キャトリン・ホミック・ムラービト エストニア出身の元キリスト教徒
説明: ソ連による暗黒の共産党時代、ある3歳の幼女が、神を見つけ出すための探求を始めます。
- より キャトリン・ホミック
- 掲載日時 04 Aug 2014
- 編集日時 04 Aug 2014
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私の最初の記憶は3歳のときのものです。私は父にこう尋ねたのを覚えています。「私は死んだらどうなるの?」彼は小さな私からそのような質問がされたことにとても驚き、それに答えることは残念ながら出来ませんでした。ここエストニアでは、ソ連の支配下において信仰というものはタブー視され、誰一人としてそのことについて話すのは許されていませんでした。目に見えないものを信じることなど出来ようか、神を信じるのは狂人だけだ、という風潮だったのです。宇宙飛行士は宇宙に飛びましたが、空の上に白い服を着て長い髭を蓄えた神が座っているのを見つけることは出来なかったため、神などは存在しないということになったのでしょう。自分自身、そうした社会に生まれ育った父は、私の疑問に全然答えることが出来なかったのです。彼はこう言いました。「ええと、君は土の中で眠りにつくのだよ…。」
その日の父の答えよりも奇妙な、あるいは恐ろしいことを私は聞いたことがありませんでした。私は僅か3歳でしたが、本当のことを知りたいと思うようになりました。しかし、私の前には長い道のりが待っていました。私はその名前を知らなかったものの、神が存在するということを常に知っていたというか、感じ取っていました。私はただ、本能的にその存在と、神が私のことを見守ってくれていることを知っていたのです。私が良い子であるのは両親のためではなく、神のためだったのです。なぜなら私がどこにいても私のことを見ていてくれたのは、両親ではなく神だったからです。
私が学校へ通い出すと、父は私の質問に耐えることが出来なくなり、私を母と祖母の元へと送りました。母は第一エストニア共和国の時代に生まれたため、当時の人々と同じようにキリスト教の洗礼を受けていました。彼女が私に神を神と呼ぶよう教え、またキリスト教の祈りである「天に召します我らの父よ」を教えました。また彼女は私に、問題を起こすから、公の場でそれを唱えないよう注意していました。私は心の中で、大きくなったらもっとそのことについて学ぶことを決心したのです。
私はそれを実行しました。11歳のとき、私たちはソ連から独立したため、日曜学校(子供のためのキリスト教を学ぶ学校で、両親が教会にいる間、通常牧師の妻たちによって教えられているもの)に通うことが出来るようになりました。しかし、私はそこから追い出されてしまいました。彼らは、私が尋ねるべきでない質問を多くし過ぎ、信仰心が欠如していると言いました。私は彼らを理解出来ませんでした。なぜ神はマリアと結婚などしていないにも関わらず、キリストが神の子と見なされているのか、またなぜアダムは両親の双方がいなかったにも関わらず、神の子ではないのかと質問することが間違っていることとは思えませんでした。しかし、こうした興味心は、その教師にとっては非常に厄介なものだったのです。
15歳のとき、私は独学でキリスト教についてもっと学び始めました。私はもし、何々や何々を信じないで良いのなら、自分のことをキリスト教徒だと見なしていましたが、結局その宗教の多くの事柄を認めないのであれば、キリスト教徒であることは出来ないだろうと悟ったのです。私には、別の何かを探す必要がありました。
複数の宗教について学んだ後、私は最終的にイスラームを見つけ出しました。私は過去にキリスト教についてとても失望していたため、イスラームのことを学び始めるには多くの時間を必要としました。しかし、そうする価値はあったのです。
なぜムスリムになったのかと人々が尋ねるとき、私は通常、私はムスリムになったのではなく、それまでただ気付かなっただけで、常にムスリムであったのだと答えます。イスラームのことを最初に知ってから、これが本当の私であるということに気付くまで、3年を要しました。そのことを本当に確信しているのかと誰かに聞かれるなら、全くの疑念なく「はい!」と答えることが出来ます。それこそが私であり、私が常にそうあったものなのです。21歳にしてようやく、私はイスラームに改宗しました。神に讃えあれ!
私は2001年のラマダーン直後に改宗しました。ラマダーンは美しい時間であり、断食・斎戒の月で、物質的な享楽から遠ざかり、肉体よりも精神を鍛錬させ、自分よりも恵まれない人々のことに想いを馳せる時間です。これこそは、私がムスリムになる前から感じていたことだったのです。私は、人間にとって最も必要なものである、心と身体の「糧」から断食していたのです。私は自分自身の向上を常に心がけ、より良い内的な安寧が見つかるよう常に祈り、人生の状況についていつも分析していました。
私は未だ、なぜラマダーンの前や最中ではなく、ラマダーン後に改宗したのかについて合理的に説明することが出来ません。私はラマダーンの断食を完遂してから改宗しました。おそらく、私には自らを浄化する必要があったのでしょう。完璧さを認める前に、最後のステップをとる必要があったのだと思います。
飲食に恵まれないのはもちろんそうですが、知識や単純な真実に恵まれないことは、より大きな困窮です。それゆえ、私たちが断食するときは飲食をし、食べ物を味わうことが出来る時間のことだけを考えるのではなく、同時にムスリムとしての私たちに与えられている祝福と、飲食だけでなく完全性・真実に近づくことからも困窮している他の貧しい人々についても考えなければならないのです。私たちはムスリムとして、真に恵まれています。私たちは自らの向上のため、一年に一ヶ月間の断食をしますが、この世界の大半の人々は、彼らの人生の中の大部分を、真実探求のための「断食」をしなくてはならないのですから。
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