なぜムスリムはラマダーンを愛してやまないのか
説明: ムスリムがいかにラマダーン月を過ごすかについて。
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 02 Feb 2015
- 編集日時 11 Mar 2024
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イスラームでは太陰暦が用いられます。すなわち、毎月は新月の確認と共に開始し、太陰暦では太陽暦よりも11日程少ないため、毎年イスラームの月は少しずつずれて行きます。今年(2008年)、イスラームのラマダーン月は偶然にも太陽暦の9月とぴったり一致します。ムスリムにとって、ラマダーン月の到来は喜びと祝祭の元です。ただ私たちは、イスラームの教義に馴染みのない人々にとっては多少変わった祝い方をするように見えるかもしれません。ラマダーンはパーティーやおしゃべりの月ではなく、崇拝の月です。ラマダーン月における断食は、イスラームの主要な崇拝行為のひとつなのです。
ムスリムは唯一なる真の神に対し、服従・崇拝行為によって感謝と愛情の気持ちを示します。私たちはクルアーン、そして預言者ムハンマドにまつわる真正な伝承を通して神が啓示した導きに倣った崇拝行為を行います。ラマダーンは特別な月であり、断食をし、クルアーンをより多く朗誦・理解し、より多くの任意礼拝を行う月です。夜間、断食を解いたり、合同で礼拝をしたりするためにムスリムたちが集まると、モスクは賑やかになります。ムスリムたちが肩を並べて神に祈り、称賛するモスクの中では、長い夜を通してクルアーンのなめらかで豊かな響きが鳴り渡ります。
世界中のムスリムたちはラマダーン月が大好きで、ラマダーンになるのを待ち望みます。ラマダーン直前の数週間は、それまでの生活が見直され、崇拝や祈願に真剣に打ち込めるような計画が立てられます。カウントダウンが始まり、人々はあと何日で祝福された月が始まるのかという会話が交わされるようになります。ノン・ムスリムの人々は、なぜ私たちが断食や徹夜が行われる一ヶ月間を待ちわびるのかについて理解出来ないかもしれません。ラマダーンは贖罪と偉大な報奨が得られる大きなチャンスなのです。それは他の月にはないものです。それは精神的考察と礼拝の月でもあります。心は現世の諸事から離れ、神へと向けられるのです。
ラマダーン月においては、身体的に成長した健康なムスリムは断食をすることが要求されます。それはすべての飲食はもちろん、ガムを噛んだり、タバコを吸ったり、性交渉をしたりすることが日の出から日没まで禁じられます。また、それは身体的な側面のみに関してですが、噂話、嘘をつくこと、悪口を言ったりなどのあらゆる悪い行いを避けるといった精神的な部分も含まれます。すべてのみだらで不敬な視野または音は、思考や行為を浄化する目的から忌避されます。また、断食をすることは空腹感を経験することによって貧しい人々への同情心も養い、神の恵みに対する感謝の気持ちを学ばせます。
神はこう述べています。
“信仰する者よ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。”(クルアーン2:183)
また預言者ムハンマドは、断食とは飲食を慎むだけのものではなく、さらなる側面があることを注意しています。彼は述べています。「(断食中、)みだらな言葉遣いや卑猥な行いを止めない者が飲食を謹んだとしても、神はそれをお望みにはならない。」1
ラマダーンはまた、ムスリムがクルアーンとの関係を強化する月でもあります。こういうと奇妙に聞こえるかもしれませんが、神の言葉は導きの光であり、慈悲でもあります。クルアーンはそれを読むすべての人の人生を多かれ少なかれ変えてしまうものです。クルアーンはラマダーン中に啓示されました。ラマダーンとクルアーンは切っても切り離せない関係にあります。クルアーンに時間を費やし、読み、暗記し、朗誦し、その意味を熟考することは、精神的な高揚と平穏、そして力の源泉でもあります。夜間の朗誦は特に有益で、そこに日中の忙しさはなく、夜の静寂において神の近さは明白となります。また、クルアーンが朗誦される夜間の特別礼拝も行われます。それはタラーフィーフとして知られています。一ヶ月間でクルアーン全体の朗誦を完結させるために、クルアーンの30分の1が毎日読まれます。
ラマダーン最後の10日間における奇数の夜は、「御力の夜」「みいつの夜」とも呼ばれるライラトル=カドルです。それは最も神聖な月の、最も神聖な夜であり、神が天使ガブリエルを通して預言者ムハンマドに最初にクルアーンを下した夜であると見なされています。その期間は特に熱心に礼拝を捧げるときであり、それには多くの報奨と祝福が伴います。クルアーンは、その一夜を通して捧げる礼拝は、1,000月の礼拝に勝ると述べています。その夜が実際に何日に起きるのかを知る者は誰もいません。それは神による神秘の一つなのです。
ラマダーンはまた、善行と慈善の月でもあります。ムスリムたちは寛大さに務め、善行を増やそうとします。慈善は微笑みのようなシンプルなものも含まれます。派手にひけらかす必要はないのです。こっそりと与えられる喜捨は、受け取る側にとっても、与える側にとってもより良いものです。預言者ムハンマドは常に寛大な人物で、必要最低限のものしか所有しませんでした。余剰のものは周囲の人々に分け与えており、ラマダーン月にはさらに寛大になりました。
あなたはおそらく、それらの性質や徳行は、真に神に仕えるムスリムたちが常に示すべきものなのではないかとお考えかもしれません。それは至極正論であり、彼らはそうしなければなりません。しかし、私たちは人間として失敗や罪を犯します。時には、人生の波に揉まれ、真の目的を忘れてしまいます。私たちの目的とは神を崇拝することであり、神はその無限なる叡智と慈悲から、私たちにラマダーンをお与えになりました。それは、もし賢明な過ごし方がされれば精神的・身体的に充電をしてくれる一ヶ月間です。それは神が、豊富な報奨を与えることによって、私たちが自分自身の欠点を乗り越えることを容易とされた、慈悲と赦しに満ち溢れた一ヶ月です。神は私たちが完璧とは程遠いことを理解されている、私たちの創造主です。私たちが神に向かって歩み出せば、神は走って私たちを迎え、私たちが手を差し出せば神はそれをお掴みになり、私たちに赦しをお与えになるのです。ムスリムは、自分たちのライフラインとも呼べるラマダーンをこよなく愛します。彼らは肩を並べて礼拝に立ち、従順に頭を垂れます。ラマダーン中、世界中のムスリムたちは一体となって断食などの崇拝行為に勤しみます。ラマダーンは優しく訪れ、その期間に行われる所業は神の御許へと引き上げられます。その一ヶ月は欠乏の試練などでは決してなく、比べようのない喜びと恵みの一ヶ月間です。その一ヶ月が終わるよりも前から、ムスリムたちは祝福の一ヶ月間の終わりを惜しみ、少しでもその時間を有益に使おうとクルアーンとともに時間を過ごし、神への崇拝に最善を尽くそうと励むのです。
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