イスラームにおける家族(パート1/3):イスラーム的家族生活の魅力

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説明: 様々な社会的地位の人々が、イスラームにおける家族生活に関する視点について語る。

  • より ベン・アダム(ゥ 2011 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 03 Jan 2011
  • 編集日時 12 Feb 2023
  • プリント数: 229
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The_Family_in_Islam_(part_1_of_3)_001.jpgイスラームにおいて、「自分自身」だけの代わりに「他人」の幸福を考慮することは、それがムスリム以外の人々にも向けられるほどに明白な、宗教に非常に深く根ざしている美徳の一つです。英国の人道主義者であり市民権弁護士でもある、非イスラム教徒クライブ・スタッフォード・スミス氏は、こう言明しています:「私がイスラーム教を気に入っているのは、それが集団に対して焦点を当てているからです。そして、それは個人に対して焦点を当てる西欧とは、正反対なのです。」[1]

社会を構成する個人は、お互いに関係のある集団の絆によって結びつけられています。そして最も強力な社会的絆が、家族のそれです。そして、基本的な家族単位こそがあらゆる人間社会の基盤である、と正当に主張され得る限り、このことは特にムスリムによくあてはまることになります。実際のところ、イスラームが家族システムに与えている偉大な地位は、しばしば多くの新しい改宗者(特に女性)をイスラームへと引きつけるものとなっているのです。

ある専門家らはこう言います:イスラームは、人生のほぼあらゆる側面を網羅する法をもって、女性が健全な家庭とコミュニティの形成、そして過去30年余りに渡って続いて来た世俗主義的なヒューマニズムによって被った損傷の修復において、重要な役割を果たすことになるという信仰を根幹とした社会秩序を提供しています。またシカゴのロヨラ大学のイスラーム研究科教授であり、改宗ムスリムのアメリカ人でもあるマルシア・ヘルマンセンは、こう言っています:更に、崩壊した家庭の中にいる女性は、特に宗教に惹かれるかもしれません。というのも宗教は、家族に価値を置いているからです。」[2]

イスラームを受け入れて伝統的な家族的価値観を認める人々のこの風潮が、北アメリカのラテン系、もしくはヒスパニック系コミュニティほどに顕著な地域はありません。フロリダ州のあるムスリムは、こう述べています:「私は、ヒスパニック系の人々がイスラームへ改宗する割合がどんどん増加するのを見て来ました。私は、ヒスパニック系の文化そのものが家族的価値観に関して非常に豊かであると考えていますが、それはイスラームという宗教においても非常に卓越している重要事なのです。」

それでは、これだけ多くの人が魅力を感じているイスラーム的家族の特別な価値や特徴とは、何なのでしょうか?

コロンビア大学のあるイスラーム的イベントにおいて、エクアドル系アメリカ人のエルナン・グアダルーペは、ヒスパニック系とムスリムに固有の文化的な類似点と家族的価値観についてこう発言しました:「一般的に、ヒスパニック系の家庭は緊密で信心深く、また子供たちは厳しい環境で育てられます‐そしてこれは、 ムスリムの家庭にも同様に認められる特徴なのです。」[3]

またある最近の新聞記事によれば、次のように述べられています:「ムスリム・コミュニティの形成においては、家族的価値観が不可欠な役割を担っています。そしてこれらの家族的価値観ゆえに、ヒスパニック系コミュニティとイスラームの間にはその他沢山の規範の一致が見られるのです。例えるなら、年長者への敬意、結婚生活、子供の養育などであり、ヒスパニックとイスラームの間には共有するいくつかの伝統があります。」[4]

ある種の平均的なアメリカ人改宗者たちもまた、実生活経験について発言しています。そして、それらの内のいくつかはそのような改宗者らの母とも言うべき人物キャロル・L・アンウェイによって、一冊の本「Daughters of Another Path(もう一つの道の娘たち)」にまとめられました。この本の中で引き合いに出されているある女性は、結婚と家族生活に関するイスラーム改宗後の彼女の変化について、こう語っています[5]:「私は宗教により傾倒すればするほど、より清潔でより静かになりました。私は、非常に規律正しくなりました。イスラーム改宗前には結婚するつもりなどなかったにも関わらず、私はあっと言う間に一人の妻、そして母親になったのです。イスラームは、私が既に持っていた謙虚さ、親切、愛情などのような信仰を表現するための、一つの枠組みを提供してくれたのです。またそれは結婚と、2人の子供たちの誕生を通して、私を幸福へと導いてもくれました。イスラーム改宗以前、私には自分自身の家庭を持ちたいなどという願望がありませんでした。というのも私は、子供を持つなどという考えを毛嫌いしていたからです。」

また別の女性は同著の中で、大家族の中へと受容されたことについて、以下のように語っています:「私たちは空港で、彼の多くの家族に出会いました。そしてそれは私が決して忘れることの出来ない、非常に感動的な瞬間だったのです。母親(義母)は天使のようでした…私はここで私が目にしていることのために、多くの時間を涙と共に過ごしてきました。その家族体系は親近性によって非常にユニークなものとなっており、筆舌に尽くしがたいものだったのです。」[6]

また同著の付録Cでは、ムスリム歴14年になる35才のアメリカ人改宗女性が、彼女自身のアメリカ的価値感と比較しつつ彼女の夫の家族と彼らの価値感について、こう書いています:「私は、私の夫の肉親のメンバー全員と、彼の大家族のメンバーの一部に会いました…私は、私の姻戚から沢山のことを学びました。彼らは、彼らの子供たちとの関係を保つ素晴らしい方法、つまり他者への敬意と多大なる自尊心を養う方法を持っていたのです。子供重視の文化と宗教重視の文化がいかに作動するかということを見ることには、興味深いものがありました。私の姻戚はアメリカ文化とは正反対の美徳によって、私のアメリカ文化的なアイデンティティにおける特定の要素に対し、私に非常な理解を与えてくれました…私はイスラーム教の言う、中庸こそが正しい道であるという教えは、本当に正しいのだということを知ったのです。」[7]

こうして非ムスリムの知識人や、改宗者や報道関係者、そしてイスラームを受容したアメリカ人一般女性たちからの引用により、イスラームにおける家族的価値観は、イスラームの主な魅力の一つであるということが分かります。これらの価値観は、神とその導きに源泉を辿ることが出来ます。そしてそれらはクルアーンと、家族単位こそが宗教の要の一つであり、かつイスラーム的人生の指針であることを示唆した神の使徒ムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福あれ)の規範と教えを通じて知られているものなのです。家庭を形成する重要性に関しては、聖預言者自身の次の言葉によって理解することが出来るでしょう: 

「人は結婚することにより、宗教の半分を達成する。ゆえに半人前でい続けることに関し、神を畏れさせよ。」(アル=バイハキー収録の伝承)[8]

続く2つの記事では、クルアーンと預言者の教えを通して、イスラームにおける家族について議論して行きます。結婚生活や、両親や年長者への尊敬、子供の養育といったテーマにおけるイスラームの立場を大まかに知ることにより、イスラームにおける家族の恩恵について理解することが出来るでしょう。



Footnotes:

[1]  Emel Magazine, Issue 6 - June/July 2004.

[2]  “Islam’s Female Converts”; Priya Malhotra, February 16, 2002. (http://thetruereligion.org/modules/xfsection/article.php?articleid=167をご参照下さい).

[3]  “Some Latinos convert to Islam”; Marcela Rojas, The Journal News (http://www.thejournalnews.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20051030/NEWS02/510300319/1028/NEWS12)

[4]  “Islam Gains Hispanic Converts”; Lisa Bolivar, Special Correspondent, September 30, 2005 (http://thetruereligion.org/modules/xfsection/article.php?articleid=405)

[5]  Daughters of Another Path, 4th printing, Al-Attique Publishers, p.81.

[6] Daughters of Another Path, p.126.

[7] Daughters of Another Path, p.191.

[8] この伝承は預言者の小間使いをしていた教友アナスによるもので、イマーム・アル=バイハキーがその著「信仰の支脈」の中で、収録・コメントしているものです。

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イスラームにおける家族(パート2/3):結婚

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説明: 結婚が、信仰や倫理、道徳といかに関連し合っているかについて、イスラームの啓典からの根拠をもとに議論して行きます。

  • より ベン・アダム(ゥ 2010 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 10 Jan 2011
  • 編集日時 10 Jan 2011
  • プリント数: 223
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結婚

「そして(神が)あなた方のために、あなた方がそこに留まるための配偶者をあなた方自身から創られたことは、かれのみしるしの1つである。そしてかれはあなた方の間に、愛情と慈悲の念を授けられた。実にそこには熟考する民へのみしるしの数々があるのだ。」(クルアーン 30:21)

結婚は人間の社会的慣習の内でも、最古のものです。結婚はアダムとイブという、最初の男女の創造と共に出現しました。そしてそれ以後、全ての使徒は各社会への模範として遣わされましたが、その最初の者から最後の者まで彼ら全員が、結婚という慣習を異性愛的交際の神聖なる表現として保持したのです[1]。また今日に至るまで、男女のカップルがお互いを「私の夫」や「私の妻」と紹介し合う方が、「私の恋人」や「私の彼氏・彼女」と紹介し合うより、より正当であり適切であると考えられています。なぜなら結婚を通してこそ男女は、彼らの性欲や、また愛情や渇望、交際や親交などといったことに関する本能を、合法的に満たすことが出来るからなのです。

「…彼女らはあなた方の衣であり、あなた方も彼女らの衣である…」(クルアーン 2:187)

しかし時間の経過と共に、ある集団は異性と性的関心について極端な信条を抱くようになりました。特に女性は、多くの宗教人によって悪と見なされ、ゆえに彼女らとの接触は最低限に保たれなければならない、とされました。こうして、生涯において隠遁と独身が求められる修道生活は、彼らの見なす「結婚に代わるもの、そしてより信心深い生活」を求める人々により発明されたのです。

「それからわれら(神)は、われらの使徒たちを遣わして彼らの足跡を継がせた。そしてその後にマリヤの子イエスを遣わし、福音を授けた。また彼に従った者たちの心に、哀れみ深さと慈しみの念を与えた。そして彼らが発明した修道院。われらがそれを定めたのではないが、彼らが神のご満悦を望んでそれを始めたのである。しかし彼らはそれをきちんと遵守していたわけではなかった。こうしてわれらは、彼らの内の信仰した者には報奨を授けたのだが、彼らの多くは反抗的な輩であった。」(クルアーン 57:27)

修道士(クリスチャンや仏教徒など)にとっての唯一の家族は、修道院または寺院の中にいる、彼らの修道士仲間なのです。キリスト教の場合、男性だけでなく女性も、修道女または「キリストの花嫁」になることによって、信心深い地位を獲得することが出来ました。しかしこの不自然な状況は、児童虐待や同性愛、不法な性的関係など、現実に修道院の中で起こっている沢山の社会悪をもたらしました。そしてそれらは全て実際のところ、犯罪と見なされる類のものです。尚、節制と隠遁という非イスラーム的慣行を踏襲した異端派ムスリム、あるいは使徒ら自身よりも敬虔なる神への道を歩んでいるのだと少なくとも主張した者たちは、これらと同様の悪徳や恥ずべき地位に屈してしまいました。

預言者ムハンマドは彼自身の人生において、結婚が神により近づくために一つの障害となり得るのではないか、という疑問に対し、彼の考えを明白にしたことがありました。ある時、一人の男が預言者に向かって、自分は女性とは無関係であろう(つまり結婚しない、ということ)、と誓いました。それに対し、預言者はこのような厳しい宣言でもって応えたのです:

「神にかけて。私はあなた方の内で最も敬虔な者であるが、結婚する。私のスンナ(手法)を避ける者は、私の内の者ではない(つまり、真の信仰者ではない)。」

「(ムハンマドよ、人々に)言え、「あなた方が神のことを愛しているのなら、私に従うのだ。そうすれば神はあなた方を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」神はお赦し深く、慈悲深いお方である。」(クルアーン 3:31)

現実には、結婚は人の信仰にとって悪いものであるという視点とはほど遠く、ムスリムは結婚が彼らの宗教的献身の肝要な一部分であることを堅持しています。前述したように、預言者ムハンマドは、結婚が宗教(イスラーム)の半分であるとはっきりと述べました。これは言い換えてみれば、忠実さ、貞節さ、慈しみ深さ、寛大さ、寛容性、優しさ、努力すること、忍耐心、愛情、感情移入、同情、気遣い、学習、教育、信頼性、勇気、慈悲の念、慎み深さ、赦し深さなどの全てのイスラーム的美徳の半分は、結婚生活を通して自然な表現を見出すことが出来るのかもしれません。それゆえに神をよく意識することと良い性格は、適切な配偶者を探すに当たって原則的基準とされているのです。預言者ムハンマドは以下のように述べました:

「女性は4つの要素をもって配偶者として求められる:つまりその富、地位、美しさ、宗教的献身性である。ゆえに宗教的な女性と結婚するのだ。そうでなければ、あなた方は敗者となってしまうであろう。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

疑念の余地なく、非イスラーム世界の多くの地域で広まっている社会的病気と腐敗は、イスラーム世界の一部地域でも同様に観察されます。それでも乱交や姦淫・不貞は今でもイスラーム社会一般において厳しく非難されており、単に「弄ぶ」とか「遊び歩く」などの下らない趣味のレベルにまでは解禁されていないのです。実に、ムスリムは依然として婚前交渉や不倫関係がコミュニティに及ぼす多大な破壊力を認めていますし、知っているのです。実際クルアーンは、人を不貞で訴えることが、現世と来世において惨憺たる結果をもたらすことを明らかにしています。

「そして貞淑な女性を姦淫で告発した後に4人の証人を呼んで来れない者は、80回の鞭打ち刑にせよ。そして(その後、)その者の証言はもう永久に受け入れてはならない。彼らは放埓者なのである。」(クルアーン 24:4)

「醜行などからは程遠い、貞淑な信仰者の女性を(根拠もなく)姦淫で訴える者は、現世と来世において呪われよう。そして彼らにはこの上ない懲罰があるのだ。」(クルアーン 24:23)

皮肉にも、奔放な性関係の結果最も苦しむことになるのは未婚女性である可能性が高いにも関わらず、一部のフェミニスト運動の急進派は、結婚制度の廃止へと呼びかけています。「NOW」運動のシーラ・クローニンは、伝統的な西欧式結婚生活が、女性に性感染症やその他沢山の問題や虐待などからの安全保護を提供することにおいて失敗し、動揺に陥ってしまった社会に属する中で、フェミニストの駆け出しが有する狭窄的展望と共に、こう意見を述べています:「結婚は女性にとって、奴隷制体質を帯びています。女性解放運動がこの制度への攻撃に集中しなければならないことは、明らかです。女性のための自由は、結婚の廃止なくしては得られません。」

しかしイスラームの結婚、いや、むしろイスラームに則った結婚は、それ自体が女性の自由を保証するための一つの手段なのです。完全なるイスラーム的結婚の例に関し、預言者ムハンマドのそれよりも偉大なものはないでしょう。彼はその支持者に、こう言いました:「あなた方の内で最善の者は、その女性たちを最善の形で扱う人々です。そして私は、私の女性たちに対して最善の者なのです。[2]」預言者の最愛の妻アーイシャは、彼女の夫の待遇が彼女に与えた自由に関し、こう証明しています:

「彼は常に家事に参加し、ある時には自分の衣服を繕い、自分の靴を修繕したり、床を掃いたりしたものでした。また彼は乳を搾ったり、家畜に餌をやったり、家の雑用をやったりもしていました。」(アル=ブハーリー収録の伝承)

「神(との謁見)と来世を望み、神をよく念唱する者にとって、神の使徒は実に良い模範である。」(クルアーン 33:21)



Footnotes:

[1] それらの使徒が実際に結婚したかどうかに関わらず、です。例えばイエスは独身のまま天に召されました。しかしムスリムは、彼が最後の時の直前に地上に降臨し、他の家庭人のように一人の夫と父として、最高位に君臨すると信じています。ゆえに、イエスは結婚し子供をもうけた、というダヴィンチ・コードの仮想的主張に関する最近の議論は、メシアが家庭人になり得たということを示唆するという事実において、ただ単にそれが時期尚早であったというだけであり、あながち冒涜的なことではありません。

[2] アッ=ティルミズィー収録の伝承。

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イスラームにおける家族(パート3/3):育児

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説明: 神とその使徒によって教示された、よい育児に関する包括的指針を簡潔に考察し、ムスリムがそのような指針に従う理由も添えて見て行きます。

  • より ベン・アダム(ゥ 2011 IslamReligion.com)
  • 掲載日時 17 Jan 2011
  • 編集日時 17 Jan 2011
  • プリント数: 206
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育児

The_Family_in_Islam_(part_3_of_3)_001.jpgイスラーム的な家族が効果的に機能する理由の一つは、その明確に定義された構造です。そこでは家族の構成員全員が、その役割を心得ているのです。預言者ムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福あれ)は、こう言いました:

「あなた方は皆、指導者である。そしてあなた方全員が、自分の集団に対して責任を有するのだ。」(アル=ブハーリーとムスリム収録の伝承)

つまり父親はその家族の指導者であり、彼らを守り、養い、能力の許す限り彼らの役割の模範となり、家族の長として指導するべく努力します。また母親は家の指導者であり、それを守り、幸せで健康的な家庭生活のために必要とされる衛生的で愛情に溢れた環境を創り出します。また母親は、子供たちの指導と教育に対して主たる責任があります。そして両親の内のいずれかが指導者的役割を担うという事実がないならば、必然的に恒久的な議論と争いが生じ、家庭の崩壊へと至ってしまうでしょう。いかなる組織でも、たった一つの階層的権限が欠如しただけで崩壊してしまうのと同じことです。

「神は一つの喩えを提示される。互いに争い合う主人を持つ者と、一人の主人に忠実に仕える者。(この二人は)比較して同等であろうか?神に讃えあれ。彼らの多くは知らないのである。」(クルアーン 39:29)

両親の内、その天性において肉体的・感情的により強い者‐男性‐が家族の長となることは、至極自然なことです。

「そして彼女たち(妻たち)にも、彼女たちが(その夫に対してそうするように)義務付けられているような、よい形の付き合いをされる権利がある。だが夫の方が妻より(責任などにおいて)上の位階にあるのだ…」(クルアーン 2:228)

一方両親の愛の結晶である子供に関して、イスラームは両親の責任と彼らに対する子供の互恵的な従順さを課す、包括的な倫理を規定しています。

「そしてあなたの主は、あなた方がかれ以外の何ものも崇拝せず、両親に孝行することを命じられた。彼らの内片方、あるいは2人とも高齢に達したら、うんざりしたり乱暴に応対したりしてはならない。しかし彼らにいたわりの言葉をかけてやるのだ。そして彼らに慎み深さの翼を垂れ、こう言うのだ:“主よ、彼らが幼かった私を(優しくいたわって)育ててくれたように、彼らにご慈悲をおかけ下さい。”」(クルアーン 17:23−24)

言うまでもないことですが、両親が彼ら自身無頓着であるゆえに、子供たちに早い年齢から神に対する畏敬の念を教え込むことが出来ないならば、彼らはまともな感謝の念が返ってくることを目にすることは期待出来ないでしょう。それゆえに、神はその啓典の中で厳しい警告をしているのです:

「信仰する者たちよ、あなた方自身とあなた方の家族を地獄の業火(へと招くような事柄)から守るのだ。その燃料は人間と石であり…」(クルアーン 66:6)

しかし、もし両親がその子供を廉直さにおいて育てることに奮闘するならば、その時は預言者がこう言っている通りになるでしょう:

「アダムの子が死ねば、その全ての行いは断たれる。但し、次の3つは別である:継続する慈善行為、有益な知識、そしてその両親のために祈る廉直な子供である。」(アル=ブハーリーとムスリム収録の伝承)

両親が彼らの子供たちをいかに育てるか、そして彼ら自身の宗教が何かということに関係なく、ムスリムの子息が両親に対して示すことを要求されている従順さや敬意の念は、創造主に対する従順さにおける二次的なものに過ぎません。神は、このように思い出すよう仰っています:

「そしてわれら(神のこと)が、イスラエルの民との契りを結んだ時(のことを思い出せ)。“神以外の何ものも拝してはならない。そして両親に孝行し、親戚と孤児、貧者らにも(よくするのだ)。また人々に対してよい言葉を話し、サラー(礼拝)をし、ザカー(義務の浄財)を払うのだ…”」(クルアーン 2:83)

事実、ムスリムになった子供が両親に対する奉仕と忠実さを増した結果、年配の非ムスリムが子供に影響されてイスラームに改宗する話は非常によく耳にする話です。

「言え、“あなた方に、あなた方の主が禁じられたことを読んで聞かせよう。神に何かを並べて拝してはならない。そして両親に孝行せよ。またあなた方の子供を、困窮を恐れて殺してはならない。われら(神のこと)こそが彼らとあなた方を養うのである…”」(クルアーン 6:151)

子供が両親への従順さを示す義務を有する一方、イスラームは母親を、愛情に満ちた感謝と親切において最大の分配を受けるに値する存在としています。ある時、預言者ムハンマドはこう尋ねられました:「神の使徒よ!人々の中で、私が最もよく付き合うべき人は誰ですか?」彼は答えました:「あなたの母である。」すると、男はまた尋ねました:「その次は?」預言者は答えました:「あなたの母である。」すると、また男は尋ねました:「では、その次は?」預言者は繰り返して言いました:「あなたの母である。」そしてまた、男は尋ねました:「そして、その次は?」最後に、預言者はこのように言いました:「それから、あなたの父である。」[1]

「そしてわれら(神のこと)は人間に、両親に善行を尽くすよう命じた。母親は彼(女)を辛苦をもって身ごもり、また辛苦をもって産み落としたのだ。そして懐妊と離乳(の間)は30ヶ月。(そしてその子供は)成熟の頂点に達し、それから40歳にもなると、こう言う:“主よ、私をあなたが私と私の両親に授けて下さった恩恵に対し感謝深くあり、そしてあなたがお悦びになられるような善行を勤しむようにお差し向け下さい。そして私の子孫を正して下さい。私はあなたに悔悟します。そして私はあなたに服従する者です。”」(クルアーン 46:15)

結論

イスラームにおいては、自分にとってよいことは他人にとってもよいことである、と一般原則によって明言されています。あるいは、預言者の言葉を借りれば:

「自分自身に望むことを、同胞にも望まないようにならない限り、本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリム収録の伝承)

容易に想定されることですが、この原則はイスラーム社会の核である、ムスリム家族の中で最も偉大な発現を見ています。子供の両親に対する忠順さは実際のところ、コミュニティ内の全ての年配者にまで延長されるのです。また両親の自分の子供たちに対する慈悲の念や配慮は、同様に全ての若者にまで拡張して捉えられます。実はこのような問題において、ムスリムにはあたかも選択の余地がないかのようです。預言者は言いました:

「私たちの年少者を慈しまず、また私たちの年配者に敬意を払わない者は、私たちの内の者ではない。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィー収録の伝承)

このようなことであれば、非ムスリムとして成長した非常に多くの人々が、彼らの探していたもの、彼らがいつも善と真実と信じていたものをイスラームという宗教の中に発見したとしても、全く驚くには値しないのではないでしょうか?イスラームは彼らのような人々を愛に溢れた家族の一員として、すぐさま暖かく歓迎してくれる宗教なのですから。

「敬虔さや信仰とは、ただあなた方の顔を東や西に向けること(礼拝の動作や方角のこと)だけではない。しかし(真の)敬虔さや信仰とは、神と最後の日、天使と啓典と諸使徒を信ずる者の(それ)。また近親の者や孤児、困窮者や旅人、物乞いや奴隷の解放ゆえに喜んで財を施す者(のそれ)。そしてサラー(礼拝)を遵守し、ザカー(義務の浄財)を拠出する者(のそれ)。また契約を守る者たち(のそれ)。あるいは困窮や病、戦いにおいて忍耐強い者たち(のそれ)。このような者たちこそは、(信仰を)正直に実行する者たち。そしてこのような者たちこそは、敬虔な者たちである。」(クルアーン 2:177)



Footnotes:

[1]  アル=ブハーリーとムスリム収録の伝承。

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