オログンデ・サ 元無神論者、インド(3/4)
説明: 「物事は、その対極によって明確にされる(アラブの諺)」。第3部:原罪についての思考は、図書館へと
- より オログンデ・サ
- 掲載日時 21 Jan 2013
- 編集日時 21 Jan 2013
- プリント数: 83
- 観覧数: 13,698 (日平均: 3)
- 評価者: 13
- メール数: 0
- コメント日時: 0
インドには多くの寺院があり、そこで人々が虚偽を崇拝していることは明らかでした。多くの神々を擁するヒンズー教は、私にとって一度も理解の出来るものではありませんでした。私は、彼らがどうやって神々や女神の外観を知ることが出来たのか不思議でした。そして米国でも、その状況に大差がないことに気付きました。唯一の相違点とは、すべての路地や街角にあるのは寺院ではなく、教会だということです。米国において宣教されているキリスト教も、私は全く理解出来ませんでした。人々は、あたかもイエスを見たことがあるかのように彼を書き描いています。本物のイエスは、彼らが描いているものとは似ても似つかない人物であろうということは、容易に想像できることです。
私は夫に、キリスト教に関する質問を浴びせました。彼はそれに答えることが出来ませんでした。私はまた、キリスト教徒の友人にも質問しました。彼らはそれらの一部に答えはしましたが、彼らの答えは極めて不条理だったため、私は尋ねるのを諦めました。彼らが何と言ったか知りたいですか? 正直言うと、私はそれを書きたくてうずうずしている程です!
彼らが発言は、こういったものでした。「完全なる神の前には、いかなる悪や罪も持ちこたえることは出来ません。彼の完全性の前には、私たちにとって最も小さな不正でさえも、見過ごされることはないのです。たった一つの罪の行為であってもです。アダムとイヴを見てください。彼らの一つの行為は、とても小さなものでしたが、それによってこの世界に罪が入り込んでしまったのです。二人はその行為の結果が死であることを知っていましたが、神はその結果から救済される方法があることを二人に約束したのです。諸預言者は、この約束についてを書き記したのです。その約束と実現こそが、バイブル全体に潜むテーマなのです。その教えとは、キリストを十字架にかけたユダヤ人指導者たちだけが悪人だったのではなく、ダビデやロト、その他の者たちもそうだったということです。そこには私とあなたも含まれます。最もささやかな悪であれ、私たちの死に値するのです。アダムとイヴが彼らの行いを取り消すことが出来なかったのと同様、私たちも一度犯してしまった悪を取り消すことは出来ません。しかし、神がアダムとイヴに対して約束したことは、私たちにも適用されます。神が私たちに求めることとは、その約束を受け入れることだけなのです。」
このような説を信じることがなぜ出来ましょう? しかし、私のキリスト教徒の友人たちは、正にこれを信じていたのです。彼らによると、神にとってはすべての悪とすべての罪は同じだというのです。したがって、パンを一切れ盗んだ者と、10人殺した殺人犯に対する罰は同じなのです。それは一体どのような正義なのでしょうか? 私は米国の法と秩序が、すべての犯罪に対し一律に死刑で制裁しないことに感謝します! ということは、地上における法が、神の法よりも優れているということなのでしょうか?
そして、小さな罪が死に値し、神が私たちの罪のために死んだということを信じることだけによって救済されるというのは、何というとんでもないことでしょう。
それを信じようが信じまいが、私たちは死から救われることもないのです。
私たちが罪を犯すのは、アダムとイヴのせいではありません。それは、私たちの自由意志によるものです。私たちの行為に責任を持つのは、私たち自身です。私の犯す過ちを、私以外の誰かが背負うことなどありません。そんなことは正義とは言えないのです。それゆえ、たとえ誰かが私のもとに来て、私の罪を身代わりになると言ってくれても、私はそれに合意しないでしょう。その罪を犯したのは私自身であるし、それのもたらす結果に直面しなければならないのも私自身なのです。私たちが意図的に過ちや罪、あらゆる犯罪を犯し、その重荷を完全に無実な誰かに押し付けるということは、単純に道理のかなわないことです。この世界を見渡しても、トムが殺人を犯し、トムの代わりにディックが絞首刑にされるような法と秩序のシステムは存在しません。そのようなことが行われたなら、この世は滅茶苦茶になってしまうでしょう!
私は図書館へ行き、答えを探し始めました。そして別の一神教であるイスラームについて学びだしました。クルアーンを読むと、もうそれ以上探す必要はありませんでした。私の疑問はすべて、そこで答えられていたのです!
クルアーンの教えは、非常に明快です。
1.神(アッラー)は唯一である。
2.かれは永遠の存在であり、死ぬことはない。
3.かれは生むのでも、生まれたのでもない。
4.かれに似通うものはなにもない。
5.すべての魂は審判の日、所業を清算される。
6.重荷を背負う者は、他者の重荷を背負うことはない。
7.イエスは神の使徒の一人である。
8.真理を信じ、善行に励んだ者は、その報奨として楽園に入る。
9.信仰せず、真理を拒絶した者は、地獄に投げ入れられる。
10.アッラー以外に神はない。かれは全世界の主であり、創造主であり、全知全聴の者である。
コメントを付ける