イスラームにおける健康(2/4):治癒としてのクルアーン
説明: クルアーンは健康と治癒を促す導きを有します。
- より アーイシャ・ステイシー
- 掲載日時 15 Apr 2013
- 編集日時 15 Apr 2013
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イスラームは健康に対し、包括的アプローチを取っています。世俗生活と宗教生活が切り離すことの出来ないように、身体・感情・精神的健康は切り離すことが出来ません。それらは、健康な人物を構成する3つの要素です。それらの内の一つでも害されるか、または不健康であれば、別の部分も影響をうけるのです。人が身体的に病気になるか、怪我を負うのであれば、その痛み以外に集中することは困難となります。人が感情的に優れないとき、その人は自分自身への適切な配慮や、生活上の現実問題への取り組みが難しくなります。
預言者ムハンマドは彼の追従者たちに、神の御前においては、強き信仰者たちの方が弱き信仰者たちよりも優れているということを述べています1。ここでの強いという言葉は、信仰や性格における強さを意味しますが、それは健康にも当てはまるものです。私たちの肉体は神により信託されたものであり、私たちは自らの健康の維持における責任を有しています。身体的・感情的健康は共に重要ではありますが、私たちの人生においては精神的健康が最優先されなければなりません。人の精神的健康に問題があれば、その人の人生は崩壊し始め、あらゆる面で問題が発生しかねません。
怪我や病気は多くの原因によって発生しますが、この世では神の御意なしに起きる物事など存在しないということを認識し、受け入れることは重要なことです。
“幽玄界の鍵はかれの御許にあり、かれの外には誰もこれを知らない。かれは陸と海にある凡てのものを知っておられる。一枚の木の葉でも、かれがそれを知らずに落ちることはなく、また大地の暗闇の中の一粒の穀物でも、生気があるのか、または枯れているのか、明瞭な天の書の中にないものはないのである。”(クルアーン6:59)
現世はつかの間の滞在場所に他ならず、配偶者、子女、富、贅沢品などの、私たちが熱望するものによって美化されています。しかし、楽園におけるこの上ない満足感と美しさに比べ、それらは一刻の儚い享楽に過ぎないものです2。私たちが確実に楽園に入るのを手助けるため、神は私たちの前に試練や障害を置かれました。神は私たちの忍耐や感謝の念を確かめ、それらの障害を乗り越えるための方法や手段を提供されます。神は慈悲深く公正であるため、私たちがいかなる試練を受けようとも、それらが永遠の至福の場を確実に得ることの助けとなるように、それらを設計されています。怪我や病気とは、忍耐と寛容、そしてそれを甘受する覚悟と共に直面しなければならない試練なのです。
試練を甘受することとは、何もせずにいるということではなく、それを乗り越え、そこから学ぼうと努力することを意味します。甘受することとは、神が私たちに授けてくださった武器と共に忍耐を持って試練に向き合うことです。その武器の中でも最高のものとは、慈悲と治癒に満ち溢れた、導きの書クルアーンです。クルアーンはテキストブックでも医学書でもありませんが、良き健康と治癒を促す導きが含まれています。
“人びとよ、あなたがたの主から確かに勧告(クルアーン)が下された、これは胸の中にある(病い)を癒し、また信者に対する導きであり慈悲である。”(クルアーン10:57)
“われがクルアーンで下したものは、信者にとっては癒しであり慈悲である。”(クルアーン17:82)
クルアーンの節々、語句には、人類の苦しみや病に対する治癒が含まれていることに疑いの余地はありません。預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)にまつわる言行録には、特定の章や節々には、神の御意によって病や苦悩に対する治癒がもたらされると述べられています。時間の経過と共に、私たちは徐々に、イスラームによって処方された精神的療法よりも、薬品や物理的療法に頼るようになりました。もしも信仰心が揺らぎなく確固としたものであれば、精神的療法の効能は迅速かつ効果的なのです。
預言者にまつわる言行録には、預言者が使者として遣わした教友の逸話が収録されています。その教友は、彼にもてなしの精神を全く見せなかった人々の近くに野営しましたが、彼らの長が蛇に噛まれた際、彼らは教友の元に助けを求めて来ました。彼が男のためにクルアーンの開扉章を唱えると、男は「鎖から解き放たれたかのように」起き上がったのです3。
預言者ムハンマドによって処方された同じ方法で、クルアーンから治癒を求めることは重要ですが、医者から薬を処方してもらうことも許されており、それが時には義務行為となることを理解することも同じように重要です。私たちの身体が私たちのものであるというのは、それが信託されたものという意味です。私たちはそれを敬意をもって扱い、最善の方法で維持しなければなりません。許された形の精神的療法と共に、医学からも治癒を求めることは、イスラームが健康に対して包括的なアプローチを取ることと一致しており、矛盾しないのです。
預言者はこのように述べています。“神はそれに対する治癒をお創りになることなしには、いかなる病をもお創りにはなることはなかったのである。”4
また、彼はこのようにも述べています。“あらゆる病気には治癒があるが、病気に治癒が施されたとき、それが治るのは全能なる神のお許しあってこそである。”5
クルアーンは、心と体にとっての治癒です。人生が耐え難い程の困難に陥るとき、または怪我や病気、憂鬱な気分に悩まされるとき、クルアーンは私たちの道を照らし出し、重荷を軽減してくれます。それは安堵・安楽の源泉であるからです。現代社会においては、多くの人々が富と贅沢を享受しますが、幸福感を味わえずにいます。私たちの住む先進諸国においては、医者や薬品、伝統的療法、近代的療法、または代替療法などへのアクセスが容易であるにも関わらず、多くの魂は無感情や無気力さの中にいます。そこに欠けているものとは、信じること――つまり神への信仰なのです。
過去数十年間において、宗教の信仰と実践が、身体的・感情的健康の双方に大きな影響を及ぼすということは広く認められるようになりました。医学的研究により、宗教の実践は情緒障害・病気・負傷を予防・治癒し、回復を促進することが分かっています6。神への信仰、そして神の御意への服従は、健康における最も根本的な部分です。クルアーンの言葉や朗誦は、心と精神を癒し、病気や負傷を乗り越えさせますが、神への完全なる信頼は、それを合法的な範囲内で使用するに限り、医学の効能を否定するものではありません。神はまさしく全能であるため、私たちはかれにすべての信頼を寄せ、かれの導きの書であるクルアーンとの絶え間ない関係を築き、預言者ムハンマドの真正の教えに従うことによって、治癒を求めるべきなのです。
Footnotes:
1 サヒーフ・ブハーリー
2 ムスリムにとって、天国と楽園は同じ場所ではありません。天(アラビア語でサマー)は、審判の日に破壊される諸天の一部で、楽園(アル=ジャンナ)は地獄の対極であり、永遠の平安と満足の与えられる住処です。
3 サヒーフ・ブハーリー
4 サヒーフ・ブハーリー
5 サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム
6 Matthews, D. (2000) Is Religion Good for Your Health in Stannard, R. (Ed) God for the 21st Century Philadelphia: Templeton Foundation Press.
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