アフマディーヤ(上):その起源と歴史

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説明: いかにアフマディーヤがイスラームの教えに相違・矛盾しているかの概観。第1部では、その起源について、またいかにイスラームの教えに反し、分裂したかについて述べられます。

  • より アブドッラフマーン・ムラード
  • 掲載日時 10 Aug 2015
  • 編集日時 10 Aug 2015
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Ahmadiyyah_(part_1_of_3)_001.jpg預言者(神の慈悲と祝福あれ)はこう述べています。「私は神に3つのものを求め、そのうちの2つをお与えになったが、1つはお与えにならなかった。まず私は神にこの共同体が自然災害による破滅から救われるよう求め、神はそれを私にお与えになった。また私は神にこの共同体が諸外国の敵から敗北を喫することからのご加護を求め、神はそれを私にお与えになった。そして私は神にこの共同体が内部崩壊することからのご加護を求めたが、神はそれを私にお与えにはならなかった。」(イブン・フザイマ)

序説

大英帝国は、歴史家から「椰子から松までの(広範な地域の)支配」をしたと形容されます。17世紀末になると、ムスリム世界の大半を含んだ世界の多くの地域を植民地化していました。

Ahmadiyyah_(part_1_of_3)_002.jpg植民地政策は天然資源の搾取だけに留まらず、支配下の人々に対する英国独自のイデオロギーや信仰の宣布もされました。大英帝国の異なる地域では、宣教師らが熱心にキリスト教の伝道に励み、その目的達成のために学校が設立されたりと、異なる戦略が用いられました。

ムスリムたちが目の前の敵の危険性に気付くと、結束して軍隊を動員し、無慈悲な帝国の支配から自分たちの領土を解放するための「解放化」攻撃を開始しました。英国にとって地上戦は目新しいものではありませんでしたが、ムスリムによる絶え間ない攻撃が続き、死傷者が増してくると「分割統治」という新たな作戦を採決しました。ムスリムたちと正面衝突するのではなく、ムスリムの中の一派が主流派であるスンナ派から分派するよう仕向けたのです。「地上における神の代理官」と呼ばれたルイ9世も、十字軍の遠征においてそのように指示したものの大失敗に終わったように、ここでもムスリムに対するイデオロギー戦争が始まったのです。

その当時に結成された集団が、1889年に成立した「アフマディー」としても知られた「カーディヤーニー派」です。

作り話による名声

もちろん、誰しもが神の「預言者」を自称することは可能ではありません。ミルザ・グラーム・アフマドはそのことを理解しており、段階的にその計画を実行に移していきました。彼は当初、イスラームの復興主義者を名乗り、こう述べました。「我々はムスリムである。我々は同位者なき唯一なる神を信じ、信仰証言する。我々は神の書であるクルアーン、そして神の使徒ムハンマドを信ずる。我々は諸天使、復活、地獄と天国を信ずる。我々は定めの礼拝と断食を履行する。我々は礼拝時にキブラを向き、神とその預言者によって禁じられた物事を自らに禁じ、許されたものを許す。我々はイスラーム法に何一つ追加しないし、何一つ差し引かない。イスラーム法は改変というものを超越するのである。

このような主張と、力強い弁論手法により、彼は一定のムスリムたちの支持を得ることに成功しました。1891年、彼は「約束されたメシア」であるマフディを名乗りました。そして最終的に1901年、彼は大胆にも神の預言者であると宣言したのです。

カーディヤーニー派の多種多様な主張

あらゆる人々からの支持を取り付けるため、ミルザはその信仰の中に、現地に存在していた様々な宗教の要素を導入しました。それゆえ、彼の教義はインド、スーフィー、イスラーム、そして西洋的要素を含んだのです。

ミルザ・グラーム・アフマドは極めて多くの事柄を主張したため、年代順にそれらを記述することはとても困難となります。

1.彼は自らが神であり、天地の創造主であると主張しました。彼はこう記しています。「我は自分がアッラー/神である夢を見てそう信じた。我は疑いなく、諸天を創造した唯一の者なのである。」(アーイナ・エ・カマーラート)

2.彼は9人の預言者性を主張して、こう述べています。「我はアダムである。我はノアである。我はアブラハムである。我はイシュマエルである。我はモーゼである。我はイエスである。そして我はムハンマドである。」(ローハーニー・ハザーイン)

3.彼は預言者イエスの母であると主張したあと、預言者イエス自身であると主張しました。彼は「最初の神」が彼をマリアに変え、その2年後、神は彼を10ヶ月間妊娠させ、彼をイエスに変えたと主張しています。(ローハーニー・ハザーイン)

4.彼は自身が預言者ムハンマドであったと主張しています。「ムハンマドはアッラーの使徒である。かれと共にいる者は不信心の者に対しては強く、挫けず、お互いの間では優しく親切である。」(クルアーン48:29)彼はこの啓示において彼自身がムハンマドと命名され、使徒とされたと主張しています。(ローハーニー・ハザーイン18巻207頁)

5.彼はマフディであり、約束されたメシアであると主張しましたが、預言者ムハンマドが言及しているマフディと約束されたメシアの条件は一つとして満たしていませんでした。

6.1904年にシアールコート市で行われた講義において、彼は数千年前にアーリア人の前に現れたクリシュナ神が、神によって遣わされた聖霊がとり憑いた神の預言者であるものの、その教えは後世において改変されたということを神に知らされたと宣言しました。彼はここで、ヒンズー教徒によって世界の最後に現れるとして待ち望まれているアヴァターラであり、同様の性質を持つクリシュナの姿で現れたのだと主張しました

分派

アフマディーヤの集団は2つの分派に別れました。これはミルザ・グラーム・アフマドの最初の後継者だったハキーム・ヌールッディーンの死後に起きました。最初の分派は「アフマディーヤ・ムスリム・コミュニティ」として知られ、より小さな2番目の分派は「イスラーム宣教のラホール・アフマディーヤ運動」として知られています

それら2つの宗派の違いは、2つの要点によって説明されます。第一に、ミルザ・グラーム・アフマドの預言者性についてです。ラホール・アフマディーヤ派は、ミルザ・グラーム・アフマドを比喩的な預言者であると捉えますが、アフマディーヤ・ムスリム・コミュニティ派はミルザ・グラーム・アフマドを預言者として必要なあらゆる資格を満たした完全な預言者であると見なします。

第二の相違点は、いかに彼らが主流派であるスンニー・ムスリムを捉えているかというものです。ラホール・アフマディーヤ派は信仰証言をする人物は誰であれムスリムであり、非ムスリムと見なすことはできないとします[1]

しかしアフマディーヤ・コミュニティ派では、ミルザ・グラーム・アフマドの主張を認めない者は誰であってもムスリムではないとします。それは、たとえミルザ・グラーム・アフマドの名を人生の中で一度も耳にしたことのない者であっても同じであるとしています



脚注:

http://en.wikipedia.org/wiki/The_claims_of_Mirza_Ghulam_Ahmad

[1] http://aaiil.info/misconceptions/muslim/whois.htm

http://www.ahmadiyya.org/qadis/takfir2.htm

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