元英国外交官チャールズ・ル・ガイ・イートン(4/6)
説明: 哲学者/作家による真実の探求は、信仰と行為を調和させるための恒常的な葛藤に悩まされました。第4部:T.S.エリオットと、ガイの処女作。
- より ガイ・イートン
- 掲載日時 15 Oct 2012
- 編集日時 15 Oct 2012
- プリント数: 102
- 観覧数: 17,530 (日平均: 4)
- 評価者: 0
- メール数: 0
- コメント日時: 0
私は軍を去り、自分の思いを書き留め、きちんと整理する必要性を感じました。私はベーダーンタ、道教、禅仏教について書き出しましたが、同時にそれらの教義に影響を受けた(マイヤーズを含む)西洋作家についても書きました。当時、出版社の社長で、偶然出会った詩人のT.S.エリオットによって、それらのエッセイはソローの作品からの引用文に因み、「The Richest Vein(最も豊かな気持ち)」という題名で出版されました。丁度当時、私にとっての導きとなる人物と出会っていました。その人物とは、シェイフ・アブドル=ワヒードとして、その人生の大半をカイロで過ごした、フランス人男性のルネ・ゲノンでした。
ゲノンはその妥協なき知的厳正さから、現代人、つまり西洋人または西洋化された人々によって当然のこととして受け止められていることをことごとく破壊しました。いわゆる「ルネッサンス」以降のヨーロッパ文明の向かう先は、他の多くの人々によっても批判されてきましたが、誰一人として彼ほどまでに急進的で度重なる強烈な批判を、西洋文化が歴史の先端にあてがった原理や価値観に対して行った者はいないでしょう。彼のテーマは「原始的伝統」または永遠の哲学と呼ばれるもので、それは世界宗教の根源として、古代神話、そして形而上学的教義の双方により明示・保持されているものです。こうした伝統の言語は象徴言語であり、彼によるその解釈は、他の追従を許しませんでした。さらに、彼は人類の進歩を逆さまにし、近代以前においては普遍的であった信条と取って変えたのです。つまり、人類の精神性は時間の経過と共に衰退するというものであり、我々は以前の諸文化が拒絶したすべての悪徳が顕現し、量が質を凌駕し、退廃がそのピークに達するとされる、終末前の暗黒時代にあるのです。彼の著作を読み、それを理解した人は、二度と元の自分に戻ることはないでしょう。
ゲノンを読むことによって人生観の変わった他の人々のように、私も20世紀の世界において異邦人となっていました。彼は最終啓示であり、以前の諸啓示の総括であるイスラームへの確信から、自らの論理を突き進んでいました。私はまだそれに対する心の準備が出来ていませんでしたが、やがて自分の意見を押し殺すこと、または最低限でも覆いをかぶせることを学びました。自分の周囲の人々との恒常的な確執の状態で生活することは誰にとっても幸福なものではありません。また、彼らとの論争は、同じ基盤を共有していないため不可能なのです。論争や議論は、それに関係する人々が、ある一定の共通点を持つことを前提とします。共通点が存在しなければ、混乱や誤解、または衝突を避けることは出来ないでしょう。現代文化の根本である信条は、人々によるその情熱的な追従においては、サルマーン・ルシュディの著作「悪魔の詩」騒乱で明るみに出たような盲目的な宗教信仰と大差はないのです。
私は時々、無益な議論に加わらないという決意をうっかり忘れてしまうことがあります。数年前、トリニダードの外交晩餐会に招待されたとき、私のとなりの若い女性が、正面に座る英国人牧師と会話していました。彼女が人類の進歩について信じるべきかどうか分からない、と言うまで、私は半分しか会話に参加していませんでしたが、牧師の答えが非常に無礼かつ侮辱的だったので、私は抑えきれずこう言いました。「彼女の言い分は至極正しい。進歩などというものはない!」彼は激昂から歪んだ顔で私の方を向き、こう言いました。「もし今夜、私が自殺しようと思ったのであれば!」自殺はキリスト教徒とムスリムの双方にとって大罪であることから、「より良き未来」に向い進歩中の信仰が、地上における楽園への願望によって、神と来世への信仰に取って変わられたことをその時初めて気付いたのです。反逆的司祭のテイヤール・ド・シャルダンの著作において、キリスト教はそれ自体が進歩の宗教に縮小してしまいました。この信仰を近代西洋人から奪い取ってしまえば、彼らは指標を失い、荒野をさまようこととなるのです。
「The Rickest Vein」が出版される頃、級友から仕事を紹介されたため、私は英国からジャマイカに移り住んでいました。私の著作のカバーでの触れ込みは「成熟した思想家」というものでした。「成熟」という形容詞は、一人の人間としても、その人柄としても、私に対してはどう考えても不適切なものでした。私は青年になったばかりで、ジャマイカは青年期の幻想を実現するのにぴったりな場所だったのです。戦後直後の西インド諸島(カリブ諸島)での暮らしを経験した者だけが、そこの提供した「経験」と性的アドベンチャーを求める者たちにとっての喜びと魅力の場だったことが理解できるでしょう。マイヤーズ同様、私には節度を与えてくれるような倫理観が欠落していました。私の著書を読んで手紙を送ってくれた人々の中には、私のことを「白く長い髭を蓄えた」「英知と人情に溢れた」老人であると思い込んでいるものもあり、自分を恥ずかしく思いました。私は直ちに彼らを幻想から目覚めさせ、彼らが私に課している重荷から開放されたいと願いました。ある日、カトリックの牧師が島を訪れ、彼の友人にガイ・イートンという著者による「非常に興味深い本」を読んでいることを告げました。彼は、その著者が実際にジャマイカにいることを知ると驚愕し、どうすれば彼と会えるかと尋ねました。彼の友人たちは、私が来るであろうとされたパーティーに彼を連れていきました。彼は私へ紹介され、目の前にいる愚かな若者を一瞥すると、驚きのあまり首を振って静かにこう言ったのです。「あなたがあの本を書いたなんてあり得ないことだ!」
コメントを付ける