イスラームの倫理システム(パート1/2):倫理性の基準

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説明: イスラームにおける倫理概念の根本となっている基礎に関して。

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  • 掲載日時 07 Mar 2011
  • 編集日時 04 Aug 2013
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Moral_System_of_Islam_(part_1_of_2)_001.jpgイスラームは全人類のために、いかなる状況においても施行され尊重されるべきとされる、いくつかの普遍的な基本的権利を定めています。そしてこれらの権利を遂行するため、イスラームは法的な予防手段だけでなく、非常に効果的な倫理システムを提供しています。それゆえ、イスラームにおいて個人的・社会的福利へと導く全てのものは倫理的に善であり、全ての有害なものは倫理的に悪なのです。イスラームは神への愛と人間への愛に非常な重要性を置いているのであり、過度の形式主義に対しては警告を放っています。クルアーンには、次のような件があります:

「敬虔さや信仰とは、ただあなた方の顔を東や西に向けること(礼拝の動作や方角のこと)だけではない。しかし(真の)敬虔さや信仰とは、神と最後の日、天使と啓典と諸使徒を信ずる者の(それ)。また近親の者や孤児、困窮者や旅人、物乞いや奴隷の解放ゆえに喜んで財を施す者(のそれ)。そしてサラー(礼拝)を遵守し、ザカー(義務の浄財)を拠出する者(のそれ)。また契約を守る者たち(のそれ)。あるいは困窮や病、戦いにおいて忍耐強い者たち(のそれ)。このような者たちこそは、(信仰を)正直に実行する者たち。そしてこのような者たちこそは、敬虔な者たちである。」(クルアーン 2:177)

私たちは上記の節において、廉直で敬虔な人間に関する素晴らしい描写を見ます。そういった人物は有益な規則に服従するべきだけなのではなく、神への愛とその同胞への愛にこそ注視しているべきなのです。

私たちは件の節から、以下の4つの指示を汲み取ることが出来ます:

1)私たちの信仰は純粋、かつ真摯なものであるべきである。

2)私たちはそれを、同胞に対し慈善行為という形において示す用意が出来ていなければならない。

3)私たちは社会組織を援助する、よき市民であらなければならない。

4)私たち個人の魂はいかなる状況下にあっても、堅固でゆるぎないものでなければならない。

これこそが、何らかの行動規範が判断され、善悪の判別をされるところの基準なのです。この判断基準は、全ての倫理的品行に関連する事象を包括する中核を提供します。イスラームはいかなる倫理的指導を施す際にも、まず神が人の行いと共にあるという確信を、人の心の中に堅く植えつけることに尽力します。神はいつどこにおいても人をご覧になられるのであり、人は全世界から身を隠すことは出来ても、神から隠れることは出来ないのです。また人は全人を騙すことは出来ても、神を騙すことは出来ませんし、人の支配から逃れることは出来ても、神のそれから逃れることは出来ません。

このように神のご満足を人生の目的と据え置くことにより、イスラームは可能な限り最高の倫理基準を設えるのです。そしてこのことは人類の倫理的発展に対し、終わりのない路線を提供します。また神の啓示を知識の第一の源泉とすることで、倒錯や野性的変種、原子論的な相対主義や道徳的流動性などではなく、真の調整と適応、革新に対して合理的許容性のある倫理基準に、永久性と安定性を与えるのです。また神に対する愛情と恐れにおける倫理性に対し、外圧なしでも人を倫理律に従わせる拘束力をも提供します。イスラームは神と最後の審判の日への信仰を通して、人が心と魂による全ての献身と真面目さと誠実さでもって、倫理律を受容するある種の力を提供しているのです。

イスラームの倫理基準は、独創性と革新という誤った感覚によって、いかなる新しい倫理的美徳も提供することはありません。またよく知られた倫理基準の重要性の矮小化に努めることもなければ、理由もなくある倫理基準に過度の重要性を与えたり、また別のものを怠ったりすることもありません。イスラームの倫理基準は一般に知られた全ての倫理的美徳を採用し、バランスと均整のとれた感覚でもって、その各々に人生のあらゆる場面における適切な地位と機能を割り当てるのです。またイスラームの倫理基準は、人の個性と総体的な人生‐家庭的関係や市民的品行、政治的・経済的・法的・教育的・社会的領域における活動‐の範囲を広範化してくれます。またそれは人の人生を、家庭から社会、食卓から戦場、平和会議に至るまで、文字通り揺りかごから墓場まで網羅するのです。要するに、人生のいかなる側面においても、イスラームの倫理的原則の一般的かつ包括的適用から免れているものなどありません。それは倫理性の君臨を最高位のものとし、人生の諸事が利己的な欲求と些細な私利によって支配される代わりに、倫理的基準によって規則立ったものとなることを保証するのです。

またイスラームの倫理基準は、全ての善に基づき、全ての悪とは無縁であるような人生のシステムを人間に保証します。そして人々に美徳の実践だけでなく、美徳の確立と悪徳の根絶、善の勧めと悪の禁止をも奨励するのです。またイスラームの倫理基準は、人の良心の評決が勝利することを望んでおり、美徳は悪に対する脇役を務めるために控えていなければなりません。そしてこの呼びかけに呼応する人々は一つの共同体と見なされ、「ムスリム(イスラーム教徒)」という名を与えられます。そしてこの共同体(ウンマ)の編成の基礎を成している類まれな目標こそは、善を確立すると共に実践し、かつ悪を抑制すると共に根絶するための組織化された努力をすべきであるということなのです。

ここではムスリムの人生の様々な側面における、イスラームの倫理的教えの基礎の一部をご覧頂きました。それはムスリムの社会的責任だけでなく、個人的な倫理的品行の広域に渡る範囲を網羅しています。

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イスラームの倫理システム(パート2/2):倫理の奨励

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説明: クルアーンの中における、社会的・個人的関係の様々な側面に関する倫理的規律の実践例について。

  • より iiie.net
  • 掲載日時 14 Mar 2011
  • 編集日時 14 Mar 2011
  • プリント数: 230
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神を意識すること

Moral_System_of_Islam_(part_2_of_2)_001.jpgクルアーンはこのことを、ムスリムの最高の特質として言及しています:

「実に神の御許で最も貴い者は、あなた方の内で最も神を意識する者。神は全てをご存知になり、全てに通暁されたお方。」(クルアーン 49:13)

謙虚さ、慎ましさ、情熱や欲望の抑制、真面目さ、高潔さ、忍耐強さ、堅固さ、約束の遵守といった事柄は、クルアーンの中で繰り返し強調されている倫理的価値観です:

「実に神は忍耐強い者を愛でられる。」(クルアーン 3:146)

「そしてあなた方の主からのお赦し(を呼ぶ諸々の服従行為)へと急ぐのだ。その広さは諸天と大地の広さほどもあり、神をよく意識する者たちのために用意されたものなのである。(そして彼らは)順境においても逆境においても施し、自分の怒りを抑え忍び、人をよく赦す者たち。神は善行者を愛で賜れるのだ。」(クルアーン 3:133−134)

「…サラー(礼拝)を守り、善を勧め、悪を禁じ、あなたに降りかかる災難に耐え忍ぶのだ。実にそれは固い決意を要する物事である。そして奢り高ぶって人々から頬を背けてはならず、地上を高慢に歩いてはならない。神はいかなる驕慢な自惚れ屋も愛でられないのだ。そして節度をもって歩み、声を低めよ。最も醜悪な声とは、ロバの鳴き声であるのだから。」(クルアーン 31:17−19)

またムスリムの倫理的品行を要約する形で、預言者ムハンマド(神のご慈悲と祝福あれ)はこう言っています:

「わが主は私に、9つのご命令を与えられた:公私の場を問わず、神を意識し続けること。喜怒の状態に関わらず、公正に話すこと。自らの貧富の状態を問わず、慎ましくあること。私との関係を絶った者と、友好関係を修復すること。私を拒む者に、与えること。私の沈黙が、思考によって占められること。自らの外観が他人への訓戒となること。そして正しいことを命じること。

社会的責任

社会的責任に関するイスラームの教えは、他人への親切と思いやりに基づいています。しかし単に親切であれという一般的命令は、ある状況においてはおろそかにされがちです。それでイスラームはある種の親切行為を強調し、様々な関係における義務と権利を定義付けているのです。関係の輪を広げて行く中で、私たちの最初の義務は、私たち自身の家族‐両親、配偶者、子息‐へと向けられます。それから親戚、隣人、友人、知り合い、孤児、寡婦、社会の経済的弱者、ムスリム同胞、人類同胞、動物、といった具合に広がって行くのです。

両親

両親を尊敬し彼らに奉仕することは、イスラームの教えで非常に強調され、かつムスリムの信仰表現のとても重要な一部分を構成しています。

「そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、あるいは2人とも高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対したりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけてやるのだ。そして彼らに慎み深さの翼を垂れ、こう言うのだ:“主よ、彼らが幼かった私を(優しくいたわって)育ててくれたように、彼らにご慈悲をおかけ下さい。”」(クルアーン 17:23−24)

他の親戚

「そして近親の者と恵まれない者と旅人に、施すのだ。しかし浪費するのではない。」(クルアーン 17:26)

隣人

預言者ムハンマドは言っています:

「すぐ近くの隣人が飢えているのを尻目に満腹する者は、真の信者ではない。」(アル=ムンズィリー収録の伝承)

「隣人がその有害な振る舞いから免れないような者は、本当に信仰してはいない。」(サヒーフ・アル=ブハーリー収録の伝承)

実際のところ、クルアーンとスンナ(預言者の慣習)によれば、ムスリムは両親や親戚や隣人だけでなく、その倫理的責任を全人類や動植物に至るまで流布させなければならないとされています。例えば、単なる遊戯のために鳥や動物を狩猟することは許されていません。また同様に、果実を実らせる木や植物を伐採することも、切迫した必要性がない限り禁じられているのです。

このようにイスラームは、基本的な倫理的特徴において、人類がその大きな可能性を認めることの出来る美徳により、高度の倫理システムを築き上げています。イスラームは利己主義や暴虐性、理不尽さや無秩序さといったことから魂を清め、神をよく意識し、その理想へと献身し、敬虔さと節度と規律を備え、そして欺瞞に妥協しないような人間を創造するのです。また倫理的責任感を促進し、自己管理のための許容性を養ってくれます。イスラームはあらゆる状況において、あらゆる被造物に対し、親切さと寛容さ、慈悲の念と同情心、平安さと無償の善意、綿密な公正さと誠実さを生成します。そしてそこからは善以外の何ものも生じないような、高貴な特質を育成するのです。

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