クルアーンの著者は誰なのか(1/3):人による作品である可能性
説明: クルアーンがムハンマドによって著された可能性に関しての概観。
- より iiie.net(IslamReligion
- 掲載日時 06 Dec 2009
- 編集日時 21 Oct 2010
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クルアーンの原文が現在まで保持され続けて来たことは、既に確証されています。しかし私たちいかにしてそれが神授のものであり、人為によるものではないことを確認することが出来るでしょうか?それにはクルアーンの信憑性、権威、そして源泉について詳しく検証していく必要があります。
クルアーンの著者として、ムスリムはそれが逐語的(一語一語が忠実にたどられること)に神により、ムハンマド(彼に神の称賛あれ)へ啓示されたことを信じます。しかしこの見解を支持しない非ムスリムであっても、最初にクルアーンが7世紀マッカのアラブ人であるムハンマドの口から証言され、発されたこと、そしてその時以来何の変更も加えられていないということについては合意しています。
クルアーンが神によって著されたのであるという、ムスリムの主張する“内部証拠”、すなわちクルアーン本体からの既述(4:82;6:19;6:92;27:6;45:2など)が懐疑的な目で見られることは理解出来ます。なぜなら誰であっても、自分の聖典が神の言葉であると主張することは、少なくとも可能だからです。それゆえ私たちは理性と客観性に基づき、クルアーンの起源および権威が神であるという“外部証拠”を探索しなければなりません。
この“外部証拠”の検証に関しては、単純明快な構成の消去法が用いられます。つまり“誰がクルアーンの著者なのか?”という質問の答えに辿り着くためには、それに対して疑わしい答えを消去していくという方法です。別な言い方をすれば、クルアーンの確定的な、または(少なくとも)最も確実な著者・源泉は、その可能性の無い候補を除去していくことにより、最終的に見極めることが出来るのです。
クルアーンの源泉に関し、非ムスリムの人々の主張は様々であり、その見解は一致していません。以下のリストでは、著者の“可能性のある”説の主な候補を挙げてみます。
1)ムハンマド
2)アラブ詩人、学者など
3)非アラブ人学者、または詩人、宗教者
4)僧侶またはラビ(ユダヤ・キリスト教からの源泉)
5)悪魔(または他の欺瞞的“霊”や“宇宙人”など)
6)神
それでは、これらの説がいかに論証に耐え得る主張であるか、クルアーンと歴史の観点からじっくり検証していきましょう。
ムハンマド:文盲で無学な人物
ムハンマドが読み書きを知らなかったことは公知の事実であり、当時の非ムスリムや、現代歴史学者たちの間でもそれに異議を唱える者はいません。彼は教育を受けず、教師さえいませんでした。彼は一度も口頭による作詩・散文の作成などをしたこともありませんでした。包括的な法を有し、内部矛盾の一切から解き放たれているクルアーンは、非ムスリムの学者でさえその偉大さを讃えているほどです。1クルアーンの内容は、社会・経済・思想・人間関係・戦争・平和・婚姻・崇拝・商売など、人生におけるあらゆる事柄に関し、矛盾なく既述されています。クルアーンが一度も編集・追記されたことがないのは、その必要性が全くないからであるともいえます。上記のような広大な主題の数々が、学歴の無く、またそれらの資料の欠如していた環境に住んでいたことに加え、読むこと自体出来なかった7世紀のアラブ人によって、いかにして的確に説明することが出来たのでしょうか?一体人類の歴史上、いつ何処で文盲で無学な人物がそのような啓典を創り出すことが出来たでしょうか?
ムハンマドは誠実さで知られていた
ムハンマドの真摯さ、正直さ、誠実さは、イスラームが広まる前の当時の人々の間で知れ渡っており、彼は“アル=アミーン”(正直者)という敬称でもって呼ばれた程でした。彼が嘘をついた事実は全く記録されておらず、西洋における多くの現代東洋学者たちも、彼ら自身による故意の欺瞞に反し、預言者が神による啓示を心の底から信じていたことは疑いの余地がないと認めています。2
もしも彼の誠実さが疑がわしいのであれば、彼は個人的な栄光を求めてクルアーンを作したはずですが、なぜ彼はその著作権を否認し、代わりにそれが神からであると主張したのでしょうか?特にマッカの多神教徒たちはクルアーンに驚き入っており、そのような啓典を創り出すのは不可能だと認めていたにも関わらず、なぜそうする必要があったのでしょうか。更に彼の敵は、その朗誦を止めるのと引き換えに、マッカの王権を始め、彼の望むあらゆるものの提供すら申し出て来たのです。もし彼が自らの名誉と支配を望んでいたのであれば、どうして彼はそのような絶好の申し出を断り、代わりに質素な生活、迫害、制裁、更には唯一神によるメッセージに対し脅威を感じた者たちからの敵対行為や侮辱に甘んじたのでしょうか?
これらに加え、文盲であったムハンマドが個人的利益を目的にクルアーンを著し、そのクルアーンの中で彼自身が訂正されたり、譴責されることが理に叶っているでしょうか?例えば、以下の節にはこう述べられています:
“(ムハンマドは)眉をひそめ、顔を背けた。一人の盲人がやって来たためである。”(クルアーン80:1−2)
また、こうもあります。
“・・・だが汝は、アッラーが暴露しようとされたことが人に知られることを怖れていた。むしろ汝はアッラーを畏れるべきであった。”(クルアーン33:37)
これら以外にも、18章23−24節などを参照してもよいでしょう。なぜ彼はクルアーンのこういった節々から、自分の都合が良いように削除したり変更したりしなかったのでしょうか?彼の目的が権威や名声であれば、このような節々は彼にとって好都合ではなかったのは明白です。このような節々の存在は、ムハンマドが真実を語った神の使徒であったことを明確に証明しています。
クルアーンの著者は誰なのか(2/3):詩人や教師の言葉である可能性
説明: クルアーンが第三者により預言者ムハンマドへ伝授された可能性について。
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クルアーンの文体
クルアーンの文体と、ハディースの文献に記録されているムハンマド自身の表現法との間には大きな隔たりがあります。双方の違いは、様式や内容などにおいて、あらゆる観点から明瞭な形で見分けることが出来ます。ムハンマドの言葉(ハディース)とは会話・演説・説明形式であり、アラブ人にとって既に慣れ親まれている形式でした。クルアーンの様式はそれとは対称的に、威厳に満ち溢れています。
“われらは天と地を創造した・・・”(クルアーン15:85、44:38、46:3、50:38)
また、こういうものもあります:
“言え!”1
また、
“・・・もしそれ(クルアーン)がアッラー以外のものから出たとすれば、彼らはその中にきっと多くの矛盾を見出すであろう。”(クルアーン4:82)
また、
“言え。「それなら、それに似た1章を持ってきなさい。またあなた方の言葉が真実ならば、アッラー以外に汝らを助けることの出来る援助者に願ってみなさい。」”(クルアーン10:38)
また、
“・・・それに類する1章〔スーラ〕でも作ってみなさい・・・もし汝らが出来ないならば―いや、出来るはずもないのだが―それならば・・・”(クルアーン2:23−24)
一体どのような人間が人類に対し、クルアーンの著者が主張するような、その中に含まれている間違いを探し出すという挑戦を宣言することが出来るでしょうか(クルアーン4:82)?試験の答えを答案用紙に記入したあと、 “私の答案をじっくりと調べ、その中から間違いを探し出すことが出来ますか?”という講師への注釈を書き足す、賢慮な生徒がいるでしょうか?クルアーンの様式とは、全知なる創造主の様式そのものなのです。
更にクルアーンはアラブにおける代表的文学であり、その雄弁さにおいては依然として肩を並べるものがありません。そのリズミカルな文体、押韻、深く印象的な表現、荘厳さ、そして“人を動かし、涙させ、快楽に酔わせるかのような、決して真似することの出来ない調和性”2は、優れた雄弁術を誇った当時の社会を根底から揺るがすものでした。マッカでは毎年、誰が最も長く暗誦ができ、雄弁であるかが競われていました。しかしクルアーンが啓示されると、それらの競技はクルアーンと競うことが出来ないために意義を見出せなくなり、やがて中止されてしまったのです。
モーゼは、当時の魔法・魔術に関して長けていたファラオの魔術師たちと対峙し、杖を本物の蛇に変える奇跡を見せて彼らの魔術を凌駕しました。またイエスの場合は、医学に優れていた当時のユダヤ人社会において盲人の目を癒し、死人を甦らせる奇跡によって彼らを圧倒しています。人々に対して奇跡を見せることによって彼らの預言者性を証明することは、預言者ムハンマドの奇跡であるクルアーンと非常に似通ったケースです3。 いかにしてそのような壮大かつ無比なる表現が40年間に渡り、一度もそのような能力を持っていたと知られていなかった男性から発せられることがあるでしょうか?
クルアーンとバイブルの共通点と相違点
二つの本に共通点が存在するからといって、そのどちらかが模倣されたのであると結論付けるのは間違っています。それら双方は、第三の共通した源泉によって共通事項が存在している可能性もあるからです。事実これは、あらゆる真性の啓示は神によるものであるという、クルアーンの主張によるものです(クルアーン4:47)。
一部の学者たちは、預言者(神の称賛あれ)が預言者としての使命を受ける前に出会った唯一のキリスト教徒とは十分な時間を過ごしておらず、彼らの啓典を学ぶことは無理だったはずであると述べています。また預言者がユダヤ教徒、またはキリスト教徒から何かを学んだという歴史的記録も何一つ存在していません4。また彼の時代のアラブ人たちは、預言者の名誉を傷つけようと必死でした。従って、もし彼の師が存在したのであれば、彼らによって暴露されていたはずなのです。
また、それら双方に重大な教義上の違いが見られるにも関わらず、クルアーンがバイブルを模写したと主張することは可能でしょうか?神の概念や預言者性、罪と赦しといった教義について、クルアーンはバイブルと著しく異なっています。事実、クルアーンはユダヤ教徒とキリスト教徒に対して、彼らの啓典における腐敗を直接指摘し、正しています。興味深いことに、キリスト教の間違いに関してのクルアーンの啓示の大部分は、預言者が多くのユダヤ教徒やキリスト教徒の学者たちに会うことの出来たであろうマディーナへの移住前、つまりマッカ時代に下されているのです。
そして双方の啓典の中の似通った既述に関してでさえ、重大な相違が発生していることが分かります。例えばクルアーンは以下の点でバイブルと異なります:
·クルアーンはエデンの園でのアダムとイブによる神への不従順の罪に関し、女性を咎めません。(創世記3:12−17とクルアーン91:7−8を比較の事);
·クルアーンではアダムとイブによる悔悟が強調(クルアーン 7:23)され、そして彼らが赦しを受けたこと(クルアーン 2:37);
·クルアーンではアダムとイブによる地上での生活は、彼らが創造される前から計画されていたという既述(クルアーン 2:30)があり、それがバイブルにあるような罪への罰(創世記 3:17−19)ではないということ。
他の重要な相違としては、ソロモン5、アブラハム6、イシュマエルとイサク、ロト、ノア7、モーゼ、そしてイエス8(神の慈悲と祝福あれ)の既述において見られます。
またクルアーンでは、バイブルが完全に沈黙している歴史的事実に関しても多く語られています。以下の既述の内、どれがバイブルから模写されたものでしょうか?
·アードとサムードの民に関する逸話と、彼らに遣わされた預言者フードとサーリフ。
·大洪水が起こる前の、預言者ノアと彼の息子の対話(クルアーン11:42−43)。
·アブラハムと彼の父親の対話(クルアーン6:74)、また彼と王の対話(クルアーン2:258)、そして彼と彼の民との対話(クルアーン22:70−102;29:16−18;37:83−98;21:57)。
·イラムの都に関する既述(クルアーン89:7)。
·モーゼのエジプト出国においてファラオが溺死したこと、そしてその遺体が未来の世代への徴のため(ミイラとして)維持されたこと(クルアーン10:90−92)。
·イエスが生後間もない揺りかごの中から人々に語ったこと(クルアーン3:46)、そして神からの力添えにより泥を鳥に変えたこと(クルアーン3:49)等。
更なる例に関しては、クルアーンの21:69、2:260、そして3:37などを参照して下さい。
Footnotes:
1これはここに記するには多すぎる程クルアーンのなかで既述されています。例えば、クルアーン112,113,114章を参照の事。
2 Marmaduke Pickthall, The Meaning of the Glorious Quran, ニューヨーク:The Muslim World League,1977年,vii頁。
3サヒーフ・アル=ブハーリー第6巻,ハディース504番;サヒーフ・ムスリム第1巻,ハディース283番。
4 Bilal Philips, Usool at-Tafseer,シャルジャ, Dar al-Fatah, 1997年, 127-128頁。
5クルアーンは預言者ソロモンが偶像崇拝者であったことを否定します。クルアーン2:102と第一列王記11:4を比較の事。
6クルアーンでは、自分の息子を生け贄に捧げよという神の指令を夢で見たアブラハムと、その指令を進んで引き受けた彼の息子が、神の介在により救われた逸話が既述されていますが、バイブルでは神がアブラハムに直接話しかけ、彼の息子はそれを知らなかったと描写されています。クルアーン37:99−111と創世記22:1−19を比較の事。
7バイブルでは大洪水が全地球を覆ったと記されていますが、クルアーンではそれが局地的なものであるとされており、これは科学的根拠とも合致します。クルアーン25:37と創世記7:23を比較の事。
8イエスは決して十字架にかけられることはなかったという重大な相違点が、クルアーンにあります。
クルアーンの著者は誰なのか(3/3):神か、それとも悪魔か?
説明: クルアーンが悪魔の言葉であったという説、そしてクルアーンの著者問題における結論。
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悪魔と道徳に関するクルアーンの教え
一部には、クルアーンは悪魔によって書かれたのであるという主張さえあります1。それではこの主張がいかに滑稽なものであるかを見ていきます。
もし悪魔がクルアーンを著した、もしくはムハンマドに囁いたのであったとすれば、なぜ悪魔は自身を呪い、人類最大の敵は自分であると述べるようなことをするでしょうか(クルアーン35:6、36:60)?またなぜ悪魔は、クルアーンの朗誦を初める前に次のようなことを唱えるよう命じたりするでしょうか?:
“・・・忌まわしき悪魔に対して、アッラーの御加護を求めます。”(クルアーン16:98)
またどうして悪魔はわざわざ自身をそのように強く呪ったりするでしょうか?常識的観点から見て、本当に悪魔が人々に対して善行するよう述べ、道徳的・高潔であるよう勧め、神のみを崇め、悪魔とその囁きから背き、悪行をしないよう奮闘せよと促すようなことをするでしょうか?
悪魔を著者とすれば、彼はそこにおいて自分自身を傷つける結果となるため、そのような観点を支持することは明らかに理性に反しています。バイブルでさえ、次のように主張しているのです:
“サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。”(マルコの福音書 3:26)2
これには“悪霊”や“悪しき未知の存在”などのあらゆる“悪魔的力”も含まれます。
クルアーンの内容と科学的知識
クルアーンの中にはムハンマドの時代だけでなく、20世紀の前半まで歴史学者に知られていなかった、古代の歴史的事実が述べられています。その数々の節々において、私たちは宇宙、生物学、胎生学、天文学、物理学、地理学、気象学、医学、歴史、海洋学などに関し、つい最近発見された、もしくは確証された科学的事実の驚異を見出すことが出来るのです。以下は近代科学によって確証された、クルアーンによって述べられている事実です。
·失われたイラムの都の存在(クルアーン89:7)
·働き蜂がメスであるという事実(同16:68)
·山々が杭のような地面の安定化の働きをしている事実(同78:6−7)
·地球が球状である事実(同7:54、36:37、31:29)
·宇宙の膨張(同51:47)
·ビッグ・バン(同21:30)
·全宇宙は過去、単に煙のような状態であった事実(同41:11)
·人の胎児の生育過程の既述(同23:12−14)
更なる例に興味のある読者の方々は、モーリス・ブカイユ3 の“The Bible, the Quran and Science”、またジェフェリー・ラング4 の“Struggling to Surrender”、マリク・ベンアビー5 の“The Quranic Phenomenon”、キース・L・ムーア6 の“The Developing Human”、I.A.イブラヒーム7 の“イスラーム理解の図解付ガイド”、ハムザ・ムスタファー8の“The Sources of the Quran”、ゲイリー・ミラー9の“The basis of Muslim Beliefs”10と“The Amazing Quran”などを参考書としてお勧めします。
果たして通信衛星、望遠鏡や顕微鏡、コンピューターなどの先端技術が用いられた器具を利用することの出来る熟練した近代科学者やいわゆる“天才”の内の一体何人が、クルアーンの中で触れられているような科学的事実の発見をすることが出来るでしょうか?またそれにはどれ位の時間がかかるでしょう?教育さえ受けていなかった1400年以上前の人物が、それらの情報が入った啓典を著したという主張は理に適ったことと言えるでしょうか?
クルアーンでは創造の神秘や複雑さについて、人間の限られた能力では全てを知り尽くすことは出来ないということに関して触れられています(67:3−4)。しかし啓示はそれにも関わらず、様々な自然現象によって人類の知的好奇心を煽り、真実を求めるよう促すかのようです。またそのような威厳に満ちた態度は、あたかもその著者が私たちの不信仰に挑戦しているかのようでもあります。懐疑主義者に対して気を遣うという意味で、その内の科学的記述の正確さにおいて一つや二つは、推量や偶然の結果だったとしましょう。それでは、それら全てが正しい確率とは一体どのようなものとなるでしょうか?
クルアーンの物理的宇宙に関わる記述と特定の科学的観念とを比較すると、私たちはそこに根深い類似性を見出すことが出来ます。しかし、とりわけモーリス・ブカイユ博士が研究しているようにクルアーンが際立っている点としては、自然学の説明またはそれへの試みに際し、他の全ての古い研究における間違った概念を排していることです。そしてクルアーンは、現代科学において確立されている多くの問題に関し、ただ一つの矛盾も無いままに近代的知識の記述に成功しているのです11。
ブカイユ博士は彼の研究において、以下のような結論に辿り着いています:
“ムハンマドの時代における知識レベルの観点から、科学的事実と関連性のあるクルアーンの記述の多くは、人間によるものであると結論付けるには余りにも無理があります。それらの語句が啓示によるものであるとすることには至極正当性があるだけでなく、現代における研究でも一般的観点から難解であるとされる科学的記述の正確性と信頼性から同様に、それに特別な地位を与えることが当然なのです。”12
結論
クルアーンの源泉であるという可能性として、私たちは以下の点を考察してきました:
1.ムハンマドが文盲であるという事実
2.ムハンマドの誠実さ
3.クルアーンの文体
4.クルアーンとバイブルの相違性
5.クルアーンによる悪魔、そして道徳への教え
6.クルアーンにおける歴史的・科学的事実の記述
以上の点が、次に述べられるように、クルアーンの偽の源泉または著者に対しての“消去法”を用いる助けとなります:
ムハンマド:私たちはクルアーンの著者の可能性としてまずムハンマドをリストから消去することが出来ます。上記の1、2、3、5、6で述べられたように、彼がクルアーンを書いたことは不可能であると結論付けられます。
アラブ詩人、学者、その他:同様に、(少なくとも)2、3、そして6で述べられた論点から、私たちは他のアラブ人たちをリストから除外することが出来ます。
他の非アラブ人:アラブ人たちをリストから除外した同じ理由により、非アラブ人学者や詩人、宗教人たちも同様に除外されることになります。
キリスト教僧侶またはユダヤ教ラビ(ユダヤ・キリスト教の源泉):これらは、クルアーンの源泉として1、2、3、4、6の観点によって不合理であると結論付けられます。
悪魔(またはいわゆる悪霊、そしてそれらの仲間とされるもの等):この選択肢も同様に、上記の論点、特に5番によって否定されます。
神:クルアーンの著者と源泉に関して、ここまで容認可能な選択肢がない現状においては、私たちはクルアーンの主張する通り、それが神によって預言者ムハンマド(神の称賛あれ)を介して啓示されたものであると理性によって信じる以外にはほぼ道が無くなってしまいます。この立場がより理に適っているよう映るのは、その選択肢を客観的に消去することが出来ないばかりでなく、それが質と内容において人間の創造主から来たものであること、そして導きであると見込むことが出来るからなのです。クルアーンの源泉としてのあらゆる可能性においては、唯一の選択肢であり、クルアーンの中でも自らを著者であると主張した神のみが最も適した選択肢なのです。
それ故、神こそがクルアーンの著者であるとするこの立場が最も有効であり、クルアーンが神による啓示であるとする主張を反証する者に対する挑戦(または矛盾の発見:クルアーン4:82)は今なお継続しているのです。この作業に自ら着手した私たちは、クルアーンが神の言葉であることを単に盲目的に信じるのでなく、それが事実として、あらゆる可能性の中でも最も適しており、また筋の通った選択肢であることを確信出来るのです。実に、それらの証拠を検証した結果、別の主張をすることこそは盲目的信仰によるものであると言えるでしょう。
注釈:クルアーンが神によるものであるという証拠は、神の存在の証拠でもあります。クルアーンの著者により適した別の著者の可能性が無い限り、神の存在は絶対なのです。
Footnotes:
1 参照:Norman Daniel’s Islam and the West: the Making of an Image, 英国: Edinburgh University Press, 1989年, 83頁, 94頁, 等
2 H.M.Njozi, The Sources of the Quranからによる印用:A Critical Review of the Authorship Theories,サウジアラビア:WAMY Publications,1991年,96頁
3 Maurice Bucaille, The Bible, the Quran and Science, インディアナポリス: American Trust Publications, 1978年
4 Jeffrey Lang, Struggling to Surrender, メリーランド: Amana Publications, 1994年
5 Malik Bennabi, The Quranic Phenomenon, A.B. Kirkary訳, インディアナポリス: American Trust Publications, 1983年
6 Keith Moore, The Developing Human, 第三版, フィラデルフィア: W.B. Saunders Co., 1982年
7 I.A. Ibrahim, イスラーム理解の図解付ガイド, ヒューストン: Darussalam Publishers, 1997年”( http://www.islam-guide.com/jp/)
8 H.M. Njozi, The Sources of the Quran: A Critical Review of the Authorship Theories, サウジアラビア: WAMY Publications, 1991年
9 (http://users.erols.com/ameen/amazingq.htm)
10 Gary Miller, The Basis of Muslim Beliefs, クアラルンプール: Prime Minister’s Department - Islamic Affairs Division, 1995年
11 Maurice Bucaillie, The Bible, the Quran and Science, インディアナポリス:American Trust Publications, 1978年
12 [76]同上,163頁
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