戻り、異なる門から町に入ると、約束通りヨセフのもとへ行きました。このとき、ヨセフはベニヤミン一人を個別に呼び、自分が長らく離れ離れになっていた彼の兄であることを打ち明けました。二人は歓喜し、抱擁しました。しかし、ヨセフはベニヤミンに対し、このことをしばらくの間は内密にしているよう求めました。兄弟たちに穀物を支給したあと、ヨセフは金の器をベニヤミンの手荷物の中に忍ばせ、手配通りに誰かにこのように叫ばせました。“隊商よ、あなたがたは確かに泥棒です。”(クルアーン12:70)
兄弟たちは何も盗んではいなかったため、仰天しました。彼らは何が盗まれたのかを問うと、それが国王の所有する金の器であることを知り愕然としました。彼らは、それを返却した者に、ラクダの積み荷一杯分の穀物が与えられることを知らされました。ヨセフの兄弟たちはその窃盗については何も知らないことを主張しました。彼らは自分たちが盗人ではないこと、そしてエジプトに来たのはそういった目的からではないことを断言しました。ヨセフの従者の一人が尋ねました。「あなたがたの地における、盗人に対する処罰は何ですか?」兄弟たちは、預言者ヤコブの法においては、盗人は奴隷とされることを述べました。ヨセフは兄弟たちをエジプトの法律で裁きたかった訳ではなく、その機会を狙って彼の弟を自分のもとに留まらせたかったのです。手荷物検査がされると、金の器はベニヤミンの手荷物から発見されました。
ヨセフの物語(7/7):報奨への報い
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 03 Jun 2013
- 編集日時 03 Jun 2013
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金の器がベニヤミンの手荷物から発見されると、兄弟たちは愕然としました。彼らは首相(ヨセフ)が彼らの土地の法律を適用し、ベニヤミンを奴隷とすることを知りました。このことは彼らを非常に動揺させました。彼らは父親の寵愛する末っ子なしに彼のもとへ戻ることを怖れました。兄弟の一人は、ベニヤミンの代理で懲罰を受けることを提案しましたが、それは却下されました。別の兄弟(おそらく長兄)は、他の兄弟たちが故郷に帰ろうとも、自分は一人エジプトに残る決断をしました。兄弟たちが家に帰り着くと、直ちに父親のもとへ行きこう言いました。
“父よ、あなたの子は、本当に盗みをしました。わたしたちは、唯知っていることの外は証明出来ません。また目に見ていないことに対しては、どうしようもなかったのです。それで(あなたは)、わたしたちがいた町で尋ねるか、またはそこを往来した隊商に問いなさい。わたしたちは真実を言っている(ことが分ります)。”(クルアーン12:81−82)
預言者ヤコブは以前にも、同じような言い訳を彼らから聞いていました。兄弟たちがヨセフを裏切り、彼を井戸の中に放り込んだとき、彼らは泣きながら父のもとへ行き、嘘に満ちた言葉を吐いたのです。今度はヤコブは彼らを信じませんでした。彼らに背を向け、彼はこう言いました。“いや嘘である。あなたがた自身のため事件を工夫して作ったに過ぎない。だが耐え忍ぶこそ(わたしには)美徳である。”(クルアーン12:83)ヤコブはヨセフを失って以来、何年にも渡って嘆き悲しみ、神へと信頼を寄せ続けてました。この新たな悲しみが彼を襲ったとき、彼の最初の反応は忍耐することでした。彼は下の二人の息子の諸事は、アッラーの御意に委ねられていることに一片の疑いも抱きませんでした。
彼は神に対して全幅の信頼を寄せてはいましたが、どの父親も同じ状況において取るような行動を取りました。彼の悲しみは相当なもので、感情を抑えることが出来ずにむせび泣いたのです。彼はヨセフのことも思い出し、ついには病気を患い、盲目になるまで泣き続けました。兄弟たちは彼の悲嘆を心配し、その絶え間ない嘆きについて尋ねました。彼らはこう尋ねたのです。“あなたは、死ぬその日まで泣き続けるのですか?”ヤコブはただ、その悲嘆と苦悩を神に対して訴えかけているだけで、彼らが知らないことを彼は知っているのだと告げました(クルアーン12:86)。
多くの年月が過ぎ去ったにも関わらず、ヤコブはヨセフのことを忘れてはいませんでした。ヤコブはヨセフの夢について考えを巡らせ、神の計画が実を結ぶであろうことを理解しました。ヤコブは二人の息子を失ったことについて深く傷づいてはいましたが、神への信仰によってそれに耐え、息子たちにエジプトへ戻り、ヨセフとベニヤミンを探してくるよう命じました。
ヨセフの告白
兄弟たちは再び、エジプトへの長旅に出発しました。飢饉は周辺地域に蔓延しており、人々は飢え、弱っていました。兄弟たちがヨセフの前に立ったとき、彼らも同様に貧弱でした。彼らは飢えのあまり、施しを求める程でした。彼らは言いました。
“申し上げます。災難(飢饉)がわたしたちと一族の者に降りかかったので、ほんの粗末な品を持って参いりました。枡目を十分にして、わたしたちに施して下さい。本当にアッラーは施しを与える者を報われます。”(クルアーン12:88)
彼らこそが自分を裏切った張本人であるにも関わらず、ヨセフは自分の家族がそのような立場に甘んじていることが哀れでなりませんでした。彼は自分の家族に目をやると、真実を隠し続けることが出来なくなり、こう言いました。
“あなたがたが無道の余り、ユースフ(ヨセフ)とその弟にどんなことをしたか知っているのか。”(クルアーン12:89)
その瞬間、兄弟たちは彼がヨセフであることに気付きました。その理由は、彼らは彼を何度も目にしていたため、彼の容姿によるものではありませんでした。ヨセフ以外にその事件の事実を知る者はいなかったからです。
“わたしはユースフです。これはわたしの弟です。アッラーは確かにわたしたちに恵み深くあられる。本当に主を畏れ、堅忍であるならば、アッラーは決して善行の徒への報奨を、虚しくなされない。”(クルアーン12:90)
彼らは恐怖しました。彼らの過去の罪は重大なものでしたし、現在の彼らは弱い立場にありました。彼らの目の前に立っているのはもう、小さな美少年ではなく、エジプトの首相だったのです。ヨセフは彼の父親同様、試練と苦難の数々において唯一なる神への服従に安楽を見出しました。彼は、真の忍耐の中にこそ、慈悲深さと敬虔さの性質が秘められていることを理解したのです。彼は兄弟たちに目を下ろして言いました。“今日あなたがたを、(取り立てて)咎めることはありません。アッラーはあなたがたを御赦しになるでしょう。”(クルアーン12:92)
ヨセフはすぐに、家族再開の計画を立てました。彼は兄弟たちが父親のもとへと戻り、彼(ヨセフ)の古い衣服を彼の顔に被せるよう頼みました。彼はそれによって、父親の視力が戻ると言いました。その瞬間、老人ヤコブは遥か離れた場所にいたにも関わらず、天を仰ぎ、ヨセフの匂いを感じ取りました。これは、神によって預言者ヨセフを通して実現された奇跡です。兄弟たちが到着し、ヤコブの顔にその衣服を被せると、彼の視力は回復しました。彼は叫びました。“わたしはあなたがたに言わなかったか。あなたがたが知らないことを、わたしはアッラーから(の啓示で)知っている。”(クルアーン12:96)
預言者ヤコブの家族は荷物をまとめ、エジプトへと出発しました。ヤコブは2人との再開が待ちきれませんでした。彼らが真っ直ぐとヨセフのもとへと向かうと、彼は高い玉座に座っていました。ヨセフは家族に向かい「神の思し召しなら、安全と共にエジプトに入りなさい」と言います。
クルアーンの第12章「ヨセフ」は、ヨセフ少年が愛する父親に夢のことを説明している場面で始まります。彼は言います。“父よ、わたしは(夢で)11の星と太陽と月を見ました。わたしは、それらが(皆)わたしに、サジダしているのを見ました。”(クルアーン12:4)クルアーンのヨセフの物語は、始まりと同じように夢の解釈で幕を閉じます。11の星とは彼の兄弟たちで、太陽は彼の父、そして月は彼の母なのです。
“かれは両親を高座に上らせた。すると一同はかれにひれ伏した。するとかれは言った。「わたしの父よ、これが往年のわたしの夢の解釈です。わが主は、それを真実になさいました。本当にかれは、わたしに恩寵を与え、牢獄からわたしを御出しになり、また悪魔が、わたしと兄弟との間に微妙な敵意をかきたてた後、砂漠からあなたがたを連れて来られたのであります。わが主は、御望みの者には情け深くあられます。本当にかれは全知にして英明であられます。”(クルアーン12:98−100)
ヨセフの物語の本質とは、逆境と悲嘆における忍耐です。ヨセフは直面したすべての試練に忍耐と神への完全な信頼をもって耐えぬきました。彼の父ヤコブは、悲しみと不幸を忍耐で服従によって忍びました。クルアーンのすべての章は、特定の状況に対応するため、特定の時間において啓示されています。この章は、預言者ムハンマドにとっての大いなる悲しみの時期に下されました。事実、啓示された年は「悲しみの年」とされるものです。それは、預言者ムハンマドがこよなく愛した妻ハディージャ、そして彼の叔父アブー・ターリブが亡くなった年でした。2人共、彼に愛情と援助を惜しまず与える家族でした。神は預言者ムハンマドに対し、道は険しく長いものであれ、神を意識し、忍耐強いものに最終的な勝利が与えられることを忠言しています。ヨセフの物語は私たち全員にとっての教訓です。イスラーム学者たちが「美しき忍耐」と呼ぶ真の忍耐は、楽園の扉を開く鍵なのです。
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