天啓の性質
説明: 預言者たちが神から受けた天啓の性質と種類。
- より アブドゥルラフマン アル"マウラ博士の編集チーム(Islamtoday.com翻訳)
- 掲載日時 22 Oct 2012
- 編集日時 22 Oct 2012
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天啓とは神が選んだ者に神の知識を分け与えることをいいます。神がその者に知識を与えるのは、その者がそれを他の人々に伝えるようにするためです。
全ての預言者が天啓を受けています。神はこう言いました。
“本当にわれは,ヌーフやかれ以後の預言者たちに啓示したように,あなたに啓示した。われはまたイブラーヒーム,イスマーイール,イスハーク,ヤアコーブおよび諸支族に(啓示し),またイ―サー,イスハーク,ユーヌス,ハールーンならびにスライマーンにも(啓示した)。またわれはダーウードに詩篇を授けた。ある使徒たちに就いては,先にわれはあなたに告げたが,未だあなたに告げていない使徒たちもいる。そしてムーサーには,親しくアッラーは語りかけられた。”(クルアーン4章163から164節)
神と彼の全能性を信じる人は誰も、神からの天啓を疑うことはできません。神は好きなように彼の創造物を維持します。創造主と創造物の関係は預言者によって結びつけられ、預言者たちのみが直接的または間接的な天啓により、神が何をしようとしているのか理解できるのです。全能なる神に難しいことなどないのですから、理性的な見識を持つ人なら天啓の可能性を否定できないでしょう。
天啓の性質
天啓は預言者自身が自分の中で感じる個人的な経験です。瞑想やその他の精神的行いをしたところで、人が手に入れられるものではないのです。それとは逆で、天啓とはある二つの存在、つまり話し手(命じたり、なにかを与えたりする方)と聞き手(命を受けたり、なにかを受け取る方)が関わり合います。預言者ムハンマド(彼の上に神の平安と祝福あれ)は他の預言者たちのように、彼自身と、天啓を与えた存在を混同することはありませんでした。人間として、神の前に自分の弱さを感じ、神の怒りを恐れ、慈悲を乞うたのです。
彼は神からの助けを求め、彼の命に服従し、ときには神に厳しく叱責されもしました。預言者は、神の啓典の言葉を一文字も変えることはできないと認めています。神は言いました。
“ところがわれの明瞭な印が,かれらに読み聞かされた時,われと会うことを望まない者たちは言った。「これとは別のクルアーンを持って来なさい。それともこれを改(鼠?)しなさい。」言ってやるがいい。「わたしは自分の裁量でこれを改(鼠?)することは出来ない。只,わたしに啓示されたものに従うだけである。わたしがもし主に背いたならば,偉大な日の懲罰を本当に恐れる。言ってやるがいい。「アッラーの御心なら,わたしはあなたがたにそれを読誦せず,またかれは,あなたがたに教えられなかったであろう。その(啓示)前に,わたしは確かにあなたがたの間で,一生ほどの(40年の)歳月を過ごした。あなたがたは未だ悟らないのか。」”(クルアーン10章15〜16節)
これで創造主と創造物との本質、性質、やり方の違いがはっきりと分かるでしょう。
預言者は彼自身の言葉(ハディース)と神からの直接の言葉を、たとえ両方とも天啓によるものであっても、違いがはっきりするように最善の努力を払いました。この理由から、天啓の初期には、クルアーン以外の言葉が書き留められることを禁じたほどです。これにより、クルアーンは神からの直接の言葉として、人々の言葉とははっきり区別されて保存されたのです。
預言者は彼の言葉の中でも、彼自身の意見と神からの天啓とをはっきり区別しました。
彼はこう言いました。「私はあなたたちと同じで一人の人間です。私の意見は正しいかもしれないし、間違ってるかもしれません。しかし私があなた方に神の言葉を伝えるときには間違いを伝えることはありません。」
預言者は彼が受け取る天啓に対して、何もできませんでした。天啓とは預言者に与えられる外的な力です。彼はそれを歪曲することなどできませんでした。その証拠に、預言者は危機に襲われたり、周りの人々に即座の解決を求められたりすることがありましたが、クルアーンが下らないという状況がしばしばありました。彼はただ黙って待ち続けるしかなく時には、神が天啓を与えるまで、ほぼ絶望的な気持ちで待たなければならないときもあったのです。
この良い例が、預言者の妻アーイシャが偽善者たちから、無実でありながら姦通の罪に問われたことです。人々は預言者を傷つけるような言葉を口にし、預言者の心は破裂しそうになりました。預言者もそれを止めることはできなかったのです。彼が言えたのは、ただ一つだけでした。
「アーイシャよ、私は様々なことを耳にした。もし無実なら、神がそれを示してくださるだろう。もし罪を犯したなら、神に赦しを乞いなさい。」
このようにして一ヶ月が過ぎ、ついにアーイシャの無実を証明し、預言者の家族を解放する天啓が下りました。
まとめて言えば、天啓は受け取る側の選択や願いとは一切関係ないのです。外部からくる非日常的な出来事なのです。これは知識を与える知識の力であり、そこに間違いはありません。真実と、何が正しいかという導きしか含まれていないのです。
天啓はどのようにして天使や預言者に下るか
クルアーンでは、神が天使たちに語りかけるところが描写されています。神はいいました。
“あなたの主が,天使たちに啓示された時を思いなさい。「われはあなたがたと一緒にいるのだ。信仰する者たちを堅固にせよ。」われは不信者たちの心の中に,恐れを染み込ませよう。その時あなたがたはかれらの首を刎ね,またそれぞれの指先を打ち切れ。”(クルアーン8章12節)
天使への天啓は、神が天使たちに語りかけるという形で起こります。
神の預言者たちに下る天啓は直接的か、または媒体を介して起こります。媒介を通すときには、天啓を伝える天使ガブリエルを介して行われます。これには2つの起こり方があります。
その1。鐘の音のような声と共に、天使が彼のもとに来ます。預言者に来る天啓の中で最も激しいものです。あまりにも音が大きいので、受け取る側は全ての注意をそこに向けます。これが起こるときには預言者の身体機能に大きな負担がかかります。
その2。天使が人間の姿をして彼のもとに来ます。これは人間の預言者にとって人間の形をした天使とは会話がしやすいため、前述のものよりも楽なものです。
預言者はアルハーリス•ブン•ヒシャームの質問に対して、このことについて言及しています。アルハーリスがどのように天啓が下るのかと尋ねたところ、預言者はこう答えました。
「時々、天使は大きな鐘の音と共に来るときもあり、そのときは私にとって一番苦しいときです。私に大きくのしかかり、私は彼の言っていることを記憶します。また時に天使は、人間の姿をして私のもとへやって来ます。彼は私に話しかけ、そして私は彼の言っていることを記憶します。」
媒介を通さない天啓にも二通りあります。
その1。良い夢。アーイシャはこう伝えています。
「それは睡眠中の良い夢として始まりました。預言者は白昼のようにはっきりとした以外の夢を見ないのです。」
これは預言者が起きて、天啓を受けるための準備です。全クルアーンは、預言者が起きているときに下りました。
アブラハムが彼の息子を殺そうとしたときの物語は、夢が天啓になり得ることを示しています。神はこう言いました。
“それでわれは,優しい思いやりのある男児を(授けるという)昔報を伝えた。(この子が)かれと共に働く年頃になった時,かれは言った。「息子よ,わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。さあ,あなたはどう考えるのですか。」かれは(答えて)言った。「父よ,あなたが命じられたようにして下さい。もしアッラーが御望みならば,わたしが耐え忍ぶことが御分りでしょう。そこでかれら両人は(命令に)服して,かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時,われは告げた。「イブラーヒームよ。あなたは確かにあの夢を実践した。本当にわれは,このように正しい行いをする者に報いる。これは明らかに試みであった。」われは大きな犠牲でかれを贖い,末永くかれのために(この祝福を)留めた。「イブラーヒームに平安あれ。」(と言って)。このようにわれは,正しい行いをする者に報いる。本当にかれは,わが信心深いしもべであった。」”(クルアーン37章101〜111節)
もしその夢が、従われるべき天啓でなければ、アブラハムは決して息子を殺そうとはしなかったでしょう。しかし実際、彼は息子を殺しかけたのです。神が息子の代わりに別のものを犠牲にするように命じたので、アブラハムはそれを止めました。
良い夢は預言者だけのものではありません。天啓ではないにせよ、良い夢は信仰者にとって預言のようなものです。預言者はこう言いました。
「吉報以外に預言として残るものはありません。」吉報とは何か聞かれたときに、彼はこう言いました。「夢です。」
その2。障壁を通して神が直接語りかけること。これは預言者モーゼに起こりました。
“ムーサーがわれの約束した時に来て,主がかれに語りかけられた時,」”(クルアーン7章143節)
神はまた、こう言っています。
“そしてアッラーはムーサーに,語りかけられた。(クルアーン4章164節)”
これは預言者が夜の旅で昇天したときにも起こりました。彼は天までのぼり、彼の主と直接話したのです。
これらの全ての天啓の下り方はクルアーンで言及されています。神はこう言いました。
“アッラーが,人間に(直接)語りかけられることはない。啓示によるか,帳の陰から,または使徒(天使)を遣わし,かれが命令を下して,その御望みを明かす。本当にかれは,至高にして英明であられる。”(クルアーン42章51節)
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