ムスリムの発明家がいかに世界を変えたか
説明: ムスリムたちがその基礎を築いた、あるいは現在も使われている様々な発明品について。
- より ポール・ヴァレリー
- 掲載日時 11 Nov 2013
- 編集日時 12 Nov 2013
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コーヒーや小切手から、3品の食事まで、今では世界が当たり前のように考えている発明品の内、ムスリム世界による影響力の最も大きい9つの発明を見ていきます。
(1)ハーリドというアラブ人が南エチオピアのカッファ地域で山羊を放牧していると、ある木の実を食べたそれらの山羊たちが急に活発になったのに気付きました。
彼はその木の実を湯で沸かし、最初のコーヒーを作りました。それが飲用されたという最初の記録は、エチオピアから輸入され、イエメンで人々がそれを特別な礼拝で一晩明かすために飲んだというものです。15世紀末になると、それはマッカ、トルコにも到達し、1645年にはそこからベニスへと渡りました。
それは1650年、ロンドンのロンバード通りに最初にコーヒーハウスをオープンした、パスカ・ロゼというトルコ人によってイギリスにもたらされました。アラビア語の「カハワ」がトルコ語の「カハヴェ」、さらにイタリア語の「カフェー」に転訛し、英語では「コーフィー(コーヒー)」となりました。
(2)古代ギリシャ人は、私たちの目は、物を見るためにレーザーのような光線を発していると考えていました。光を発しているのではなく、光が目に入っていることを最初に発見した人物は、10世紀のムスリム数学者・天文学者・物理学者のイブン・アル=ハイサムでした。
彼は、鎧戸の穴から入ってくる光を観察し、最初のピンホールカメラを発明しました。小さい穴を通った光ほど良い像を作ることを発見した彼は、最初のカメラ・オブスクラ(「カマラ」は暗室を意味するアラビア語)を組み立てました。
また彼は、それまで哲学的活動だった物理を、実験的活動にシフトさせた最初の人物として記録されています。
(3)古代インドにおいても、チェスのようなものが対局されていましたが、現在私たちの知る形に発展したのはペルシャにおいてです。そこから10世紀スペインのムーア人によって持ち込まれ、西はヨーロッパ、東は日本にまで広まりました。チェス用語の「ルーク」は、ペルシャ語で二輪戦車を意味する語「ルーフ」から来ています。
(4)ライト兄弟の時代よりも1000年前、ムスリムの詩人・天文学者・技術者のアッバース・イブン・フィルナスは、飛行機の組み立てに取り組みました。西暦852年、彼は木製の支柱を付けた布の翼と共に、コルドバの大モスクのミナレットから飛び降りています。
彼は鳥のように羽ばたくことが出来ると考えていましたが、そうすることは出来ませんでした。そのとき布が落下を遅め、彼は軽傷で済んでいます。それは最初のパラシュートであると見なされています。
西暦875年、70歳にして彼は飛行機にシルクと鷹の羽を使用し、山から再度飛び降りました。彼は相当の高さから10分間に渡り宙を飛びましたが着陸には失敗し、それが失速を促す尾の欠如によるものだと正しく結論付けました。バグダッド国際空港、そして月のクレーターの一つは、彼の名にちなんで命名されています。
(5)洗浄と沐浴はムスリムにとっての宗教的要件であることから、私たちが現在使う石鹸のような、より良い製法が考案されたと言われています。古代エジプトにも石鹸の一種があり、ローマ人はどちらかというとそれをポマードとして使用していました。
しかし、アラブ人が植物油、水酸化ナトリウムにタイム油といった芳香剤を加えたものを作り上げました。アラブ人たちにとって、十字軍の最も衝撃的な特徴の一つは、洗浄をしないことに由来する彼らの汚臭だったのです。
シャンプーは1759年、英国南部ブライトンの海岸沿いに「マホメットのインド式蒸気風呂」をオープンしたムスリムによって初めてイギリスに持ち込まれ、彼はジョージ4世・ウィリアム4世両国王のシャンプー医として任命されていました。
(6)沸点の異なる成分を分離・濃縮する操作である蒸留は、イスラームにおける科学者の第一人者、ジャービル・イブン・ハイヤーンによって西暦800年頃に発明されました。彼は錬金術を化学へと変質させ、液状化・結晶化・蒸留・精製・酸化・蒸発・ろ過などの、現代においても依然として使用され続けている多くの基本的手法・装置を開発しました。
また、硫酸・硝酸を発見した彼は、ランビキを発明し、バラ香水などの香水類や、(イスラームにおいて飲酒は禁じられているものの、)蒸留酒を世界にもたらしました。イブン・ハイヤーンは体系的な実験を重要視した、近代化学の創始者です。
(7)回転運動を直線運動に変換するクランクシャフトは、内燃機関だけでなく、現代における中心的な機械装置です。この、人類の歴史における最も重要な機械発明の一つは、ムスリム工学者アル=ジャザリーによって、灌漑の揚水を目的として発明されました。
彼の著書「巧妙な機械装置に関する知識の書」(1206年)からは、彼がバルブとピストンを開発あるいは改良したこと、また水力と重量で動く最初の水時計を考案したこと、ロボット工学の父であったことなどが示されています。彼による他の50もの発明の中には、結合錠(コンビネーション・ロック)があります。
(8)キルティングとは、2枚の布の間に薄い綿を入れ、重ねた状態で指し縫い(キルティング)する手芸のことです。それがムスリム世界で発明されたのか、インド・中国から輸入された技術なのかははっきりとは分かっていません。
しかし、それが十字軍によって西洋にもたらされたことは確定しています。彼らはムスリム戦士たちが鎧兜の代わりに鎧下(ギャンベソン)を用いているのを発見しました。それは十字軍の金属の鎧兜に対する防御としてだけでなく、断熱効果もあることが証明されました。それは英国やオランダにおける寒冷地の山小屋に使用される断熱材として一大産業となった程です。
(9)ヨーロッパのゴシック建築の大聖堂における象徴ともいえる尖頭アーチは、イスラーム建築から借用されたものです。それはローマ様式やノルマン様式において用いられた半円アーチよりも耐久性に優れていたため、建物をより大きく、より高く、より複雑にすることを可能とさせました。
ムスリムからの借用としては、他にもリブ・ヴォールト(穹窿)、バラ窓、ドーム状建築物があります。ヨーロッパで見られる城郭も、イスラーム世界の射撃孔、胸壁、外防備、欄干といった様式を導入したものです。四角の塔や囲いも、より容易な防御が可能な円形のものに変化していきました。ヘンリー5世の城を設計した建築士も、ムスリムだったのです。
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