ダイアン・チャールズ・ブレスリン(元カトリック教徒、アメリカ合衆国) (パート1/3 )
説明: ある厳格なカトリック教徒が聖書を読んだ後に信仰を失うが、その後の神への継続的な信仰が彼女を他の宗教の探索へと導く。
- より ダイアン・チャー?
- 掲載日時 05 Dec 2009
- 編集日時 05 Dec 2009
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どのようにムスリムになったかと尋ねられる時、私はいつも、自分が唯一無二の神を信仰する者になることを感じていた、と答えたものでした。そしてイスラームと呼ばれる宗教とクルアーンと呼ばれる本についての話を聞いた時、初めてそれがどういう意味だったのかということに気付いたのでした。しかし、まずは私のアメリカ人としての圧倒的伝統である、アイルランド・カトリックの背景についての簡単なあらすじから始めさせて下さい。
本当に私はカトリック教徒でした
私の父は、宣教師養成訓練のための3年の務めの後、神学校を去りました。彼は 13人兄弟の長男で、その全員ともにボストン地区で生まれ育ちました。彼の二人の姉妹は彼の母方の叔母がそうであったように、修道女となりました。彼の弟も神学校に在籍し、9年の後ちょうど最後の誓いの前に退学しました。私の祖母は家の他の者が寝ている間、地元の教会の早朝ミサへ行くために着替えて丘を登るのため、明け方起床していました。私は彼女がその時代では非常に珍しいことに、非常に厳しく、優しく、公正で、そして強い-女性であったことを覚えています。私は彼女がイスラームについて聞いたことがなかったことを確信していますが、神が彼女の心に信仰があったと判断されることを祈っています。イスラームが唯一神を奉じる宗教であるということを聞いたことがない多くの人々は本能的に、先祖からの様々な宗派の標札を受け継いでいたのでした。
私は4歳でカトリックの保育園に在籍させられ、その後の私の人生の12年間は、三位一体的教化に覆われていました。十字架は修道女たちや教室の壁、ほぼ毎日出席する教会、そして私の家のほぼ全ての部屋にいたるまで、あらゆる場所にありました。言うまでもありませんが、その像や聖なるイメージ‐そこにはいつも赤ん坊のイエスと、彼の母マリアが描かれていました‐には常に白人的・英国古典主義風な趣があり、時には幸せそうに、時には悲しそうに映ったものでした。そして聖日が近づいて来ると、様々な種々の天使と聖人の絵が登場しました。私は自分の寝室の隣、2階廊下にある聖母マリア像の花瓶に挿すブーケを作るために、庭からライラックやユリの花摘みをしたことを鮮明に覚えています。そこで私は膝まずいて祈り、新鮮な摘みたての花の心地よい香りと、穏やかな風景に、マリアの長い栗色の髪の美しさを鑑賞し、楽しみました。私は一度も彼女に対しては祈ったことはなく、また彼女が私を助ける力を持っていると感じたこともなかったことを断言できます。夜ベッドでロザリオの数珠を握る時も同じでした。私は、主と、聖母マリアと、栄唱の儀式的祈りを父と子と聖霊のために繰り返し、その間中ずっと上を向き、本心では「唯一全能であられるお方よ、私はあなただけであることを知っています」と言っていました。それが自分で学んだ全てのことだったのです。
私の12歳の誕生日に、母は聖書をくれました。我々はカトリック教徒として、バチカンにより認可されたボルティモア問答以外のいかなるものも読むようには奨励されていませんでした。どのような相対的内省も否定され、けなされました。ですが私は、自分が期待していたことがそこに説明されていること、そして創造主について知ることを望みつつ熱心に読み続けました。しかし私は更に混乱したのです。その本は明らかに人間の作品であり、矛盾に満ちており、信ずることが難しいものでした。しかし繰り返して言いますが、当時の私にとってはそれしかなかったのです。私の同世代の慣わしに漏れず、私の教会への出席は10代半ばで終わりました。そして20代になる頃までには、私は正式な宗教を基本的に持っていませんでした。私は仏教、ヒンドゥー教について沢山読んだり、地元のバプテスト教会さえ何カ月間か試したりもしました。しかしそれらは私の注意を引くほどではなく、前者はエキゾチック過ぎ、後者は田舎過ぎました。しかし形式上宗教を実践していない年月を通しても、私が“神との会話”をせずに過ごした日はありませんでした。特に眠る時にはいつも、全ての祝福に感謝の念を述べ、私に降りかかっていた全ての問題への助けを求めました。私が呼びかけていたのは、唯一無二のお方でした。かれは必ず私を聞かれておられ、私はかれの愛とご加護を確信していました。これは誰が教えてくれたというわけでもありません。単に純粋な本能から生じるものでした。
ダイアン ・チャールズ ・ブレスリン(元カトリック教徒、アメリカ合衆国)(パート2 /3)
説明: イスラームについての読書が、ダイアンを今度は新しい光の中の真の愛でもって、再びイエスとマリアを愛させることになる。
- より ダイアン チャール
- 掲載日時 05 Dec 2009
- 編集日時 06 Dec 2009
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他の人々
私がクルアーンについて聞いたのは、修士号の準備をしていた時でした。それまでの私はほとんどのアメリカ人同様、 "アラブ人" を神秘的で、我々の文明を奪おうとする邪悪な略奪者という位にしか認識していませんでした。イスラームについて触れられることと言えば、険悪で汚いアラブ人、砂漠のラクダとテントということくらいしかなかったのです。私は子供の頃よく宗教の授業で、「他の人々」とは誰だったのか、と疑問に思っていました。イエスはカナー、ガリラヤそしてナザレを歩きましたが、彼は青い目をしていました。しかし他の人々は誰だったのでしょうか?私は、どこかに欠けている輪があるという感覚を持っていました。そして私達は1967年のアラブ・イスラエル戦争の折、その「他の人々」を初めて一見し、そして彼らの大半は明らかに敵としてみなされました。しかし、私は容姿を問うことなく、彼らを好きになりました。私はこの日まで、その理由を説明できません。そして現在私は、彼らを自分のムスリム同胞だと認識しています。
クルアーンを最初に読んだのは、私が35歳位の時でした。私はそれを、自分が修士号で専攻している地域の住民の宗教と親しむために、軽い参照を目的に開きました。神は私に、「信仰者章)の52-54節を開かせました:
“本当にあなた方のこのウンマ(共同体)は,唯一の共同体である。われはあなた方の主である。われを畏れよ。それなのに彼らは諸宗派に分裂した。しかも各派は自分たちが素晴らしいと言っている。だから当分の間,迷いのままに彼らを放置しなさい。”(クルアーン23:52-54)
私はこれを最初に読んだ時から、これが全ての人間の本質を暴露し、かつ私が歴史専攻の学生として勉強した全てを検証する性質を備えた、明確で説得力のある本当の真実であるということを知りました。そこには人間の真実に対する哀れな拒絶、他者に秀でるためのその無駄で絶え間ない競争と、存在の目的に対するその怠慢さが、全て短い言葉で表現されていました。国家の地位、国籍、文化、言語などを基礎とした、自分こそが優位であるという全ての感情、あるいは全ての独自性は実際のところ、私たちが分かち合うことを喜ぶべき唯一の真実−すなわち全てを創造し、全てを所有される唯一の主にへ仕えること、を隠蔽しているのです。
私はまだ、イエスとマリアを愛している
子供の頃私はよく、「聖母マリア、罪人なる我らの為に、今も臨終の時も祈り給え、アーメン」という句を唱え、 "祈り"の中に聖母マリアを見出しました。私には今、マリアが神の母としての誤解によりどれほど中傷されてきたかが分かります。彼女のことは、神の偉大な預言者イエスを処女として産むために、全女性の中から選りすぐられたという見解だけで極めて十分なのです。私の母はよく、彼女も母であり母の悲しみを理解しているのだと説明することにより、継続的にマリアからの救いを懇願するという行動を擁護したものです。私の母だけではなく全人にとって、マリアがどれだけその時代のユダヤ人により、最も卑劣な罪、姦淫の罪により責められたかを熟考することは大変有益です。全能の神により疑惑を晴らされ、彼らの中傷の全てに耐える強さを授けられるだろうことを知って、彼女はこれら全てに耐えたのです。
マリアの信仰と神の慈悲への信頼の認識は、彼女が全女性の間で最も高貴な位置にあることを認識させるとともに、彼女を「神の母」などと呼ぶ、彼女の時代のユダヤ人の彼女に対する誹謗よりも悪い中傷を取り除きます。ムスリムとして、あなたはマリアとイエス・キリストを愛するでしょう。しかし神こそは従うべき唯一の存在であることゆえ、神をより愛することは天国の報奨へと繋がるのです。神こそは、誰もあなたを助けることが出来ない日にあなたを裁くお方です。あなたとイエス、そして彼の祝福された母マリア、そしてムハンマドを創造されたのは神なのです。全ては死に去ったか、あるいは死にゆくもののいずれかでしかありませんが、神が死ぬことはないのです。
イエス(アラビア語でイーサー)は1度も自分が神であると主張したことはありません。むしろ、彼は繰り返し自分自身に、自分は一人の使徒に過ぎないと言い聞かせていました。私の青春時代に経験した混乱を振り返ると、その根本的理由は、イエスが彼自身が認めていた以上のものであったとする教会の主張にありました。教会の神父は、三位一体の概念を発明するための学説を考案しました。それは、この三位一体の問題の核である律法とインジール(福音)(モーセとイエスに与えられた啓典)の混乱した訳文なのです。
公正な事実において、イエスは一人の預言者であったと述べることで十分です。そう、彼を遣わされた唯一のお方の言葉を携えて来た、一人の使徒だったのです。もし私たちがイエス(彼に神のご慈悲と祝福がありますように)を正しい光のもとで見れば、全人類を同じメッセージ−全てを創造され、私たち全てがその御許へと帰るべきお方である唯一の全能の神を崇拝すること−へと呼びかけるためにやって来たその弟分としてのムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福がありますように)を受け入れることは簡単なことなのです。それは、彼らの身体的特徴を論じた結果などではありません。アラブ人、ユダヤ人、白人、青や茶色の目、髪の長さや短さなどの全てのことは、メッセージを携えた使徒としての重要性とは完全に無関係なのです。イスラームを知った後の今現在、イエスを思う時にはいつでも、私は幸せな家族−信者の家族−の中にいると感じるのです。あなたは、イエスが彼の主に帰依した一人のムスリムであったことを知るでしょう。
十戒"の冒頭にはこうあります:
1.わたしのほかに神があってはならない。
2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
誰でも“ラー・イラーハ・イッラッラー”(真の神以外に神はない)の正確な意味を知っている者は、すぐにこの証言の類似性に気付くことでしょう。こうすれば、私たちは全ての預言者の真実の物語を集め、全ての歪曲に終焉をもたらすことが出来るのです。
“また彼らは言う。「慈悲深き御方は子を設けられる。」確かにあなた方は,酷いことを言うものである。天は裂けようとし,地は割れて切々になり,山々は崩れ落ちよう。(クルアーン19:88-90) ”
ダイアン・チャールズ・ブレスリン(元カトリック教徒、アメリカ合衆国) (パート3 /3)
説明: ダイアンが、彼女のイスラームへの帰依 、 新しい人生、そしてアメリカへの祈りについて語る。
- より ダイアン チャール
- 掲載日時 05 Dec 2009
- 編集日時 06 Dec 2009
- プリント数: 434
- 観覧数: 18,750
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イスラームへの私の旅
私がムスリムになりたい、と宣言が出来るようになる前に、クルアーンの勉強と探求には丸3年かかりました。服装や習慣、日常化していたデートや飲酒などの習慣が変化するのを恐れていたのは確かです。音楽とダンスは私の人生の大きな部分を占めていましたし、ビキニやミニスカートは当然のことでした。この当時私の地域でムスリムに会う機会はなく、車で一時間ほどの所にあった当時その州唯一のモスクに、かろうじて英語の話せる数人のムスリム移民がいただけでした。私は自分が考えているものを見に行ってみようと金曜礼拝を訪れたりしましたが、そのような時にはスパイなのではないかというような疑念の視線を受けたものです。これはかつて、そして未だにある種の事情のために多くのイスラームの集りで感じるものです。そこには私を助けてくれるアメリカ人ムスリムは一人もおらず、前述した通り移民の人々は皆、かなりよそよそしいかったのでした。
私の人生のこのような局面において、私の父は癌で亡くなりました。私は彼のベッドのそばで文字通り、死の天使が彼の魂を引き抜いたのを目にしました。彼は恐怖の虜となり、涙がその頬を伝って落ちました。彼と母の両方にとっての贅沢な暮らし、ヨット、カントリークラブ、高価な車などの全ては利子所得の結果でしたが、今や全てが終わってしまったのです。
まだ時間はありましたが、私は突然、イスラームに早く入信したい、そして自分の生き方を変えたいという欲望を感じました。そして人生が良いものであるために信仰するように育てられたことについて、闇雲に探し続けたくはありませんでした。その後まもなく私はエジプトを訪れ、アラビア語の言語の奇跡と、明確な真実の発見−神は唯一の御方であられ、自存され、御産みなさらないし、御生れになられたのではなく、かれに比べ得る何者もないこと−を通し、長くゆったりした旅をすることになったのです。
また、私をその宗教に最もひきつけたのは、人類間の平等の概念でした。預言者ムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福がありますように)は、人々は櫛の歯のようである−つまり皆平等であり、最良の者とは最も敬虔な者である、と言われました。クルアーンでは、最良の者は、最も敬虔な者であると教わっています。敬虔さは、神のみへの恐れと愛を伴います。しかし実際に敬虔になる前に、神が誰であるのかを学ばなければなりません。そして神を知り、神を愛するのです。私は、アラビア語で啓示されたアッラーの御言葉を読むためにアラビア語を習い始めました。
クルアーンを学ぶことは、私の人生におけるあらゆる側面を変えました。車や洋服や旅行など以前私が追求していた現世的贅沢品は、もはや私を無駄な欲望の巣に引き込んだりは出来ないのです。私は信者としてのよい生活をとても楽しんでいました;が、ムスリムたちが言う通り、それはもはや私の心に深くとどまることなく、ただ手近な場所にあるだけでした。私はかつての友人や親戚を失うことを恐れませんでした。もし神が、彼らを近づけることを選ばれるのならそうなるのでしょうが、私は神が多くも少なくもなく、私にちょうど必要なものをお与えになられることを知っていました。私は、神−いつも知っていたけれど、その名を知らなかった唯一無二のお方−の保護下にいて安全だったので、もう不安や悲しみ、また過ぎ去ったことへの後悔もなどは感じていませんでした。
アメリカへの祈り
私は全能の神に、全てのアメリカ人が簡潔な方法で、唯一の神の言葉を受け取る機会を許されることを祈ります...アメリカ人のほとんどが、本当に正しいイスラーム神学について知らされてはいません。大抵の場合重きが置かれるのは、人の行為に焦点がを当てる政治です。しかし今や私たちを暗闇から光へと導き出すために到来した、全ての預言者達の行為に注意を向ける時が来たのです。沈滞状態にあるアメリカに暗闇が蔓延り、そこに病気が広がっているのは疑う余地もないことです。しかし真実の光は、人がイスラームの道に従うことを選ぶか選ばないかに関わらず、私たち全てに提供されます。そしてこれを阻止すること、あるいは他人がそれに従うことを妨げるようなことは、更なる不幸へと導くことでしょう。私は自分の国の健康な未来をとても懸念しています。そしてイスラームについての更なる学習は、私の希望が叶えられる機会を高めることであることについて確信しています。
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