預言者ムハンマド伝(10/12):フダイビーヤの盟約

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説明: ムスリム側とマッカ側によって結ばれた不可侵条約に潜む隠れた勝利。

  • より IslamReligion.com
  • 掲載日時 06 Dec 2009
  • 編集日時 21 Oct 2010
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クライザ族への処罰

アラブ人にとって、信頼への裏切り、そして誓約の破棄よりも忌み嫌われるものはありません。クライザ族への対応が問われる時が来ました。預言者は塹壕の戦いから戻って来た当日、既に自分たちの砦へと避難を済ませていたクライザ族との戦争を宣言しました。およそ一ヶ月にも渡る包囲の末、彼らは無条件降伏せざるを得ませんでした。彼らは唯一の懇願として、彼らが支持していたアラブ部族による判決を求めました。彼らは長く同盟関係にあったアウス族の長、サアド・ブン・ムアーズを選びました。彼がウフドの戦いで負った傷は、他人に抱え上げられなければならない程の重傷でしたが、彼は躊躇なく、彼らの成人男子に対し死刑の判決を下しました。

フダイビーヤ

預言者は同年、誰にも抵抗されずにマッカへと入城する夢を見たため、巡礼を決意しました。マディーナのムスリムたちの他にも、彼は塹壕の戦い以来、その数が増えていた同盟アラブ諸部族にもその同伴を要請しましたが、その大半は応答しませんでした。こうして巡礼の装いをし、神へと捧げる犠牲を伴いつつ、1,400人がマッカの旅へと出発しました。彼らがある谷間に差し掛かった時、友好関係にあった一人の男がマッカから彼らを訪れ、クライシュ族は彼らの前に騎馬隊を配置し、彼らを聖域から阻もうと決意していることを預言者に警告しました。そのため預言者は山岳地帯からの迂回を命じ、マッカ近くの渓谷にようやく辿り着いた際にはムスリムたちは疲弊していました。彼らはフダイビーヤと呼ばれる谷間に野営しました。そこから預言者はクライシュ族に対し、彼らはただ巡礼を行なう為だけに来たのであるという心意を説明し、交渉を行おうと試みました。彼が最初にマッカに遣わした使者は冷遇を受け、彼のラクダはひかがみを切断され、彼は何も伝達することが出来ずに戻って来ました。一方のクライシュ族は非常に傲慢で脅迫口調の使節団を送って来ましたが、その内の一人は預言者に対して敬意を払わなかったために厳しく注意を受けたほどでした。彼はマッカに戻った際、このように言ったとされています:“私はカエサルとホスロー(それぞれ当時のローマ帝国とササン朝ペルシャの皇帝の名)の威光を実際にこの目で確かめてきたが、ムハンマドほど仲間から尊敬されている男を見たことがなかった。”

預言者は彼らから敬意を引き出すことの出来る使者を探していました。最終的に、マッカにおいて権威を持っていたウマイヤ家出身のウスマーンが選ばれました。ムスリムたちが彼の帰りを待っていると、彼が殺害されたという知らせが入って来ます。そのとき、フダイビーヤで木の下に座っていた預言者は、全ての教友たちからこれに対して全員で立ち向かうという宣誓をさせますが、しばらくすると殺害の知らせは間違いであることが判明します。また、マッカからムスリムたちを妨害する分隊が送られて来ますが、彼らは捕らえられて預言者のもとに連れ出され、彼らは敵対の破棄を条件に解放されることになります。

フダイビーヤの休戦協定

その後、クライシュ族から正式な使節団が送られて来ました。一定の交渉後、フダイビーヤの休戦協定が結ばれます。そこには10年間の相互敵対行為の休止が明記されていました。そしてその年預言者はカアバ聖殿を訪れずにマディーナに戻り、翌年改めて巡礼を行なうことになりました。一方クライシュ族は、翌年までに彼らがそうすることの出来る準備をすると約束しました。また休戦期間中、クライシュ族側からムスリム側への逃亡者は、クライシュ族側に帰還させること、一方ムスリム側からクライシュ族側への逃亡者の帰還はされないことになりました。また預言者側の同盟として盟約の締結を希望する部族はそれが認められ、同じようにクライシュ族との盟約の締結も認められました。しかしこれらの一見不平等な条件に困惑するムスリムたちも存在しました。彼らは口々にこう言いました:“我々が約束された勝利とは一体何だったのだ?”。

その後、フダイビヤからの帰途において“勝利章”が啓示されました。事実、この休戦はそれまでムスリムたちが収めたいかなる勝利よりも大きなものをもたらしました。彼らと偶像崇拝者たちとの間の戦争はそれまで大きな障壁となっていましたが、双方の話し合いによりイスラームは急激に広まり始めたのです。休戦締結とマッカ入城までの2年間の改宗者は、それ以前の全改宗者の数を上回ったのです。預言者は1,400人を従えてフダイビーヤに向かいましたが、その2年後にマッカ側が休戦協定を破ると、10,000人のムスリムの軍隊がマッカに向けて進軍することになります。

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