近代歴史学的方法論VS.ハディース方法論(4/5):ハディースの格付け 前半
- より リーム・アッザー?
- 掲載日時 05 Sep 2011
- 編集日時 05 Sep 2011
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ハディース伝達に携わった人々は、イスナード(伝承の鎖)を構成します。イスナードはハディースの情報源を示し、この情報は後にハディースの重要な部分となるのです(Azami 31)。アル=ブハーリーの師の一人であるアブドッラー・ブン・アル=ムバーラクは、次のように言ったと報告されています:「イスナードは宗教の一部である。イスナードがなくければ、誰でも意のままに語る事が出来たからだ。」(Hasan 11)1。イスナードが「第一のフィトナ(試練:つまりイスラーム国家の騒乱と分裂)」以前から用いられていたことを示す資料が一部にはありますが、ヒジュラ暦一世紀末までは完全に発達していませんでした(Azami 33)。(しかしながら、ジョン・バートンは著書An Introduction to the Hadith のなかで、一世紀にはまだイスナードが存在していなかったとしています。)預言者(神の慈悲と祝福あれ)による特定の言行録を含むハディースの本文は、マトンと呼ばれます。
ハディースの格付けについては、複数の大まかな種類がありますが、本稿ではそのうちの7項目を簡潔に説明します。格付けにおける7項目は、以下に基づきます:1)特定の権威に言及されるもの、2)イスナードの結び付き、3)イスナードの各経路に関わる伝承者の数、4)ハディースの報告において用いられる技法、5)イスナードとマトンの性質、6)ハディースのイスナード及びマトンにおいて発見された隠れた欠陥、7)報告者の信頼性と暗記力(Hasan 14-16)。
第一の項目である、特定の権威に言及されるものに基づく格付けとは、すなわちそれが預言者、教友たち、または後継者たちに帰属されるのかどうかを見極めるものです。マルフーウ(持ち上げられた)伝承とは預言者自身にまで辿りつくものであり、それが最高の格付であるとみなされます(Burton 112)。マウクーフ(止まった)伝承とは教友止まりのもの、そしてマクトゥーウ(途切れた)伝承とは、教友の後継者止まりのものです。これらの格付けは預言者の言行と、教友または後継者たちのそれとを識別する重要なものです。
第二の項目である、イスナードの結び付きに基づく格付けとは、複数の異なる識別をするものです。ムスナド(連結した)のハディースは、途切れなく預言者にまで連なる伝承経路を持つことから、最上級のものとなります(Burton 111)。ムルサル(飛ばされた)のハディースは、伝承者経路のいずれかの段階において隙間のあるものです(AzamiとHasanによると、それは教友からハディースを学んだ後継者が、イスナードにおいて教友の名を省略したものであるとしています)。ムンカティウ(断絶した)のハディースとは、報告する伝統者たち(後継者より前の世代)に近い部分のつながりが失われているものです。これはもし伝承者のひとりがイスナードにおいて、たとえ同時代に生きていたとしても直接の権威からハディースを聞くことが不可能であった場合に用いられます。また一部の学者たちにおいて、ムンカティウという用語は、報告者が自身の権威(典拠)に言及する代わりに「ある男性が私に伝授したことによると」と述べるハディースの場合にも用いられます(Hasan 22)。ムウダル(混乱した)のハディースとは、イスナードにおいて複数の報告者が連続的に欠如している場合のものです。また、イスナードそのものが完全に欠落しており、報告者が預言者から直接引用するハディースは、ムアッラク(ぶら下がった)と呼ばれます(Hasan 22)。
第三の項目においては、イスナードの各経路、すなわち報告者の各世代における伝承者の数によって、ハディースが格付けされます。二つの主な格付けはムタワーティル(連続的)とアーハード(単一)です。アーハードに関しては更にガリーブ(乏しい、奇妙な)、アズィーズ(珍しい、強い)、またはマシュフール(有名な)などの項目に分類付けられます。ムタワーティルのハディースとは、大人数によって報告されており、嘘への集団的合意が論理的に不可能であること、そして偶然の一致がないに等しいもののことです。これらの報告者の必要最低人数はハディース学者によって相違がありますが、4人から数百人までの幅があります(Azami 43)。ムタワーティルには意味上のものと、逐語的なものの両方ありますが、前者の方がより一般的です。アル=ガザーリーは、ハディースはイスナードの始まり、中間、そして終わりの段階でムタワーティルでなければならないと条件付けています(Hasan 30)。ハディースがアーハードであるのは、報告者の数がムタワーティルのハディースとして要求される人数に達しない場合です。ハディースがガリーブとされるのは、イスナードにおけるいずれか(または全て)の段階において、ただ一人のみが報告している場合です。ハディースがアズィーズとされるのは、イスナードにおけるいずれか(または全て)の段階で、報告者が二人だけしかいない場合です。イスナードにおける全ての段階で最低でも三人が報告している場合、それはマシュフールとして格付けされますが、この用語はガリーブまたはアズィーズとして始まるハディースが最終段階においては大人数になっている場合にも使われることがあります(Hasan 32)。
第四の項目では、その報告において用いられる技法に基づいてハディースが格付けされます。既述されたように、生徒や学者がハディースを学んだ際に用いられる特定の学習法や伝授法に対して該当する特別な用語があります。「ハッダサナー(彼は、私たちに〜と話した)」、「アフバラナー(彼は、私たちに〜と伝えた)」、「サミゥトゥ(私は〜と聞いた)」などは全て、報告者自身が自らの師からハディースを聞いたことを示す用語です。「アン(〜によれば)」と「カーラ(彼は言った)」はより曖昧な表現であり、師から自ら聞いたか、他の誰かから聞いたかのどちらも意味します。実際に「アン」はとても等級が低く、様々な伝達様式の中のいずれの方法も含まれる場合を意味します(Azami 22)。「何某の権威によれば」「何某が言うには」を意味する後者の二つの用語が使用されることにより、その曖昧さからハディースは弱いものであると格付けされることがあります(Hasan 33)。タドリース(隠蔽)を実践する者とは、彼が聞いてもいないことを師から報告したり、会ったこともない同時代の人物から報告する者のことです。これは、ハディースを伝達するにあたって、それが直接聞かれたものでなければならないという原則に違反します(Burton 112)。タドリースの中でも最悪の種類と見なされるものは、信頼のおかれる学者から根拠の弱い権威が報告する場合に、その弱い権威を省いて信頼のおける学者から直接報告をするというものです。このようなイスナードを報告する人物は、自らの師から聞いたということを示すかもしれませんが、弱い権威については口を閉ざし、単に「アン(〜によれば)」の用語を使って、イスナードにおける彼の師とその次に来る信頼性のある人物をつなげるという手口を用います(Hasan 34)。
イスナードを通して(預言者を含む)全ての報告者たちが同一の伝達法を伝えたり、同様の追加的言明や意見を述べたり、あるいはハディースを語る際に特定の行動を取ったりすることは、ムサルサル(均一のつながり)と呼ばれます。この種類の知識は、特定の種類のハディースにおけるタドリースの可能性をなくすことに寄与します(Hasan 35)。
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