イスラームは他の宗教とどう異なるか?(パート2/2)
- より フルシード・アフマド
- 掲載日時 29 Nov 2010
- 編集日時 30 Nov 2010
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個人と社会間のバランス
イスラームにおける他のユニークな特徴の一つとして、個人主義と集団主義の間におけるバランスの確立があります。イスラームは人の個性を尊重し、全人が個人的に神に対して責任を負うのだとしています。預言者ムハンマド(彼に神の祝福と平安あれ)は、こう言いました:
「あなた方は皆守護者であり、あなた方が世話したものに関して問われるだろう。統治者はその臣民の守護者であり、彼らに対して責任を負う。また夫は彼の家族の守護者であり、彼らに対して責任がある。また女性は夫の家の守護者であり、そこに関して責任がある。そして使用人は主人の財産に対する守護者であり、そこにおいて責任を問われるのだ。」
この伝承を伝える者は、続けてこう言っています:「私はこれをアッラーの使徒から聞いた。そして預言者は、こうも言ったと思う:“男はその父の財産の守護者であり、そこにおいて責任がある。ゆえにあなた方は皆守護者なのであり、あなた方の後見下にある者と責任下にあるものにおいて責任があるのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
またイスラームは個人の基本的人権を保障し、いかなる者にもその侵害を認めません。そして人間の個性の適切な発展を、教育政策の主たる目的の一つとしているのです。イスラームは、人が社会や国家において個性を喪失しなければならない、などという視点には同意しないのです。
イスラームにおいては肌の色や言語、人種や国籍に関係なく、全人は平等です。そしてヒューマニティの意識に取り組み、人種や社会的地位、富などの全ての誤った障壁を除去します。そのような障壁が常に存在してきたこと、そして今日のいわゆる開明の時代においても存在し続けているということは、否定出来ない事実です。イスラームはこれら全ての障害を取り除き、ヒューマニティ全体の理想が神による一つの家族であることを高らかに謳うのです。
イスラームはその展望とアプローチにおいて国際的であり、預言者ムハンマド到来以前の状況のように、肌の色や血統、地域などによる障壁や区別を認めていません。不運なことに、これらの偏見はこの現代においても様々な形で横行しています。イスラームは全人類を、一つの旗の下に団結させることを望みます。イスラームは、国家的反目と不和で疲弊した世界に、人生と希望、そして栄光に溢れた未来のメッセージを提供するのです。
歴史家のA.J.トインビーはこの点において、いくつかの興味深い観測をしています。その著「Civilization on Trial(試練にかけられた文明)」の中で、彼はこう記しています:「こういったプロレタリア国際主義(西洋化人類)における二種類の際立つ危険性とは精神的、そして物理的なものであり、なかでも我々の近代西洋社会において際立つ要素は民族意識、そしてアルコールなのである。そしてもし容認されるのであれば、これらの諸悪要素との確執において、イスラーム的精神はどちらがより高度な倫理的・社会的価値観を持つかを証明する役割を有しているのだ。」
ムスリムの間の人種意識の撲滅は、イスラームによる顕著な倫理的業績の一つです。そして現代世界には、現に発生しているように、このイスラーム的美徳を宣揚する切迫した必要があるのです…イスラームの精神は 寛容さと平和によってこの問題を決定するであろう、時宜に適った援軍であると考えられます。
アルコールの害悪はと言えば、それは西洋企業によって「開拓」された熱帯地域における原始的集団の間において最悪のものです。外的権威から強いられた最も政治的じみた予防策でさえ、解放への欲望と、その欲望を自発的行動へと移す意思が人々の心の中に覚醒されない限り、コミュニティを社会的悪徳から解放出来ないというのが変わらない事実なのです。兎にも角にも「アングロサクソン」に由来する欧米の行政官たちは今、人種意識が構築している身体的「差別障壁」によって、彼らの先住地区から精神的に孤立してしまっています。先住民の魂を改宗させたところで、彼らの能力開発などはほとんど期待できません。そしてイスラームが何らかの役割を果たすことが出来るかもしれないのは、この点においてなのです。
最近の急激な熱帯地域の開発の中で、西欧文明は経済的・政治的充溢と同時に、社会的・精神的空虚をも獲得しました。
ここで私たちは近い将来において、イスラームが西欧社会のプロレタリア国際主義に及ぼすことが出来るかもしれない2つの貴重な影響を認めることが出来ます。西欧社会はその情報網を世界中に発信し、全人類を包含しています。そして遠い将来において私たちは、いくつかの新しい宗教的兆候におけるイスラームの貢献の可能性を予想出来るかもしれません。」
恒久性と変容
恒久性と変容という要素は、人間社会と文化の中に共存し、そしてそのように留まることが定められています。様々なイデオロギーと文化システムが、この均衡の一片のみに過度に依拠したために、誤謬を犯してきました。恒久性に対する過度の強調はシステムを硬直させ、そこから柔軟性と進歩を奪いましたし、恒久的価値観と普遍の諸要素の欠如は道徳的相対主義や無形性、アナーキズムをもたらしました。
しかし必要とされているのは、これら2つのバランスです。つまり、恒久性と変容のいずれの要求にも応じることの出来るシステムなのです。アメリカの裁判官ジャスティス・カルドソは、このような的を得た発言をしています:「私たちの時代における最大のニーズは、安定性と進歩の主張間の衝突に介在し、成長の原則を供給する哲学です。」そしてイスラームは変容と共に、安定性の要求をも満たすことの出来るイデオロギーを提示しているのです。
よく熟慮してみれば、人生は恒久性と変容という要素の中にあることが分かります。それは、些細な物事においてでさえも変化を受け入れることの出来ないほど柔軟性に乏しい硬直したものでもなければ、またその際立った特性すらも、恒久的な独自の特徴を有してはいないほどに柔軟で流動的なものでもありません。このことは、人体の生理的変化の過程を観察してみれば明らかです。一生を通じて人体の全組織は何度も変化しますが、それにも拘らずその人物は同一のままなのです。木の葉、花、果実も変化しますが、その個性は不変のままです。恒久性と変容が調和の取れた均衡をもって共存するのは、生命の法則なのです。
そしてこれらいずれの要素に対しても人生のシステムを提供できるものだけが、人間的性質の欲求と、人間社会のニーズの全てを満たすことが出来るのです。人生の基本的問題はあらゆる時代と場所において不変ですが、それらを解決する手段や方法と、生じている現象を取り扱う技術は、時代の変遷と共に変化します。イスラームはこの問題に新たな視点を当て、現実的な方法でそれを解決しようと試みるのです。
クルアーンとスンナ(預言者の言行伝)は、全宇宙の主によって授けられた永遠の導きを内包しています。この導きは、時空の制約を超越した神を起源とするものであり、神によって啓示された個人・社会的行動の原則は現実に則していると共に、永遠なのです。しかし神は広範な原則を明らかにしただけで、人間がそれをその時代の精神や状況に適した方法でもって各時代において適用していく自由を与えました。各時代の人々が神的導きをその折々の問題に対して実践し、適用していくことを試みるのは、イジュティハード(真実に到達するための知的努力)を通してなのです。このように、イスラームの基本的指針は恒久的性質を有していますが、その適用法はその時代特有のニーズに応じて変化可能なのです。イスラームが明日の朝のように常に新鮮でモダンなのは、こういう理由からなのです。
教義の完全な記録が保存されていること
最後に、そしてこれは非常に重要なのですが、実際には、イスラームの教えは元来のまま保存されているという事実があります。結局のところ神の導きは、いかなる種類の付加も必要とすることなく機能するのです。クルアーンは1400年前から存在する啓典であると共に神の御言葉でもありますが、いまだに元来の形のまま利用可能です。預言者ムハンマドの一生と彼の教えの詳細な記録もまた、原初の純度のまま利用可能なのです。このユニークな歴史的記録において、今までただ1つの変更も生じてはいません。預言者の言葉と彼の全生涯の記録は、ハディース(預言者の言行伝)と預言者伝という形において、前例のない精度と信頼性をもって私たちの手元にまで届いています。そして数多くの非ムスリムの批評家たちでさえ、この説得力のある事実を認めているのです。
イスラームにおけるこれらのいくつかのユニークな特徴は、人類の宗教と今日の宗教、そして明日の宗教としての信頼性を確立しています。これらの側面は過去と現在における数百万人もの人々に訴えかけ、イスラームが真実の宗教であり、人類のための正しい道であることを確信させるのです。これらの側面が、将来的にもより多くの人々にアピールし続けることには、疑いの余地もありません。純粋な心と真実を誠実に切望する人間は、いつもこう言い続けるのです:
「私は、神以外のいかなるものも崇拝に値せず、神が唯一であり、他のいかなるものともその権威を共有しないことを証言します。また、ムハンマドが神のしもべであり、使徒であることを証言します。」
ここで、以下に挙げるジョージ・バーナード・ショーが言った言葉をもって、この記事を締めくくりたいと思います:
「私はムハンマドの宗教に対し、その素晴しいエネルギーに対して常に高い評価を与えて来た。それはあらゆる時代にアピールすることが出来る、存在の変化する局面に対応可能な許容力を備えていると思われる、唯一の宗教である。私はこの素晴らしい人間(ムハンマドのこと)について研究したが、私に言わせれば、彼は偽キリストなどとはかけ離れた、人類の救世主とでも呼ばれるべき素晴しい人物なのだ。私は、もし彼のような男性が現代世界の絶対権を担うならば、待望されている平和と幸福をもたらしつつ、諸問題を解決することに成功するだろうと思っている。私はムハンマドの信仰が、今日のヨーロッパにとって許容可能なものになり始めているように、明日のヨーロッパにとっても許容可能なものであると予測している。」
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