フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン/アイルランド出身の元カトリック教徒(1/4):前置き・人物背景

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説明: ムスリム諸国に居住歴のあるアイルランド人カトリック教徒が、ムスリム女性との関係をきっかけにイスラームに興味を持ち、そこから発見したことについてを述べます。

  • より フセイン・アブドル=ワヒード・アミーン
  • 掲載日時 15 Jul 2013
  • 編集日時 15 Jul 2013
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はじめに

私は、主に自分と同じような宗教的バックグラウンドを持つ人に役立つよう、イスラーム改宗記を書きました。キリスト教とイスラームには多くの共通項がありますが、三位一体やイエスの神格性といった根本教義の相違点においては妥協を許しません。キリスト教を実践し、それに誠実でありながら、そこにある程度の知的不満を見出していたキリスト教徒として、イスラームを受け入れることはいくつかの点で神学的な大冒険でした。既にその冒険をした者として、私の改宗記がそれを新たに行おうとする方々の役に少しでも立てると幸いです。次のハディース(預言者ムハンマドの言行録)が思い起こされます。

「ある時、刺のついた木の枝が道を遮っているのをある男が見つけた。その男はそれを道から取り除いた。神は彼に感謝し、彼の罪をお赦しになった。」(サヒーフ・ブハーリー)

同じような背景を持つ人にとってそれが有益なものとなるよう、私が自らの経験について語ることにより、キリスト教からイスラームへの道における象徴的な意味での「刺」を取り除くことが出来れば幸いです。

私はインターネットを使いこなせるようになる前にイスラームへと改宗したため、自らの足を使って色々と調べなければなりませんでした。私にとって、イスラームの調査結果は知的側面と神学的側面の双方において満足させるものであることが重要なことでした。私の経験の一部は、私と同じような背景を持つ方々にとって、自らの精神的探求における有益な指標や出発点になることが出来るのでは、と感じています。

私の生い立ち

私は1998年の10月に、31歳でイスラームに改宗しました。私はアイルランド出身で、カトリックを実践する家庭のもとに生まれましたが、成人して以来ずっと海外で暮らしています。1990年代の後半、ムスリム国で出会った女性と恋に落ちました。ムスリムの女性は他宗教の信者との結婚が許されていないため、もし彼女と結婚したいのであれば、イスラームに改宗しなければならないということを知りました。私はムスリムになる可能性というものを全く受け入れることが出来ませんでした。事実、私は宗教としてのイスラームについては殆ど知りませんでしたが、ムスリム諸国で働いた経験から、それに対して非常に悪い印象を持ち、西洋の持つ一般的なイスラームへの嫌悪感を身をもって実感していました。いずれにせよ、ヨーロッパに帰った1998年の前半は、大学や図書館で見つけることの出来たイスラームについてのすべての本を読み漁り、意外にもその内容の90%は難なく受け入れることが出来るということが分かりました。実際、私は夢中になっていました。私は宗教としてイスラームの神学的、論理的な教えではなく、一部の不快な名ばかりの「ムスリム」たちの態度をもとに、イスラームに対する偏見を持っていたという自らの過ちに気付いたのです。

イエスは神の子なのか

私が本当の問題に直面したのは、イエスの役割についてでした。私はカトリックのキリスト教徒として、父なる神、子なるイエス、そして聖霊によって構成される三位一体説を信じて育ちました。それは一人の神に三人の人格があるものです。イスラームはこれを否定し、神の絶対的唯一性(タウヒード)と共に、イエスは偉大な預言者ではあったものの、神格性を有さない一人の人間であったと説きます。

“啓典の民よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤム(マリア)の子マスィーフ・イーサー(イエス・キリスト)は、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯一の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。”(クルアーン4:171)

“マルヤムの子マスィーフは、一人の使徒に過ぎない。かれの以前にも使徒たちがあって、逝ったのである。かれの母は誠実な婦人であった。そしてかれら両人は食べ物を食べていた。”(クルアーン5:75)

“(イエスは)言った。「わたしは、本当にアッラーのしもベです。かれは啓典をわたしに与え、またわたしを預言者になされました。”(クルアーン19:30)

“「アッラーこそは、マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は、確かに不信心者である。”(クルアーン5:17)

“「アッラーこそは、マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は、確かに不信心者である。しかもマスィーフは言ったのである。「イスラエルの子孫よ、わたしの主であり、あなたがたの主であられるアッラーに仕えなさい。」”(クルアーン5:72)

“またアッラーがこのように仰せられた時を思え。「マルヤムの子イーサーよ、あなたは『アッラーの外に、わたしとわたしの母とを2柱の神とせよ。』と人びとに告げたか。」かれは申し上げた。「あなたに讃えあれ。わたしに権能のないことを、わたしは言うべきでありません。」”(クルアーン5:116)

イスラームは純然たる一神教を説きます。イスラームにおける根本的な教義とは、(キリスト教徒が父として言及する)神のみが唯一の神ということです。クルアーンの112章において、それは極めて明快に述べられています。

1.言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。

2.アッラーは、自存され、

3.御産みなさらないし、御産れになられたのではない、

4.かれに比べ得る、何ものもない。」

私にとって、このことはとても異質でした。私にはイエスを裏切ることが出来ませんでした。

当時の私の宗教的な信条や実践について言えば、日曜説教の政治的・非宗教的な内容から、日曜礼拝に行くのをやめてしまっていました(どちらかといえば、私は短く、任意で参加することの出来る平日の集会の方が好みでした。説教に邪魔されることなく神をより近くに感じられたためです)。しかし神学的レベルにおいて、私は献身的なカトリックであり、(プロテスタントとは異なる)キリスト教徒の範疇に留まっていました。たとえば福音書から学んだこととしては、キリスト教の枠内において、私は聖変化や使徒継承の教義を信じていました。しかし、キリスト教自体の有効性、特に原罪やそれに伴う「神の子イエス」による血の犠牲、「魂の救世主」による贖罪といった教義については深刻な疑念を抱いていました。これらの概念は、キリスト教が派生したとされるユダヤ教においては未知のものであり、相容れないものです。しかしながら、神の子としてのイエスの概念は私に深く根ざしており、それ以外の解釈を受け入れることは私にとって極めて困難なことでした。

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