イスラームの統一色(上)

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説明: イスラームが提唱する人種間の平等性と、歴史におけるその例。第一部:ユダヤ・キリスト教における人種差別主義について。

  • より アブドッラフマ
  • 掲載日時 29 Sep 2014
  • 編集日時 09 Jan 2023
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The_United_Colors_of_Islam_(part_1_of_3)_001.jpg“かれ(神)は仰せられた。「(サタンよ、)われがあなたに命じた時、どうしてサジダしなかったのか。」イブリース(サタン)は答えた。「わたしはかれ(アダム)よりも優れております。あなたはわたしを火から御創りになりましたが、かれを泥で創られました。」”(クルアーン7:12)

これが歴史上起こった、最初の人種差別でした。サタンは自らの出自から、自分がアダムよりも優れていると思ったのです。その日以来、サタンはアダムの子孫を誤った方向に導き、彼ら自身も自分たちが他者よりも優れているように思い込ませ、他者を迫害・搾取させました。また宗教は人種差別を正当化するための道具としても頻繁に利用されました。たとえばユダヤ教は、中東の起源であるにも関わらず西洋の宗教として定着しましたが、西洋社会へのあらゆる面での進出は、現実にはユダヤ教のエリート主義に反するものです。バイブルには次のように記されています。

“イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。”(列王記下5:15)

ここでは、当時はイスラエル人たちによってのみしか神は崇拝されていなかったことが示されています。しかしながら、現在のユダヤ教は人種的に選りすぐられたのだという「選民」意識を中心としています。

“言ってやるがいい。「ユダヤ教を信奉する者よ、あなたがたがもし外の人びと以上に、アッラーの御気に入りであると言いはり、それがあくまでも真実であると確心するならば(天国に入れるはずだから今すぐ)死を乞い願いなさい。」”(クルアーン62:6)

反対に、キリスト教徒の殆どは非ユダヤ人でありながら、イスラエル人最後の預言者だったイエスは、ユダヤ人に対して遣わされた預言者でした

“マルヤムの子イーサーが、こう言った時を思い起せ。「イスラエルの子孫たちよ、本当にわたしは、あなたがたに(遣わされた)アッラーの使徒で、わたしより以前に、(下されている)律法を確証し、またわたしの後に来る使徒の吉報を与える。その名前は、アハマドである。」”(クルアーン61:6)

同様に、すべての預言者たちは彼ら自身の民に対して遣わされました。ただし、それは預言者ムハンマド以外です

“(ムハンマドよ、)言ってやるがいい。「人びとよ、わたしはアッラーの使徒として、あなたがた凡てに遣わされた者である。”(クルアーン7:158)

ムハンマドは神が遣わした最後の預言者・使徒であることから、彼の使命は普遍的なものであり、それは彼の民であったアラブ人だけでなく、全世界の人々に対してのものでした。預言者はこう述べています。

“他のすべての預言者たちは彼ら自身の民族に遣わされたのであるが、私は全人類に対して遣わされたのである。”(サヒーフ・ブハーリー)

“われは、全人類への吉報の伝達者また警告者として、あなたを遣わした。だが人びとの多くは、それが分らない。”(クルアーン34:28)

アビシニア(現エチオピア)人のビラール

最も初期にイスラームを受け入れた人物の一人は、アビシニア人奴隷のビラールでした。当時のアラブ人たちにとって、アフリカ黒人は卑しい人間であり、余興と奴隷以外には役立たないとされていました。ビラールがイスラームを受け入れると、多神教徒だった彼の主人は太陽が照りつける灼熱の砂漠の上で彼に拷問を加えました。すると預言者に最も親しい教友だったアブー・バクルは彼を助け出し、彼の自由を買い取りました。

預言者はビラールに、人々を礼拝へと呼びかける役割を任命しました。それ以降、現在に渡るまで世界中のミナレットから響き渡るアザーンは、当時ビラールが行ったものと全く同じものです。元奴隷だったビラールは、イスラームにおける最初のムアッズィン(礼拝呼びかけ人)という格別の栄光を勝ち取りました。

“われはアーダムの子孫を重んじて・・・またわれが創造した多くの優れたものの上に、かれらを優越させたのである。”(クルアーン17:70)

欧米のロマンチストたちは、古代ギリシャが民主主義の発祥の地であったと主張します。しかし現実には、奴隷や女性たちといった大多数の古代アテネ市民は為政者を選出する権利を剥奪されていました。しかし、イスラームは奴隷でさえも為政者になることができるとします。預言者はこのように命じています。

“たとえアビシニア人の奴隷であっても、あなたがたの為政者に従うのである。”(アフマド)



脚注:

バイブルはそれに同意します。イエスはこのように述べたと伝えられています。“わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。”(マタイ15:24)それゆえ彼の有名な12使徒は皆、イスラエル民族のユダヤ人だったのです。次のバイブルのくだりで、イエスは彼らにこう述べます。“だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け・・・”(マタイ28:19)これは非ユダヤ人への宣教、そして三位一体論の証明としてよく引用される節ですが、16世紀以前の写本には記載されておらず、改ざんされたものであるとみなされています。

預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)が持つ、いくつかの名前の内のひとつ。

“本当にわれは、各々の民に一人の使徒を遣わして「アッラーに仕え、邪神を避けなさい。」と(命じた)。”(クルアーン16:36)

民主主義は紀元前11世紀のフェニキア、メソポタミア、また紀元前3世紀に繁栄したシリアの古代都市国家エブラなどに見られた中東発祥のものです。

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イスラームの統一色(中)

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説明: イスラームが提唱する人種間の平等性と、歴史におけるその例。第二部:預言者の時代における例。

  • より アブドッラフマーン・マハディ?www.Quran.nu
  • 掲載日時 29 Sep 2014
  • 編集日時 29 Sep 2014
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ペルシャ人のサルマーン

サルマーンは同郷の人々と同様、敬虔なゾロアスター教徒として育てられてました。しかし、崇拝中のキリスト教徒たちと出会うと、彼はキリスト教を「より良いもの」として受け入れました。サルマーンは知識を求めて旅立ち、学識ある修道僧たちのもとを渡り歩きますが、彼らのうちの最後の者がこう言いました。「息子よ! 私は私たちと同じ(信条を持つ)者をもうだれも知らない。しかし、預言者到来の時は近い。その預言者は、アブラハムの宗教を引き継ぐ者である。」僧は預言者の性格や、どこに彼が現れるのかなどをサルマーンに教えました。サルマーンは預言の地であるアラビア半島に移り渡り、ムハンマドのことを耳にしたため、彼に出会いに行くと、僧の説明からすぐに彼を認識し、イスラームを受け入れました。サルマーンはその学識の高さによって著名な教友の一人となり、クルアーンを別の言語(ペルシャ語)に初めて翻訳した人物となりました。ある時、預言者が教友たちと共にいると、預言者に次の啓示が下されました。

“かれ(神)こそは文盲の者の間に、かれらの中から使徒(ムハンマド)を遣わし、印を読み聞かせてかれらを清め、啓典と英知を教えられた方である・・・そしてかれらの中で未だ来ぬ他の者たち(非アラブ人)に対しても教えを授けられる。かれは偉力ならびなく英明であられる。”(クルアーン62:2−3)

それから神の使徒は、その手をサルマーンに置いてこう言いました。

“たとえ信仰がプレイアデス(星団)の近くにあったとしても、これら(ペルシャ人)の男は確実にそれを得るであろう。”(サヒーフ・ムスリム)

ローマ人のスハイブ

スハイブの父はペルシャ帝王の庇護総督を務めていたため、豪邸に住むという特権に恵まれていました。スハイブがまだ子供の頃、彼はビザンチンの襲撃隊から囚われの身となり、奴隷としてコンスタンチノープルへと売り飛ばされてしまいました。

スハイブは隷属状態から脱出し、避難の地として最適だったマッカに逃れました。彼はそこで商人として成功すると、ビザンチン出身者であり、その言葉を話すことから「アッ=ルーミー(ローマ人)」と呼ばれるようになりました。スハイブはムハンマドの教えを耳にすると、その真実性に確信を持ち、直ちにイスラームを受け入れました。初期のムスリムたちが経験したのと同じように、スハイブもマッカの偶像崇拝者たちによる迫害を受けました。それゆえ、彼は預言者の近くで暮らすため、富の全てをマディーナ行きへの安全な旅のために費やしました。スハイブを目にした預言者は喜んで3度挨拶を交わしました。「おお(スハイブよ)、あなたの取引は実りをもたらしたのだ! あなたの取引は実りをもたらしたのだ!」神は次の啓示により、スハイブが再会前に搾取されていた事実を預言者に知らせました。

“また人びとの中には、アッラーの御喜びを願って、自分を売った者がある。アッラーは(御自分の)しもベに優しくあられる。”(クルアーン2:207)

預言者はスハイブをこよなく愛し、彼のことをイスラームにおけるローマ人の先駆けであると説明しました。初期のムスリムたちの間のスハイブの敬虔さと名声は極めて高かったことから、カリフ・ウマルはその死の床にあった際、人々が次のカリフを選ぶまでの先導者としてスハイブを選んだ程でした。

ヘブライ人のアブドッラー

イスラーム以前のアラブ人たちが蔑んでいた民族の中には、ユダヤ人が含まれます。預言者ムハンマドの時代の多くのユダヤ人やキリスト教徒たちは、アラビア半島における新たな預言者の到来を心待ちにしていました。特に、レビ族のユダヤ人たちはその大勢がマディーナ、そしてその近辺に移り住んでいました。しかしながら、イシュマエルの子孫であるアラブ人の預言者が到来すると、彼がイスラエルの子孫であるヘブライ人ではなかったことから、ユダヤ人たちは彼を拒絶しました。ただし、それはフセイン・ブン・サラームのような一部を除いてです。フセインは最も学識の深いラビであり、マディーナのユダヤ人の指導者でしたが、彼がイスラームを受け入れると非難・中傷を受けました。預言者はフセインを「神の僕」を意味する「アブドッラー」と改名し、彼には楽園が定められているという吉報を与えました。アブドッラーは彼の部族にこう宣言しました。

「ユダヤの衆よ! 神を畏れよ、そしてムハンマドがもたらしたものを受け入れるのだ。神にかけて! あなたがたは彼が神の使徒であることを知っているし、あなたがたはトーラーの中から彼の名前や性格が言及されているのを見出すこともできる。私に関しては、彼が神の使徒であると宣言する。私は彼を信頼し、彼の真実性を信じている。私は彼を承認する。」神はアブドッラーについて次の啓示を下しています。

“・・・イスラエルの子孫の一人がそれ(ムーサーの律法)と、同じものであると立証し、それでかれ自身クルアーンを信じたのに、あなたがたは(なお)高慢にも信じなかったとすれば(あなたがたは不義の徒になるのではないのか)。”(クルアーン46:10)

このように、預言者ムハンマドの教友たちにはアフリカ人、ペルシャ人、ローマ人やヘブライ人が含まれていました。彼らはイスラームの多様性を象徴します。そして預言者は次のように述べています。

“私の友と同盟者たちは、某の部族(に限定されるの)ではない。私の友と同盟者たちは、どこ(の出自)であろうと敬虔な者たちなのである。”(サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム)

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イスラームの統一色(中)

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説明: イスラームが提唱する人種間の平等性と、歴史におけるその例。第三部:ハッジ巡礼、そして今日のムスリムの中に見て取れる多様性について。

  • より アブドッラフマーン・マハディ?www.Quran.nu
  • 掲載日時 06 Oct 2014
  • 編集日時 06 Oct 2014
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The_United_Colors_of_Islam_(part_3_of_3)_001.jpgイスラームの説く普遍的な同胞愛は、預言者亡き後の教友たちによっても実践されてきました。教友ウバーダ・ブン・アッ=サーミトが、アレキサンドリアのキリスト教総司教だったムカウキスへの代表団を率いた際、ムカウキスは彼らにこう怒鳴りました。「この黒人を私から遠ざけ、代わりに別の者をよこすのだ。あなたがたは黒人によって率いられていることに満足するのか? 彼はあなたがたよりも低い地位にあるべきではないか?」ウバーダの仲間は言いました。「断じて違います!あなたの仰るよう彼は黒人ですが、彼は知性と学識において私たちの中で最も優れた者です。私たちは(肌の)黒さを軽蔑したりはしません。」

“信者たちは兄弟である。”(クルアーン49:10)

マッカへの巡礼「ハッジ」は、人類の調和と同胞愛における究極的な象徴です。人類の歴史上、最大規模の集合であるそこでは、あらゆる国家から富める者も貧しい者も、神の御前で一様に祈ります。預言者がこう述べたことにより、それを実証しているのです。

“実に、アラブ人が非アラブ人に優越すること、あるいは非アラブ人がアラブ人に優越すること、あるいは白人が黒人に優越すること、あるいは黒人が白人に優越することなどはないのである。ただし、それは敬虔さを除いてだが。”(アフマド)

それはクルアーンの次の節を確証します。

“人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当にアッラーは、全知にして凡ゆることに通暁なされる。”(クルアーン49:13)

ムスリムたちを民族や部族などの相違によって分断・線引きする国家・民族主義は、邪悪な行為として見なされます。

“あなたがたの父、子、兄弟、あなたがたの妻、近親、あなたがたの手に入れた財産、あなたがたが不景気になることを恐れる商売、意にかなった住まいが、アッラーと使徒とかれの道のために奮闘努力するよりもあなたがたにとり好ましいならば、アッラーが命令を下されるまで待て。アッラーは掟に背いた民を導かれない。」”(クルアーン9:24)

預言者はこう述べています。

“盲信的な旗の下に戦う者、国家主義のために憤怒する者、国家主義へと呼びかける者、あるいは国家主義を援助する者。それらの状態で死んだ者は、ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無知と不信仰)の状態で死んだのである。”(サヒーフ・ムスリム)

しかし、クルアーンはこのように述べます。

“あの時不信心な者たちは、胸の中に慢心の念を燃やした。ジャーヒリーヤ(時代のような)無知による慢心である。それでアッラーは、使徒と信者の上に安らぎを下し、かれらに自制の御言葉を押し付けられた。”(クルアーン48:26)

事実、ムスリムたちは彼ら自身、統一された超国家を構成します。預言者ムハンマドはこう述べています。

“お互いへの愛情と慈悲心を持つムスリムたちは、あたかも一人の生きた生命体のようである。その一部が痛みを感じれば、身体全体は不眠や熱を経験するのである。”(サヒーフ・ムスリム)

クルアーンは、こうした統一性を確証します。

“このようにわれは、あなたがたを中正の共同体〔ウンマ〕とする。”(クルアーン2:143)

おそらく多くの欧米人にとって、イスラームを受け入れるにあたっての最大の障壁は、それが中東・東洋人や浅黒い肌の人々のための宗教だという思い込みでしょう。確かに、イスラーム以前のアラビア半島におけるアビシニア人奴隷たちであれ、20世紀におけるアフリカ系アメリカ人たちに対するものであれ、黒人たちへの人種的不義は彼らの多くをそこから解放するイスラームに改宗させました。しかし要点はそこではありません。預言者ムハンマド自身、彼の教友たちによって「赤みを帯びた白」だと説明されているように、色白の肌をしていました。それは数千万人の信仰するアラブ人、ベルベル人、ペルシャ人などに共通する特徴でもあります。近東においては金髪碧眼の人々を目にすることもそう珍しいことではありません。さらに、ヨーロッパにはいわゆる「有色人種」の移民よりも現地の白人ムスリムの方が多いのです。たとえば、20世紀の終わりにその人口が激減したボスニア人は、その勇敢さと寛容な伝統によってバルカン半島の平和と安定に大きく寄与しています。古代ヨーロッパのイリュリア人の子孫であるアルバニア人も、その大半はムスリムです。事実、20世紀を代表するイスラーム学者の一人、ムハンマド・ナースィルッディーン・アル=アルバーニーも、その名前が示す通りアルバニア人でした。

“本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。”(クルアーン95:4)

ヨーロッパにおいて最も高い山々が連なるコーカサス山脈が、白色人種の発祥の地であると考古学者たちによって宣言されて以来、白人たちは「コーカサス人(Caucasian)」と呼ばれてきました。現在、生粋のコーカサス山脈の住人たちはムスリムです。なお、マムルーク朝当時のシリアやエジプトと共に、モンゴル軍の侵略行為から文明世界と聖地を防衛したのが勇敢さと美しさで知られるチェルケス人だということはあまり知られていません。また、百万人以上のアメリカ・北ヨーロッパの白人(アングロ・サクソン系、ゲルマン系、スカンジナビア系、ケルト系など)は、現在イスラームを信仰しています。事実、イスラームはキリスト教以前からヨーロッパの一部に平和的に進出していたのです。“遠い過去、ロシアのスラヴ人がまだキリスト教の教会をオカ川流域、またはヨーロッパ文明の名において征服された土地に建て始めていなかった頃、ブルガール人はヴォルガ川やカマ川の川岸で既にクルアーンを拝聴していたのである。” (Solov’ev, 1965) 西暦922年の5月16日、現在のブルガリア人が血筋を共有するヴォルガ・ブルガール国家は、イスラームを公式宗教としました。

イスラーム以外のあらゆる信仰は、その程度は多かれ少なかれ、一定の形で被造物への崇拝を呼びかけます。また、イスラーム以外の諸宗教においては人種や肌の色がその宗教における中心的役割を果たします。キリスト教によるイエスや聖人たちの神格化、または仏教におけるブッダやダライ・ラマの神格化は、特定の人種を崇拝させることにより、神を冒涜します。ユダヤ教においては、非ユダヤ人の異教徒に対して救済は与えられないとされます。同様に、ヒンズー教のカースト制度もカーストの下位に位置する「不浄な」人々の精神的、社会政治的、そして経済的な社会進出を妨げます。しかしイスラームでは、創造主の唯一性に基づいた人類の統一を目指しており、イスラームだけが、神のみを崇拝することによってあらゆる人種・肌の色を持つ人々を開放するのです。

“誰でも善行に励み、真心を尽くしてアッラーに傾倒する者は、堅固な取っ手を確り握った者である。凡ての事の終末はアッラーに(帰着するので)ある。”(クルアーン30:22)

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