トロイ・バグナール 米国出身の元キリスト教徒
説明: 米国人キリスト教徒が、その単純明快さからイスラーム改宗に至ります。
- より トロイ・バグナー
- 掲載日時 05 Oct 2015
- 編集日時 05 Oct 2015
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私の名はトニー・バグナールといいます。私は22歳の、米国アリゾナ州にあるアリゾナ州立大学(ASU)の学生です。私は映像・メディア研究学部で学んでいます。
私は今年の2月に様々な理由からイスラームに改宗しました。ニュースや時事で盛んに話題となっているため、イスラームについてはずっと興味を抱いていました。私は古代の歴史や世界史、戦争や政治にとても関心を持っています。
スーダン、ソマリア、パレスチナ、イラク、アフガニスタン、パキスタン、チェチェン、レバノンなどでの紛争についての報道を耳にすると、私はそれらの地域で何が本当に起きているのかを理解するために自分で精査します。なぜなら、ここのメディアの姿勢は公正かつ非偏向的な方法ではなく、非常に漠然とした説明しかしない傾向があるからです。
それらの紛争について調査すると、ムスリム世界の歴史について学ぶことに興味を持ちました。それでムスリム世界の歴史や文化について学ぶことに時間を費やすようになりました。また、ASUでも「イスラーム文明」という講義を受講しまし、ムスリム世界の歴史や文化を学ぶと、次にその宗教であるイスラームそのものにも興味を持ちました。
私はキリスト教徒として育てられましたが、15歳で実践を止めてしまっていました。個人的には、キリスト教はとても混乱に満ちており、非論理的だと思いました。三位一体論、また贖罪の教義は、バイブルの中でそれが否定されている矛盾したもので、全く理にかなったものではありません。
イスラームの歴史の講義を受講したとき、そこでバイブルやクルアーン、そしてアブラハムの3大宗教すべてに精通したムハンマド・トータという人物に出会いました。私たちは比較宗教について話し込みました。私は自分でも研究を始め、いかにキリスト教が自らの啓典に矛盾しているかということをさらに思い知りました。
私はいかに多くのバイブルのくだりが、実際にはイスラームを支持しているかについて学びました。また、「バルナバの福音書」がムハンマド(彼に平安あれ)の到来を名指しで予言していることにも興味を掻き立てられました。この福音書も、バイブルから切り離されています。
そしてクルアーンの完璧さは、驚きを超えていました。クルアーンは至極シンプルで理解し易いことが分かりました。イスラームそのものも非常にシンプルであり、難解な教義などなく単刀直入です。イスラームはキリスト教のような盲目的信仰を求めません。
また、そこにはユダヤ教にはない充足感があります。なぜならユダヤ教では、たとえばイエス(彼に平安あれ)や洗礼者ヨハネ(彼に平安あれ)のような後期の預言者たちを否定しているからです。
イスラームについて学べば学ぶほど、キリスト教からなぜ確信のなさを感じていたのか納得できるようになりました。実際、イスラームに改宗した今になって、キリスト教徒の時よりもバイブルとキリスト教そのものについてより良く理解するようになりました。
ムスリムとして、より神を感じ取れるようにもなりました。キリスト教を批判するわけではありませんが、それはイエス(彼に平安あれ)自身の教えというよりも、パウロや諸使徒の教えに基づいたものという風に個人的には感じています。
また、私は諸宗教の歴史について、いかにそれらが発祥し世界に広まったかということも時間をかけて学びました。ここ西側世界で、イスラームはエキゾチックな東洋の宗教として描写されますが、それは他のすべての預言者たちが遣わされ、説いた教えと同じ「神への服従」に他なりません。メディアが常々イスラームを否定的に描いていることは、とても残念です。
ムスリム社会の一部で紛争や暴力が蔓延していることも理解していますが、それらの紛争は宗教ではなく政治的要因がより大きいのです。
いつもメディアがイスラームについて否定的ステレオタイプな報道をする米国に在住している私にとって、イスラームの実践は結構困難であることは認めます。また、多くの米国人大学生たちが放蕩なパーティー・ライフを捨ててイスラームに改宗しているわけでもないため、個人的にも多少は困難です。
ただ私はいつも部屋にこもって勉強するのが好きなため、私自身にとっては、さほど問題ではありませんでした。私は非ムスリムからよく中東の政治や文化・慣習について質問されますが、彼らには何が本当のイスラームなのか、そして何が政治的イデオロギーや文化的な慣習なのかといった違いを示す必要があります。
中東は明らかにムスリム世界の中心ではありますが、ムスリムは世界中にいるにも関わらず、メディアが常にムスリムを中東出身者であるかのように描くことは残念です。西側世界はユダヤ教やキリスト教がイスラームと同じように中東の発祥であることを無視しがちで、そこには人種差別的な要素も加わっているのでしょう。
私はイスラームが、その信徒たちの間に普遍的な統一感をもたらすこともとても気に入っています。イスラームは私により良い人格を形成してくれました。
イスラームの実践をしているときは安堵感に包まれます。それは人生についてよりよい展望をもたらしてくれるだけでなく、ストレスや人生の中の諸問題の解決にも寄与してくれます。
私は西側世界の人々が、イスラームについてメディアが流布するような否定的描写、また必ずしも正確であるとはいえない批判などに耳を傾けるのではなく、ムスリム世界について、そして何が本当のイスラームなのかについてよりよい知識を得ることができるよう心から願っています。
私の改宗記が、イスラームに関心のある人々、そしてイスラームについてより多くを学んでみたいという人々の心に届きますように。
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