アリー・ブン・アビー・ターリブ(後半):戦士からカリフへ

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説明: “ライオン”、アリーの人生。

  • より アーイシャ・ステイシー
  • 掲載日時 25 Mar 2013
  • 編集日時 31 Mar 2013
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Ali_Ibn_Abu_Talib_(part_2_of_2)_001.jpgアリーは第4代目の正統カリフ1でした。彼は預言者ムハンマド、アブー・バクル、ウマル、そしてウスマーンのあとを継ぎ、ヒジュラ暦656年から661年まで、神の法に基いてムスリム帝国を治めました。アリーは預言者ムハンマドの年少の従兄弟、そして義子でもあり、その幼少期を敬愛する従兄弟の崇高な性質を模倣したり、イスラームを学んだりして過ごしました。アリーは高貴な戦士として成長し、強靭な肉体を持った自己主張の強い男性となりましたが、神とその使徒ムハンマドを愛してやまず、慎ましい心を持っていました。ムスリムたちはアリーの勇敢さ、誠実さ、他者への思いやりと親切心、そして彼によるイスラームへの絶え間なき献身によって彼を記憶しています。

マディーナへと移住した後、アリーは預言者ムハンマドの娘であるファーティマと結婚しました。アリーは現世的な富に関心がなく、神のご満悦と来世での永久の至福しか望まなかったため、二人は質素で飾り気のない生活を送りました。彼らは召使いや奴隷を持ちませんでした。アリーは水を汲んでそれを持ち運び、ファーティマは手が荒れて痛くなるまで穀物を挽きました。ある時、この二人の若き夫婦が預言者ムハンマドを訪れ、召使いが欲しいと頼んだ時、彼は飢えた貧しい人々がモスクに沢山居るのに、彼らにそのような贅沢を与えることは出来ないと叱責したのです。

その日の夜、預言者ムハンマドはアリーとファーティマの家を訪ねました。彼は二人の寝床の端に座り、二人に神を唱念する言葉を教えました。彼は、神を思い起こすことが、家事を手伝う召使いや奴隷を持つことよりもずっと良いということを教えたのです。アリーと彼の家族は神の称賛に多大な努力をし、自分たちすら食べるのに困るほど、より貧窮している人々に施しました。アリーの寛大さはとどまるところを知らず、彼は敬意と思いやりをもって全ての人々に接したのです。

大学者イマーム・アフマドは、最も徳のある教友の一人に、預言者の熱心な支持者として知られていたアリーを挙げました。アリーは当然のことながら強靭な戦士としても知られ、マッカの不信仰者たちとの決定的な戦いであったバドルの戦いにおいてその名を轟かせました。若き“ライオン”は、一つの例外を除き、イスラーム初期のすべての戦役に参加しました。預言者ムハンマドにまつわる真正の伝承によると、ハイバルの戦いにおいて預言者ムハンマドはその年少の従兄弟に対して偉大な名誉を与えています。

そのとき、預言者ムハンマドは教友たちにこう告げ知らせていました。「明日、私は神をその使徒を愛し、神とその使徒からも愛される男にこの軍旗を手渡す。彼は戦場から逃げ出したりはせず、神は彼によって勝利をもたらされるであろう。」預言者ムハンマドの教友たちは、一体誰に軍旗が渡されるのかと一晩中思案していました。ウマル・ブン・アル=ハッターブは、彼が自分に統率者としての地位を望んだのはそのときだけだったと述べたと言われていますが、その名誉はアリーに授けられたのです。

ムスリム国家に奉仕したウスマーン・ブン・アッファーンが殺害されたとき、アリーが4代目の正統カリフとして選ばれました。多くのムスリムたちはアリーが指導権を握ることを期待していましたが、アリー自身は既に信仰者たちの間に反抗心が芽生え始めていたことに懸念していました。彼は、預言者ムハンマドに一番近かった教友たちの一部がそうするよう説得し、彼らの援護を約束するまで躊躇していました。ウスマーンの殺害事件は、若きムスリム国家を「苦難の時代」として知られる時期へ移行させました。アリーのカリフ職には、苦難と試練が終始つきまといましたが、彼は自らの信念に忠実で、預言者ムハンマドのもとで倫理と価値観を学びつつ育てられた人物として相応しい統治をしたのです。

アリーは極めて信心深い人物でした。彼はイスラームに献身し、日常的にクルアーンと預言者ムハンマドの正しき慣行を遵守する指導者として尽力しました。ムスリム間で戦争が発生したとき、アリーは反逆と内乱の蔓延る国家を統率しようと試みました。こうした内戦の時代を通して、アリーは先代から続く偉大なる任務の遂行を常に心がけていました。彼はムスリム国家の命運を握っていたのです。

アリーとウスマーンはイスラームにおける兄弟であるということが明確に述べられなければなりません。彼ら二人は共に神とその使徒、そしてイスラームという宗教に奉仕したのです。二人は共に慎ましく、謹厳かつ敬虔な精神に基いてムスリム国家を統治しました。

アリーは毒のぬられた剣によって殺害されました。暗殺者はアリーがモスクで礼拝をしている最中に、彼を襲撃してその命を奪ったのです。アブー・バクル、ウマル・ブン・アル=ハッターブ、ウスマーン・ブン・アッファーン、そしてアリー・ブン・アビー・ターリブは皆、卓越した道徳的資質を持った高貴な人物で、彼らはクルアーン、そして預言者ムハンマドによって説かれた教訓に基づいた統治をしました。



Footnotes:

1 カリフ:預言者ムハンマドの後継者として、ムスリム共同体を指導する者のこと。

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